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利子とは何か?

2010年06月20日 13時44分21秒 | 経済関連
まるで重農主義者のように思われるかもしれないが、どうかご容赦願いたい。

現代の経済活動の中では、利子というものについて、あまり疑問を抱かれることはないだろう。生活全般に浸透しているし、考え方としてもそれが当然だと思われているのではなかろうか。何かの公理のような、当たり前の前提のようなものと捉えられているのかもしれない。


1)種は収穫を増やす

利子というものに近いようで、ちょっと違うものとして「種」(タネ)がある。
ある穀物があって、手元に1000粒食べられる種(小麦でも米でもいいけど、そういうようなもの、ということ)があるとしよう。普通の人はこれまで「全部食べてしまっていた」、と。ところが、ある時誰かが「このうち10粒を食べずに残して蒔く」と考えたらどうだろう。これまでは定常的に1000粒の収穫高だったのが、10粒を食べずに我慢して次期の収穫に回すことによって、例えば1050粒の収穫を得られることになるわけだ。これこそが、「当期の10粒」よりも「将来の50粒」を選択した結果、ということの意味であるはずだ。

将来の収穫が増える、ということの意味こそが、利子というものの意味合いなのではないか、ということである。手持ちの1000円を全部使ってしまえば、将来に増えることはないが、このうち10円を貯蓄して投資に回せばリターンが得られる、ということに近いのではないか。食べずに我慢して次の収穫に回す、というのと同じようなものである。


2)飢饉の時にはストックの価値が高い

今ある1000粒を全部食べないで少しストックしておいたとしよう。どうしてかというと、いつかやってくる飢饉に備える為である。それを繰り返して、蔵に100粒保管できていたとする。本当に天災とか日照りとかで飢饉がやってくると、蔵にあった100粒を食べて生き延びることができる。この時、普段食べていた10粒、それどころか1粒というものが、大変貴重なものとなるのだ。飢饉に見舞われた時の穀物の価値は、通常状態よりもはるかに高いはずだ、ということ。

山で遭難した時に、チョコレートを持っていたとすると、その価値が生死を分けるほどに重要なものとなるのに似ている。1粒のチョコは、日常ではそんなに高い価値を意識されないだろうけれども、遭難して生きるか死ぬかという状況下では大金持ちだろうと何だろうと誰もが欲しがる貴重な価値を有している、ということだ。そういう点において、当期の穀物10粒と、飢饉の時の穀物10粒では価値が異なるはず、ということである。


3)ストックの穀物は「利子」で増えたりするか?

さて、ここで問題なのだが、蔵に保管してある穀物は時間が経つと自然に増えているのだろうか?
普通の人たちは、そうは思わないだろう。勿論そうだ。それが正解である。
ストックの穀物というのは、何もしないのに増えたりはしない、ということである。異なる時期で、同じ10粒の持つ効用というものを比較するなら、違う価値を持つであろうということは言えそうだ。特に飢饉のような場合なら、希少価値が高くなるはずなので、価値が高まるということだ。しかし、普通に蔵に置いてある時には、そうした価値が見えてこないかもしれない。

そうであるとしても、蔵の穀物は時間経過と共に、何もしないのに増えたりはしないのである。つまり、「利子はつかない」ということだ。


4)食べずに残した種が収穫増加をもたらすのは何故か

基本的には、作付できる土地があるから、ということになるだろう。10粒を残して苗を育て、それを作付するということなら、10株分の土地の面積が必要となる。その「空いている土地」がある限りは、作付を拡張できるので、種として有効となり得るだろう。

しかし、住んでいる場所が小さい島のような限られた面積しかない土地ならば、どこかの時点で種の効果は頭打ちとなり、作付面積を増やせなくなる限界点がやってくるだろう。いくら食べずに残しておいたとしても、その粒は種としての意味を失う。育てる場所がないから、だ。

技術革新によって、単位面積当たりの収穫高を増やせる、というようなことが起これば、面積が同じでも収穫高は増加するだろう。例えば、肥料の工夫とか土地改良とか品種改良とか、そういう工夫だ。或いは2期作のような方法もあるだろう。同じ面積当たりで、それまでは20粒の収穫高だったものが30粒、50粒と増やせるということになる。ただこれは、作付できる種の数を増やせるのではないから、種の粒数は同じなのに収穫高は増えるということである(2期作なら1期作に比べて種の数を倍に増やせるが、次からは増やせない)。なので、「食べずに残す」という種を増やせば、必ず将来の収穫高が増加する、ということではない。

