いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

オール人力狙撃システム試作機

安倍総理のメッセージ

2006年10月06日 16時48分52秒 | 政治って?
国会での総理答弁は「安全運転だ」とか、「棒読みだ」というような批判があるようですね。別にいいじゃないですか(笑)。皆さんは、一体何を首相に求めているのでしょうか?コメディアンになる必要性など何処にもありませんよ。「安全運転」なら、「なおよし」ではないですか。何処の世界に、宰相に向かって「酩酊運転で行ってくれ」「暴走運転を見せてくれ」などということを求める人がいますか。全くアホか、と。


小泉さんの時の、「劇場型だったから、大衆は騙されて動員されたんだ」みたいな批判を散々出していたクセに、「優等生」の答弁はご不満なのでしょうか?何だかんだ言って劇場型が好きで、「ドラマチック」な答弁とか、「ユニーク」な答弁でも期待しているんじゃありませんか?(笑)
総理大臣が俳優、三流タレントや無責任コメンテーターみたいなキャラクターである必要性など全くありません。「安全運転」が確実にできて、道を大きく外れたりせずにきちんと進んでいってもらえれば、それが一番いいのですよ。決まってるじゃありませんか。派手なスタンドプレーも、危険な綱渡りも、全く必要ない。こんな当たり前のことが判らんような連中は、批判なんぞ百万年早いわ。「安全運転」をあたかも悪いものであるかのように揶揄し、「危険運転」を助長するような発言は、不謹慎にもほどがありますね。折りしも、飲酒運転などがクローズアップされているのに、「安全運転」をバカにするな。


真紀子さんのツッコミもそれなりにあったようですが、下らない口喧嘩みたいなもんですね。いくつか見てみましょう。

Yahooニュース - 読売新聞 - “真紀子節”で首相批判「パパの靴履き危なっかしい」

この記事から。


「小さな子供がパパの革靴をイタズラで履き、道路に出てきた印象だ。右の方に右の方に寄って歩いていきそうで、危なっかしい」


これへの回答としては、

「交通法規では、歩行者は”右側通行”と決まっている。ルールに則り右側を歩くことが、何か悪いことですか。自分勝手に”左側”を歩くことの方が危険だし、問題ではありませんか(笑)」

でどうでしょう?


次は、菅さんのヘンな質問。

Yahooニュース - 毎日新聞 - 衆院予算委 歴史認識で揺さぶり 菅氏が追及 

記事より、一部抜粋。


5日にスタートした衆院予算委員会で、野党のトップを切った民主党の菅直人代表代行は、歴史認識や靖国神社参拝にポイントを絞り、安倍晋三首相の見解をただした。首相が代表質問で、こうした問題をめぐり「安全運転」とも言える控えめ答弁を繰り返しており、「本音を隠しているのではないか」と揺さぶりをかけたのだ。中韓・両国訪問を控え答弁に慎重にならざるを得ない首相は守勢に回った印象だ。
 「首相になる前は歯切れが良かった。今や逃げる政治家になったというのが私の感想だ」。菅氏は質疑でこう語り、首相になる前と就任後の国会での発言が変化していると挑発した。首相が中韓両国への配慮から、もともとは自らの歴史観と一致しない「村山談話」や「河野談話」を政治的妥協で受け入れている、との論法だ。特に、河野談話については「(慰安婦の)強制性を検証する文書が出てきていない」として談話の前提が成り立たない--とした首相の過去の国会質問を取り上げて追及。首相は「当時は『狭義の強制性』に疑問があったが、その後『広義の強制性』に議論が変わった」と苦しい答弁をした。
 祖父の岸信介元首相の戦争責任についても「間違った判断だった」と責任を認めたが、さらに岸氏が戦前に関与した「満州国」経営について菅氏から論評を求められると、「歴史認識については政治家が神のごとく判断するのは間違っている」と反論した。




まず問題と思うのは、身内批判を敢えてやっていること。品位に欠ける。岸さんの失敗は、「安倍総理の失敗」なんかではないのですよ。まるで中国や韓国が、「昔の日本人はこんなヒドイことをやったんだろ。お前らが悪い」と今の日本人を責め立てる論法にソックリです。個人攻撃にも限度というものがあろう。「○○総理のやった、~~という政策は失敗だったのではないか」という程度ならまだしも、たとえば祖父や父親の失敗を持ち出して、「その反省を(お前が)しろ」「償う気持ちを言え」という姿勢は非難されるべきである。血族に個人的な責任を負わせようとするのは、不見識も甚だしい。国会の場には相応しくない発言だろう。


戦争責任は、「国家の責任」として今の国民にも共有されるべきで、その時代に「存在」さえしていなかった子孫に個人的責任を押し付けるのはオカシイ。これまで、歴史から何を学んできたのか。


歴史認識に関する回答を考えた。

「国会答弁におきまして、私見としての歴史を述べる必要性はない。歴史的事実を知りたいのであれば、ご自身が歴史研究を紐解けば済むことである。一般論として申し述べれば、歴史というのは、研究成果によって変わっていくことが多々ある。聖徳太子の例もありますが、いくつかの検証を積み重ねることで、解釈は変化することは有り得るわけです。(慰安婦に関する)過去の国会質問は、「歴史」としての検証が十分なされていなかった、或いは研究が進んでいなかったのではないか、それ故「事実として明らかとなっていなかったのではないか」という疑問があったからこそ質問しているわけです。既に検証が済んでいて、歴史的事実として評価が確定し、広くそれが認識されていたのであれば、質問することもなかったでしょう(笑)。事実として明らかになっていなかった部分があったからこそ、質問する意味があろうというものです。村山談話や河野談話に限らず、過去の国会討論・政府答弁等を踏まえた上で、周辺各国と協力して平和な社会を構築していく努力を今後も続けて参りたいと考えている」


