新・定年オジサンのつぶやき

残された日々をこの世の矛盾に対して勝手につぶやきます。
孫たちの将来に禍根を残さないよう、よき日本を「取り戻したい」。

レガシー作りや政局の鈍さでは海外には通用しない総裁選候補者

2024年09月19日 12時01分39秒 | 総裁選

自民党総裁選に立候補した9人だが、素人から見ても「泡沫候補」が多い。
 
腐りきった自民党を「刷新」するには年齢からみても60台や70代候補は単なる「山の賑わい」なのだろうが、真の狙いは、最終的に上位2名の国会議員による決選投票投票ににおける当然ながら「勝ち馬」に乗り。その後の新総裁による自民党内の要職や閣僚を目指すことなのだろう、と邪推してしまう。
 
また、るっ候補者がメディアに登場するに連れてメッキが剥がれてしまう議員や、こんスクープ記事には、対応が固まる連中も出ていたようである。
 


 
総裁選9人が異様な沈黙も→スルー許されない2人の実名「ひるおび」指摘 幹事長と政調会長でしたよね? 2013年安倍元首相と旧統一教会の報道
 
18日のTBS「ひるおび」では、自民党総裁選に立候補した9人が17日に同局ニュース番組に出演した際、安倍晋三首相と旧統一教会に関する朝日新聞報道を受け、総裁になったら再調査を行うという方は挙手をと求められたが、全員が沈黙したことを伝えた。
小川彩佳キャスターが質問すると緊迫した空気に包まれ、9分割となったテレビ画面で、石破茂氏の右手が動きかけたようにも見えたが顎に手をやって止まり、他の候補はほぼ動かず。沈黙が続き異様な雰囲気となっていた。
 「ひるおび」では、2013年参院選前に、当時の安倍首相が自民総裁応接室で教団幹部と面会かと報じた朝日新聞も紹介された。
 9人には事前通告なしで質問され、瞬時の駆け引きがあったとみる指摘も。9分割のVTRを見ながら、石破氏のほか、上川陽子氏や林芳正氏の手も動きかけたことに、恵俊彰が「下ろしたよ!」「上川さんもちょっと動いてる」とツッコミ。
 出演した朝日新聞ゼネラルエディター補佐の林尚行氏は、13年参院選当時、石破氏は自民幹事長、高市早苗氏は政調会長だったと指摘。選挙の司令塔と、政策作りのトップが、「安倍さんから聞いていたのかどうかも含め、説明する責任があると思っています」と語った。
 恵は「国民寄りで自民にも厳しいことを言ってた石破さんが、ここで手を上げるのかなと思った」としつつ「でも、幹事長だった事を考えると、ううん!?知ってたのかな?って」と語った。

 


●私は自民党の皆さんほど韓国が嫌いではありませんよ。私の親の世代は酷い差別感情を持っていましたから、私はそういう言動はするまいと思ってきました。
しかし、そんな私でも、統一教会は許せません。ほぼ犯罪でしょう。
それなのに自民党の諸氏はなぜ統一教会が許せるんでしょうかね。口先では関係を断つとか言ってますが、そんなこと本当にできるんでしょうかね。
安倍氏が亡くなったから死人に口なしで済ますんですか?そんな姑息な考えで「世界の頂点で輝く日本」だとかよく言えたもんです。安倍氏の「美しい日本」も大概なものでしたけれどね。
自民党は絶対に変わらない。そう確信しました。
 
●再調査するかの問いに「する」と答えない理由を推測すると、統一教会との関係においていまだ知られていない事実があり、再調査の結果あきらかになるだろう事情が存在ということだろうと言える。このような、明らかにしうるのに明らかにしてはならないような事実を、自民党総裁候補者9人全員が知っているが、それが何だかいまだ国民にはわからないという状況は、即ち、国民には計り知り得ない『自民党議員のみ知り得る常識』があるということだ。
そうなってくると、それは、自民党議員には隠れた前提要件があり、その要件とはもはや真のお母様に祝福されていることぐらいとしか、もはや理解できないのでは。
アガサクリスティには全乗客犯人というミステリーがあるが、これは全議員信者?というミステリーだ。
 
●統一教会と自民党はズブズブです。
勿論、自民党議員の全員が関係していたとは考えられないですが。状況は全員知っていたはず。
まさに日本の政治を統一教会は乗っ取っていたに等しい。
統一教会を日本に招いた岸信介は、A級戦犯から逃れたのと引き換えに米国CIAの工作員になって自民党への潤沢な資金を手に入れたと言われている。おそらくその指示で統一教会を招いたのだろう。その孫の安倍氏と自民党はまさに受け継いでいた。
とにかく、統一教会の解散と自民党への追求は至急しなければなりません!
メディアもその辺りはグルですね。
石破氏と林氏は関係していなかったと考えられますが、その他は繋がってますね。
 
