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弁護士の決め台詞は「憲法違反」?

2007年06月22日 19時47分21秒 | 社会全般
この前、慶応大学教授で憲法学者の小林節先生の書かれた産経新聞の記事を見て思ったのだが、「憲法違反だ」という主張を繰り出すのは、ある種の「お約束」みたいなもんなんでしょうか?

日本の憲法学者の真意を問う

で、調べたら出てた。

小林節 - Wikipedia

憲法学者にして弁護士、という大変優秀な先生らしい。では、どうしてこれほど立派な教授が、「違憲性が問われてしかるべき」などという甘い記述をするのであろうか?法学部教授にして、憲法学者で、弁護士なんですよ?要するに、違憲性を法学的に考える立場としては、申し分ないというかこの上ない経歴と言えるのではないでしょうか。にも関わらず、「憲法22条、25条、29条に反する」立法ではないか、ということを具体的に述べないというのは、本当に不思議でしょうがない。だって、自分の専門領域ではありませんか。自分の得意とする所であるのに、何故か厳しく言及していないのですね。「これこれこういう理由で、違憲だ」とか明確にすればいいのにね。何故言わないのでしょうか。

それと、通常提訴する一般の人々にとっては、「違憲なのか否か」といったことを考えたりするのは結構難しいのではないかと思うのですよ。提訴の理由として考えるとすれば、「納得できない」とか「解釈が間違ってるんじゃないか」とか、その位は考えたりするかもしれませんが、さすがに「憲法違反なんじゃないか?」とかって弁護士に相談に行ったりはしないことが普通だと思うのですよ。大体憲法違反かどうかを、法学に無関係な人が判断したり考えたりはできないことが圧倒的に多いだろうし(そもそも憲法の条文を正確には憶えてないし思い出せないことが多いのでは。これって、私だけ?)。

つまり、裁判での原告側主張にある「憲法違反だ!」みたいな主張を付け足しているのは、殆どが「弁護士の仕業なんじゃないの?」ということ。

「憲法違反だ」という主張が割とありがちなんじゃないのかな、と思ったのは、前にこの記事を書いたから。
コレ>公共交通機関の禁煙措置は違法か?

普通の人たちは、思いつかないことの方が多いと思うよ、やっぱり。憲法違反かどうかなんて、大それたテーマだから思いつかないもの。でも弁護士ならば、多分可能なんじゃないのかな、とは思う。これって、認められないと判っていても、必ず一箇所には「憲法違反だ」という主張を付け足しておくのが、裁判の慣例というか「お約束」なんでしょうか?と思ったわけです。他の判決文などでも、目にする機会が多かったように思うし。で、実際の裁判で憲法違反が認定されたケースって、どれほどあるかと言えば、まず滅多にない、という印象なんですよね。

<ちょっと寄り道:
「憲法違反だ」との主張をして認定された割合って、どの程度なのか調べてみて欲しいですよね。無効なことが判っているのに主張するのは、止めたらいいのに。毎回裁判官は「~の理由で憲法に反するとは認められない」とか、「~なので違憲とまでは言えない」とか、無駄に多く作文せねばならなくなるんですよ(笑)。裁判だと「言った者勝ち」みたいなところがあって、無謀だろうが何だろうが「憲法違反だ」と主張するから、毎回「いや、それ、違うから」と判決で答えねばならないのですよね。何と言いますか、詭弁士みたいなことになってしまって、まさしく 「口は弁護士、心はサギ師」が実感されるわけです(笑)。主張点を増やそうとするのは、弁護士の見栄なのか、心底違憲と解釈しているのか、よく判りませんが、「憲法違反だ」と言うのはタダだし言わないと損する、ということなのかもしれません。「超大穴狙い」の論点で、運良く当たれば儲けもの、ということでしょうか。>

小林節教授の「違憲性が問われてしかるべき」というのも、これと同じ心性なのではなかろうか、と。それは弁護士という職業的習性から、ついつい「入れてしまいがちな主張」ということなのかもな、と。でも私が知らないだけで、法学とか司法の世界では、本当はそうじゃないんだ、ということが何かあるのかもしれません。もっと真剣に憲法解釈した結果、「憲法違反だ」という主張が当然出てくるんだ、といった、「みんなバラバラ」みたいなことになっているのかもしれません。仮に違憲と認められるのが「100回主張して1回あるかないか」という程度なのに、頻繁に「憲法違反だ」と主張する弁護士たちのレベルというのは一体どうなのでしょうか、と疑問には思いますよね。それって、早い話が適当に言ってるのと何が違うのでしょう、ということです。


私は特に法学部教授や弁護士を非難したいわけではありません。弁護士といっても、全部ひと括りではないでしょうし。ですが、誰でも「憲法違反だ」みたいに使うのも、どうかとは思うのですよね。


違憲性があると主張するのであれば、是非ともその論を提示して頂きたいと思います。弁護士であり、法学部教授にして憲法学者ともあろうお方が、適当な主張点を付け足しただけに過ぎない、ということはよもやありますまい。次回の産経新聞紙上で結構ですので、ご説を開陳されるよう希望します。

法学的見解が何ら提示されないのであれば、日本の法学部・法学教育とはこうレベルなのだな、と受け止めたいと思います。