岸さんの責任云々については、

「終戦以前の、国の運営等につきましては、誤りがなかった、ということではないと思っております。何がしかの誤りがあったが故に、戦争という事態を生じたものと思います。こうした過去の惨禍を乗り越えて、戦争を2度と繰り返さないような国際関係を築いていくことが重要で、戦争責任について、どの行為や判断が個人的責任に帰属しているかを、現時点から過去を振り返ってわたくしが判断することは適切ではないと考えます。それは私や政府の役割ではなく、歴史研究家の役割であろうかと思います」


こんな感じではダメでしょうか?
って、私が答弁を考えても無意味なんですけどね。


折角補佐官がいるのですから、安倍総理個人の「考え、意見」というものについては、単なる「コメント」として発表してもいいのではないでしょうか。必ずしも「口喧嘩」に強いわけでなければ、時間を少しおいてから「じっくり考えた後」で反論することもアリなんじゃないのかな、と。その場合、国会答弁のように議事録として「永遠に」残らないし(永久保存版だとうっかり軽はずみなことも言えないですし、笑)、自分は「こう考えている」ということを国民にも説明できますよね。大抵は、言葉足らずにならないように上手に説明をするのは、ぶっつけ本番だと難しいですからね。なので、答弁なんかの「自分の言いたかったこと」の不足を補うには、補佐官が行う「総理のコメント」としての発表が役立つのではないでしょうか。広報担当補佐官の発表は、政府(内閣)の公式発表ばかりでなくてもいいのですよね?「安倍総理は~~と述べました」という発表形式が許されるのであれば、できそうな気もするけど。どうなんでしょうか、活用法としては。


中国や韓国へは、かなり「明確なメッセージ」として好意的に受け止められているようです。このまま行けば、出だしの成果としては、非常に良かったのではないでしょうか。姿勢が「一貫していない」とかの批判も止める方がいいですよ。それって、中国や韓国との関係が良くなると「面白くない」ということですか?もっと悪くなることを望んでいるのでしょうか?(笑)

Yahooニュース - サーチナ・中国情報局 - 【中国】人民日報:安倍首相の訪中歓迎「強硬な態度を修正」


大義を前にして、滅私奉公に努めてくれるのですから、有り難いではありませんか(笑)。外交姿勢としては、まず「対話をしていきましょう」というメッセージによって、関係改善に向けた雰囲気を僅かでも醸成していこう、ということなのですから、高く評価できると思いますよ。今後は、個別の問題等については、必ずしも全てを「譲歩する」という確約をしているのでもないわけですから、色々な立場から判断が必要になるでしょう。でも、まず互いに「テーブルにつきましょう」という方向に踏み出せたのは、素直に「良かったね」ということでいいと思いますね。勇気ある決断だったと思いますよ。



こんなメディアは「怒り」高まる(笑)

2006年10月05日 22時22分02秒 | 社会全般
メディアはなぜこうした「釣り」記事をもっともらしく載せたがるのだろうか?
評価が十分なものではないのに、「アルコールと運転の危険性」を関連付けて結論に持ってくるものも相当にオカシイと思うのだけど。もっと科学的な調査研究はたくさんあるだろうに。どうしても載せたいなら、結果だけ「素直に」載せればいいんだよ。「理系白書」の担当記者あたりに聞いてごらんよ。この記事がヘンだということを未だに気付かないのは、全然科学リテラシー向上には役立ってないんではないか?「理系白書」(笑)。


朝日と毎日を比べてみよう。

まず、毎日の記事から(一部抜粋)。


菊正宗:飲酒後2時間「怒り」高まる--清酒で調査-暮らし:MSN毎日インタラクティブ

調査は9月末に実施。同社総合研究所の研究員10人が自分で酔ったと感じるまで清酒を飲み、飲酒前と直後、30分後、1、2、3時間後に心理テストに回答。結果をポイントに換算し分析した。

その結果、「活気」を示す数値は飲酒直後は上昇したが、時間がたつにつれて下がった。1時間後には飲む前と同じ数値に戻り、3時間後には大幅に低下した。「抑うつ」「怒り」「混乱」の数値は飲酒直後にはすべて低下したが、30分後には上昇に転じ、2時間後には飲む前を上回った。緊張を示す数値は飲酒により低下し、その後も上昇しなかった。同研究所の溝口晴彦所長は「時間が経過しても、飲酒の反動でネガティブな精神状態になる人がいることが分かった。本人が酔いが覚めたと思っても運転には危険な状態と知ってほしい」としている。【脇田顕辞】




続いて、朝日の記事。

asahicom: 飲酒で「緊張感」低下、3時間後も回復せず 菊正宗調査-関西


酔いからさめたつもりでも緊張感は低下、運転は危険――。菊正宗酒造(神戸市)は3日、飲酒後の気持ちの変化に関する調査結果を公表した。調査では、飲酒後3時間たっても緊張感を示す数値は回復せず、疲労感は一段と高まっていた。「酔い」を心理の面から分析した調査は珍しいという。

 30~50代の社員10人を対象に、心理テストの一種、気分プロフィル検査(POMS)という手法で調査。1.5合~4合(1合は180ミリリットル)の清酒を飲み、緊張や混乱、怒りなど六つの感情面の変化を数値化した。

 「緊張感」を示す値では、飲酒前の45.3ポイントから飲酒直後には37.3ポイントまで低下。3時間たっても40ポイントにしか回復しなかった。「疲労」では、飲酒前44.8ポイントから飲酒直後には38.9ポイントまで和らいだが、3時間後には51.8まで疲労感が募る結果となった。3時間後のアルコール血中濃度は0.01%前後で「ほぼ酔いを感じない」レベルだったという。




朝日の記事の方がまだマシ。だが、「酔いからさめたつもりでも緊張感は低下、運転は危険」という一文を入れるのがオカシイのですよ。実験の結果を載せたいなら、その通り載せればいいですよね。そこで、なぜ「運転は危険」ということと「関連付けて」断定した結論を書くのでしょう?そういう「考え方」が根本的にオカシイと思いますよ、文系は(笑)。


