貯蓄率関連で調べていたら、興味深い資料を見つけたので。
>法政大学大原社研 1978年庶民の物価感覚と勤労者生計費諸指標〔日本労働年鑑 第50集 130〕
この中から一部引用してみよう。
◇「総理府統計局の消費者物価指数は、生活実感とかけ離れている」という批判にこたえて、独自の世帯階層別生計費指数づくりをすすめていた東京都は、七八年一一月その「暫定指数」を試算して発表した。同指数の特徴は、消費者物価指数が平均的世帯を対象としているのにたいし、インフレの圧迫をうけやすい中小企業労働者や年金生活者の世帯を重点に家計調査をおこない、階層別の生計費変動をとらえようとするものである。
うーむむ、昔は「生活実感とかけ離れている」という理由だけで、「CPI は疑わしい」という目を向けられ、統計局もちょっと困ったな、みたいに思っていたのか(笑)。当時は左派の影響力が強く、労働者たちの言い分がかなり通用していたということを窺わせる。よく考えて頂くと判ると思いますけれども、「実感」とか「オレ様感覚」が統計数値に勝つ(?)、政治的にそちらが重要だと判断される、というのは、結構凄い時代だったのだな、と思いますね。実感はあてにはなりませんでしょう。だって、全品目を網羅して購入しているような人物は恐らく実在できないでしょう。心理的問題とか、行動経済学のようなもので説明され得るバイアスのようなものとか、そういった影響があることも考えられますしね。
参考記事: 「貧乏バイアス」の存在を疑う(笑)
感覚というのはあまり当てにはならない面がありますが、恐ろしいのは、そうした「曖昧でいい加減な」感覚であろうとも、判断に影響を与えることになり、それで行動が決定されたりしてしまう、というところでしょう。実体的な部分に顕れてくることになってしまう、ということかと。これは全く判らないので、とりあえず措いておこう。
◇基準時である一九七五年を一〇〇とした場合の七八年指数は、大企業世帯が一二五・四、中小企業世帯が一二七・九で、前年比それぞれ五・三%、五・八%の上昇となった。これらはいずれも七八年の東京都区部消費者物価指数一二三・八(前年比四・三%)を上回るもので、とくに中小企業労働者層に物価上昇の影響がより強く出ていることが示されている。
これも、かなり怪しい解説であるな。仮に大企業群が給料が高く、中小企業群が低いとなれば、給料が多くなっていくと消費割合は減少していくことのは一般的に観察されるだろう。そうであるなら、大企業群の消費指数が中小企業群よりも低く出たとしても、(庶民を苦しめる)「インフレのせいだ」という理由には用いることはできないのではないでしょうか。
日本がどん底に叩き落されたデフレ期間とかみたいに、本当に生活に困るなら、支出額を絞っていくのが当然なんですよ。つまり消費支出割合が減っていくのが、真の貧乏人の生き様ということかと。ところが、中小企業群の庶民は、支出を削減するどころか、確実に拡大しているのですよ。これはどういうことか?
賃金が確実に上がっている、ってことなんですよ。収入が増えているんですよ。だから、消費を増やすわけだ。故に、75年を100とすれば、78年は127.9にまで消費額が拡大しているんです。賃金上昇がこれら消費を確実に支えていたのですよ。名目賃金の上昇率がきちんとあるからこそ、「将来所得が増えるだろう」という期待というか将来予測に基づいて消費を拡大する。物価が上昇している中ですから、実質賃金上昇率がどの程度であったのか判りませんけれども、名目賃金に沿って消費を拡大していたのだろうと思うのですよ。
因みに、80年頃の家計貯蓄率は何と17%くらいあった。そんなに貯蓄しながらも、消費額は増加していたんですよ。物価が上がって行っても買っていたんですよ。それは、「給料(の数字)が増える」という名目値だけを「感覚的に」信じて、消費を拡大していたのです。当時の企業貯蓄は大幅にマイナスで、労働者たちにかなり分配されていた、ということでしょう。それで成長に繋がっていた、という時代だったのでしょうね。
◇しかし、税金、各種保険料などの非消費支出だけは、赤字つづきの国の台所のしわよせと同時に、この際かかった費用は払ってもらおうという「受益者負担の原則」のツケが重なって一二・五%の二ケタ上昇を示し、これが生計費指数を押し上げる要因となった。消費者物価指数との差がせばまったのは、(1)物価調整減税がおこなわれた、(2)住宅ローンの利率切り下げ、(3)七六、七七年の物価上昇率が高かったことが指数計算に影響したことなどによると説明されている。
「赤字つづきの国の台所のしわよせ」とかは、今の時代でも同じようなことが言われているね。国だって無限に金を出せるポケットを持ってる訳ではないはずなのに、どうして財源ということに関心が向かないのか不思議ではあるね。「この際かかった費用は払ってもらおうという「受益者負担の原則」のツケ」というのも、国がやってくれることは何でもタダ、みたいな誤った認識というか過剰なサービス期待のようなものが国民側に出来上がってしまったのかもしれない。
上で見たように、2割近くも貯蓄に回してもなお消費指数は3年で3割近く、年9%程度の増加となっており、国のサービスは低料金かタダ同然で、減税や住宅ローン金利引下げなんかもあって、現代から見ればまさに天国のような時代だったのかもしれないですね。どうしてこれが可能であったのか、それが今後の日本の成長をもたらす鍵なのかもしれません。
とりあえず、インフレ=悪とかってことではなく、名目賃金上昇、物価上昇、名目成長率上昇、という「正のフィードバック」は、かつての経済成長をもたらしていた(支えていた)ということはあるのかもしれないですね。
