新・定年オジサンのつぶやき

残された日々をこの世の矛盾に対して勝手につぶやきます。
孫たちの将来に禍根を残さないよう、よき日本を「取り戻したい」。

もはや特捜部だけでは解決しない政治とカネの闇

2024年01月19日 12時04分24秒 | 自民党裏金事件

それにしても「死人に口なし」を文字通り押し通したらしい安倍派では「会長案件」という釈明が通って、幹部連中の立件は見送られそうになった。
 
 
そうなればその理屈でいけば宏池会会長だったヘタレ岸田文雄責任は免れないのだから、唐突とも思える宏池会の解散を他の派閥の幹部とのすり合わせもせずに宣言してしまった。
 
当然ながら19日に開かれる安部派の総会に大きな影響を与えることは確実であろう。
 
岸田派直撃、唐突な派閥解散案 裏金事件、足元に火付いた首相

岸田文雄首相は18日、自民党派閥の政治資金を巡る事件に関連し、自身が会長を務めていた岸田派(宏池会)について「解散することを検討している」と表明した。東京地検特捜部が政治資金規正法違反で当時の岸田派会計責任者を立件する方針を固めており、出身派閥の解散方針を打ち出すことで信頼回復に向けた姿勢を示す狙いとみられる。首相官邸で記者団に語った。安倍派(清和政策研究会)執行部も同日、安倍派を解散する検討を本格化させた。
首相は「政治の信頼回復に資するものであるならば、そうしたこと(解散)も考えなければならないと思っている」と語った。他派閥にも解散を求めるかについては「とりあえず我々(岸田派)として信頼回復のためにどうあるべきかを考えている。そして解散についても検討しているという状況だ」と述べるにとどめた。
 岸田派は衆参46人の党内第4派閥。1957年に結成された現存する自民最古の派閥で、池田勇人、大平正芳、鈴木善幸、宮沢喜一ら歴代首相を輩出した。岸田首相は2012年に会長に就任したが、自民党派閥の政治資金問題を受けて23年12月に会長を退き、派閥も離脱した。安倍派は衆参98人の党内最大派閥。


 

 

ネット民は比較的冷静に本質を見ていたようである。 

●要は派閥と言うものが数を集めると首相と言う権利を手中に出来ると言う構図に有る事が問題。金をどんどん配り数を集め総理になる。一旦総理になればポストを与えられる。そうして数をまた増やすと。ここが問題なので派閥が首相を選べないようにする事が一番重要でそうなれば誰も派閥なんかに入りやしない。派閥が選べないなら誰が選ぶか。そう、国民が直接選ぶ大統領制に今回の派閥問題を機に変えるべきではないのか。きっと投票率も若者を含めぐっと上がるんじゃないか。
 
●解散すれば良いという事ではない、そこがまず国民の視点とかなり大きくズレている。
解散の他に続く言葉が無い、それが論より証拠である。
解散すれば信頼回復するものでもない、過去なら通用したかもしれないがこれからはそうはいかない。
何が原因で国民が政治家を信用できないのか?をちゃんと認識できないかぎり政治への信頼回復など不可能、それはまず「お金の流れの透明化」に他ならない。
勿論それ以外にもあるが国民が望んでいるのは我々が税金等で国へ支払うお金がどう使われているのか?を知る事。
良い事に使われるのなら理解できるし信用する、でもほとんどがそうでないのだ。
そうした事に国民の我慢は限界に達している、それを全く分かっていない。
与党だけでなく野党もほぼ同じ、「カネの問題」の根本的対処に関しては口をつぐむ。
それで我々にどう信用しろ、と言うのだろうか。
「解散」の言葉だけに踊らされてはいけない、以上。
 
●派閥の解散と「政治と金の問題」は別。

多くの人々は、この問題の元凶が派閥と考えているようですが、それは表層的なものに過ぎません。今回の問題はザル法である現行の政治資金規正法すら守ろうという意識がない国会議員によるものだからです。

すでに検察の動きで明らかであるように政治資金規正法は徹頭徹尾政治家にとって、都合のいい法律なのです。支出に付いて制約は無し、ただ収支報告書への義務だけが課せられているだけ。
仮に収支報告書に虚偽の記載があったとしても時効はわずか3年、しかも、処罰は会計責任者のみなのです。