「緊張感は低下したままで、3時間後でも回復しなかった」ということと、「運転は危険」ということは別の評価でしょ。せいぜい頑張って言えそうなことは(あくまで類推だけど、という意味で)、3時間経っても大脳の機能が「元通り回復しているとは限らない」ということくらいでしょ。なので、「運転は避けるべき」というアドバイスをするのでしょう?それ以上のことは言えないと思いますよ。



もっとヒドイのは毎日の記事。

記事中の、
『溝口晴彦所長は「時間が経過しても、飲酒の反動でネガティブな精神状態になる人がいることが分かった。本人が酔いが覚めたと思っても運転には危険な状態と知ってほしい」としている。』

この部分ですけれども、前段の実験結果の記事から、「運転には危険な状態」という結論をどうやって示せるのでしょうか?所長さんがどのような説明をしていたのかは判りませんが、編集せずにそのまま書いたのでしょうか?こういうのを「不思議に思わない」というリテラシーの無さを、記者さんは知っておいた方がいいと思うね。


『飲酒の反動でネガティブな精神状態』=『運転には危険な状態』

これがどうやって「判るのか」ということですよ。


「ネガティブな精神状態」の原因は「飲酒の反動」なんですと。まあ、それが本当だとして、「ネガティブな精神状態」は飲酒だけで起こるのですか?例えば、大失恋とかだったら?実験そのものを知らないから私には評価できませんが、「ネガティブな精神状態」を作り出すものであれば、何でもそうですよね。


今度は、「運転には危険な状態」というのは、どんな状態かを考えてみましょう。通常、自動車学校などで教わる運転というのは、「識別」「認知」「推測」→「判断」→「動作」「行動」みたいな感じではなかったでしょうか(資料がないので、不正確かもしれん)。つまり、これらの過程で「大脳の働き」が重要なので、大脳の機能が回復していないと「正しく認知できない」「正しく、素早く判断できない」「反応動作が遅れる」「動作を誤る」というようなことが起こる確率が高くなる、ということでしょう。こういうのが「運転には危険な状態」ということですよね?なので、運転の危険性を判定するのであれば、「認知能力」「判断能力」「動作反応時間」みたいなものを評価しないとダメってことですよね。


「怒りっぽい」という変化が運転しちゃいけない、とかってことになったら、相当数の人々が免許を取り上げられるかもしれませんよね(笑)。「緊張がたりない」とか「活気がない」というのも、必ずしも運転能力を左右するものかどうか判らんでしょ。「精神活動」のうち「心理」やら「情動」だかの変化を見るのと、「行動や動作の正確性、素早さ」を見るのでは、意味が違うと思うけど。なので、もっともらしい結論を安易に書かない方がいいんですよ。その実験から「言える(言えそう)」なことだけをきちんと選別して書くべきだね。


またヘンな喩えですまないが、簡単な例を書いてみよう。
対戦型格闘ゲームがあるとして、Aさんはいつも上手で強いが、Bさんはいつも下手で弱い。理由は、「認知(予測)・判断・操作(動作)」の全てでAさんがBさんより優れているからだ。ゲームが強い、というのは簡単に言うとそういうことだ。運転も同じようなものです。で、Aさんが酒を飲んでちょっと酔っ払っている時でも、シラフのBさんの能力を上回っているかもしれない。実際にゲームで対戦したりすると、酔ってるAさんにBさんはアッサリと負けちゃうかもしれないのだ。個人の能力差は必ずある。運転でもそう。高齢者の方が、案外と危険なこともある。別に酔っ払ってなくても。


だからといって、飲んで運転しちゃ絶対にダメですよ。どんなに自信があっても、大脳の機能が回復するには結構な時間がかかるので、「いつもの自分」の能力よりも落ちていることは確かだし、その結果事故の確率は高くなると思うよ、やっぱり。それに「いつもなら間に合う」とか「いつもなら正しくできてた」ことであっても、自分が思ってるより動作に時間がかかったり操作をミスったりするかもしれないからね。対戦ゲームをやると判ると思いますよ、多分(笑)。「あれー、いつもは上手にできてたハズなのに」とか、レバー操作の反応が遅れてしまった為に相手のクサい技にまんまとひっかかったりして、「おかしーな・・・」なんてことを思うかもしれないですよ。


飲酒後では、平常状態の自分からは「かけ離れた自分」に脳みそが勝手になってしまっているので、運転はダメですよ絶対に。


<休憩所:
一般的に言われているのは、アルコール自体は脳に対する抑制作用ですね。決して「興奮作用」ではないんですよ。見かけ上「うるさく」なったり「陽気に」なったり興奮しているように見えるのは、普段はそういう活動を「抑制系ニューロン」が抑えているのですが、この「抑制系ニューロン」がアルコールの作用で興奮系よりも先に「抑制」されるので、「ハメを外す」結果となってしまうのです(笑)。いつもなら理性が働いて「抑制する働き」があったものが、アルコールで「抑制する働き」そのものが抑制されてしまうのですよ。つまりは、某ウエ草氏のように、自分の欲望を抑制しておけなくなってしまったりするのです(笑)。でも、更に飲んで酔っ払うと、興奮系ニューロンも抑制が効いてくるので、だんだんと「静か」になり、「グッタリ」します。これはある意味、危険信号ですね。飲む量はホドホドに。って、それは私だな。歳のせいか、弱くなってしまって・・・・>



世耕補佐官を無視?

