結果が出ていないのに、今から戦後処理等々を考えてもしょうがないのであるが、一応書いておく。
今日の読売朝刊での戦況分析では、1人区(29選挙区)で自民優勢がたったの6つしかないのだそうだ。本来鉄板でなければならないはずの岡山、島根あたりの混戦模様というのは、今回いかに苦戦を強いられているかということを物語っているであろう。よもや敗退は許されないミキオさんやタイガーさんのお膝元でもこの有様ですから、議長ポスト云々だのという夢物語を追いかけてる場合ではないだろう。
まさか今回選挙でこうした強烈な逆風が吹くとは思いもよらなかったが、総裁選前に安倍ちゃんが立つべきではない、ということを何度か記事に書いた。下手をすれば短期政権になる可能性があること、幹事長として臨んだ04年参院選での敗退、ということで、まるでジンクスのようなものかもしれないが、そういう不思議な巡り合わせというのがあるものだと思ったからだ。安倍ちゃんが総裁に選ばれていなければ、内閣のメンバーも全く異なっていただろうし、閣僚の問題発言などもなかっただろうから、今と状況が全く異なっていたことは確かである。そうは言っても、「時をかける少女」もいない(笑)ので過去に遡ってやり直すわけにもいかないし、結果は素直に受け止めるしかないであろう。
安倍ちゃんが責任問題追及を何とかしのいだとしても、どの程度政権の維持が可能なのか判らない。政治的混乱が生じることは確かであり、90年代の悪夢が再び訪れることになるであろう。行くも地獄、引くも地獄である。安倍ちゃんが首の皮一枚残ったとしても、或いは、責任を問われて総辞職となったとしても、何らかの良い道筋は見えてこないということだ。野党が参院で待ち構えているのを承知で、政権を担当せねばならない総理総裁は、あまりやりたがらないであろう。90年代の混乱と同じような状況に陥ると、頭の挿げ替えが頻繁に起こるだけで何の前進にも繋がらないだろう。政治的には何も達成されないであろう。
今回の問題について、少し触れておく。
支持率低下局面での対応、次々起こった閣僚の問題、年金問題、これらがあったことは確かだ。けれども、一番大きな原因というか、要因として大きくなったのは、「好き嫌い」という極めて単純な感情的問題ではないかと思う。これは戦術ミス、周りの人間のミス、ということがあっただろうと思う。
年金問題があったにせよ、これほど安倍総理個人への「嫌い」ということにはならないはずなのだ。年金問題の話はどちらかと言えば現時点では沈静化へ向かっていた。マスメディアもあれほど騒いでいたが、ここ最近はそうでもなくなった。同じネタでそんなに長期間騒ぎ続けられないし、視聴者・読者にも飽きが来るからね。煽り材料があるうちは色々と出してくるが、段々ネタ切れになれば、「新たな燃料」投下が続かないので、テーマとしては取り上げられなくなったのだろう。「朝ズバ」とかでさえ、途中で諦めたくらいですからね(笑)。
それよりも、安倍ちゃん個人への嫌悪感を悪化させた要因があったのだろうと推測している。
その一つは、「強硬路線」だけを貫こうとしたことであろう。それは「拘り過ぎた」ということ。何に拘ったかと言えば、「ぶれないこと」にだろうと思う。目に見える例としては、「強行採決」「松岡大臣擁護」などである。確かに、言うことがコロコロ変わってはリーダーとして困るのであるが、全てに強硬路線である必要性はないのである。何かの紛糾があるのであれば、安倍ちゃん本人ではなくて、別な誰かが紛糾の役回りを引き受けてやらねばならないであろう。何かの答えを出すのも、全部一人でやる必要などないのだ。普通ならば「任せる」ことにしないと、一人の人間の能力では限界があるのだから無理に決まっているのである。任された人がバトルを繰り広げようと、紛糾の種となろうと、大衆の目がそこに向いているのであればまだ良かった。
それから、広報戦術の失敗ということがあるだろう。何でも表に立ちすぎであった。自分1人が全てを背負い込むと、憎まれる対象となり得る、ということだ。選挙が近づくにつれて、大衆から嫌われるとか恨まれる対象となるのが専ら安倍ちゃんになってしまった、ということでもある。例えば、選挙前の党首討論のような場合であれば、安倍ちゃん本人が登場せねばならないに決まっているのだが、それ以外でも安倍ちゃん本人が登場することが多かったであろう。別な人がもっと戦うべきではなかったか。恐らく本人がしゃべりすぎてしまった、ということで、これが逆効果となってしまったのではなかろうか、と。これには伏線があって、随分と前から安倍ちゃんを前面に置くということにしてあったのではないか、と思う。小泉さんの時だと、平ちゃんとか麻生親分とか中川秀さんとか、小泉さん以外の人たちが結構参戦していて、何でも小泉さんがやっていたわけでもなかったように思う。広報担当は策を弄して策に嵌ったということだろうと思う。そう簡単にメディアコントロール、大衆操作はうまくいくとは限らない、ということだろうか。