政治家が最も恐れるものは、法律でも検察でもありません。「政治と金の問題」のある政治家にそっぽを向く有権者の存在なのです。そうした有権者が多くなれば、そうした政治家は退場せざるを得なくなるのです。

私は、支持政党を見直す有権者が1人でも多くなることが最良の解決策だと思います。
 
●一時的なもの、表面的なもの、岸田さんは一時凌ぎの言葉を何回使えばいいのか。その実、岸田さんに近しい人たちとつるんでいく現実ではないか。私は党内でいい意味で牽制し合いながら、論議を深めていく派閥はあってもいいと思う。お金の流れが明白で、1000000000000%、とにかく完全に私的流用なない、なら、公に使われていのなら、まったく問題ない。今回の事案だけ考えれば、問題は派閥にあるのではなく、そこに所属している自民国会議員の私的公的、国民視線、の感覚がまったくないことなのだ。派閥を解消して、現実問題心配なのは、総裁・執行部へ権力の集中だ。国民のために公のために、決裁された政策であれば、適切な党運営となるが、かんらかの恣意的なことにより、そ精査、チェックする機関が甘くなれば、独裁的になって、これは歴史的に見ても大問題な事件と繋がって、国を滅ぼしかねない。


 
こんなしたたかな岸田文雄の思惑を元全国紙社会部記者の新恭は見抜いていた。
 
岸田文雄のシナリオ通り。自民『政治刷新本部』で“麻生に菅を対峙させる”意図
 

■問題を「派閥解消」にすり替え。岸田が「政治刷新本部」を設置した意図
岸田首相が立ち上げた「政治刷新本部」が、自民党の金権腐敗に抜本的な対策を施せると思う人は少ないだろう。とにかく、メンバーの人選が、国民をなめている。
岸田首相が本部長なのはともかく、麻生太郎副総裁と菅義偉前首相が最高顧問、茂木幹事長が本部長代行というから、ちゃんちゃらおかしい。どっぷりと自民党的な金権腐敗政治につかってきた連中が、寄ってたかって政治を刷新しようというのだ。おまけに、権力乱用疑惑の晴れないあの木原誠二氏が幹事長で、さらには裏金に染まっている安倍派議員が9人も名を連ねている。
岸田首相は何を思って、党内にこんな組織をつくったのだろうか。むろん、派閥のパーティー券販売をめぐる裏金事件について、首相として、党の総裁として、何らかの対策を打たなければ、ますます世間に無能扱いされるということはある。それにしても、こんな面子で何ができるというのか。
そもそも、抜本的に政治資金の改革をするのなら、会計責任者ではなく、議員の責任のもと、例外なく全ての資金の出入りを収支報告書に記載するように義務付ける政治資金規正法改正案を岸田首相が主導して作成し、国会に提出すべきである。
そこまでの決意と覚悟を岸田首相が示せば、内閣支持率が上昇に転じる可能性が出てくるはずだ。ところが、それをしないのはなぜか。党内に反対論が噴出し、「岸田降ろし」のうねりが起きるのを恐れるからではないか。それほどに、自民党政治はカネの威力を頼りにしているのだ。世襲議員がはびこっているのもそのせいである。
岸田首相に本気で政治資金問題に取り組む気概があるとは思えない。さりとて、首相として国民になんらかの改革姿勢を見せなければ、ますます支持率が下落するだろう。そこで、安直に考え出したのが「政治刷新本部」という会議体だ。問題が起こるたびに発生するナントカ会議、ナントカ本部がまた一つ増えたわけである。