2006年10月04日 15時11分02秒 | 社会全般
奇妙な現象が続いているように思う。それは、北朝鮮の核実験声明を受けての政府発表に関して、世耕補佐官の記事や映像が一切使われていないことだ。他の会見でも、世耕補佐官の発表は記事などには使われていませんね。

これは総理のぶら下がり会見を1回に削減することにした報復?ということでもないのでしょうけれど・・・。

Yahooニュース - 読売新聞 - 首相の中韓歴訪を正式発表…北核実験阻止に協力要請へ

(以下に一部抜粋)

政府は4日、安倍首相が8、9の両日、中韓両国を歴訪して両国首脳と会談することを正式に発表した。下村博文官房副長官が記者会見し、明らかにした。



続いて、これ。

Yahooニュース - 毎日新聞 - <北朝鮮核実験>安倍首相、「断じて許せない」と厳しく非難

安倍首相は3日夜、北朝鮮が核実験を行うとの声明を発表したことについて、「核実験を行えば断じて許すことはできない。国際社会全体で厳しい対応を取ることになるだろう」と厳しく非難した。8、9両日に予定している韓国、中国との首脳会談で「地域の平和をどう維持していくか意見交換していくことになる」と述べた。



同じようなものですが、これも。

Yahooニュース - 時事通信 - 安倍首相「核実験、断じて許せぬ」=追加制裁検討も-日米「緊密連携」確認

首相はまた、塩崎恭久官房長官に情報収集と分析を進めるよう指示。これを受け、同長官は同日夜、ハドリー米大統領補佐官(国家安全保障担当)と電話で協議。日米両国が緊密に連携して対処することで一致した。




そういう意図でないとしても、総理、官房長官や官房副長官の発表のみが使われており、米国の「~報道官は何々と声明を発表」というような報道とは違っていますよね。マスメディア側から「無視」される、というのは最も辛いかも。


本日の小池補佐官の方は、北朝鮮の声明が出たので「重要テーマ」ができて良かったですね(笑)。


Yahooニュース - 時事通信 - 北の核実験阻止へ連携=安保理議長声明の採択目指す-日米補佐官



「アーミッシュ」と映画の話

2006年10月04日 12時45分47秒 | 俺のそれ
米国の銃乱射事件だそうだ。学校で起こったというのは、本当に可哀想。

Yahooニュース - 産経新聞 - 米小学校で男が銃撃、少女11人死傷 アーミッシュの惨劇


で、目を引いたのは「アーミッシュ」の村という部分。
記事中での説明は以下の通り。


【用語解説】アーミッシュ

 17世紀にスイスの牧師が創始したキリスト教再洗礼派に属するメノー派の一分派。宗教的迫害を逃れて、18世紀に米国に移住したとされる。現在はペンシルベニア州やオハイオ州をはじめとする米国22州、カナダなど北米全域に約20万人が住んでいる。ペンシルベニア州ランカスター郡はアーミッシュ居住の中心地。「ペンシルベニア・ダッチ」という古いドイツ語の方言を受け継ぎ、無地の質素な服装に加え、電気、ガス、水道、自動車を使用せず、馬車や自転車を交通手段とする独特の生活様式や文化を守る。




昔話で申し訳ないが、初めて「アーミッシュ」の存在を知ったのは映画だった。20年くらい前の『目撃者』という映画。ハリソン・フォードが主演で、刑事役だった。殺人事件の目撃者の少年がアーミッシュの村に住んでいたからだったと思う。トイレで事件は起こったのだが、物音の気付いた犯人が、駅の大便用トイレのドアを順番に開けていくシーンがあったと思う。この時、少年は隣との壁の下(30cmくらい空いていた)を転がって移動したりして、発見を逃れたハズ。この時、アメリカのトイレはイヤだな、と思った記憶がある。空きすぎだよね(笑)。

これはどうでもいいのですけど、映画の中ではアーミッシュの生活の様子がよく描かれていて、「こんな人々が未だにいるんだなー」と関心したものだ。信念というか信仰というのは、凄いね。かといって、彼らが不幸なのか、というとそんなこともないかもしれず、現代社会との対比としては興味深いですね。私はそこに住みたいとは思わないけど。


ヒロイン役は大柄な女優さんで(実際に身長が高かったかどうかは曖昧だが)、その後『トップ・ガン』のヒロイン(美人教官)役としても出ていた。当時は「デカイ女」がハヤリだったのかもしれないね。ブリジット・ニールセンみたいなのとか(たった2人か・・・思いつくのは)。映画の傾向としては「刑事もの」がハヤリで、『ビバリーヒルズ・コップ』とかがヒットしていたな。海外ドラマでも、日本のドラマでも「刑事もの」は人気だったかも。スタローンの『コブラ』、シュワちゃんの『ゴリラ』と、立て続けに駄作「刑事もの」映画が連発されていたしね。


『目撃者』の中身は、アーミッシュを知ったこと以外では、あまり見るべき所はなかったように思う。閉鎖的な島で暮らす女性が島を出られないのと似ていて、アーミッシュの村からは出られないのだった。男にそれだけの覚悟がなかっただけなのかもしれないが。単身で海外赴任して、現地調達している男性の態度に近いかもね(これはあくまで勝手な想像ですけど、笑)。ある意味、酷い男だな、主役の刑事は。当時の印象としては、ヘンなロマンスは冗長な感じがした(自分が若かったから、というだけなのかもしれないけど)。


映画の中身とは関係ないけど、当時の映画館は2本立てとかが普通で、「メイン1本」+「駄作1本」というのが殆どだった(都会では1本だったのかもしれないが、よく知らない)。『目撃者』を友達数人と観に行ったんだが、組み合わせになっていたもう1本は酷い3流サスペンスもので、タイトルも思い出せない。カッコよく言うと「エロティック・サスペンス」、平たく言うと「不倫・愛憎殺人事件もの」みたいな感じだったと思う(詳細は忘れた)。ベッドシーンで「釣り」を狙ってるとしか思えないような作品だった(笑)。フィルムに「ボカシ」みたいなのが丸く入っていた。「映倫」のチェックに引っ掛かったのだろう、多分。近年の映画で「ボカシ入り」を見かけないな、そういえば。


因みに、デートで2本立ては要注意だった。両方観ようとして、途中で女の子に帰られた人がいたらしい(笑)。まあ、4時間(!)も映画を観るのは、女の子にとっては結構大変かもしれないからね。今はそんなのないだろうけど。