耕せる土地があって作付できる、という条件が必要だ。


5)現代の経済は「未開の土地」が多く残っているのか

簡単に言うと、世界中のどこかに「まだ耕せる土地は残っているはずだ」ということで、種としてどこかに貸し出されているだろう。確かに土地は残っているだろうけれども、食べずに残された穀物は膨大に存在しているから、そんなに全部を種蒔きできるのかな、という疑問はあるだろう。

先進国のような成熟した経済圏であると、単位面積当たりの収穫高もギリギリまで高められているし、作付に適する土地には既に植えられてきたはずである。効率化がそれらをもたらした。だから、食べずに残してある種は豊富に存在しているし、全部を種として利用できなくなっている。耕されてない土地を多く残す地域に投資という形で投下されているが、種の量に比べると土地の方が少ないかもしれない。

そこそこ収穫が期待できそうな土地には既に誰かが植えていること、種として収穫増加を期待して貸し出しているのに種が返ってこない場合がある、というのが「悩みの種」ではないだろうか。もっと新たな産業革命のようなことが起こらないと、頭打ちからは逃れられないかもしれない。
喩えて言えば、日本には水田としての利用が可能な所はほぼ開拓され、殆ど新たな耕作地は残っていない、というようなものだ。それなのに、これからもっと「食べずに種を残して来期の収穫増を期待しよう」というのは、かなりの困難を伴うのではないか、ということだ。


6)「種」と飢饉用の「ストック」は本来分けて考えられるべきかも

今目の前にある穀物を全部食べずに残す、ということをやることによって、過去には収穫高の増加を図ってきたことは事実であろう。そして、蔵には種としても使えるけど、飢饉の時のストックとしての役割を持つ穀物が蓄積されてきたのである。通常状態の時には、蔵に貯蔵してある中から何粒かを取り出してきて種として使うけれども、突発事態の時には非常時の食糧としても用いるということである。
本来は、単なるストックとしての穀物は「増えない」のだ。
増える部分というのは、種として取り出してきて新たな作付を実行でき収穫高増加の達成された部分のみ、ということのはずなのである。

しかし、現代社会の経済では、そうはなっていない。
貯蔵してある穀物は、ほぼ全部が「種としての収穫増」を前提としているのである。まさに、膨大な「種余り」現象を引き起こす、ということになるわけである。本当は、貯蔵穀物は自然に増えたりはしないのに、である。
いざという時の為に、現在消費よりも将来時点での価値の高い消費に備えて貯蔵しているものであるはずなのだ。それなのに、口だけ上手なペテン師の如き人たちや、出鱈目を並べて幻惑する狡い人たちがやってきて、ただ蔵に置いておくのは愚か者のすることだ、種として貸し出せ、と言って、うまいこと口車に乗せてきたのだ、ということではないかな。


実際には、「将来の収穫で返すから」という約束で、乱痴気パーティーを開いて好き放題に食ってしまったようなものなのだ。しかも貸し出す時には将来時点の収穫で返すと言っていた穀物は、水害だの日照りだので激減してしまって「やっぱ返せないわ」とトンズラされた、というようなものである。世界経済危機というのは、そういったものだったということ。


特に米国のような借金帝国は、「将来の収穫から返すよ」と約束していても、未だ誰もそんな収穫量をあげているのを見たことがないほどの量の種を借りているのである。そんなに作付できる土地(=有望な成長産業等)が残っているのだろうか?
それは相対量などではなく、絶対量としての種、ということだ。

将来収穫から返すという約束で、1000粒返して1100粒を借りる、次の年は1100粒を返して1200粒借りる、次は1200粒返して1300粒借りる、これを繰り返しているのと何が違うのだろうか?(笑)アメリカの借金というのは、そうやって大きくなってきた。新たに作付した部分の収穫量増加分が100粒より少しばかり多かったので、この自転車操業のような仕組みは壊れることがなかった、というだけに過ぎないだろう。実態は、返せる保証などどこにもない、無限借り換えという手法に過ぎないのである。



W杯 日本vs オランダ

2010年06月19日 21時27分30秒 | いいことないかな
いよいよ第2戦。
前半は、プラン通りの試合運び。
オランダはここまで日本の攻略の糸口をつかめていない様子。ほとんど危険なシーンはなかった。むしろ、日本の攻撃の方が少ない機会ではあったものの、決めの形だったように思う。


ただ、前回対戦の時にも、途中まではイーブンだったので、後半残り20分くらいをどう戦えるか、だな。個々の局面で全く劣っているということはないと思う。1対1でも簡単にやらせてない、というのが、今までのところは効いている。

押し戻す場面が段々と増えていたので、辛抱と忍耐でチャンス到来を待て。


後半に中村は投入されるかな?