ただ、愚劣きわまりない組織ではあっても、岸田首相としては、追及された時に「全党あげて刷新に取り組んでいる」と逃げ口上に使えるだろう。最高顧問の一人に菅義偉前首相を加えたあたりにも、意図的な何かが感じられる。
言うまでもなく、菅氏は派閥に所属していないことをウリにしている。昨年1月、菅氏は訪問先のベトナムで記者団に「派閥」についての持論を次のように展開した。
「政治家は国民の負託を受けて出てきているので、みずからの理念や政策よりも派閥の意向を優先するようなことはすべきでない。いまは、国民の声が政治に届きにくくなっている」
「総理大臣は国民全体の先頭に立って汗を流す立場にある。歴代の総理大臣の多くは所属する派閥を出て務めていたのではないか」
岸田首相が派閥の会長を続けていることに苦言を呈したわけだが、これを気にした岸田首相は昨年12月、派閥パーティー裏金疑惑の発覚を受け、「首相在任中は宏池会を離脱する」と表明せざるを得なくなった。
■「派閥解消」を本気で考えるはずのない岸田首相
そんな経緯を背景として、菅氏を刷新本部に引き入れたのだから、「派閥解消」が議論のマトになるのは当然の成り行きだった。第1回目の会合から、菅氏や小泉進次郎衆院議員らがそれを強く主張したが、麻生副総裁は絶対に反対の立場だ。おそらく今後も「派閥解消」が焦点となって、会議が踊り、いたずらに時間が費やされるのだろう。
しかし、たやすく「派閥解消」というが、派閥をどうやったらなくすことができるというのか。とかく人は群れたがる。大勢の人がいれば、自然にグループができ、リーダー的な存在が生まれる。派閥は法律に基づいた制度でもなければ、自民党の公式な組織でもない。いわば、任意の議員グループだ。
岸田首相が「政策集団」と呼ぶように、政策に関する勉強会ということになっているが、それは建て前にすぎない。実際には、政治資金の調達、ポストの配分という利益確保を目的として集まっている集団だ。その目的を実現するため、親分(領袖)に強大な政治権力を握らせるべく、総裁選での多数派工作にいそしむのだ。カネとポストを得て、派閥の力が強くなれば、個々の所属議員の選挙でも勝利が近づくという寸法だ。
日本社会では閉鎖的な利益共同体である「ムラ社会」が形勢されやすい。派閥はその典型で、行動原理は集団主義である。他の集団に負けないよう、家父長的リーダーのもと、みんなが一つになって同じ行動をする。
派閥という「ムラ」の連合体が自民党だ。意見や政策が異なり、時には激しく対立しながらも、政権を守り抜くために長老が話し合い、最後には一致団結する。そんな芸当ができるのも、自民党が派閥という「ムラ」の集合体であるからだろう。派閥をなくするとして、自民党は自民党であり続けることができるのだろうか。
「政治刷新本部」ではじまった派閥解消の論議とやらが、最終的に、党内の上下関係や秩序を形成していたあらゆる価値観をぶっ壊し、世襲とか金の力を有する者ではなく、国民にとって真に必要な人材が集結しやすい土壌に変えていくことをめざすのであれば、大賛成である。
だが、その旗振り役が菅前首相や小泉進次郎氏というのでは、絶望的な気分になる。自分たちが無派閥であることを国民にアピールするパフォーマンスを繰り広げるだけではないかと疑いたくなってしまうのだ。