アルコール濃度推定は慎重に

2006年10月03日 23時53分03秒 | 社会全般
「ハイテク捜査」風なのですが、注意が必要です。「数値」「計算式」は絶対ではない、ということを頭に入れておくべきでしょうね。


産経関西-酒気帯び運転、計算式で立件 数時間後に出頭、濃度を逆算 大阪地検 積極活用


まずは記事から一部を抜粋。

男は事故から約11時間後に警察に自首。当初は飲酒運転を否定していたが、飲酒検知で酒気帯びの基準値(呼気1リットル当たり0・15ミリグラム)以下の約0・05ミリグラムの酒量が出たことから、当時飲酒運転していたことが発覚した。しかし事故後かなりの時間が経過しているうえに「1人で飲んだ」と供述したため、事故当時の酒量特定が難しく、飲酒運転では送検されず立件が見送られていた。

地検交通部では男について飲酒運転の立件可能性を検討。事故後アルコールが検知されたことや、男が「事故前日の午後7時から約3時間、缶ビール6本を飲んだ」と具体的に供述したことから、体内アルコール保有量を調べる計算式に数値を当てはめたところ、事故当時酒気帯び状態だったことを裏付ける数値が得られたという。この計算式は「ウィドマーク法」と呼ばれ、体重や飲酒量、血中アルコール濃度が飲酒後に下降していく際の係数などを数式に当てはめることで、飲酒から一定時間経過した後の血中アルコール濃度を算出することができる。

これまでは飲酒検知の数値が基準値未満だった場合、最初から立件そのものを断念する傾向が強かったため、実際の捜査での運用例はまれだったが、今年に入り地検や大阪府警が積極活用。府警によると、危険運転罪立証の際の補強証拠などとして8件の飲酒事案で活用されているという。




以前に少し似たようなことを書いたことがありますが(勿論いい加減な例示ですけど)、薬物動態の「個体差」は非常に大きいのです。アルコールの影響度は、単一の数式で全てが説明できるとは言えないということを念頭に置くべきです。

参考記事:すみすさん、経済学院生さんへのお答え


特徴的なこととして、アルコールの代謝に関わる酵素(ALDH)の種類は遺伝型がいくつかあって、所謂お酒に「強いタイプ」と、「弱いタイプ」があるのです。代謝速度(かかる時間も)は基本的に酵素に依存し、個体差に大きく影響するのです。

この他の要因としては、

・体格(体重、脂肪量等):薬物の分布に影響する
・体調(疲労、寝不足、カゼ気味・・・等々):意外に大きく影響する
・摂取量
・摂取間隔、速度:長時間をかけてチビチビ飲むとか一気飲みとか
・肝臓や腎臓の病気:代謝に大きく影響
・他の薬物との相互作用:別な薬を常用している、等

などがあったりします。


普通は、血中半減期とかは大体決まっており、一定時間後の濃度から逆算して予想血中濃度をグラフ化することも可能ではあります。バイオアベイラビリティなどもわかりますからね。

でも、推測値は極めて不正確であり、あくまで「平均的な人」という前提でしか推定できません。通常の薬物では4倍とか10倍とか、信じられないような差が有り得ます。普通に考えられているよりも、効果や薬物動態の個体差というのは大きいのです。警察の計測はどれ程正確なのか不明ですが、「呼気中濃度」を測定することで「予想血中濃度」がおおよそ判定できるということを利用しているでしょう。採血して測定したりはしないでしょうからね。これも、「肺からの代謝」を計測することで、代用しているに過ぎないのですけどね。ここでも「誤差」は発生しています。


つまり、真に測定するべきは「運転時の血中濃度」なのですが、①数時間後の呼気濃度→②その時の推定血中濃度→③数時間遡った血中濃度、という具合に、「推定」が積み重ねられているのです。この推定を支えるのが、「唯一の数式」ということになれば、信頼度は低くなるでしょう。


更に、呼気中の濃度測定ですが、検出感度はどうなのか判りませんけれども、数回の測定によっては結果が多少変化することも有り得ます。普通、血液検査で何かのマーカーとか指標なんかを見たりしますけれども、これでも誤差はそれなりにあります(直接血中濃度を測定するのにも関わらず、です)。仮に、「50以下が正常値」である指標があって、検査結果は100であったとしましょう。その場合には、かなり高い確率で「異常値」というふうに判断できます。別な測定だと90(要するに誤差範囲が10%程度)であったとしても、「異常値」には違いないですよね。


ところが、ある物質の存在が全くの「ゼロ」であっても、測定結果として「0.5」とか検出されてしまうことはごく普通に起こり得ます。測定誤差の確率が一定以上に高ければ、その範囲はカットオフとして扱われるのではないかと思います。つまり、測定結果として「1」とか「0.5」とか出てきても、これは「ほぼゼロ」と同じ扱い、ということです。検出感度にもよるとは思いますが、100以上のものを測る時に「50以下は誤差範囲として無視する」という時と、同じ感度で10以上を測る時に5以下を無視する、ということでは意味合いが異なると思います。


呼気中の残留濃度を測定するというのは、感度の「厳しい」部分を測定しているのであり、そこでの測定結果でたとえば「0.05」と「0.02」の違いというのが、この実測通りの違いを反映しているのかどうかは不明です。ほとんど存在しなくても、「0.01」分は検出してしまう、というような誤差が有り得るからです。0.02から推測される血中濃度と、0.05から推測される血中濃度は違うでしょうし、この推計値も「単一」であることはまず有り得ないのです。


そういうわけで、長時間経過後の推計値というのが、「かなり正しい値だ」というふうに考えることは慎重さが求められます。色々な要因についての検討が必要なのです。運転者がどの程度これらの個体差を知っていて注意しているか、というのは、普通は判定が難しいのではと思います。



