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何でも「第三者」が決めるなら議員は何をするの?

2007年07月01日 17時47分14秒 | 政治って?
そういえば、「善意の第三者」を見て思ったのですが、「第三者」って最近よく聞くな、と。大阪府議会の政務調査費について、「あり方協議会」みたいな検討機関で使途基準を決めていこうということらしいですが、昨今の政治風景にはありがちなのが「第三者機関」とか「第三者~なんちゃらら~」のようなものなのですよね。

行政側は色々と第三者組織を作ったりするわけですが、教育再生会議のように「どうよ?」という感じになったりすることもあります。専門家のご意見を取り入れましょう、考える材料として既にある知見を利用することは有用ですね、というのは判るのですよね。で、重要なことを決める、制度化する、政策に取り入れる、法令として定める、といったことは、本来的には議員が考えるべきことのはずなのです。でも、実際はどうなっているんだろうな、と思ったりするわけです。

現在存在している審議会等はそれこそ膨大にあって、各省庁毎に多数の「専門家」が委員とか何とかになってやっているわけですよね。どういった基準で選ばれるのか知らないのですが、戦う専門家もいれば行政寄りの御用学者もいるかもしれないけれども、ホニャララ審議会のメンバーは基本的には国民の意志とは無関係に選ばれるので、やり方次第では色々と裏技が使えそうではありますよね。基本的には議事録の公開が進んでいると思いますけれども、たとえば意図的に偏りのあるメンバーを集めてきて結論を誘導する、というようなことも十分可能なわけです。予め作り上げられた筋書きに基づいて、「シャンシャン」という進行にしておき、手続を経ましたという外形的な体裁を持たせて、アリバイ作りのようにできる、ということです。何か反対意見とか出されても、「ですから、第三者の審議を経たではありませんか。既にやったんですよ」とか言えますよね、ということです。

現実にはそういうことがないとしても、専門家の意見が出されて「はあ、そうですか」ということで、議員が「右から左へ受け流す」(ムーディー勝山か!)ということになってしまっても、これもまた問題ではあると思うのですよね。中教審があるにもかかわらず、似たような第三者機関の教育再生会議でも意見が出され、どちらの言ってることが大事なのか、みたいになってしまっても困りますし。財政審と政府税調と地制調で言ってることが違ってしまう、とか。ということは、第三者機関も結構当てにはならんな、とかってことにもなりかねない面はあるように思えます。つまるところ、「議員は何をしているのか」ということが「ハッキリしていない、不明確」ということになりましょうか。与党内にも専門の会があって、そこでは何を決めているのか判らないのですが、第三者機関とか審議会のような組織との役割分担とか関係なんかが、あまりよく判らないのです。


専門的には意見1、2、3…、と対立するものも含めていくつかあるでしょうから、それを提示してもらうのが審議会等の第三者機関の役割として、そこから「どれを採用するか、優先するか、重み付けを行うか」といった作業は議員が行うべきなのかもしれない。第三者たちの中であっても、一つの結論に達することが困難な場合は多々あるでしょうからね。審議会等に選出されていなかった、その他大勢の専門の人々は、「第三者機関」の出してきた意見や結論についてこそ、十分検討するべきなのではないだろうか。公開されていることの意味とは、そこにあるのではないかと思う。専門家・有識者の意見といっても、実は、正しいことやいいことばかりではなく、多くの批判に晒されないと検証できていないことが多いのではないかな、ということです。或いは、よい意見などがあっても誰の目にも触れずにほこりをかぶって埋没してしまっているかもしれません。広く検討されなければ、そういう意見には光が当てられずに終わってしまうかもしれません。


結局のところ、第三者機関とか第三者委員会とか、そういうのがどんどん増えていく一方になっていて、議員の責任というのはどうなっているのか、行政側の責任所在はどうなるのか、決定権限とか決定過程はどうなんだろうとか、そこらへんをよく整理してみてはどうかな、と思います。