だいいち、菅氏に「派閥解消」を唱える資格があるのだろうか。菅氏は派閥横断の勉強会「韋駄天の会」や、無派閥議員からなる「ガネーシャの会」など、緩やかな結びつきのグループの中心的存在だ。その数は合わせても20~30人といわれる。カネやポストを目的としていないかもしれないが、これも派閥の変種ではあろう。
なにより、菅氏もまた、二階派、麻生派、細田派(当時)、竹下派(同)などの謀議による派閥の力学で首相にのぼりつめた政治家である。いまさら「派閥解消」を声高に叫ばれても、自己宣伝の一種としか思えない。
だが岸田首相は、菅氏を麻生副総裁とともに刷新本部の最高顧問に据え、その結果、「派閥解消」を中心とした論議が巻き起こった。岸田首相にとってシナリオ通りの展開ではないか。もとより岸田首相が「派閥解消」を本気で考えるはずはない。それでも、「派閥解消」論議がメディアを通じて国民の間で話題になること自体は、政権にしがみついていたい岸田首相にとってマイナスではないように思えるのだ。
■菅前首相に出番を与え麻生副総裁に対峙させた意図
岸田政権を支えているのは、まぎれもなく麻生派(志公会)、茂木派(平成研究会)、岸田派(宏池会)を中心とした派閥の連携である。しかしそれは、麻生副総裁が主導権を握った体制だといえる。
麻生氏はポスト岸田に茂木幹事長を考えているとされる。内閣支持率が下落を続ける岸田首相はいつなんどき「岸田降ろし」を仕掛けられないとも限らない。そこで、岸田首相は、あえて菅前首相に出番を与え、派閥力学を駆使してキングメーカーたらんとする麻生副総裁に対峙させたのではないだろうか。
すなわち、菅前首相の「派閥解消」論を誘発することで、麻生氏の行動に歯止めをかけるというようなことだ。一見、非主流である菅前首相にトクをさせ、主流派の麻生副総裁を貶めるようではあるが、追い詰められている岸田首相の頭はそこまで整理できていないだろう。いずれにせよ、国民が納得する「政治刷新」の結論が出ない限り、麻生氏らは政局を仕掛けづらくなったといえる。
一部メディアの報道によると、東京地検特捜部は、安倍派の事務総長経験者ら幹部議員の立件をあきらめた模様だ。誰もが、パーティー券売上のキックバックが「会長案件だった」と説明しているため、会計責任者と事務総長らの共謀が立証できないというのだ。会長といえば、細田博之氏や安倍元首相をさすのだろう。むろん彼らが還流の仕組みを知らなかったはずはないが、「死人に口なし」とばかりに口裏合わせをしたという見方がもっぱらだ。
この情報がホンモノで、西村康稔氏も世耕弘成氏も無罪放免となるのならば、まさに政治資金規正法の抜け道をうまく利用された形である。政治家に都合よくできている法律は、世の中の役に立たないことを証明している。
もう一度言うが、カネの亡者のような政治屋が集まり中途半端な会議体をつくっても、ろくな結論を導き出せない。国民をうまくごまかす文言をひねり出して、党改革を成し遂げたように見せかけるのがオチだ。
「派閥解消」などと言えば聞こえはいいが、政治が「数」であるならば、強い者のまわりに群れるのが自然である。不可能なことを言い募るより、できることをきちんとやるのが肝心だ。あれこれ見せかけの会議を重ねるのではなく、法改正によって政治資金を徹底的に透明化する方向に岸田首相は進むべきではないか。
それにしても、東京地検特捜部が“トカゲのしっぽ切り”をしただけでこのまま手を引くとすれば、あまりに情けない。政権に配慮し、いい加減なところで“手打ち”をしたと勘繰られても仕方がないだろう。