小池さんの初仕事

2006年10月02日 19時49分50秒 | 外交問題
沈黙を守っていた小池さんがいよいよ登場ですか。目立たないようにしていた訳でもないのでしょうが、テレビなどにも一切姿を見せていなかったように思いますね。塩崎官房長官や、世耕・山谷・根本・中山補佐官はそれぞれあちらこちらに出演していたようですけれども。幹事長の秀さんでさえ出演していたのにね。たまたま、小池さんだけはスケジュール調整がつかなかったのかもしれないですね。
(ああ、私が見逃していたのならごめんなさい)


NIKKEI NET:政治 ニュース


初仕事は、訪米+「面通し」ですか(笑)。

因みに、何を持っていくおつもりなのでしょう?外務省は準備をしていたのかもしれませんがね。手ぶらでいくのは、「物見遊山」か「子どもの使い」ですよね。行動力を発揮するのはいいですが、単に「会うだけ」「自己紹介」とかってことなら、行かない方がマシではないかと思ったりもしますが、先方との約束なので行かなけりゃいけないのでしょうけれどね。

就任直後には、まずじっくりと「力をためる」方が望ましいとは思うのですけれども。ただ、内閣の出足をこの訪米に賭けていたフシがあるので、その意味では早い段階で「補佐官が機能している」ということをアピールしたい、補佐官という役職に注目させたい、という狙いが達成できればそれでよし、ということなのかもしれませんが。


「今日、訪米中の小池補佐官はハドリー補佐官らと会談し、親密な日米関係を一層強化し、共通の課題について取り組んでいくことを確認しました」とかいうニュース原稿が浮かんできます。平たく言えば、「今後ともよろしく」ということですね(笑)。


上の日経記事での小池補佐官の言葉を見ると、次のように述べています。


『首相の分身として、ハドリー米大統領補佐官(国家安全保障担当)と会うなど各国とネットワークをつくる。各省庁の情報が首相官邸にきちんと集まるシステムを構築したい』

『事務局というつもりは全くない。首相に代わってやる』

『組織はこれからじっくり考えたい。日本で最も効率的、機動的に機能するシステムをつくっていく』

『他国のものをそのまま持ってくればいいとか、船頭を多くすればいいということではない』


重要視していると思われるのは、「人的ネットワーク作り」「日本版NSCの組織作り」ですね。なるほど。

参考記事:

組閣関連の感想

いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」:肥大化する官邸?


前者は「補佐官自身がメッセンジャーとして機能する」、後者は本気で補佐官自身が「組織、システムを作っていく」ということらしいです。意気込みは判りますが、システムを作り上げるのに、小池補佐官+スタッフ1名ではかなりの困難が予想されますが・・・。本当に大丈夫なんでしょうか。

『船頭を多くすればいいということではない』というご発言は、ちょっと笑えました。これはインタビュアーがそういう聞き方をしたのでしょうか?


何も小池さんに絡みたい訳でもございませんので、誤解なさらぬようにお願い申し上げます。小池さんをシバキたいわけでもないですから!うまくいくように祈っておりますよ、勿論。


追加です。

今気付いたけど、外務省も動いてたんですね。

Yahooニュース - 毎日新聞 - <外務省>谷内事務次官、4日から訪米 次席補佐官らと会談


これって、小池さんの「お供」?
それとも、面子丸潰れの為、外務省独自の外交路線強調ですか?

なんだか微妙。既に戦いは始まっていたんですかね(笑)。外務次官が急に出かけていく、というのも、何だか・・・・腑に落ちないですよね。小池さんは3日からでしょ?うーむ、外務省かなりアセってますか?

現地の外務省スタッフとかを、小池さんに使われるのも「面白くない」とか?笑

外務省との微妙な関係が早くも浮き彫りになってきたのでしょうか。



「実は傀儡だった」ってー?(追記後)

2006年10月01日 19時00分30秒 | 政治って?
経済財政諮問会議の皆様は役割を終えてホッと一段落したところでしょう。彼らの一定の功績は認めるところでありますが、どうもそれが気に入らない人々もいるようです。

陰謀論の好きな方々にとっては、4人の民間議員たちが「実は操り人形だったんだ!」というガセネタが好まれるのでしょうかね(笑)。自分の手柄にしたがる傾向のある人たちが結構いるのかもしれませんね、行政の中枢には(笑)。無関係な話だが、北朝鮮のミサイル発射騒動後に、某外務省幹部が「オレの手柄だ」とか吹聴して回っていた、という噂があったようですね。自慢するのもいいですが、実際に手柄でもないくせに、他人の功績を我がものとする根性は気に入りませんね。こういうのは霞ヶ関官僚にはありがちなのでしょうか。


話が逸れましたが、普通、諮問会議の議事録等を読んでいくのは大変だし、私も過去の記録を全部を読んできた訳ではないけれども、ブログを書き始めて以降は割と連続で読んだりしていた。その感想としては、一連の流れというか「ストーリー」にはなっているな、と思っていたし、議論のベースは表舞台にあると思っていた。故に、傀儡なんてことはないと確信しているけどね。


前から言ってるが、行政の情報は膨大なのでこれをフォローしていくのは大変だし、労力も必要だし、自分1人で全てを理解していくのは確かに困難です。けれども、時系列に沿って流れをきちんと見ていけば、「どの発言を受けてのものか」とか、誰が何を言ってその結果として次の議論の何処に繋がっているか、といったことが判るはずです。それもせずに、断片情報だけを取り上げて、「あやつり人形」だの何だのと即断するのは違うんじゃないのかな、と思う。まず数年分の議事要旨と説明・配布資料を読んでごらんなさい、と言いたいね。


何故、民間議員のペーパーが、毎回特定官僚(例えば、竹中チームの誰かが書いたもの-最近言われているのは大田さんが専ら書いていたとか・・・)が書いていた内容とは思わないか、その理由を書いておこう。