>法政大学大原社研 1978年庶民の物価感覚と勤労者生計費諸指標〔日本労働年鑑 第50集 130〕
この中から一部引用してみよう。
◇「総理府統計局の消費者物価指数は、生活実感とかけ離れている」という批判にこたえて、独自の世帯階層別生計費指数づくりをすすめていた東京都は、七八年一一月その「暫定指数」を試算して発表した。同指数の特徴は、消費者物価指数が平均的世帯を対象としているのにたいし、インフレの圧迫をうけやすい中小企業労働者や年金生活者の世帯を重点に家計調査をおこない、階層別の生計費変動をとらえようとするものである。
うーむむ、昔は「生活実感とかけ離れている」という理由だけで、「CPI は疑わしい」という目を向けられ、統計局もちょっと困ったな、みたいに思っていたのか(笑)。当時は左派の影響力が強く、労働者たちの言い分がかなり通用していたということを窺わせる。よく考えて頂くと判ると思いますけれども、「実感」とか「オレ様感覚」が統計数値に勝つ(?)、政治的にそちらが重要だと判断される、というのは、結構凄い時代だったのだな、と思いますね。実感はあてにはなりませんでしょう。だって、全品目を網羅して購入しているような人物は恐らく実在できないでしょう。心理的問題とか、行動経済学のようなもので説明され得るバイアスのようなものとか、そういった影響があることも考えられますしね。
参考記事: 「貧乏バイアス」の存在を疑う(笑)
感覚というのはあまり当てにはならない面がありますが、恐ろしいのは、そうした「曖昧でいい加減な」感覚であろうとも、判断に影響を与えることになり、それで行動が決定されたりしてしまう、というところでしょう。実体的な部分に顕れてくることになってしまう、ということかと。これは全く判らないので、とりあえず措いておこう。
◇基準時である一九七五年を一〇〇とした場合の七八年指数は、大企業世帯が一二五・四、中小企業世帯が一二七・九で、前年比それぞれ五・三%、五・八%の上昇となった。これらはいずれも七八年の東京都区部消費者物価指数一二三・八(前年比四・三%)を上回るもので、とくに中小企業労働者層に物価上昇の影響がより強く出ていることが示されている。
これも、かなり怪しい解説であるな。仮に大企業群が給料が高く、中小企業群が低いとなれば、給料が多くなっていくと消費割合は減少していくことのは一般的に観察されるだろう。そうであるなら、大企業群の消費指数が中小企業群よりも低く出たとしても、(庶民を苦しめる)「インフレのせいだ」という理由には用いることはできないのではないでしょうか。
日本がどん底に叩き落されたデフレ期間とかみたいに、本当に生活に困るなら、支出額を絞っていくのが当然なんですよ。つまり消費支出割合が減っていくのが、真の貧乏人の生き様ということかと。ところが、中小企業群の庶民は、支出を削減するどころか、確実に拡大しているのですよ。これはどういうことか?
賃金が確実に上がっている、ってことなんですよ。収入が増えているんですよ。だから、消費を増やすわけだ。故に、75年を100とすれば、78年は127.9にまで消費額が拡大しているんです。賃金上昇がこれら消費を確実に支えていたのですよ。名目賃金の上昇率がきちんとあるからこそ、「将来所得が増えるだろう」という期待というか将来予測に基づいて消費を拡大する。物価が上昇している中ですから、実質賃金上昇率がどの程度であったのか判りませんけれども、名目賃金に沿って消費を拡大していたのだろうと思うのですよ。
因みに、80年頃の家計貯蓄率は何と17%くらいあった。そんなに貯蓄しながらも、消費額は増加していたんですよ。物価が上がって行っても買っていたんですよ。それは、「給料(の数字)が増える」という名目値だけを「感覚的に」信じて、消費を拡大していたのです。当時の企業貯蓄は大幅にマイナスで、労働者たちにかなり分配されていた、ということでしょう。それで成長に繋がっていた、という時代だったのでしょうね。
◇しかし、税金、各種保険料などの非消費支出だけは、赤字つづきの国の台所のしわよせと同時に、この際かかった費用は払ってもらおうという「受益者負担の原則」のツケが重なって一二・五%の二ケタ上昇を示し、これが生計費指数を押し上げる要因となった。消費者物価指数との差がせばまったのは、(1)物価調整減税がおこなわれた、(2)住宅ローンの利率切り下げ、(3)七六、七七年の物価上昇率が高かったことが指数計算に影響したことなどによると説明されている。
「赤字つづきの国の台所のしわよせ」とかは、今の時代でも同じようなことが言われているね。国だって無限に金を出せるポケットを持ってる訳ではないはずなのに、どうして財源ということに関心が向かないのか不思議ではあるね。「この際かかった費用は払ってもらおうという「受益者負担の原則」のツケ」というのも、国がやってくれることは何でもタダ、みたいな誤った認識というか過剰なサービス期待のようなものが国民側に出来上がってしまったのかもしれない。
上で見たように、2割近くも貯蓄に回してもなお消費指数は3年で3割近く、年9%程度の増加となっており、国のサービスは低料金かタダ同然で、減税や住宅ローン金利引下げなんかもあって、現代から見ればまさに天国のような時代だったのかもしれないですね。どうしてこれが可能であったのか、それが今後の日本の成長をもたらす鍵なのかもしれません。
とりあえず、インフレ=悪とかってことではなく、名目賃金上昇、物価上昇、名目成長率上昇、という「正のフィードバック」は、かつての経済成長をもたらしていた(支えていた)ということはあるのかもしれないですね。