そして最後の要因としては、国会の会期延長だったのではないか。これに安倍ちゃんと周囲の人間の関係が集約されていたと言えるであろう、多分。安倍ちゃんは「何でも自分でやってしまった」ことの顕れなのではないか、と。まあ、「モーホー大臣」のお陰で、堕ちるところまで堕ちた、ということになってしまったのであろうか。「トドメの一撃」を食らわせたことに違いはなさそうだ。
懐刀というか、ある程度「任せておく」という人間関係があれば、会期問題なんかは「国会の方できちんとやってくれている」とか言えばいいだけで、安倍ちゃん本人が決めずともよいはずなのである。安倍ちゃんに適切にアドバイスしたり、入れ知恵をする人があまりいなかったのではないか。そういうことを言える人間というか、「使える人材」「任せられる人材」が乏しかったのであろう。ここに来て官邸中心主義の脆弱性が裏目に出た、ということかもしれない。
こうして大衆の心は離れていった。政治なんてよく判らない、興味ない、という人たちでさえ、何となく「好きになれない感じ」ということになってしまったのではないか。総裁選前では好感度が高かったはずなのに、期待も一番大きかったはずなのに、何故ここまで来てしまったのか謎な部分は多いのであるが、結局政策の是非がどうとか政治手法云々とかいうこと以上に、嫌いになった、ということなんではないかな、と。愛せない、好きになれない、応援してあげられない、みたいな理由なき理由によって、逆風はもっと強い風となっていったのかもしれない。
小泉さんが途中で降ろされずに済んだのは、他に大衆から支持を集められそうな人がいなかったからだろう。大衆から好かれ続けるというのは、大変なことなのだ。
今日の読売朝刊での戦況分析では、1人区(29選挙区)で自民優勢がたったの6つしかないのだそうだ。本来鉄板でなければならないはずの岡山、島根あたりの混戦模様というのは、今回いかに苦戦を強いられているかということを物語っているであろう。よもや敗退は許されないミキオさんやタイガーさんのお膝元でもこの有様ですから、議長ポスト云々だのという夢物語を追いかけてる場合ではないだろう。
まさか今回選挙でこうした強烈な逆風が吹くとは思いもよらなかったが、総裁選前に安倍ちゃんが立つべきではない、ということを何度か記事に書いた。下手をすれば短期政権になる可能性があること、幹事長として臨んだ04年参院選での敗退、ということで、まるでジンクスのようなものかもしれないが、そういう不思議な巡り合わせというのがあるものだと思ったからだ。安倍ちゃんが総裁に選ばれていなければ、内閣のメンバーも全く異なっていただろうし、閣僚の問題発言などもなかっただろうから、今と状況が全く異なっていたことは確かである。そうは言っても、「時をかける少女」もいない(笑)ので過去に遡ってやり直すわけにもいかないし、結果は素直に受け止めるしかないであろう。
安倍ちゃんが責任問題追及を何とかしのいだとしても、どの程度政権の維持が可能なのか判らない。政治的混乱が生じることは確かであり、90年代の悪夢が再び訪れることになるであろう。行くも地獄、引くも地獄である。安倍ちゃんが首の皮一枚残ったとしても、或いは、責任を問われて総辞職となったとしても、何らかの良い道筋は見えてこないということだ。野党が参院で待ち構えているのを承知で、政権を担当せねばならない総理総裁は、あまりやりたがらないであろう。90年代の混乱と同じような状況に陥ると、頭の挿げ替えが頻繁に起こるだけで何の前進にも繋がらないだろう。政治的には何も達成されないであろう。
今回の問題について、少し触れておく。
支持率低下局面での対応、次々起こった閣僚の問題、年金問題、これらがあったことは確かだ。けれども、一番大きな原因というか、要因として大きくなったのは、「好き嫌い」という極めて単純な感情的問題ではないかと思う。これは戦術ミス、周りの人間のミス、ということがあっただろうと思う。