●安倍さんと統一教会の幹部が会っていた事について「安倍さんがブレザー姿でしょ。あれを見れば、永田町事情に詳しい人なら、日曜日だなとピンとくる。安倍さんは平日ならスーツ姿のはずですからね。つまり、日曜日にわざわざ自民党本部に来て、教会側の幹部と面談したということです。ちょっと近くに寄ったからと空き時間に会ったわけじゃない。一国の総理が時間を作って会ったということ。教会には名誉なことだから、飾るのも当然なんですよ」と安倍さんの関係者がコメントしていましたが、安倍さんが統一教会側の幹部と密な関係になっていたことを示していて、政教分離の原則からは逸脱した行為だと感じます。
 
●元来、公明党の支持母体は創価学会である事は世間一般では周知されていますが、これまでには自民党と統一教会がズブズブの関係である事はあまり周知されていないで秘密裏であったかと思います。旧年には安倍元首相と旧統一教会の報道もありましたが……。もしかしたら、裏金の一部が統一教会に流れている可能性も否めないかと思います。何れにせよ、総裁選の9名の異様な沈黙も自民党と統一教会が太いパイプで繋がっている事の証明ではないかと思います。

 
ところで、各種のメディアの調査では、上位に入っている2人の世襲議員に関する内容を紹介しておく。
 
なぜ小泉進次郎は金正恩との“首脳会談”を熱望するのか?北朝鮮トップ2代と親子で交渉した歴史を作りたいだけ
  
■拉致問題解決の具体的な方針はナシ。それでも進次郎が金正恩と会いたい訳
9月3日から8日まで東京都足立区にある「アリオ西新井」イベント広場で、横田滋さんが撮影した家族写真の展示展「めぐみちゃんと家族のメッセージ」が開かれた。主催者によると横田早紀江さんが会場に来る予定はなかった。ところが3日目の5日に姿を見せ、会場の写真を見たあとで取材に応じた。

これまで写真展は全国で行われてきており、そこに生前の横田滋さんや早紀江さんがいると必ず記者が集まった。こんども早紀江さんがいなければ報道されたかどうかも怪しい。早紀江さんは、問題が解決しないことへの「政府の責任」を語ったうえでこう続けた。
思いとかそんなもの超えてね、言葉が無い。47年も放置されてる。怒りだし、放置されてることが残念でなりません」

「(自民党総裁選について)解決したいと言ってくれる方は1人でもいると思っていたが、いらっしゃらない。そういうことを聞くことが無いのが非常に残念ですね」

横田早紀江さんの思いはよくわかる。自民党総裁選だけでなく、立憲民主党代表選でも、日朝交渉と拉致問題は議論にならない。与党と野党第1党の責任者を決める党内選挙では、優先順位からして国民生活に密接に関わる物価高、社会保障、少子化対策などが重視されるのは当然だ。

沖縄立憲民主党の初代代表だった私の視点からすれば、「沖縄問題」も絶対に議論しなければならないが、どうしても横に置かれてしまう。そこに問題の重心を置くならば、候補者選考の判断のためにも、議員や関係者が質問状を出すなどの努力をすることができる。沖縄立憲民主党が4人の候補者に、辺野古移転や南西諸島の自衛隊配備問題など6項目で公開質問をして、回答を公表することを明らかにした。このように世論を形成しなければ、総裁選や代表選は「大きなテーマ」だけで消化されていってしまう。

自民党総裁選がはじまる前日の9月11日に「家族会」「救う会」が国会議員会館で会見し、横田早紀江さんはここにも出席して発言した。

「なぜ命からがらで助けを求めている人たちを放っておいても平気でいられるのか。47年どんなに頑張っても動かない」

自民党、立憲民主党の候補者に対して「避けているような形では解決は難しい。日本を守らなければという思いで頑張ってもらいたい」と注文を告げた。おそらく今後の討論で拉致問題への言及はあるだろう。とくに政権与党である自民党の総裁選では、北朝鮮と直接に交渉する立場なので、その発言は先方へのメッセージとして届く。
■「進次郎首相」ならば日朝交渉の打開は可能か
たとえば『文藝春秋』(10月号)では、取材に応じた6人の候補者にインタビューしている。加藤勝信元官房長官は自民党拉致問題対策本部長だから、ただひとり拉致問題について聞かれている。加藤はまずこう語った。
「私は拉致問題担当相を務めましたが、この間、被害者の帰国が実現せず、具体的な道筋も描けていないことは、ご家族や支援者の方々に申し訳なく思っています」

