新・定年オジサンのつぶやき

残された日々をこの世の矛盾に対して勝手につぶやきます。
孫たちの将来に禍根を残さないよう、よき日本を「取り戻したい」。

安倍晋三によって国民は政治に無関心になったのではなく諦めているのか

2019年09月19日 12時04分41秒 | 安倍晋三

かつて、中国の第6代国家主席、第3代国家中央軍事委員会主席を務めた胡錦濤が、1990年代の日中関係を「政冷経熱」という言葉で言い表していた。

文字通り、「政治分野では冷却しているが、経済分野では過熱している」という造語であったが、当時の日中関係をうまく表現していた。

外交の場面ではテーブル上で握手しながら、テーブルの下では、足を蹴りあうという表現がある。

実際に蹴りあった場面はなかったのだろうが、ある種の「大人の振る舞い」が双方に合った場合であろう。

おそらくこの言葉は今までの日韓関係でも言えることであり、中国と同様に韓国も日本に人権を蹂躙された歴史を持っており、今までの日本の首相は過去の歴史問題に触れないような巧みな外交を繰り返してきた。

そして、市民同士の交流は盛んになり、地理的にも日本は特に韓国からは近く、大型船舶や飛行機で簡単に日帰り客が日本の大分県を中心に多数訪れていた。

それが歴史修正主義者である安倍晋三の、過去の不都合な歴史的な事実を認めないという頑なな姿勢から、日韓関係は「政令経冷」となってしまった。

ゴルフ場「韓国客、まさかゼロとは」 出口なしの対立で

   
              【朝日新聞DIGITALより】


今年の正月に別府温泉と湯布院で過ごしたが、「大分空港から別府、そして湯布院から太宰府」の中では、「駅前からの「湯布見通り」は観光客用の土産店や飲食店が所狭しと軒を並べているが、多くは韓国人で、日本人の65歳超の老夫婦は肩身が狭い思いであった。」とつぶやいた。

確かに団体で押し寄せる韓国人観光客の熱気にはオジサンも閉口した思い出がある。

特に観光客目当ての営業は特定の国に頼りすぎると、時の政府の不手際により痛い目に遭うという教訓を残したともいえよう。

ところで、いままでの国政選挙では皆無であったが、今回の参院選で街頭演説に対してヤジを飛ばした聴衆を警察官たちが排除したことに関しては、北海道警は「事実関係を確認中」を繰り返していたが、どうやら警察庁の指示があったのではないかという疑惑が持ち上がってきた。  

<道警・首相ヤジ排除問題に新事実 「接近を阻止」は警察庁指示>
 2019年9月18日 08:40 HUNTER
 参院選期間中に北海道・札幌で首相演説ヤジ排除問題が起きてから約2カ月。一般市民の表現の自由を侵害し、各方面から法的根拠の説明などを求められている北海道警察が今なお「事実関係を確認中」としている中、全国の警察組織を統括する警察庁が選挙に際し、道警を含む各地の警察本部に通達していた警備方針の内容が明らかになった。
 通達には、首相など要人への「接近を阻止」する対応の必要性などが記されており、道警はこれに従って市民を排除した可能性が高い。
■「排除」の根拠となった2通の警察庁局長通達
 安倍首相の街頭演説中に、「安倍辞めろ」「増税反対」などと声を上げた一般市民を拘束・排除した北海道警。組織的に行われた異常な“警備”の原因を探るため、筆者が「第25回参議院議員選挙の警備について、北海道警察が作成または取得した文書すべて」を開示するよう求めていた。
 これに対し、道警は9月5日付で8種の文書計35枚を一部開示。具体的な警備部隊の編成などを記した箇所は「今後の警察活動に支障が生ずるおそれがある」との理由で大部分が墨塗り処理されていたが、警備方針を現場に指示する文言は一定程度開示され、選挙期間が始まる前の段階で警察庁から道警へ、さらには道警から各所属、警察署などへ宛てられた通達の内容が確認できた。
 開示された文書の中で、まず注目したのが6月26日付で「警察庁」から発出された2種類の通達。管区警察局長・都道府県警察の長・方面本部長に、刑事局長からは選挙違反取締りに関する留意事項が、警備局長からは警備対策についての指示が示されていた。
 刑事局長通達には、「要人等に対するテロ等を未然に防止するため、右翼等に対する対策を強化する」とのくだりがあり、警察が当初「右翼」の選挙妨害を想定していたことが窺える。このあと、「内閣総理大臣や閣僚を始めとする要人、候補者等の警護及び警戒警備に万全を期すこと」と続いており、とりわけ首相などの警護が至上命令とされていた状況がうかがえる。
 問題は、警備局長の通達で、「警護対象者や候補者等に対する違法行為の発生も懸念される」と現場に危機感を促し、次のような対応を指示していた。
《警護対象者等に対する接近を阻止するための各種諸対策を徹底すること》
  通達では「右翼以外」のケースも想定し、相手が誰であろうと「要人」へのアプローチを阻止するよう命ずる指示もあった。
右翼以外であっても、社会に対する不満・不安感を鬱積させた者が、警護対象者や候補者等を標的にした重大な違法事案を引き起こすことも懸念させることから、現場の配置員には、固定観念を払拭させ、緊張感を保持させてこの種事案の未然防止を図ること
 警察庁が出した2つの通達を受け取った道警は6月26日、本部長名で刑事局長通達と同じ内容の通達を警察署など道警の関係部署に発出。28日には、道警警備部長が上掲の警察庁警備局長通達をなぞる形で通達を出していた。
■無視された「人権」への配慮
 ヤジ排除の法的根拠を問われ「事実関係を確認中」としている道警だが、少なくとも上のような「根拠」は存在していたことになる。首相演説から排除された人たちはいずれも「右翼」として活動していたわけではないが、現場では「固定観念を払拭」した警察官たちが彼らの「警護対象者等に対する接近を阻止」したわけだ。
 問題は、過剰警備などで批判を受けないよう警備局長通達で示された「いやしくも人権侵害や選挙運動等に対する不当干渉との批判を受けることのないよう、その方法の妥当性に十分配意すること」という一文が、読みとばされていた点にある。言うまでもなく、ヤジを飛ばしたりプラカードを掲げたりする行為は「違法行為」ではない。あまつさえ、当日は“何もしなかった人”までもが警察官によって行動を制限されていた。
 排除問題が発生したのは、選挙期間中の7月15日。それから2カ月が経とうとしていた今月13日、北海道議会本会議で改めて排除の根拠を問われた道警の山岸直人本部長は、これまでと同様「事実確認を継続しているところ」と答弁した。道警は、事案の発生から2カ月間を費やしても「事実」を特定できない捜査機関であるらしい。      