残念な結果ではありました。
が、戦う姿勢は日本の方が上回っていたと思う。


何より幻滅したのは、俊輔。
松井に代わって入ったものの、まるで他人の試合みたいな、ビビリまくりのやる気のないプレーには、超腹が立った。
彼の人生最後のW杯の試合になるかもしれないのに、全力疾走というのが全くない、パスも投げやりでやる気が感じられない、気迫も感じられない、本当にやる気があるのかと疑問に思えた。
期待されているのは、ボールを運び、果敢に仕掛け、勝負するパスを送ることなのに、そういう「自分で何かを仕掛けるぞ」という気持ちがまるで感じられなかった。

何となく、3m隣の誰かにパスって、一体何の意味があるの?
パスした後もタラタラジョギングしているだけで、全く無関係な通行人みたいな姿勢というのは、何なの?

他の全員が散々走って苦しい中ボールに食らいつきに行ってるのに、中村だけやる気なし。体力的には余裕であるはずなのに、もっと追い回せるにも関わらず、そういうのを全くやらない。DFでさえ、死に物狂いで走ってるのに、途中出場の中村は走らず。

内容的には、オランダに負けてなかった。
惜しかった。


中村は、走る気がないというのはよく分かったわ。



菅政権は看板を替えただけの「旧自民党」

2010年06月18日 10時49分22秒 | 政治って?
外交、安全保障に関してが顕著であるが、菅政権はまさしく旧自民党と言ってよいだろう。唐突に出された増税路線もそうだ。

民主党のマニフェストとかいう代物で、「現実路線」と評されるものは、とどのつまりは「旧自民党」というところに行きつくわけだ。それは、権力機構を構成していた既得権者たちにとって最も都合の良い、慣れ親しんだやり方ということである。菅政権と民主党は、政権維持の為に取引したようなものなのである。


民主党という名の仮面をかぶった、やってることはまさしく「旧自民党」の、悪い部分だけを取り出してきて更に劣化させた形が、菅政権の正体であろう。


だから、鳩山政権以前に権力を維持できていた連中が、復活できて大喜びということになっているわけである。以前の権力維持構造に復帰できたから、であろう。日本では、より一層の腐敗が進んでゆく、ということだ。


民主党が政権を奪取したのに、何も変わらなかった、ということである。



これで経済学の専門家か?(笑)

2010年06月17日 21時45分31秒 | 経済関連
ホント、日本の経済学者とかって肩書きの連中ときたら、どうしてここまで独自の出鱈目理論を並べて平然としていられるのかな。本当に不思議。しかも、こういう手合いがマスコミなどに重用されたりなんかして、本を書いたりとかできると。羨ましい限りですな。


はてなブックマーク - 小幡績PhDの行動ファイナンス投資日記:日銀の二重の誤り

はてなブックマーク - 小幡績PhDの行動ファイナンス投資日記:デフレとは何か


日本の経済学界というのは、所詮この程度ということなんですかね。

学生からやり直せ、って言ってあげたいですわ。しかも、よく知らんけど名前をそこそこ売ってる人みたいなんですが、はっきり言って「デフレに関する議論について、殆ど知らない・理解してない・正しい知識を有してない」という感じです。
悪く言えば、素人以下ですね。

普通の無名の一般人ならば、害悪としては小さいと思うんですよ。だけど、ヘタに著名とか偉そうな肩書き(PhDとか笑)とかがくっついているだけに、もっと悪い。


デフレとは何か?
この偉い先生は、まずこの部分から自分の理解を深めるように勉強したらいいと思うよ。
定義が混乱しているだの、間違いを犯しているだの、あることないこと騙る前に、まず自分の混乱や犯している間違いを糺すべきだろう(笑)。


それに、例えば「デフレとは不況のことである」とか言ってる論文ってあるんですか?
この先生は、一体何が言いたいんですかね。
頭が悪いな。人口減少や挙げている理由というか、経済成長が期待でない構造だからデフレなんだ、みたいに盲信しているのかもしれないが、だとすると、実質成長がマイナスの国とかであれば、デフレに見舞われるというのか?(爆)

どんだけ物事を知らないんだよ、この先生は。
自分の脳内だけで完結させているんじゃないのか。そういう思考とか組み立てはやってもいいと思うが、せめて専門家ならば専門家らしく素人以上に正しく考えるようにしてはどうか、とは思いますな。


経済成長の起こらない社会では、結果としてデフレになる、というのであれば、そういう事実を集めてこい。

いいですか、これが日本の経済学教育によって生み出された著名経済学者とかいう人間なのだそうですよ。よく見ておけ。こういうのを、よく見ておきなさい、って言ってんの。

日本の経済学界というのは、本当の恥知らずな世界なのかもしれないですね。教える方がダメであれば、ダメな学生が量産されてゆくということになりますわな。その結果が、次のダメな教官を再生産するという仕組みになっている、と。