まず、形式的なことから。

以前、コメントを頂いていくつか議論をさせてもらったLydiaさんという方がおられたのですが、この方に「大学院生か研究者ではないか」とコメントに書いたことがありました。それは、コメントの書き方の特徴として、文末で「。」ではなくて「.」を用いていた為です。きっと「Macを使っていて」なおかつ「研究論文を書く」タイプの人なのではなかろうか、という推測によるものでした。これが本当かどうか確かめようがないのですが、ひょっとしてそうじゃないかな、と。案外とこういう手掛かりは隠れているものなのです。

他には、好みで傾向があったりしますね。箇条書きにする時に、①②のような数字を使うとか、「数字の後にスペース」だけ、「数字の後にピリオド」、カッコ付き数字(両カッコ、片カッコ)、先頭に「・」を付ける、といった傾向があります。私のブログでもいくつか使っていますけれども、全部が同一ではないにしろ、両カッコ数字が少ない、数字+スペースは殆どない(ハズ・・・)、数字+ピリオドも殆どない、という傾向だろうと思います。主に、丸数字、片カッコ、・付き、という感じではないでしょうか。この何が関連があるかと言えば、有識者議員の提出ペーパーの傾向を見れば、明らかに別人が書いたものであれば判るかも、ということです。


書体で明朝かゴシックか、という違いなどもあるかと思いますが、もしも竹中チームの人たちが専門に書いていたり、それこそ「大田氏」が全て書いていたとしたら、「同一の傾向」というのが表れます。特に、文書作成業務を大量にこなす官僚ならば、毎回決まったフォーマットを常用するはずではないかと推測しています。少しでも労力を減らせるし、作業時間を短縮できますよね。でも、必ずしも同一ではないのですよ、これが。これの意味することは、「別な人物が書いている」ということを窺わせるものなのです。明らかに「これは・・・別人だろうな」と判るのは、「数字+ピリオド」ではなく「数字+、」になっちゃってる時とか(これは性格?が出ていると思っています、笑)。竹中チームにも数人いるだろうから、それらの人の中で複数人が書いていた可能性はありますけどね。


<ちょっと寄り道:「数字+、」ですけれど、箇条書きの時に、
1、
2、
という風になっているのは個人的経験から言うと、主に「年配者」「プレゼン資料作成などが不慣れor下手」「(性格的に)気にしないタイプ」ではないか、という印象です。普通は、「1.」「2.」のような表記の方が多く見かけますね。>


4名の連名タイプのペーパーはかなりたくさんありますが、まとめ方は様々です。
書き方というか内容としては、

①民間議員の1人からメモのような「たたき台」を受け取り、それを内閣府の事務局が判りやすく書いたもの
②民間議員(+竹中氏)たちの会話の中から書き起こされたもの
③初めから事務局(竹中チームの官僚?)でテーマを用意して書かれたもの

というようなものがあると思います。

①については、ウシオさんや奥田さんが小難しいペーパーを用意することは稀でしょうから、主に本間、吉川両先生が自分で書いてきたものが多いかな、と思います。③は骨太の方針や展望ものとか、経済分析もの(経済見通しや景気判断とか)の場合が多いと思われ、これは官僚たちが書いていたのが多かったと思いますね。通常は、それまでの諮問会議での議論をベースにした「取りまとめ」が多いと思います。論点提示は、「内閣府の事務方」が必ずしも用意していたものとは限らないでしょう。②は諮問会議内での発言・議論をベースにしているものもあるし、民間議員たちがミーティング形式で話していた内容から、趣旨を書いたものもあったのではないでしょうか。そうした時の発言内容を官僚が「書いて」も、これは官僚が書いたペーパーという主張なのかもしれませんけれどもね。まあ、事実は確かめられないんですけどね。


分かり易い例で見ることにしましょう。これは官僚が出したものとは思えないので、挙げておこうと思います。

マクロ経済指標管理は万能か


このような論点提示を行うのは、概して「経済分野に強い官僚」などではなく「経営者的視点」ですね(笑)。人生訓に近いものが好きだという点で、そういう推測をしています。このような、松下幸之助やジャック・ウェルチの言葉を引用するというのは、到底官僚の仕業なんかではないと思うわけです。他にも、ちょっと似たような感じのものは、「4つの経験則」のような論点提示があったりしました。こういうのも、資料そのものはパワーポイントを使いたい若手官僚が張り切って作ったりしただろうと思いますが(笑、違うかも、いやいや作らされたのかもしれないけど)、出発点としては本間先生あたりの「経験則」だろうと思うわけです(笑)。これを事務方官僚たちが発案して書いていった、とかっていうのは疑問かな、と思いますね。官僚的思考からは程遠いのではないか、と。


もっと根本的なことを言えば、本間先生や吉川先生の諮問会議参加当初からの「論点」「主張」というのはそれほど大きく変化しておらず、著作や講演会なんかでしゃべっていたことが反映されていたりするんですよね。特別本間先生や吉川先生が官僚たちによって「いいように振付けられた」なんてことは考え難いのです。発足当初の諮問会議が「非常に弱い立場」にあった時から、骨太の方針で掲げていった事柄ということには、大筋で違ってなんかいないのですよ。小泉政権が発足して以降、大きく変更されたことなんてあんまりないと思えます。


郵政民営化法案で自民党と真正面から激突するまでは、諮問会議の重要度というのはそれ程でもなかったでしょう。来年度予算案への「締め付け」とか、「年金改革法案」「税制改正」なんかの影響力はそれなりにあったかもしれませんが、民間議員たちがどんなに頑張って竹中チームも一緒になって結託してみたところで、与党内の「手続き」を無傷で経ることはほぼ困難だったし、党内手続きから出てきて国会に辿りつく頃には、「大きく変貌」を遂げていたことが多かったのは確かでしょうね。それ故、道路公団民営化などの場合にも、厳しい非難を浴びたのですから。