 
一般国民からは見えにくい政局がらみの話なのだが、少なくとも「派閥解消」などと言えば聞こえはいいが、政治が『数』であるならば、強い者のまわりに群れるのが自然である。」という指摘はもっともである。
 
ところで、元大蔵官僚出身で現在は一橋大学名誉教授の野口悠紀雄とかつては東京地方検察庁検事であったヤメ検の郷原総合コンプライアンス事務所の郷原信郎の二人がインタビュー形式で穴だらけの政治資金規正法の観点と税の観点からあらたな問題提起をしていた。
 
自民党パーティー券収入還流問題、我々は納得できない!(その1-2)~なぜ政治の世界だけがここまで税を払わなくてよいのか、理由がわからない
 

■政治の聖域化が理解できない
郷原 今回の自民党の政治資金パーティー券収入の還流問題を、私はこれまで政治資金規正法の観点から、問題を指摘してきましたが、野口先生の一連の論考を拝読して、改めて税の観点という全然違う捉え方ができると気づかされました。政治資金規正法の観点と税の観点からと、一緒に議論してみると、今回の問題の本質が見えると思います。
野口 たしかに政治資金規正法の観点は非常に重要なことです。ですが、それ以前に、実は私はわからないことが多いのです。そもそも、なぜ政治資金自体が非課税なのかが納得できないのです。そのことからお聞きしたいです。
野口由紀雄氏
郷原 私は検事として、政治資金規正法の罰則を運用して犯罪捜査しているときなど、当然のことのように非課税と考えていました。要は政治資金として扱っている部分は税の問題から除外されるというような認識がありました。
改めてなぜそうなのだろうかと、歴史的な経緯も含めて考えてみました。税法には「公職選挙法の適用を受ける選挙における候補者が選挙運動に関し、贈与によって取得した金品およびその他の財産上の利益で同法189条の規定による報告が為されたものを贈与税の非課税とする」という規定があります。
郷原信郎氏
選挙に関する部分は非課税という明確な規定がありますが、それ以外の部分の政治献金の非課税についてはまったく規定がありません。つまり公職選挙法上の選挙運動に関するものに限って「非課税」としているのに過ぎないのです。政治資金一般を非課税にする根拠となる規定はありません。
個人が政治献金を受けている部分については、基本的には雑所得で、ただそれが政治資金として使われた部分は課税しないということになっている、ということでした。政治資金収支報告書などに寄附として記載して使い道を公開している部分については課税しないと言うことになっている、という風に考えられます。
そこを考えていくと、国税当局が、本来法律上、選挙に関する部分のみ非課税にするとしか規定にされていないのに、政治資金というのは実際には政治活動のために支出する部分が大部分だから、あまり課税と言うことは行ってこなかった、という運用上の問題に過ぎなかったのではないかと思われます。それが事実上、政治献金、政治活動費というのは、課税の対象外であるかのような認識に繋がってきただけなのではないかという気がします。
■選挙はなぜ「非課税」なのか
野口 選挙に関するものであれば、贈与税は非課税だということですが、なぜ例外になるのでしょうか。理由がわからないのです。選挙というものは、特殊な、多分「高貴な」行為である、われわれのような一般人が行っている活動とは全く別のものである、という感覚があるのではないのですか。
郷原 選挙に関する部分が非課税になっている根拠というのは明確にこうだとは言いにくいのですが、ただ選挙というのが政治活動の中でも、最も公益目的が強いもので 選挙というものが民主主義の基盤になるわけだから、選挙の費用に充てるということであれば非課税というのはわからなくはないです。
野口 選挙は公益のために非常に重要な活動である、これは間違いないことです。では仮に私が「自分の書いている文章は公益に非常に寄与するものである」、もちろん実際はそうでなくとも、そう主張したとする。「だから私の原稿料は非課税であるはずだ」、といいだしたら、社会から「おまえは何と馬鹿なことを言うのだ」という扱いしか受けないですね。私の執筆活動と選挙活動は、なぜこのように差別されるのでしょうか。
郷原 確かに公益目的と言うことだけでは、説明はつかないです。選挙に関しては、公職選挙法の選挙運動費用収支報告書に記載された寄附だけが非課税とされているので、寄附に対応する支出が明確になっていることに意味があるのかもしれません。
野口 しかし、支出が明確になっていると言うことと、課税対象にならないということは、税の考え方からすると全く別な問題だと思います。普通の所得については、税務申告をして中身を明確にしたうえで、さらに税金を取られます。一方、今のご説明では、政治資金収支報告書で明確に説明できればそれでいいということですが、この二つには区別があります。なぜでしょうか。