そういうのに感化された人々は、またしても「デフレは悪じゃない」とか喚きだす、と。
あなおそろしや。


全く論外ですね。




日中で共通通貨単位の創設を推進せよ~3

2010年06月17日 17時50分04秒 | 経済関連
我慢の限度を超えそうだ、ということらしい(笑)。

人民元めぐる忍耐は限界に達した=米下院歳入委員長 | ビジネスニュース | Reuters


もういい加減、為替自由化を進めろや、ということで、イライラが募る一方だった議会の方としては、「政府が待てというから待ってやったが、もう堪忍袋の緒が切れるぞ」と。


この前、外貨準備に米ドルなんて持つ必要がないよ、と、再び注意喚起をしておきました。

7日>日中で共通通貨単位の創設を推進せよ

8日>日中で共通通貨単位の創設を推進せよ~2


そうしたら、10日頃の記事ではガイトナー財務長官が「人民元改革が重要」みたいに牽制球を投げつけた、とかいう報道があったわけです。

米国が本気で恐れるのは、拙ブログで提案した通りの標準通貨を”米ドル抜きであろうとも”創設されることだ。為替や外貨取引に関する既得権益を失ってしまうから、というのもあるだろう。まあ、米ドルの通貨信認の低下に比べれば、ほんの微々たる損失だろうけれども。


ガイトナーを喜ばせる為に、はっきりと書いておくから。

中国の人民元が安いからダメなんだ、ということは、裏を返せば「人民元は高くなり、米ドルが安くなる」ことが達成されたらいいわけでしょう?(笑)
更には、米国が「脅威だ、脅威だ」と喧伝している中国に、米国債を大量に持たれるという心配もあるから、解消された方がいいでしょう?

これらを同時に満たせるのが、この共通通貨単位なのですよ。


各国が保有している米ドルは持ってる必然性がなくなるから、売られるわけである。現在外貨準備として積み上げられている米ドルなんて、大して役に立たないから売った方がいいってことなんですわ。これを共通通貨単位に全て置換するということになると、米ドルは必然的に売られてゆくことになる。そうするとどうなるか?
相対的に価値は低下することになるだろう。つまりは、米ドル安である。

中国人民元が共通通貨単位に加入しているなら、その分の貨幣需要が増すことになるから(経済規模からみてウェイトは小さくないだろう)、買われるということになる。結果的には、人民元高と米ドル安は達成されるだろう。良かったじゃないか。(笑)


米ドルは価値が高いから買われるということだけではない。成長力が高いから、ということだけもない。貨幣需要には、そういうもの以外だってあるわけである。それは取引通貨という意味合いなのである。
よく投資対象として米国は成長力があるだのという理屈を持ち出してくる連中がいるが、そんなの外貨準備高に関係ないし、自分以外の投資家が殆ど全部バカ、という前提でも想定しない限りは、大した意味などないとしか思えないわけだが。


(ちょっと寄り道:
仮に、みんなは気付かず自分だけが知っているような場合であれば、持ってる日本円全部でもいいので米ドルを買えば、将来時点―3年後か5年後か10年後か50年後かは知らないけど―で儲かっている、という理屈であろう。ゴール時点で比較すると、日本円で持っていた場合よりも米ドルで持っていてゴール時点の為替レートで換算すると総額は増えているだろう、ということだ。しかし、普通の状態ならば、多くの投資家はそういう儲け話があれば、そちらに資金を移動してくるはずである。つまり裁定が解消されるまで、為替変動などで調節されてしまうはずだ、ということである。なので、将来時点の儲けをどちらが有利か、というのは正確に判断できるはずがない、ということだ。もしそんなことが分かるなら、世界中の優秀な投資担当者たちが一斉にそうやってるっての。
だから、米ドルを買うのが正解とか、米国債は有利とか主張している連中というのは、競馬の予想屋みたいなもんなんじゃないですかね、という話だな。ゴール時点での比較がほぼ同じであるなら、米ドルで持っていようと日本円で持っていようと、おおよそ等価であるはずで、等価でないなら為替調節が不十分で裁定取引可能状態が継続しているという異例の特殊な状況、ということではないのですかね。)



2つ目の利点としては、米国にとって脅威と位置付けているらしい中国に、米国債を世界一持たれてしまうことを解消できるんですよ。それの何がご不満なんですか?(笑)
中国の外貨準備のうち米ドルが仮に2兆ドルとして、それが共通通貨単位に置換されてみるとどうなるかな?2兆ドル分の他の国の通貨が買われることになるわけである。米ドルは売られるわけだ。中国が持っていた米国債は、それに伴って売られることになるだろう。それか、償還されたら別な資産に置き換わってゆくはずである。