問われているのは「具体的な道筋」を描き、実際に交渉することである。担当大臣時代も自民党の責任者であるにも関わらず、正直ではあるが、進むべき方向が定まらないのが現状である。加藤は「一日でも早く首脳会談を実現しなければなりません」「いろんなルートを駆使して北朝鮮側と接触していく」と安倍晋三元総理以来の「決まり文句」を繰り返すだけだ。つまりは何も言っていない。

自民党の総裁選は、9月27日まで続く。第1回の投票では決まらず、上位2者の決勝になると見られる。実際には石破茂、小泉進次郎、高市早苗と3者の闘いだ。最終的に「2、3位連合」によって新総裁が決まる。端的にいって石破か小泉だろう。いずれも日朝交渉に関心がある。
石破議員は私と話をしたときに外務省で直接に交渉をしていた人物に話を聴いて欲しいというと、名前をメモしていた。拉致議連の初代責任者であり、平壌に連絡事務所を置くなど、具体的プランを持っている。その方針に「救う会」は強く批判しているから、もし持論を進めるなら相当の抵抗があるだろう。

小泉議員は、抽象的にだが、日朝交渉に強い関心を示している。ブレーンの中心は、社会学者の古市憲寿氏だ。39歳で43歳の小泉議員と世代も近い。古市氏は小泉議員に読む本を勧めるだけでなく、各界の人脈との面談をセットしてきた。作家、写真家、ジャーナリストたちだ。

日朝交渉や拉致問題に詳しいジャーナリストに会ったときには、金正恩総書記と首脳会談をしたいと語っている。そのための道筋や拉致問題の解決について具体的な方針があるわけではないが、同世代の金総書記(40歳)との会談を実現したいとの意思は強い。2代にわたる北朝鮮トップと親(小泉純一郎)子で交渉した歴史を作りたいのだ。

北朝鮮側はこれからも「5人生存、8人死亡」の基本線は変えないだろう。よく金正恩総書記は拉致に関わっていないから、生存者を出してくるだろうとの楽観論がある。ならばなぜこの22年も生存者を出さなかったのかとの疑問もある。いずれにせよ「拉致問題の解決」とは何かを明らかにすることが新総裁=新総理の重い解題だ。石破あるいは小泉総理は、日朝交渉を打開することができるだろうか。


 


 
河野太郎はなぜ菅に見捨てられたか? そこには意外な「政局勘」のニブさがあった…!
 