右傾化した若者よりネトウヨ化した高齢者が危ない」の中で指摘したように、「選挙の街頭演説のたびに、『野党は左翼』、ヤジを飛ばす聴衆も左翼との印象操作に余念がなかった。」安倍晋三の意向を強く忖度した結果なのであろう。

その安倍晋三は、もはや何をやっても怖いもの知らずという暴挙と批判されるような人事を行っていた。

今井絵理子氏の災害対応“司令塔”任命に「悲報」…SNSで不安の声

内閣府の防災担当政務官は、70歳を超えた消費期限切れの出がらし大臣とは異なり、災害時には安倍晋三の口癖の「国民の財産と生命を守る」ための陣頭指揮をする立場でもあり、そこに「一線を越えていない不倫女王」とは国民も舐められたものである。

参院選の投票率が戦後2番目の低い投票率であったことに対して、「国民の政治への無関心」と言ったことがあったが、ある人から、むしろ「国民の政治への諦め」ではないかと言われたことがあった。

同じことを思っていた人がいた。

<もはや政治ではない…すべてを諦めた社会>
 2019年9月18日 政界地獄耳
 ★閣僚の顔ぶれを見ても、千葉県を中心とした台風災害の対応を見ても、この内閣の水準の低さを感じることが多い。自民党はいつから国民の気持ちを第一に考えなくなったのだろうか。さまざまなスキャンダルを内閣の一員が起こしても説明しない、混乱をわびるだけで本質については謝罪せず、貫き通す姿勢を誰も咎(とが)めなくなった。簡単に辞任させず内閣改造で交代させる手法をとるなど、責任の所在をあいまいにさせる政治を実践してきた結果だろう。

★それは首相・安倍晋三の口癖でもある「責任は私にある。任命責任を含めて私にある」としながら、その恥ずかしい現実を聞き流すようになったからだ。森友・加計学園疑惑の関与者たちは、ほとぼりを冷ますように入閣するなど復権し、議事録を残さないという方針を固めて事実関係はすべて闇の中だ。骨のある閣僚はいないのかと探せば「所管外」を繰り返し、すべてはあいまいな政治を突き進める。

★安全保障を声高に叫ぶものの、政権の言う安全保障は軍事的要因のことばかり。子どもの7人に1人が貧困という数字が抱える問題や、食品や作物の安全はなかなか優先されはしない。だが、国民は怒りの矛先を政権には向けない。選挙ではその矛盾に気付いた有権者が与党議員を落選に追い込むが、野党に期待が募るからでもない。いずれの政治家も国民から見れば物足りない、優先順位も違っている。以前の与野党の政治家には威厳と緊張感があったが、正義感と庶民感覚がなくなったと言えまいか。まもなく消費税がアップするが、数カ月の軽減策は複雑すぎて怒る気も起きない。すると財務相らは「増税前の駆け込み需要はない。だから反動減もない」と何も問題はないとの認識だ。さびたアンテナで政治を進める、それを批判する者もいない。これは政治ではない。すべてをあきらめた社会ではないか。(K)※敬称略


すべてを諦め、望みがなくなれば、「絶望」となる。

イギリスの小説家、ベンジャミン・ディズレーリは、「絶望は愚者の結論なり」と言っていた。

しかし、絶望というのはプロセスであって、それを結論にする必要はなく、現在は、たまたま「稀代の悪代官」が跋扈している時代であるが、決してあきらめず、絶えず抗っていけばいつかは必ず光明が差してくる、とオジサンは思う。
      
  


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