新・定年オジサンのつぶやき

残された日々をこの世の矛盾に対して勝手につぶやきます。
孫たちの将来に禍根を残さないよう、よき日本を「取り戻したい」。

「アベノママデス」大惨事安倍政権か?

2020年09月03日 11時31分03秒 | 安倍晋三

2日前、「安倍政権の7年余りとは、日本史上の汚点である」の中で、論座に掲載された白井聡の「【1】安倍政権の7年余りとは、日本史上の汚点である」という寄稿文を転載した。
 
その文章には、比較的多くの賛同コメントが集まっていたように感じた。
 
「清く正しく美しい政治を!ID: 0698ba通報

素晴らしい!事象の本質、真理を見事に突いている。筆者の意見に100%同意。総裁任期を勝手に延長しておきながら、病気のせいとは言え、2度までも政権を途中で投げ出す無責任な安倍政治!コロナのせいで、何をやっても批判され、支持率の低下に歯止めがかからない今、「歴代最長」という中身の無いレガシーだけは何とか形だけクリアし、数日後にはほっぽり投げる!正に自己チュー政権の極み!病気悪化で国民を同情させ、批判を和らげようとする姑息さ。総裁任期まで延長する程、総理の座に執着するのなら、最後まで命をかけて貫く覚悟は無かったのか?本当に安倍は中途半端な政治家で、汚点ばかり。この感覚、見方が今の日本人には残念ながら決定的に欠けている。」  
 
しかし、このような文章を書いた本人とは思えないネット炎上を招いたことをしてしまった。
 
単なる「筆が滑った」というレベルではなかった。
 
松任谷由実さんに『早く死んだほうがいい』 政治学者・白井聡氏、物議の発言削除し『つい乱暴なことを口走ってしまいました』
  
おそらく安倍晋三憎しから、カルト宗教とも擬されて批判される安倍晋三の信者たちへの批判だったのかもしれないが、「坊主にくけりゃ袈裟まで憎い」という心情からならば少々大人げなかった。
 
この若い白井聡を昔から評価していないこの人はこう批判していた。  

    
オジサンを含め、長い間、安倍政権打倒を目標にしてきた多くのブロガーたちが、安倍晋三の今までの「総理の犯罪」をもう少しで明らかにできそうだと思っていたところ、スルリと抜けて目前から消えてしまったことには一抹の虚脱感を覚えたといっている人が多かった。
 
安倍辞任プロス・アンド・コンス ? 安倍独裁は崩壊し、安倍カルトは残存す」というブログ記事をかいていた上記のツイッターの筆者は、こんな思いだったらしい。
 

安倍政権が終わる。長い長い間、ずっと安倍政権を倒すこと、安倍政権が倒れることを願い、その福音が到来する日を待ってきたから、大きな解放感に包まれた気分を否めない。精神の牢獄に閉ざされた日々が終わるという感がする。本当に長かった。と同時に、失われたものがあまりにも多く、真面目に考え出すと喪失感が大きくて途方に暮れてしまう。人の人生で7年半は長い。大事な人生の10分の1の時間を、安倍晋三に支配・拘束され、安倍晋三に生きる条件と環境を奪われ、希望を奪われ、言葉を奪われ、我慢することと断念することばかり強制され、歯噛みと鬱懐と愚痴だけの日々が延々続いた。この8年間は、居間のテレビが液晶の大画面になった生活の時間だった。その大画面に安倍晋三の顔が絶えず出て来て、そして安倍晋三を礼賛し宣伝するマスコミ要員が登場して、映像と音声を埋め、テレビの前で精神衰弱の度を酷くさせられた。気がつけば、身体はすっかり普通の老人になっていた。


