いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

オール人力狙撃システム試作機

好かれることはとても難しい

2007年07月26日 21時15分46秒 | 政治って?
結果が出ていないのに、今から戦後処理等々を考えてもしょうがないのであるが、一応書いておく。

今日の読売朝刊での戦況分析では、1人区(29選挙区)で自民優勢がたったの6つしかないのだそうだ。本来鉄板でなければならないはずの岡山、島根あたりの混戦模様というのは、今回いかに苦戦を強いられているかということを物語っているであろう。よもや敗退は許されないミキオさんやタイガーさんのお膝元でもこの有様ですから、議長ポスト云々だのという夢物語を追いかけてる場合ではないだろう。

まさか今回選挙でこうした強烈な逆風が吹くとは思いもよらなかったが、総裁選前に安倍ちゃんが立つべきではない、ということを何度か記事に書いた。下手をすれば短期政権になる可能性があること、幹事長として臨んだ04年参院選での敗退、ということで、まるでジンクスのようなものかもしれないが、そういう不思議な巡り合わせというのがあるものだと思ったからだ。安倍ちゃんが総裁に選ばれていなければ、内閣のメンバーも全く異なっていただろうし、閣僚の問題発言などもなかっただろうから、今と状況が全く異なっていたことは確かである。そうは言っても、「時をかける少女」もいない(笑)ので過去に遡ってやり直すわけにもいかないし、結果は素直に受け止めるしかないであろう。

安倍ちゃんが責任問題追及を何とかしのいだとしても、どの程度政権の維持が可能なのか判らない。政治的混乱が生じることは確かであり、90年代の悪夢が再び訪れることになるであろう。行くも地獄、引くも地獄である。安倍ちゃんが首の皮一枚残ったとしても、或いは、責任を問われて総辞職となったとしても、何らかの良い道筋は見えてこないということだ。野党が参院で待ち構えているのを承知で、政権を担当せねばならない総理総裁は、あまりやりたがらないであろう。90年代の混乱と同じような状況に陥ると、頭の挿げ替えが頻繁に起こるだけで何の前進にも繋がらないだろう。政治的には何も達成されないであろう。


今回の問題について、少し触れておく。

支持率低下局面での対応、次々起こった閣僚の問題、年金問題、これらがあったことは確かだ。けれども、一番大きな原因というか、要因として大きくなったのは、「好き嫌い」という極めて単純な感情的問題ではないかと思う。これは戦術ミス、周りの人間のミス、ということがあっただろうと思う。

年金問題があったにせよ、これほど安倍総理個人への「嫌い」ということにはならないはずなのだ。年金問題の話はどちらかと言えば現時点では沈静化へ向かっていた。マスメディアもあれほど騒いでいたが、ここ最近はそうでもなくなった。同じネタでそんなに長期間騒ぎ続けられないし、視聴者・読者にも飽きが来るからね。煽り材料があるうちは色々と出してくるが、段々ネタ切れになれば、「新たな燃料」投下が続かないので、テーマとしては取り上げられなくなったのだろう。「朝ズバ」とかでさえ、途中で諦めたくらいですからね(笑)。

それよりも、安倍ちゃん個人への嫌悪感を悪化させた要因があったのだろうと推測している。

その一つは、「強硬路線」だけを貫こうとしたことであろう。それは「拘り過ぎた」ということ。何に拘ったかと言えば、「ぶれないこと」にだろうと思う。目に見える例としては、「強行採決」「松岡大臣擁護」などである。確かに、言うことがコロコロ変わってはリーダーとして困るのであるが、全てに強硬路線である必要性はないのである。何かの紛糾があるのであれば、安倍ちゃん本人ではなくて、別な誰かが紛糾の役回りを引き受けてやらねばならないであろう。何かの答えを出すのも、全部一人でやる必要などないのだ。普通ならば「任せる」ことにしないと、一人の人間の能力では限界があるのだから無理に決まっているのである。任された人がバトルを繰り広げようと、紛糾の種となろうと、大衆の目がそこに向いているのであればまだ良かった。

それから、広報戦術の失敗ということがあるだろう。何でも表に立ちすぎであった。自分1人が全てを背負い込むと、憎まれる対象となり得る、ということだ。選挙が近づくにつれて、大衆から嫌われるとか恨まれる対象となるのが専ら安倍ちゃんになってしまった、ということでもある。例えば、選挙前の党首討論のような場合であれば、安倍ちゃん本人が登場せねばならないに決まっているのだが、それ以外でも安倍ちゃん本人が登場することが多かったであろう。別な人がもっと戦うべきではなかったか。恐らく本人がしゃべりすぎてしまった、ということで、これが逆効果となってしまったのではなかろうか、と。これには伏線があって、随分と前から安倍ちゃんを前面に置くということにしてあったのではないか、と思う。小泉さんの時だと、平ちゃんとか麻生親分とか中川秀さんとか、小泉さん以外の人たちが結構参戦していて、何でも小泉さんがやっていたわけでもなかったように思う。広報担当は策を弄して策に嵌ったということだろうと思う。そう簡単にメディアコントロール、大衆操作はうまくいくとは限らない、ということだろうか。

