いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

オール人力狙撃システム試作機

探査機「はやぶさ」と「タチコマ」と「ターミネーター4」

2010年06月14日 14時52分09秒 | いいことないかな
感動した、という声が続出らしい。

はやぶさ 任務完了…JAXA教授「神がかり的だった」(毎日新聞) - Yahoo!ニュース


以前には失敗をボロカスに言われてきた「はやぶさ」だったが、今回の帰還で大いに注目を集めた。やはりニッポン人には、機械にも魂が宿ると感じられるようだ。多くの「はやぶさ」ファンにとっては、すでに息子だった。


こうした機械を擬人化する傾向というのは、昔からアニメの中なんかで見られてきたものだった。個人的には、「バトウさんごめんね」(それとも、「さようなら」だったか?)と言って墜ちていったタチコマを思わず想い出してしまった(『攻殻機動隊 2nd GIG』に登場する話)。
自らの「頭脳(人工知能)」を載せた人工衛星を核ミサイルにぶつけるべく、大気圏で燃えながら墜ちていった姿が、今回の「はやぶさ」に重なったのだ。人工知能のロボットに人格形成とか魂を宿すのか、というおとぎ話ではあるけれども、そういう感覚というのは、少なくない日本人の中に存在しているのだなと、今回の1件で改めて感じた。

機械なのに、ついつい擬人化してしまって、まるで「誰か」のような感じを抱いてしまう、ということだ。燃えながら墜ちていった「はやぶさ」に、”ゴースト”を感じ取った人たちは大勢いた。


この機械と人間の境界、ということをテーマにしていたのが、映画『ターミネーター4』であった。まるでサイボーグのように改造されてしまったヒトが、果たして機械ではない人間なのか、という話だ。人間と機械は何が違うのか、と。

タチコマと共通しているのは、ともに「自己犠牲」ということである。タチコマは愛する(?)人たちを救うべく、自らの存在を犠牲にして衛星自爆を選んだ。

「はやぶさ」もやはり、犠牲と引き換えにカプセルを運んだ。これが「はやぶさ」の自己決定ではないにせよ、燃え尽きる方を選んだことに違いはなかった。「はやぶさ」をよく知る人々にとって、「はやぶさ」の自己犠牲以外のなにものでもない、ということだった。


光り輝く「はやぶさ」に涙した人たちには、彼の”ゴースト”が見えていただろうか。



(ところで全然関係ないけど、映画の『G.Iジョー』は残念無念な映画であった。ワケのわからんつくりすぎのCG風映像とか、おざなりな話の展開とか、最近観た中ではほぼ最低水準くらいの出来だった。どうせやるなら、中途半端にするべきではなかったんじゃないのかな。イマイチ、どっちつかずの作品となってしまったのでは。海外版「かめはめ波」風味(笑)というべき、続編公開中の『アイアンマン』の方が確かに良かった。似てるようで、出来栄えってこんなに違うもんなのか、というのは、映画の不思議なところかも。)