いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

オール人力狙撃システム試作機

「成功の為の8つの秘訣」はゲーム上達の秘訣

2007年06月04日 14時42分11秒 | 俺のそれ
ハーバード大学医学部留学・独立日記 サクセス・アナリストSt Johnが教える3分間でわかる成功のための8つの秘訣


で、以下は究極ゲーマーというか、名人クラスになる道を想定してみた。

①情熱を持つ:
「○○ゲームがやりてー!!死ぬほどやりてー!!」とか
「オレは○○ゲームを愛してるぜ」のようなもの。

②一生懸命する:
いつもハードにプレイ。生きてる時間の多くを投入する。

③得意になるまで追求する:
ジャンルやゲームを決めて、得意になるまでとことんやり込む。

④フォーカスする:
絞り込んでやる、ステージも絞り込むとか。アイテム探しに絞るとか。

⑤自分をプッシュし続ける:
諦めずに自分を信じて鼓舞し続ける。オレは必ずクリアできるぜ!とか。

⑥自分以外にもサービスする:
裏技とか攻略法とかを見つければ、他の人の役に立てる。

⑦アイデアを持つ:
最弱でも勝つ方法とか。超マイナーキャラの使い方とか。

⑧やり遂げる:
必ずエンディングを見るべし、と。


やっぱり、成功の秘訣かもしれない。



司法の品質管理を問う~3

2007年06月04日 00時31分33秒 | 法関係
モトケン先生のブログ(元検弁護士のつぶやき 司法の不確実性について考えるcommentscomments)の方で弁護士の方からコメントを頂戴しまして、長くなるので、こちらの記事に書いてみたいと思います。
モトケン先生にはお気遣い頂き有難うございます。場違いではございますが、御礼申し上げます。


>YUNYUN先生

コメントを頂き有難うございます。また、拙文をお読み下さり恐縮です。先生のご意見には若干の疑問がございます。

①医療において「証拠関係が同一であること」というのは有り得ない

医療は、全ての条件が異なります。患者固有の要因、生じる症状、時間経過、医療側要因、等々、ありとあらゆるものが異なります。川下りで言えば、川の流れ方も、流れる速度も、水の量も、船も、船頭も過去のある事例と全く同じ条件を再現することはできない、ということです。そうではあっても、これに一定の原則を当てはめること―医療の知見全て―は、無意味ということにはなりません。医療における証拠とは、「患者(側の条件、要因)」「データ類」「画像診断」「症状」「所見」などの全てです。この同一性というものがほぼ有り得ないという中で、幾つかの要因に絞り込んである範疇といいますかグループにおいては、「○○という治療が有効」といった原則を積み上げて行くものです。それが同一の病名というグループ分けであれば、そのグループにおける確率的な考え方で何らかの医療行為を適用していくものです。医療においても、「似た症例」ということはあっても、「同一の症例」ということは有り得ない、ということです。司法における「同一の事件」ではないということと何ら違いはありません。


②司法の原則が明らかにされているか

例えば、
ア)狭心発作が疑われる時→ニトログリセリンを投与
イ)冠スパスムが疑われる時→カルシウム拮抗薬を投与

というような、所謂教科書的原則があるでしょう(本物の医療の知識とは断言できませんが、あくまで大雑把な例です)。

裁判においては、大抵こうした何らかの原則に合致しているか否かを見るものと思います。では、司法においては、こうした原則が明らかにされているのでしょうか?あるのは、判例集のようなものであったりすると思いますけれども、医療裁判における論点を網羅してきているでしょうか?私にはそのようには思われません。医学的知見ほど積み上げられてきてはいないと思います。

コメントにも触れましたが、看護師の行った内診行為について、「保助看師法第30条違反」となり、内診行為を指示した医師が罰金刑となった事件について、犯罪として成立することを法曹の9割以上が「当然刑事罰を受ける」と認識できるはずですので、これを具体的に構成要件等をお示し下さればと思います。因みに条文は、『助産師でない者は、第三条に規定する業をしてはならない。ただし、医師法 (昭和二十三年法律第二百一号)の規定に基づいて行う場合は、この限りでない。』というものです。この条文から、看護師が行う「内診行為が違法である」ということを導き出せるはずであろうと思います。そしてその答えとは、法曹の9割に一致する考え方、ということになりましょう。


③同一事件、類似事件についての法曹の判断が収斂していることが判る理由とは何か

医学においては、統計学的な考え方によって、あるグループ分けを行えば②のア)やイ)のような、ある程度の確立された知見・原則のようなものがあります。これらは成書や論文等によって客観的に認識可能な形で存在しています。司法においても、これと同様なものがあるのでしょうか?「症状1、2、3…があれば、~と診断し、○○の処置を行う」と似たような、「証拠(要件)1、2、3…があれば、~違反と判断し、過失(不法行為)と認定」というようなことです。よくある刑事事件などはかなり確立されているであろうとは思いますが、医療裁判に関係するもので、そういった原則があればお聞きしたいと思います。また、同一事件について、法曹が100人とか1000人程度で検討した結果、「判決は極めて妥当なものであり、自分の見解もほぼ同じである」といった統計調査のようなものがあるのでしょうか?もしもそういった調査研究があるのであれば、実例でお聞きしたいと思います。

また、以下の記事に取り上げた事件のいずれにおいても、法曹の多くが一致した見解を持っており判決は妥当である、ということが判る理由があれば、お聞きしたいと思います(全部ではなくても、一部でもよろしいので)。

裁判における検証レベル
Terror of jurisdiction ~加古川事件について
裁判所は独自の医学理論を確立する機関なのか(ちょっと追加)


古紙持ち去り事件とか官舎のビラ配り事件のようなものでは、判決が異なることもあるようですが、これも何らかの統一的見解があるようには見えない(素人だからかもしれません)のです。法学的な理論が明らかになっているのであれば、常に同一の判決(有罪か無罪か)となるようにも思えますがいかがでしょうか。


素人のおかしな意見かもしれませんが、司法サイドに理解できない部分が多く残されていることは確かです。個々の判決について、どの程度詳細に検討され、知見の積み上げとかフィードバックが働いているのか、疑問に思っています。