良かったですな。
米ドル安、人民元高が達成できて。


中国だって、米国から毎回文句を言われなくなって、問題解消。

よかった、よかった。


SFCGの件で逮捕者

2010年06月16日 13時50分15秒 | 社会全般
遂に司直の手が伸びた、と。

SFCG元会長ら逮捕=破綻前418億資産隠し―民事再生法違反容疑・警視庁(時事通信) - Yahoo!ニュース


こうした末路を暗示していたかどうかは不明だが。

08年3月>新銀行東京に学ぶ経済学~その4

08年4月>阿漕な商売は許さんぞ

09年9月>銀行という皮を被った、隠れ~~?


参考までに。

09年10月>「かんぽの宿」を哂う資格などない

木村剛の意見を持ち上げていた人もいたな。

貸金業法改正を全ての原因にする人々

国策捜査とか釣りネタ投入している人間もいるみたいだが、どういう意図・つながりがあるのかな?

単なる偶然か?(爆)



4年前の教訓…

2010年06月15日 21時34分34秒 | 俺のそれ
それにしても、勝利を挙げるというのはいかに大事か、ということですな。

あれほど沈底ムードだった国内が、一変しましたね(笑)。


あの敗北があったからこそ、昨日の勝利があったんじゃないか、と思わずにはいられなかった。日本代表に背負わされた、あの悪夢。


06年のW杯の時には、こう書いていたのだった。

W杯日本戦を総括してみる


んー、今読み返すと、まるで昨日の試合の為にあったんじゃないか、と思えるほどだった(笑)。日本代表チームは、学んだんだ。小さいかもしれないが、ステップを一つ上がったんだと思う。

やっとスタートラインに立てた、ということではあるけれど、残り2つを楽しみにしているよ。


先日のこの言葉を、再び送りたい。

昨日のイングランド戦で一番良かったのは

『後は、自分たちを信じて戦うよりないので、恐れず挑め。慢心ではなく、素直に見つめて受け入れたらいい。自分を信じろ。』




3兆円で構造問題は解決できない

2010年06月15日 19時57分09秒 | 経済関連
こんなちっぽけな資金供給で物事の解決ができるなら、誰も苦労はせんよ。

構造問題解決に貢献する=成長基盤強化策で―白川日銀総裁(時事通信) - Yahoo!ニュース


こういう説明をしていること自体が、甚だ疑問である。

白川総裁はじめ日銀派の連中が言っていたのを忘れたか?


日銀に必要なのは革命と粛清

日銀の無能は証明された

岩本教授の論を信じると、こう騙される~補足編



まず、白川総裁がよく取り上げていたのは、人口減少だ。少子高齢化も含まれる。日銀には、こうした人口政策みたいなものがあるのか?(爆)

日銀が3兆円を融資したりすると、人口減少が止まり少子高齢化が改善されるというのか?


構造問題というのは、まさしくこうした人口動態に代表される「構造」であって、そんなの日銀融資でどうにかなるものでもあるまいに。


また、別な言い分では「生産性低下」ということを言っていたわけである。潜在成長率の低下というものが、そもそものデフレの原因だ、だから、人口減少と生産性低下という主張点を持ち出してきたわけでしょう?
(因みに、人口減少となったのは05年か07年くらいからだったか、つい数年前くらいであり、それ以前のデフレについて説明できないと思うが。)

生産性低下は、基本的に「成長産業が消えたから」とかいう問題ではなく、殆どが既存産業の「構造的問題」であるはずであり、能力低下とか資源(金や時間や人材含む、あと設備等)の過剰投下なんかが挙げられてきたんじゃないのか?
その象徴的な例が、「生産性の低い中小零細ゾンビ企業」なんかがヘタに生き延びてリソースを食いつぶしている、みたいな論であろう?不良債権を生み出す元凶だ、とかな。
故に、さっさと清算して別な仕事をしろ、みたいに豪語していたわけだろ?いつまでも生産性の低い仕事にしがみついているからダメなんだ論、だろ?