それが私にとっての第一の問題です。この問題の根本がわからない。多くの日本人が、同じように、この素朴な疑問を心の中に抱えていると思います。私のような一般人がやっている活動は、税務署に散々調べ上げられて、しかも高い税金を課されます。でも政治活動は違うのですか、という質問は、政治家以外のほとんどの方が心の中に抱えている疑問ではないですか。
なんで選挙については非課税なのかが問題なのです。それがあるから事実上の解釈として、それ以外の政治活動についても非課税と言うことが取り扱い上、一般に認められているからというなら、一番最初に選挙に関する活動がなぜ非課税なのかを問題にしなければならないのです。
外国においても、同じような問題はあります。日本だけの特殊な問題ではないのです。もちろん、外国で、どうこうだからと言うのは日本の理由にはなりませんが。
例えばこういう説明があります。政治活動である選挙に税務当局が介入してきて、何らかの政治的意図を持って、ある政治勢力だけを厳しく調査する、とか、そういうことはあり得ます。そういう行為を排除するために選挙活動は別扱いにする、という説明もあります。
郷原 政治活動一般に対して同じようなことが言われます。
野口 そうなると、それは選挙活動に限らないわけです。いろいろな意見を述べるにしても、選挙活動とは影響力は比べものにはなりませんが、私が何かを執筆することも、ある種の政治活動だといえないことはない。ある種の意見を述べているのですから。言論活動というのは影響力の大小の違いはあれ、政治的なことから全く無関係ではないものが、非常にたくさんあります。だからなぜ選挙だけなのかが、疑問なのです。
郷原 いずれにせよ、なぜ税金を払わないで済ますところまで保護しなければならないのか、国からの政治家への介入がをなくしさえすればよいのではないか、という話ですね。
野口 そうですね。私には全く理解できないことです。
■そもそも政治資金パーティーとは何物か
郷原 今回の自民党の問題では、政治資金パーティーが焦点となっています。政治資金パーティーと言うものがどういうもので、なぜその政治資金パーティーの収入が非課税なのか、についても掘り下げる必要があります。
野口 それも先の問題の続きだと思います。なぜパーティーの収入は、一定の限度内とはいえ非課税なのでしょうか。
例えば、普通の人が考えているのは、先ほどの選挙と同じように、政治資金パーティーというのはいろいろな政治的な見解を述べて人々の理解を求める、という「崇高な行為」であると、特別な行為である、だから一定の限度で非課税にする、という理屈なのかと考えているようですが、それでは例えば講演会をやって、ある考えを述べて、「これは非常に崇高な行為であるから非課税である」とします。ですがそんなことに耳を貸している人はいないと思います。
なぜ政治家だけが別なのですか。はじめの疑問と同じことです。これも理解できません。
郷原 正に全く同じ問題ですね。それと同時に、政治資金パーティーの性格にも問題があります。単純に非課税となる寄附を集めるものというだけではなく、事業収入という性格も相当強いと思います。
野口 事業収入ならば当然、課税対象ですね。
郷原 そうです。政治資金パーティーは、パーティーに来て貰って政見を広めるという政治活動の性格がベースにあることと同時に、パーティーの対価が政治資金の寄附という性格を持っているか否かが、非課税だとする理由に関して問題になります。
政治資金規正法の問題と考えると、赤字会社、外国人、補助金を受けている会社などは政治家に寄附はできません。ところが実際には、赤字会社、外国人、補助金を受けている会社などもパーティー券の購入は可能です。となると、パーティー券収入は、政治資金と言うことだけで説明できるのか、やはり事業収入という性格もあるのではないか、それが政治的な性格もあるから事実上非課税にされているだけなのではないか。そこはすごく曖昧な性格なのではないかという気がします。
このことが根本にあり、それが、その政治資金パーティーの収入を分配した形のキックバックをどう考えるのか、という問題に関係してきます。政治資金パーティーの収益の一部を、議員がノルマ以上にパーティー券を売ったから、その部分を報奨として還元するというキックバックである以上、そのお金は、そもそも政治資金の寄附ではなくて、個人所得ではないかと思います。
■これは申告漏れ、所得隠しでは
税の問題として考えれば明解です。議員の側からすると、要するにお金を貰ったわけで、その原資がどういう性格のものかという話は、何の関係もありません。
これは、あらゆる所得について同じことであって、例えば私に原稿料収入があったときに、「このお金の元手は何だったのですか」とは聞かれません。そのことは税法上、全く問題にされません。問題となるのは私が原稿料収入を得たという事実だけなのです。今回の政治資金パーティーのパーティー券収入のキックバックを議員が貰った問題は、そのお金の性格がなんであるかということではなく、「貰った」と事実だけが問題なのです。カネに色目はないわけです。