 
たしかに7年半は長すぎた。
 
小学校に入学した子供が、気が付いたら中学2年生になっていたという年月である。
 
ある人気ブロガーは、安倍晋三のことを「初老の小学生・ペテン総理」と独特の表現でブログ内で呼んでいた。
 
日本は表面上は法治国家で民主主義国家なのだが、この長い間にネット世論では「独裁者・安倍晋三」というレッテルが当たり前になっていた。
 
歴史に学べば過去の独裁者の末路は安穏な生活を送ったわけではなかったのは言うまでもない。
 
史上最も冷酷な25人のリーダー」の中に残念ながら安倍晋三は参加できないほどの小者である。
 
まして、子供がいない珍しいリーダーであったので、「20世紀の独裁者たち、その存命の子孫たちは今?」といった対象にもならない。
 
7年8か月間に及ぶ安倍政権の悪政に苦しめられていた人々は「安倍晋三さえいなければなんとかなる」という気持ちを持っていたと思う。
 
前述した筆者は安倍政権の終焉による楽観論をこう書いていた。 
 

安倍晋三の政権投げ出しは独裁政体の終焉を意味する。安倍政治の7年半は、憲法の規定や内閣・国会の慣習ルールを全て逸脱したところの、身勝手な王様ルールで万事仕切って押し通す帝王の暴政の過程であり、安倍独裁のシステムが構造化され完成されてゆく過程だった。まさしく、戦前の天皇大権のような超越的権力が出来上がり、安倍晋三とその一味の恣意と放縦で全てが進行し、どのような法的な歯止めもかからない政治環境が確立した。北朝鮮や中国と類似だが、中国よりも質(たち)が悪いのは、それが民主主義のタテマエの下で行われ、嘘と詭弁が堂々まかり通るシステムであることである。国会答弁で嘘を言っても平気で、公文書を改竄しても咎められず、文書を黒塗りで出しても問題ない。法治国家の原則が通用しない政治過程であり、柱となったのは安倍晋三のイデオロギーと私的意向だった。これだけグロテスクな独裁政治が長く続いた例は日本の歴史では珍しい。世界の民主主義体制の諸国家の歴史においても奇態と言える。
安倍晋三が官邸から消えることで、官邸官僚の権力は一瞬で崩壊する運命になる。仮に菅義偉が後継に就いたとして、官邸官僚の権力システムをそのまま延長するとは思えない。自民党と霞ヶ関にはそれぞれ従来の流儀と祖法がある。さらに、加えて麻生太郎が副総理・財務相から離れるとなると、これまでの安倍政権の手法であるところの、官邸官僚と有識者会議で全てを決めて、予算と法制度を強引に壟断する政治は継続できないだろう。安倍晋三の求心力があり、マスコミによる褒め崇めの宣伝三昧があり、次の選挙も勝つだろうという見通しがあって、官僚や文化人が安倍晋三の独裁システムに接近し参加した。それを翼賛した。安倍晋三というキャラクターが消えれば、独裁システムは存続不能になる。日本人の政治は流れと勢いであり、丸山真男が説くように「時勢」が政治を動かす機軸となる。たとえ現在の権力層が安倍政治の維持延長を欲しても、おのずとソ連のスターリン批判的な動きは生じてくるだろう。
上述した「桜を見る会」の告発受理と捜査がある。安倍晋三が権力の座から去る日を待機している者は多いはずで、例えば、「桜を見る会」の招待者リストを保存したUSBメモリなども、どこかで発見されて週刊文春の記事になっておかしくない。安倍昭恵の決定的な悪事が暴露されておかしくない。もし、麻生太郎が副総理・財務相のポストから離れて副総裁などの窓際に座る身になっていた場合、森友事件の民事裁判が佳境に入った段階で、廃棄したはずの財務省の内部資料が発覚するとか、当時の佐川宣寿と太田充の音声録音が週刊誌に持ち込まれるとか、そういう動きがあるだろう。官僚というのは、記録を保存する生理本能を持った生きものである。今井尚哉や和泉洋人など官邸官僚個々についても、誰かが醜聞ネタを隠し持っていて、ここぞという告発機会を窺っている部分はあるだろう。安倍晋三の独裁権力が揺らぐ確信が持てないと、犯人探しと返り討ちのリスクがあるから、勇気を出して内部告発に踏み切れないものだ。
内部告発ドミノのハプンに期待したい。


 
まさに、こうあってほしいという楽観論なのに、「官邸官僚の権力は一瞬で崩壊する運命になる」という担保が全くない。
 
それは当然筆者も承知の上であり、悲観論が用意されている。
 

悲観論の方を言うと、安倍政治は終わっても、安倍政治のポピュリズムにコミットした大衆は残るという点だ。むしろ増殖繁茂している。日本の大衆は8年間も安倍晋三を支え続けた。その8年間は、安倍批判の言葉がどんどん無力になる過程であり、安倍批判の言語が減価償却され、すりこぎのように消耗して説得力を持たなくなった一日一日だった。正論が失われ、法治の前提が消え、ルールが空文化され、安倍晋三のイデオロギーとビヘイビア・モデルが日本人の内面に浸透して常識化された刻一刻だった。今年の8月15日は、普通の国民が普通に靖国神社に参拝する日であるようにNHKが報道し、それに韓国が外から不当な文句をつける日であるかのように伝えられた。左翼リベラルが言う「民主主義」が、今の米国の人種問題の言説のような、ある種ポリコレ的な、形骸化された一般論になっている。そして他方、国民全体の「民主主義」のコンセンサスが、専ら、反中反共のイデオロギーに置き換わっていて、マスコミはその定義で「民主主義」の語を使っている。
現在の多くの日本人は、10年前と違って、過去の侵略戦争を侵略戦争として認識していない。反省の感覚と意識がない。村山談話が消え、憲法9条の理念が消え、平和国家の理念を支える知識が欠落してしまっている。この国の憲法の最も重要な基本理念がマスコミ言論の表面で否定され、反町理らに侮辱され、左翼(しばき隊)からも否定され、物置小屋に仕舞い込まれている。この国の背骨の思想のはずなのに、野党も含めて誰も積極的に肯定しない。そんな現状で、立憲主義だの法治主義だの言って通用するわけがないではないか。遵法精神や規範意識が根底から崩れ、中国に対する憎悪の衝動と米国に対する帰依の盲従の信仰だけが国中に溢れている。体制としての安倍政治は、安倍晋三が消えた後でも容易に崩れそうになく、シンボルを欠いたまま惰性でずっと滑って行くものと予想される。左翼が、これでどうにか改憲は避けられたと安堵しているけれど、安倍晋三が首相から降りても、この国ではずっと憲法改正が論議され続け、上から改憲論が推進され、暴支膺懲の気分とセットで右翼を高揚させるだろう。


 
どうやら昨日の菅義偉官房長官の総裁選出馬表明会見をみれば、この悲観論はますます現実味を帯びてくる、とオジサンは思う。

 

 

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