年金問題があったにせよ、これほど安倍総理個人への「嫌い」ということにはならないはずなのだ。年金問題の話はどちらかと言えば現時点では沈静化へ向かっていた。マスメディアもあれほど騒いでいたが、ここ最近はそうでもなくなった。同じネタでそんなに長期間騒ぎ続けられないし、視聴者・読者にも飽きが来るからね。煽り材料があるうちは色々と出してくるが、段々ネタ切れになれば、「新たな燃料」投下が続かないので、テーマとしては取り上げられなくなったのだろう。「朝ズバ」とかでさえ、途中で諦めたくらいですからね(笑)。
それよりも、安倍ちゃん個人への嫌悪感を悪化させた要因があったのだろうと推測している。
その一つは、「強硬路線」だけを貫こうとしたことであろう。それは「拘り過ぎた」ということ。何に拘ったかと言えば、「ぶれないこと」にだろうと思う。目に見える例としては、「強行採決」「松岡大臣擁護」などである。確かに、言うことがコロコロ変わってはリーダーとして困るのであるが、全てに強硬路線である必要性はないのである。何かの紛糾があるのであれば、安倍ちゃん本人ではなくて、別な誰かが紛糾の役回りを引き受けてやらねばならないであろう。何かの答えを出すのも、全部一人でやる必要などないのだ。普通ならば「任せる」ことにしないと、一人の人間の能力では限界があるのだから無理に決まっているのである。任された人がバトルを繰り広げようと、紛糾の種となろうと、大衆の目がそこに向いているのであればまだ良かった。
それから、広報戦術の失敗ということがあるだろう。何でも表に立ちすぎであった。自分1人が全てを背負い込むと、憎まれる対象となり得る、ということだ。選挙が近づくにつれて、大衆から嫌われるとか恨まれる対象となるのが専ら安倍ちゃんになってしまった、ということでもある。例えば、選挙前の党首討論のような場合であれば、安倍ちゃん本人が登場せねばならないに決まっているのだが、それ以外でも安倍ちゃん本人が登場することが多かったであろう。別な人がもっと戦うべきではなかったか。恐らく本人がしゃべりすぎてしまった、ということで、これが逆効果となってしまったのではなかろうか、と。これには伏線があって、随分と前から安倍ちゃんを前面に置くということにしてあったのではないか、と思う。小泉さんの時だと、平ちゃんとか麻生親分とか中川秀さんとか、小泉さん以外の人たちが結構参戦していて、何でも小泉さんがやっていたわけでもなかったように思う。広報担当は策を弄して策に嵌ったということだろうと思う。そう簡単にメディアコントロール、大衆操作はうまくいくとは限らない、ということだろうか。
そして最後の要因としては、国会の会期延長だったのではないか。これに安倍ちゃんと周囲の人間の関係が集約されていたと言えるであろう、多分。安倍ちゃんは「何でも自分でやってしまった」ことの顕れなのではないか、と。まあ、「モーホー大臣」のお陰で、堕ちるところまで堕ちた、ということになってしまったのであろうか。「トドメの一撃」を食らわせたことに違いはなさそうだ。
懐刀というか、ある程度「任せておく」という人間関係があれば、会期問題なんかは「国会の方できちんとやってくれている」とか言えばいいだけで、安倍ちゃん本人が決めずともよいはずなのである。安倍ちゃんに適切にアドバイスしたり、入れ知恵をする人があまりいなかったのではないか。そういうことを言える人間というか、「使える人材」「任せられる人材」が乏しかったのであろう。ここに来て官邸中心主義の脆弱性が裏目に出た、ということかもしれない。
こうして大衆の心は離れていった。政治なんてよく判らない、興味ない、という人たちでさえ、何となく「好きになれない感じ」ということになってしまったのではないか。総裁選前では好感度が高かったはずなのに、期待も一番大きかったはずなのに、何故ここまで来てしまったのか謎な部分は多いのであるが、結局政策の是非がどうとか政治手法云々とかいうこと以上に、嫌いになった、ということなんではないかな、と。愛せない、好きになれない、応援してあげられない、みたいな理由なき理由によって、逆風はもっと強い風となっていったのかもしれない。
小泉さんが途中で降ろされずに済んだのは、他に大衆から支持を集められそうな人がいなかったからだろう。大衆から好かれ続けるというのは、大変なことなのだ。