■世襲議員でなければ総理にあらず?
世襲議員の跋扈は、よくも悪くも日本政治の現在地を鮮やかに映し出してくれる。
何しろ過去二十年間で、総理大臣が世襲議員でなかったのは、民主党政権の菅直人、野田佳彦の二人と自民党政権では、菅義偉ただ一人。三人の在任期間は、いずれも短く、三人合わせてやっと岸田文雄一人分にしかすぎない。
しかも非世襲議員の総理大臣が、世襲議員出身の総理大臣より優れていたかというと、鳩山由紀夫は例外としても首を傾げる人の方が多いだろう。
その鳩山の祖父は、鳩山一郎。麻生太郎の祖父は吉田茂、安倍晋三の祖父は岸信介と、一代おきに総理大臣がでているのも偶然ではない。
世襲議員にあらずんば、総理大臣になれない時代になってしまったのである。
■総理大臣を出せない「河野家」
そんな世襲全盛時代にあって三代にわたって有力政治家を輩出しながら、トップの総理総裁にたどり着けていない「名家」がある。
そう、河野家である。
太郎の祖父、河野一郎は、すでに触れたように典型的な「悪党政治家」だった。
残念ながら総理大臣まであと一歩のところで急逝した。あまりにも突然の死で、心の準備なく後継者となった息子の洋平は、得体のしれない人々とも付き合い、カネ集めも平然とやってのけていた父の清濁併せ呑む政治スタイルが、イヤでイヤで仕方なかったのだろう。
衆院議員になると、憲法改正が悲願だった父とは真逆のハト派路線をひた走り、ロッキード事件を機に「金権政治打破」を掲げて自民党を脱党、新自由クラブを旗揚げしたのも父を大いに意識してのことだったはず。のちに自民党に復党して野党転落直後には総裁にまで登りつめたものの、最後は同じ宏池会の加藤紘一に反旗を翻された。再選を期した総裁選に出馬できず、総理大臣一歩手前で父同様、涙をのんだ。
では、太郎はどうか。
彼は慶應義塾中学から同高校を経て慶應義塾大学経済学部に進学するも二か月で退学。
単身、アメリカに渡って英語の勉強をした上、ワシントンのジョージ・タウン大学に入学し比較政治学を学んだ。
河野三代きってのインテリで、英語も流暢だ。
岸田文雄らと争った 令和三(二〇二一)年の総裁選では、人気者の石破茂、小泉進次郎と「小石河」連合を組み、一回目投票では、党員票で大きくリードし、トップに立った。
あわや、というところまでいったが、国会議員票が主体の決選投票では、安倍晋三が主導した岸田と高市早苗の「二・三位」連合に屈し、一敗地に塗れた。
このときの、敗因として所属する麻生派の大半が岸田に投票したことが挙げられ、三年後の総裁選では、派閥領袖である麻生にまず仁義を切って、支持を得てから実質的な選挙戦をスタートさせた。
ところが、前回は河野を応援した石破と小泉が揃って出馬、党員票の奪い合いになってしまったのである。
これでは勝負にならない。
前回、「小石河」連合を陰で仕切っていた元首相、菅義偉が再三、河野に麻生派から出て無派閥で戦うようアドバイスしたにもかかわらず、決断できず、小泉支持に舵を切った菅から見捨てられてしまった。
政局勘が、父同様乏しいのは否めない。
もちろん、祖父のような「悪党政治家」では、更々ない。
同時に父のようなゴリゴリのリベラル派でもない。
もう一つの弱点は、基本的に人嫌いな性格にある。
新型コロナ禍が、一応終息したあとでも、重要会議も記者会見もリモートでやりたがった。
これでは、付き合いも表面的になりがち。彼の担当になっても「どうしても河野を総理にしたい」とファンになった記者は聞いたことがない。
記者だけではない。議員仲間との交流も薄い。よくも悪くも子分とは一心同体、親分肌だった祖父の一郎とは大違い。
麻生太郎から「もっと派閥の若い奴らと飲み歩け」と訓戒を垂れられ、しぶしぶ会合を重ねてはいるものの「大臣(河野)がデジタルの話なんかを一方的にするだけで盛り上がらない」(出席者)と言われる始末。
■河野の「右腕」だった男
それでも三年前の総裁選では、河野の手足となって動いた若手議員もいた。
「河野さんは『お前は一体何者だ』と驚いていました。『地方議員です』『党派は?』『自民党です』『おお、自民党か! 珍しいな』。私を気に入ってくださったようで、その日から師弟関係を超えた交流が始まりました。やがて、『お前、国会議員になれよ。俺と一緒に働こう』と誘われ、……」(『自民党発!「原発のない国へ」宣言』秋本真利、東京新聞)
以上は、法政大学大学院で、講師を務めた河野太郎と「核燃料サイクル」と「プルサーマル」との違いに関する問答を通じて運命的な出会いをし、彼の引き立てによって市議から国会議員に駆け上がった男の物語である。版元も「反原発」報道に熱心な東京新聞と申し分ない。物語の主が、東京地検特捜部に逮捕された衆院議員(当時)、秋本真利であることを除いては。
日本風力開発から多額の賄賂を受けとったとの嫌疑をかけられ、逮捕された秋本は、数少ない河野側近の中でも特別な存在だった。滅多に他人を褒めない河野が、「私の右腕だ」と公言し、秋本の著書『自民党発!「原発のない国へ」宣言──2050年カーボンニュートラル実現に向けて』の帯に「俺よりすごい、自民党一の『脱原発』男だ」という惹句を顔写真付きで寄せたほど。
自民党議員としては、異色の「脱原発」を主張し続けた秋本は、平成二八(二〇一六)年三月、党内に「再生可能エネルギー普及拡大議員連盟」(会長・柴山昌彦)を立ち上げ、翌年、事務局長に就任した。
だが、風力発電会社との癒着がすぎて司直の手に落ちてしまったのである。

「脱原発」を政策の大きな旗印にしてきた河野にとっても秋本を失ったことは大きい。令和六(二〇二四)年九月の総裁選を前に、原発に理解を示すかのような発言をし始めたことも「秋本逮捕」が微妙に影響している可能性がある。
いずれにせよ河野の総裁選三度目の挑戦は、厳しいものとなった。
いい線までいくのにトップになれない河野家の「宿命」を、太郎が打ち破る日は来るのだろうか。


 
少なくとも旧統一協会に「骨の髄」までしゃぶられている自民党の議員なので、だれが総裁・総理になっても、今の日本はこれ以上良くはならないだろう、とオジサンは思う。 

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