日銀曰く、生産性向上を達成できるんだそうです。中銀にそんな機能が備わっていたというのは初耳ですが、そういう研究論文等があるんですか?(笑)


で、たったの3兆円で生産性向上が達成でき、潜在成長率が上げられるなら、疾っくの昔に問題は解決しとるわな。過去のデフレとは一体何だったのよ、って話だわ。



拙ブログでの言い分として、将来不安があることが消費や投資の重しとなってきたんじゃないか、というのは書いてきましたよ。それはそうだ。だからといって、日銀がデフレを脱却できないことの理由付けに使うな。社会保障改革なんかは必要だ、という論点であって、それは必ずしも物価水準に影響をもたらすという結論には直結しないはずだ。




日本vs カメルーン

2010年06月15日 00時03分03秒 | いいことないかな
前半、望外の展開(笑)。

試合の入りは、気負い過ぎず、淡々とできていたと思う。
守備の落ち着きが好影響を与えていただろう。

阿部、長友の貢献は大きい。

全体のバランスは保たれている感じ。


先制点のラッキーだったのは、松井に相手DFの寄せがなかったので、切り返し一発でよいボールを上げることができたこと。あそこで詰めてこられたら、精度が落ちていたかもしれないが、それがなかったのでいいボールが入った。

無駄に走るのは少なくなっているので、相手を動かして少ないチャンスを作るというのができていたと思う。



このまま冷静に行ってくれ。
前回大会の教訓を生かしてくれ。



いやー、勝った。

後半36分、1-0、どう試合を進めていくか。
前回は、ここから崩れたが、今日は違った。

勝ち切った。
ナイスゲーム。

できることをやった。
徹底して危険の芽を摘み取っていった。

よく集中して戦った。
松井、長谷部ともに良かった。



探査機「はやぶさ」と「タチコマ」と「ターミネーター4」

2010年06月14日 14時52分09秒 | いいことないかな
感動した、という声が続出らしい。

はやぶさ 任務完了…JAXA教授「神がかり的だった」(毎日新聞) - Yahoo!ニュース


以前には失敗をボロカスに言われてきた「はやぶさ」だったが、今回の帰還で大いに注目を集めた。やはりニッポン人には、機械にも魂が宿ると感じられるようだ。多くの「はやぶさ」ファンにとっては、すでに息子だった。


こうした機械を擬人化する傾向というのは、昔からアニメの中なんかで見られてきたものだった。個人的には、「バトウさんごめんね」(それとも、「さようなら」だったか?)と言って墜ちていったタチコマを思わず想い出してしまった(『攻殻機動隊 2nd GIG』に登場する話)。
自らの「頭脳(人工知能)」を載せた人工衛星を核ミサイルにぶつけるべく、大気圏で燃えながら墜ちていった姿が、今回の「はやぶさ」に重なったのだ。人工知能のロボットに人格形成とか魂を宿すのか、というおとぎ話ではあるけれども、そういう感覚というのは、少なくない日本人の中に存在しているのだなと、今回の1件で改めて感じた。

機械なのに、ついつい擬人化してしまって、まるで「誰か」のような感じを抱いてしまう、ということだ。燃えながら墜ちていった「はやぶさ」に、”ゴースト”を感じ取った人たちは大勢いた。


この機械と人間の境界、ということをテーマにしていたのが、映画『ターミネーター4』であった。まるでサイボーグのように改造されてしまったヒトが、果たして機械ではない人間なのか、という話だ。人間と機械は何が違うのか、と。

タチコマと共通しているのは、ともに「自己犠牲」ということである。タチコマは愛する(?)人たちを救うべく、自らの存在を犠牲にして衛星自爆を選んだ。

「はやぶさ」もやはり、犠牲と引き換えにカプセルを運んだ。これが「はやぶさ」の自己決定ではないにせよ、燃え尽きる方を選んだことに違いはなかった。「はやぶさ」をよく知る人々にとって、「はやぶさ」の自己犠牲以外のなにものでもない、ということだった。


光り輝く「はやぶさ」に涙した人たちには、彼の”ゴースト”が見えていただろうか。



(ところで全然関係ないけど、映画の『G.Iジョー』は残念無念な映画であった。ワケのわからんつくりすぎのCG風映像とか、おざなりな話の展開とか、最近観た中ではほぼ最低水準くらいの出来だった。どうせやるなら、中途半端にするべきではなかったんじゃないのかな。イマイチ、どっちつかずの作品となってしまったのでは。海外版「かめはめ波」風味(笑)というべき、続編公開中の『アイアンマン』の方が確かに良かった。似てるようで、出来栄えってこんなに違うもんなのか、というのは、映画の不思議なところかも。)



そういえば…

2010年06月13日 19時03分10秒 | 俺のそれ
懐かしのネタだけど。
04年当時から、偶然ヲチしていたよ。

はてなブックマーク - 木村剛、逃げ切れなさそうでござるの巻: 切込隊長BLOG(ブログ) Lead‐off man\'s Blog


切込隊長氏って、今となっては「信用できないタイプの人間」という認識。

いつも思わせぶりなネタ投下とか、ただそれだけ。
見るべき部分が残っているとは感じられない。


たとえば、小沢の金に関して切込隊長氏が何と言っていたのか?