郷原 所得申告の論理で考えると、非課税となるのは政治資金規正法の対象として政治資金と認められたものに対してだけであり、収支報告書に記載しないという前提で渡されたお金は、政治資金として扱うものではないということですね。
野口 そうです。報道されているところによると、派閥から「これは政治資金報告書に記載しなくてもいい」といって渡された。貰ったほうは、政治資金でないと理解して貰ったもので政治資金収支報告書に記載しなかった。そして、普通の飲食などにも使われたといいます。ということは、課税されるべき所得と考えるのが自然です。だったらなぜ申告しなかったのでしょうか。これは申告漏れ、もしくは所得隠しではないですか。
郷原 収支報告書に書かない政治資金として渡したという説明が可能かどうか、という話ではないのでしょうか。
野口 政治資金であれば、政治資金報告書に記載しなければいけないのではないですか。記載しなくともよい政治資金など存在しません。派閥から「政治資金じゃないよ、自由に使っていいよ」といわれて貰い、受け取った方も、その理解で貰ったのではないですか?
郷原 そこは検察の捜査でどのように供述しているかはっきりしません。
野口 はっきりしなくとも、そういう報道が為されていますよね。少なくとも、そう言った議員がいるわけですよね。
郷原 「使途に制限の無いお金、ということで貰ったので記載しませんでした」ということのようです。派閥から政治家個人に寄附をすることは、政治資金規正法上は違法なのです。違法なのですが違法を承知であえて貰ったとすれば、そういうカネの流れはあり得ることはあり得る。今回のキックバックされた資金の問題では、少なくとも政治資金収支報告書に書かない前提で、違法に個人宛に行われたものだ、となると、個人所得ではないという理屈は成り立たないのではないかと思います。
野口 当然そうですよね。例えば、泥棒は違法ですが、それで得た金銭は、税務申告しなければなりません。違法だからと言って申告しなくても良いということにはなりません。
郷原 一般国民の認識はそうですよね。名目がどうであれ、誰から貰ったものであれ、その原資がなんであれ、収入であればそれはすべて税務申告の対象ですよ。 
■務署は、のろのろしていたらダメだ
野口 だから私は今回の件は、政治資金収支報告書に書かなかったことが問題なのではないと思っています。ただ、さらに問題なのは、政治家が「うっかりしていました」といって、修正申告する可能性があることです。
郷原 そのことは本当に問題ですよね。
野口 はっきり言えば「税務署は、のろのろしていたらダメだ」ということです。すぐさま税務調査に入るべきではないですか。
郷原 それが、すでに逮捕された池田佳隆衆議院議員については、資金管理団体で3200万円の収支報告書の訂正をして、全額翌年への繰越金にしているのです。具体的に使途を明らかにしたということではまったくなくて、そのまま貯めていましたよ、という扱いにしたという話なんです。収支報告書の訂正を行ったからと言って、事後的に政治資金として非課税の対象とするというのは、めちゃくちゃじゃないかと思います。
野口 めちゃくちゃだと思います。しかし、それがこれから起こるわけですよね。
郷原 しかも、旧安倍派は、キックバックを貰っていた全議員に収支報告書を訂正するように話をしているらしいのです。ちょっとめちゃくちゃじゃないかと思うのです。これがまかり通ってしまったら国民の側も納得できないのではないかと思います。
野口 ええ、納得できない。
郷原 なぜそんなことになってしまっているかというと、まさしく、政治資金規正法の視点からしか、ものをみていないからなのです。最初からこれは、政治資金パーティーも政治の領域だし、そのあとの政治家と派閥とのやりとりも、基本的に政治に関するものだから、それは全部、税金の問題ではなくて、政治資金規正法で規律するのだ、という前提で考えてしまっているわけです。
実は私も、かつてその趣旨の発言をしていて、「脱税の問題にならないのか」と聞かれたときに、「そういう政治資金を実際に個人の用途に使っていたら、その部分が脱税の問題になりますよ」という言い方をしていたんです。
大体、検察官とかも、議員の弁護人なども、おそらくそういう前提で考えていると思います。具体的に政治じゃない目的に使っているお金が明らかになったら、その部分が課税の対象になる。そうじゃないならば税の問題にならないと思ってやって来たのだと思います。これまで。
野口 私はその考えは違うと思います。
郷原 その考え方が違うのだと明確にいえれば、むしろ、すべて全額について税務上の手続きを先行させるべきだという話になると思います。
野口 そういうことですね。私もそうじゃないかと思います。
郷原 実際に今起きている世の中の反応を見ても、この裏金問題に対して多くの国民が非常に怒っているのは、裏でお金を貰って、申告もしないで、税金も払わないで、好き放題に使っていることに対してです。
