新・定年オジサンのつぶやき

残された日々をこの世の矛盾に対して勝手につぶやきます。
孫たちの将来に禍根を残さないよう、よき日本を「取り戻したい」。

ダメな政権の下でのダメなテレビメディア

2019年06月10日 12時15分25秒 | マスメディア

先週末の段階で、予算委員会が長期間開催されていないことに対しては、このような解説が主流を占めていた。
 
「衆院では、3月1日の開会を最後に、98日間も開会されていない状態が続いています。
 これは、内閣支持率を下げさせないための目論見と考えられます。これまで、内閣支持率は、国会審議が白熱すると下がり、国会閉会中に上がるといわれてきました。実際、安保法制、森友問題、加計問題、労働問題で、国会審議が白熱した年度前半に、内閣支持率が下がり、そうでない時期に上がる傾向が、見て取れます。 つまり、予算委員会の開会拒否は、政府・与党の選挙対策と考えられる」
 
確かにこのような指摘は決して間違ってはいない。
 
しかし、2年前の日刊ゲンダイの「収束みえぬ森友問題に顔むくみ 安倍首相にまた体調悪化説」という記事には今の状況と同じような事態が書かれていた。
 
安倍首相はストレスがかかるとすぐに具合が悪くなる。野党から攻撃されることがよほどストレスなのか、国会会期末の6月になると必ずと言っていいほど体調を崩してしまう。今年はまだ3月ですが、早くも調子が悪そう。国民の目があるところでは元気に見せていますが、身内の会合などでは背もたれに首を乗せてつらそうにしている。野党の質問にすぐキレるのも体調が悪く、ガマンが利かないからでしょう」(自民党関係者)」
 
安倍首相は大好きなゴルフをやり、外遊するとストレスが発散されて元気になる。安倍官邸は、どんなに批判されても、外遊日程とゴルフ日程を確保するつもりです」(政界関係者)
  
したがって、いくら「安倍首相が審議拒否中に芸人と会談『国民を愚弄』と批判の声」が上がろうともストレス回避のため、国会には顔を出さず、またもや会期中にイランに行こうとしているというわけである。
 
さて、1週間前に「同じお笑い芸人でも品格差が際立つこの2人」のなかで、オジサンはこうつぶやいた。
 
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松本人志、川崎殺傷事件に『唯一の救いは、花を持ってきてくれる人がすごく増えています』」 
 
「人間が産まれてくる上で不良品って何万個に1個絶対これはしょうがないと思うんですね。それを何十万個、何百万個にひとつぐらいは減らすことはできるのかなって、みんなの努力で」と示した上で「正直、ボクはこういう人たちはいますから絶対数。その人たち同士でやりあって欲しいですよね」
こんな発言に対しては真っ当な批判の声は多かった。


ところが同じ日に、同じお笑い芸人でありながら、 松本人志と対極に位置すかのような芸人の発言が大きな共感を生んでいる。
爆問太田 『一人で死ぬべき』に「すぐ近くにいると思うの。彼のような人は」 

安倍晋三との会食を嬉々として宣伝するお笑い芸人に対してかつては安倍晋三に対して正面からこう言っていた芸人がもっと多くのテレビ番組で正論をしゃべってくれればいいのだが、少なくとも品性欠落しているフジテレビでは無理であろう、とオジサンは思う  
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その後、松本人志の差別的な発言を容認したフジテレビの石原隆取締役の「差別的な意図はなかった」という定例会見での発言にはまたもや批判の声が湧きあがっていた。
 
松本人志さん『不良品』発言 フジが『差別の意図なかったが批判受け止める』

 
「サンケイスポーツ」はフジサンケイグループの傘下である産業経済新聞社(産経新聞社)が発行するスポーツ新聞で、産経新聞は、社説で「日本に報道の自由がないとの実感は全くない」と書くほどの新聞社である。
 
そして、「その産経の『自由』は、産経が特定の立場性を有しているからなのだ。権力におもねり、権力に迎合し、権力を称揚し、権力が望む方向に世論を誘導しようとの立場。権力に抵抗する勢力を難じる立場。権力に癒着した権威に平伏してみせる立場。遅れた社会意識が形成する同調圧力を批判することなく、助長する立場である」と澤藤統一郎の憲法日記」で痛烈に批判されているクズメディアでもある。
 
そして昨日は、朝日新聞が「松本人志と太田光、社会に向けて2人が紡いだ言葉の違い」という記事を書いていたが、この記事に対しては、興味深いことに東京新聞の記者と元毎日新聞の記者がそれぞれコメントしていた。

 
「鶏が先か、卵が先か」とよく引き合いに出される因果性のジレンマに例えれば、「ダメな政権がメディアをダメにしたのか」、それとも「ダメなメディアがダメな政権を生み出したのか」ということになる。
 
おそらく歴史的にみれば、権力者が先に現れて、それに対抗すべく民衆の中から権力批判する声があがり、ジャーナリズムが生まれたと思っていたが、マーティン・ファクラー『「本当のこと」を伝えない日本の新聞』(双葉新書)ではこう書かれている。
 
「明治政府は『富国強兵』の大号令をかけ、『記者クラブ』は政府と一体になって、帝国議会のエリートが何を考えているのか、わかりやすく国民に説明した。現在のテレビにも、まるで首相の代弁者のようなコメンテーターが登場する。ジャーナリストが、取材対象の政治家や官僚や社長と仲良く会食する。いわば『権力の犬』であることが、明治以来の伝統的な日本のジャーナリズムの姿なのである。」
 
著者のマーティン・ファクラーは、ブルームバーグ・AP通信社・「ウォールストリート・ジャーナル」記者を経て、「ニューヨーク・タイムズ」東京支局長を務め現在はフリー・ジャーナリストで、『安倍政権にひれ伏す日本のメディア』(双葉社)や『世界が認めた「普通でない国」日本』(祥伝社新書)などの著書を上梓している程で、日本滞在歴は20年以上に及んでいる「日本通」でもある。
 
どうやら、21世紀になっても明治政府時代の「権力の犬」のままのメディアが多いということであろう。
 
もっとも日本の最高権力者も自他認める「米国の犬」であることはいまさら言うまでもない、とオジサンは思う。   
 


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