「”反検察”というラベル」で誘導するかのような切込氏のポジションが気になる件

検察批判への反論に、まともな答えなんか、何一つ提示できてなかったでしょう?
で、形勢不利と見るや、トンズラか?(笑)

同じく政治資金規正法では、二階さんの問題には無言か?
秘書が略式起訴されて、大久保秘書の公判前にこっそり処理されてたことにも、見えないフリ知らないフリか?


そういう性質は、当の木村剛に指摘されていたんじゃなかったかな?


司法への信頼を失わせた検察

再掲しておく。
『「反検察」陣営(笑、そんな陣営はないけど、便宜的にこう呼ぶこととする)を殊更取り上げている人はいた(例えばこんな話)が、自分の主張には何らの説明も立論もないままである。検察の正当性の立論には無関係の、どうでもいいネット上の釣り合戦なんかの記事を供給して、笑いを提供してはいるものの、検察批判を否定できるような説明など一切ないわけである。特定政治家と自らの関係などについても、一切コメントがない。つまりは、焦点ずらし(某氏の得意技だったか?笑、かつての木村某とのバトルの時と一緒だな)の、単なる「逃げ」だな。』


ああ、そういう人だったんだ、って、ようやくぼくが分かったということなんですな。
ぼくがバカだったのさ。
人間を見る能力が、圧倒的に劣っていたということ。

もっと早くから気付くべきだった。
ポジショントーク云々って、まさしく、こういう人のことなんだろうなー、と思った次第です。



不毛だったり有害だったり

2010年06月13日 12時02分03秒 | 俺のそれ
それは、拙ブログへの戒めか何かですか?(笑)
そんなわけはないな。所詮場末のブログですので。

はてなブックマーク - Twitter / fromdusktildawn: 世の中には、不毛な真実や、有害な真実、というのがたく ...


単なる偶然なのだろうが、昨日書いた記事には、その「不毛さ」というものが滲み出ていたからねえ(笑)。


ウソつきになりたいとは思わない。

ふろむだ氏の言う、
『人が「事実の指摘」だと主張することが、実は「その人に心地の良い事実の解釈」にすぎない』
というのには同意だが、それは「真実」とは違う。単なる解釈の提示というだけ。

「不毛な真実」や「有害な真実」とは、別だと思うけど。


ポジショントークの為、というのもそうだろうけど、自分がそうではないとは思ってないが、だからといって「心地よい事実の解釈」というものに異論なり別な解釈なりを提示するのは無駄とも思わない。

解釈の相違、という以前の問題であり、それは「事実」かどうかの争いでもあるわけで。
事実じゃない、という立論に有効な反論なく「自明の事実だ」みたいに強弁を続ける人たちに疑問を感じるわけである。



都合の悪い事実を黙殺する人々

2010年06月12日 19時04分14秒 | 外交問題
散々笑っておきながら、どこぞの方々というのは、ロシアの調査団の発表は無視らしい。


『具体的に完全に特定』とか豪語しておったのは、どこの誰なのかな、って話だな。
再掲しておきますか?

はてなブックマーク - 韓国政府公式発表「天安沈没は北朝鮮による魚雷攻撃によるもの」と断定 : 週刊オブイェクト


よく知らないけど、いつも見かける信者っぽい人たちも一斉に黙ってるみたいなんですが、「見たいものだけを見る」に徹しているのかな?

何が「完全に特定」なんですかね。



話はとぶけど。

日本って、日銀(笑)や官僚だけじゃなく、マスコミもそうだけど、それ以外の普通の人たちも含めて、間違ったから訂正するよ、ってことが、基本的にないってことなのかもしれんな。


一つのことだけじゃないんだよね。
今回のことだけには限らない、ってことなんですよ。


上限金利引き下げ問題の時だって、そう。
データとか、客観的な根拠とか、そういうのを考えないし見ないし、出して来ないわけさ。主張の根拠をつき崩されてるのに、それでもまだ頑迷に固執し続けるんだな。破産者が激増する、とか言い募っていた人たちが誰一人として訂正するでもなく、認めるでもないんだわ。ネット上は広かったけれど、そんな人間を、ただ一人として見てないんですよ。


「かんぽの宿」問題だって、そうだったでしょ?
数字を見るまでは信用できない、って百万回言ってるのに、注目度の高い連中ときたら、その後の会計検査院の指摘が出されたって、日本郵政の財務諸表が出されたって、赤字50億円の言い分が崩れたって、減損会計処理がオカシイのが分かったって、誰一人訂正するわけでもなけりゃ、振り返るでもなけりゃ、自分の主張の誤りを認めるでもないわけ。
今、警視庁に任意事情聴取されているらしい木村剛だって、その典型だったでしょう?他にも有名な連中はいたけれども、みんな同じようなもんさ。