野口 そうだと思います。
■国税当局は検察捜査に忖度しているのか
郷原 それを政治資金規正法で何とかならないかという話をして、違反だから収支報告書を訂正しろと言って、訂正させて、それで終わりにさせてしまったのでは、もう税という面ではめちゃくちゃな話になってしまいます。
野口 その通りです。
郷原 政治資金がどうのという以前に、未申告があれば税務当局が脱税の疑いで調査すべきことのはずです。ただ、おそらく国税と検察との関係がそうだからと思うのですが、それをやられると検察の政治資金規正法違反の捜査の支障になってしまう。
これまでも国税当局は基本的に政治家に対する課税に後ろ向きだったと思います。ともかく政治の領域に踏み込むと、いろいろなハレーションが起きるから、非課税は選挙に関する部分だけなのに、それを拡大解釈して政治全般を課税の対象外にしているかのようなやり方でした。
一回だけ例外があって、税の問題として大きく扱ったのが金丸脱税事件でした。あれは隠していた資金が見つかったので、さすがに税の問題だと言うことが明確にいえるということで脱税問題として扱いました。あのような形で政治家の脱税事件を大がかりに摘発したというのは、非常に少ないと思います。
ですから今回も検察が政治資金規正法を前提に捜査をやっているというときに、税の問題に持って行こうとするなら、国税、税務署のアクションに期待するのはちょっと難しいのではないかと思います。
ですから次善の措置になるのですが、政治家の側が収支報告書の訂正という、税申告をごまかすようなことをやるのではなく、やるべきことは、自らこれは全部税金を払うべきでしたと、修正申告をして追徴税も含めて払うことくらいですね。
野口 次善の策でいいのか、100%賛成はできませんが、現実問題としてはやむを得ないかも知れませんね。ただ何もやらないよりは、今、やった方がいいでしょう。
郷原 すくなくともこのまま収支報告書の訂正は認めて、ほかは何もやらないというわけにはいかないと思います。
■政治資金規正法の大穴
野口 今、確定申告の時期なのですよ。私も含めてですが、細かい領収書を集めて、なんでこんなことをやらされているのかと思っています。税を払うのはしょうがないけれども、税を払うためになんでこんなに苦労させられなければならないのか。確定申告の時期なのに、なんでこれが問題にならないのでしょうか。多くの人がなんでと思っています。一般の人には何も悪いことをしなくとも税務調査が入ることがあるわけです。
郷原 私はこれまで「政治資金規正法の大穴」ということを指摘してきました。政治資金を裏金として渡すと言うことは、資金管理団体にも、政党にも、どこの帳簿にもまったく書かないということで渡しているわけです。
そもそも政治資金規正法で収支報告書の虚偽記入とか、不記載罪というのは、どこかの政治団体とか、政党支部の収支報告書に寄附として書かれていることが虚偽であるとか、記載すべき事項が記載されていないということがあって初めて犯罪が成立するわけです。どの団体宛の資金かということが特定されていないといけないわけです。どこにも書かない罪というのがあるわけではなくて、どこかの収支報告書に書くべきものを書きませんでしたということが犯罪になるわけです。ですから裏金で政治家が受けとったときには、どこの収支報告書に書くべきかがわからないので不記載罪にならない。それを昔から「大穴」だと指摘してきました。
検察は、この大穴を無視して、自らの資金管理団体の報告書に記載しなかったとして政治資金規正法違反の疑いで池田佳隆衆議院議員を逮捕しましたが、これは、かなり無理なやり方だと思うのです。裏金として貰ったということは、どこの収支報告書にも記載されておらず、政治資金として報告すべきものとなっていないのですから、政治資金ではない。これは税金の問題にしかならないのじゃないか、と考えると、結局、政治資金規正法の方から考えても、税の方から考えても、政治資金収支報告書の記載に関する犯罪は成立しない、という同じ結論に辿り着くのです。
こういう問題に対して、どうすべきか。税の問題であることをみんなが認識して、税務上の正しい措置をとるべきだということを声を大にして言いたいです。この問題に対して、政治資金の新しい規制とか、政治刷新だとか言う話が出ていますが、税の観点を抜きにしてそれはあり得ないと思います。政治家が、どうやって申告するのか、どうやって納税するのかと言うことも含めて考えていかないと、問題の解決にはなりません。
野口 そうですね。そういうことだと思います。


 
どうやら地検特捜部だけでは根本的な解決が難しい問題になってきており、国税庁と特捜部が協力して脱税議員を炙り出してほしい、とオジサンは思う。  
 

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