そして最後の要因としては、国会の会期延長だったのではないか。これに安倍ちゃんと周囲の人間の関係が集約されていたと言えるであろう、多分。安倍ちゃんは「何でも自分でやってしまった」ことの顕れなのではないか、と。まあ、「モーホー大臣」のお陰で、堕ちるところまで堕ちた、ということになってしまったのであろうか。「トドメの一撃」を食らわせたことに違いはなさそうだ。
懐刀というか、ある程度「任せておく」という人間関係があれば、会期問題なんかは「国会の方できちんとやってくれている」とか言えばいいだけで、安倍ちゃん本人が決めずともよいはずなのである。安倍ちゃんに適切にアドバイスしたり、入れ知恵をする人があまりいなかったのではないか。そういうことを言える人間というか、「使える人材」「任せられる人材」が乏しかったのであろう。ここに来て官邸中心主義の脆弱性が裏目に出た、ということかもしれない。

こうして大衆の心は離れていった。政治なんてよく判らない、興味ない、という人たちでさえ、何となく「好きになれない感じ」ということになってしまったのではないか。総裁選前では好感度が高かったはずなのに、期待も一番大きかったはずなのに、何故ここまで来てしまったのか謎な部分は多いのであるが、結局政策の是非がどうとか政治手法云々とかいうこと以上に、嫌いになった、ということなんではないかな、と。愛せない、好きになれない、応援してあげられない、みたいな理由なき理由によって、逆風はもっと強い風となっていったのかもしれない。


小泉さんが途中で降ろされずに済んだのは、他に大衆から支持を集められそうな人がいなかったからだろう。大衆から好かれ続けるというのは、大変なことなのだ。



経理はお荷物部門なの?

2007年07月26日 15時30分28秒 | 社会全般
タイトルに釣られました。
最初のページしか読んでないけど。

第3話 「経理部は他の部門に食べさせてもらってるのだ」 「熱血!会計物語 ~経理課長、団達也が行く」:NBonline日経ビジネス オンライン

あまり経理・会計関係のことは知らないが、企業内での評価というのは、「稼ぎもしないくせに」という目を向けられることもある、ということか。確かに管理部門というのは、例えば商品を売るとか契約を取るなどして、自らが稼ぐ訳でないからね。気持ちは判らないでもないが、これを軽んじていては戦いには勝てないであろうな、とは思う。

喩えが変かもしれないが、他の部門の人たちは前線で戦っている兵士(企業戦士?)みたいなものなので、そういう役割の人たちから見れば「お前らは鉄砲を撃ちもしないくせに」とか「こっちは弾が飛んできて命懸けでやってるんだ」とか、思われてしまうのかもしれない。でも、それら兵士や戦闘を支えるには、兵站部門も必要なのだから仕方がない。どんなに勇猛果敢な兵士であろうとも、弾がなければタダの標的に過ぎない。そういうものなのだ。
華々しい戦功が挙げられないと判っていても、それを支える人たちがいなけりゃダメなのだから。そりゃ撃墜王は輝かしいけれども、一人ではエースになれない。整備兵がいなけりゃ、ただの「飛べないブタ」になってしまう。昔から、輜重兵が必要だった、ということ。兵站なき戦争は必敗である。

経理部門とか人事部門なんかは、そういう兵站部門なのだろうと思う。


経理部門に似てる感じなのは、統計調査部門とかもそうなのかも。
夏休み時期に思い出すのが、小学校の夏休みの宿題にあった、アサガオやひまわりの観察のこと。スケッチとか、何センチ伸びました、みたいなのを記録した。そういうようなものかな、と。それを記録し、知ってみたところで、「だから何?」とか言われると、うーむむむ、返答に困るな、と。
統計調査って、調べる範囲というか分野がいっぱいあったりして、今すぐそれが何かの役に立つかどうか、何か生み出せるか、といった批判はありがちなのかも。でも、ある時、調査結果を知りたいとか、何かを考えるのに必要になるとか、そういったことはあるだろう。それは、いま直ぐには判らないことが多いので。なので、「富士山の降雪量知ってどうすんの?何か新しいものを生み出してるの?」とか言われたりすると、困るかも。後になってから、「過去のデータを知りたい」と思っても、その時点で調べられてこなかったのであれば、どうにもできないからね。なので、「お役立ち度」は判らないとしても調べておくしかない、ということかと。


統計調査も経理も、「完璧」「感情不要」というような、まさに機械的というか人間計算マシンのように正確に処理することが第一に求められるような気がする。どっちも仕事ぶりとか見たことないから知らないんだけど。正確無比、最高!数字が全てを物語る(なんてことは言わないかもしれませんが、勝手な想像)。そうか、地味、って点でも、共通したイメージがあるかも。

ほら、会話というか、セリフなんかでも、
①今度、新しいプロジェクトの企画のメンバーに選ばれたんだ!
②今度、30年続いている統計数値の集計係に選ばれたんだ!
だと、かなり違う。

①なら、「前向き、やる気、創造」みたいな雰囲気が伝わってくるかも。「プロジェクト」「企画」みたいな言葉が好きな人たちは多いような気がするし(そういう仕事に無関係なので、実際は知りません)。なので、友人たちなどからも、「やったじゃん、良かったな」とか褒めてもらえそう。なので、ドラマや物語などのセリフでも使われるかな、と。

②だと、「後向き、感情無視、集めるだけの計算マシン」みたいな感じだし。あの、経理や統計が嫌いとか、イヤな業務とか、そういうことを言っている訳ではありませんよ。大事だ、と思ってますよ。でも、レトロスペクティブな調査が多いのは確かだろうし、専ら数字を扱うから個人的感情なんか出すと余計にマズイし、集計が間違っていたら役に立たないとか大変なことになるからね。ドラマのセリフで使われるとは思えないような気が…(笑)。



決して花形にはなれないけれど、そういう部門は必須なのですよ。個人の手柄とか、そういうものもはっきりとはないけれど、地道に着実に正確に業務をキッチリやってくれる、それはとても貴重で有り難いことなのです。