今回の韓国哨戒艦の件も同じだわ。
あれほど米韓を中心とする合同調査団の報告書を奉って、それに反対や否定的見解を言ってる人間を陰謀論と片付けて笑っていた連中が、今になって何一つ言わない卑怯者だらけなんだよ。


こういう気質の人たちってのは、共通なんだな。
自分(たち)こそが(絶対に)正しいって、盲信して疑わないんだ。反論にも耳を貸さず答え(を考え)ないばかりか、自分(たち)の論理性とかをやたらと高く評価し、必ず他の権威を借りてくるんだよ。

まさしく「虎の威を借りるキツネ」ってやつだ。
オレだって、そんなに色んなことが分かるわけじゃないから、いくつかの論拠を用意してきたりするよ。そういう時には、ある程度の専門家の意見というのを重視する。それはそうだよ。だけど、考えてみて、納得がいかないな、というものに対しては、やはり全部を鵜呑みにするわけにはいかないわけで。たとえ、それが高名な学者さんであろうと、反論の根拠を提示できるものは提示して、反対の主張をしてきました。経済学分野に関するものは、そういうのが割と多くあったかもしれない。


いずれにせよ、「都合の悪いことにはスル―」という連中ばかりなのだな、とは思ったね。

今の民主党のマニフェストがどうのとか言うのは、きっと特別なことなんじゃなくて、日本人の中に広く存在している性質なんじゃないのかな、と思わないでもない(笑)。


逆に、自分の孤独な戦いというのが、本当に虚しくなる。

正しい事実とか、考え方とか、そういうのが重要なんじゃない。
いかに上手く見せるか、ということだけ。

間違っていようが、出鱈目だろうが、何だって一緒なんだよ。
マスコミをみたって、そうでしょう?
間違いをいくら言っても平気なんだよ。ウソ八百の出鱈目を言う人間の方が、世間では高く評価されるんです。事実を言う人間よりも、「誰かにとって都合のいいことを言える人間」の方が偉いんだよ。


だから、どこまで行ったって、何も変わりはしないのさ。

多数派が気付かない限り、どうにもできないってこと。
永久に少数派として、敗北するんだよ。

究極的には、自己満足でしかない、ってことだね。



深夜飲酒禁止の次は「ゴルフボール」

2010年06月12日 17時59分37秒 | 外交問題
ちっちぇー。
あまりに、小さいじゃないの(笑)。

米軍のゴルフボール対策を要請 相模原市が防衛相に - 47NEWS(よんななニュース)


いや、ゴルフボールだから小さいに決まってる、とかって話じゃなくて。
年間たったの8個くらいだから、全然大した話じゃないじゃない。
神奈川県の米軍では、地域住民に配慮とか、努力してくれるのはそれはそれで別に構いませんが、今一番の問題は「沖縄の海兵隊」ですから。


ボールが飛んでくるのと、普天間の被害とでは、比べようがありませんよ。


そんな対策よりも、もっと根本的な問題を言っているのです。




映画『沈まぬ太陽』

2010年06月12日 13時00分18秒 | 俺のそれ
これが現実のJALの話と通じているかどうかというのは、判らない。
しかし、ほぼ同様のことが「国民航空」ならぬ「日本航空」の中で起こっていたとしても、何らの不思議もないと思えた。それほど、日航が腐敗していたのだ、ということなのではないか。

これと同じような感覚というものは、自分の中にもあったと言えるだろう。そういう点では、非常によく判る映画であった。

食いものにされたJAL


組合活動と報復人事、懲罰的な業務を強いるなどというものは、何も物語の中だけの話ではないだろう。内部告発者や偽装派遣問題などについても、同じような差別的取扱というものが見られたからである。

信念とは何か、信念を貫くことの犠牲の大きさ、そういったことを考えると、果たして同じ立場の時にどうするか、というのは考えた。家族やその他全てを犠牲にしても、信念がそんなに大事なのか、と。それは結局、自分本位なだけなのと何が違うのか、と。


耐えることのできる人間は強い。
だが、そういう人間は決して多くはないのではないか。

それは、計算高く合理的な人間であればあるほど、そうなるんじゃないのかな、と。まさしく『トランスポーター3』に登場する悪役のボスが吐くセリフみたいなものだ。時代遅れの妙な頑張りこそが、邪魔な存在になってしまうのだ。
チッチッチ、「いまどき利得と損失、無駄と効率、そういう時代なんだよ」と。


その方が、楽ですもん。

だからこそ、そちらの方に力がつくんだよ。
悪の方が、強い勢力と力を持てるんだよ。


それに抗う術があるのか、私にはわからない。