でも、郵政解散で劇的勝利を収めてからは、諮問会議主導という形にはなっていったと思う。それまでは、そんなに影響力が絶大だったとも思えませんね。諮問会議に政治的パワーを与え、息吹を吹き込んだのは選挙で小泉政権を支持した国民なのですよ。「国民の支持」が明確な形で顕れたので、その力を背景に諮問会議の強さが作られたに過ぎないのですよ。力の源泉は、竹中さんでもなければ、官僚でもなかったと思いますよ。


追加です。


これまでにも取り上げた、日本21世紀ビジョンの「人間力」とか、文科省の出した「言葉の力」とか、これらを盛り込むまでには長い時間と検討の場を積み重ねてきたいたのだと思いますよ。行政というのは何かの「慣性の法則」のようなものがあると書いたことがある(格差拡大論争~その2)が、急な方向転換は難しいだろうし、報告書に書き込むまでにはかなり大変な作業を経ていることが多いと思う。なので、昨日今日の議論の中で急に浮上してきたり、単なる「ハヤリ」に合わせて急に出すことも難しいのではないのかな、と思っている。


例えば「人間力」に関しては、諮問会議で取り上げられたのは、はるか昔(H14)であり、スタートは諮問会議内に提案された内容から小泉さんが「人間力は大事だ」というような意見を述べたことから始まったのですよね。それを受けて、内閣府に検討チームのような有識者会議が設けられ、その後報告書なんかの取りまとめを経て、最終的には「日本21世紀ビジョン」の中に盛り込まれるに至ったのです。2~3年がかりなんですよね。フリーター対策も同じようなものですね。長い時間かけてきているんですよ。


私が諮問会議の議事要旨を読むようになってからは、麻生親分とかが谷垣くんと激しいバトルを繰り広げていたりしていたし、郵政民営化関連では竹中さんと麻生親分がやりあっていた。昔の分はあんまり詳しく見てないかったけれども、ブログを書き始めてからは割と毎回読んでいたから、財務省と総務省の総力戦とか、財務省と厚労省のしのぎあいとか、そういうのは議事録を読んでいれば十分伝わってきていた。担当大臣が議論をぶつけ合ったり、民間議員から(時には福井総裁あたりから)の意見が出されたりしながら、相手を「押し返す」だけの資料や反論を用意していかなければ、「敗北」を受け入れざるを得なかったからですよね。小泉さんのフトした時に発せられる、「~はどうなんだ?」とか「~はやらなきゃダメだ」というような意見は、結構な重さがあったしね。多くは予算削減が求められる風潮だったので、新たなテーマとして諮問会議のテーブルに載せてもらえることができて、「来年度予算の方針」みたいなのに記述が盛り込まれることができれば予算としては確保される、といったような傾向はあったかもしれない。


昔は、諮問会議の民間議員たちを支えていたのは、多分小泉さんの「思い切ってやっていい」という暗黙のバックアップと、「骨太の方針」なんかが「閣議決定された」ということだけだったろうと思う。心の拠り所としては、かなり寂しいのですけどね。「決めたんだから、早くやってくれ、ちゃんとやって行こうよ」と思うのが当然だったけれど、それだけの推進力は諮問会議には与えられていなかった。それでも、小泉さんの英断によって自民党内に要求を通そうとしてはいただろう。大抵は途中で書き換えられたり、曖昧な記述に変えられたりしていったのだろうけど。


「政府系金融機関の改革」ということも、かねてからの論点(諮問会議発足当初から?)であったわけですが、それまでは激しい抵抗にあって(笑)着手すらできなかったのですね。ところが、郵政解散後には「諮問会議」主導で進められることが可能となり、議題に取り上げられてから「ヒアリング」開始までは、それまでには考えられないようなスピードで進んでいくことができましたよね。これも仮に、竹中チームがどれほど頑張ろうが、民間議員たちが陰謀に加担していたとしても、それまでは着手の兆しさえ見えなかったことなのですよね。諮問会議での多数派工作がどうだの、民間議員のペーパーを官僚だか他の誰が書いただの、無関係ですよね。細かいことを言えば、「一つにする」か「複数残す」か、国際部門はどうするか、といったような議論では、竹中包囲網のような雰囲気があったことはあったと思う。この時は、竹中さんはまだ総務大臣になる前だったから、内閣府でペーパー類を書いていたハズだよね。


以前にブログで取り上げた「成長率論争」もあって、財政一派は財務省が中心には違いないけれど、「財政審」からの援護射撃という素人でも思いつく手を使ったりして(笑)、竹中さんへの反撃はあったと思う。本間・吉川先生も当然このバトルには参加していたし、与謝野さんが仕切るようになってから、財政一派の巻き返しは強まったと思う。竹中さんは内閣府に長かったので、自分が離れた後で財務省の一派に反撃されたのが「面白くなかった」というのはあっただろう。

竹中さんが財務省が書いてる云々とか文句を言ったのは、総務相になってからの名目成長率と長期金利の論争があって、将来見通しの「シミュレーション」とかで財務省が上げてきた資料を使ってきたのが不満だった、ということでしょう。諮問会議の前にオレにも読ませてくれ、とかも言ってたし。竹中さんは、反論の一つの根拠にマンキューのペーパーを引っ張ってきたりしていたからね。小泉さんにとっては、言葉をそのまま借りれば「経済学の授業」とか「神学論争」といった類の評価(笑)であったことは確かでしょう。

参考記事:
竹中大臣の要望

平ちゃんと洋ちゃんの議論(追記後)

名目成長率と長期金利



振り返ってみれば、「郵政選挙」を境にして大きく変っていったのですよね、諮問会議も。自民党に諮問会議側から「要求を突き付ける」という形から、自民党が受け入れるのが自然ということになった。更に、事前調整が進んでいくようになって、党主導に軸足が移っていったかもしれない。過去の諮問会議の苦労が結実したのは、昨年10月~今年春くらいまでの短い期間だったのかもしれない。今後はどのような機能・役割を果たしていくのかは、まだよく判らないのですけれども。