新・定年オジサンのつぶやき

残された日々をこの世の矛盾に対して勝手につぶやきます。
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党利党略ではなく「誰でも持っている生きる権利」を問うべき選挙にするべきだった

2021年11月02日 12時20分13秒 | 衆院選挙

総選挙の開票が完了し政党別、地域別の当選者の顔と得票数が明らかになった。
 
選挙前は自民党の大幅な議席減が多くのメディアでは予測され、野党第一党の立憲民主党内では「140議席は固い」などという声も上がっていたという。
 
しかし終わってみれば有権者の心理までは読み切れなかったように、自民党と立憲民主党の議席減が維新の会の議席増になった。
 
「たられば」の話になるが、菅義偉が頑張って解散まで持ち込んでいれば、「アベスガ政権を許していいのか!」と主張し、政権選択選挙を前面に押し出していれば結果は変わっていたかもしれない。
 
しかししたたかな自民党は国民から不人気の菅義偉を引きずり下ろし、選挙の顔として岸田文雄を立てたため、立憲民主党の枝野幸男代表が、「岸田文雄を選ぶか、この枝野幸男を選ぶのか」と声高に叫んだことにより、有権者は「菅義偉よりはマシだろう」という心理が働いたのであろう。
 
選挙はたとえ1票差でも勝ち負けは明白である。
 
しかし同じ勝ちでも得票数やその割合から見れば、小選挙区制度の問題点が改めで浮かび上がってくる。
 
票率の低迷は自民有利の傾向 獲得票数は大敗した2009年と同程度
 

                                    【東京新聞より】
 
 


衆院選の小選挙区(定数289)では、自民党が追加公認の無所属を含め計189議席を獲得した。2017年の前回衆院選から26議席減らしてもなお全体の65%を占める。小選挙区全体での獲得票数は2762万票で、同党が下野した09年衆院選とほぼ同じ。一方で投票率は、政権復帰を果たした12年衆院選以降、低迷している。近年の同党の強さは、獲得票数よりも投票率と連動する傾向がある。
09年衆院選は、政権交代に注目が集まったことで投票率が69%台と、小選挙区制導入後で過去最高だった。小選挙区で自民党は64議席しか得られず、政権を失った。
 12年衆院選は、小選挙区で全体の79%に当たる237議席を得たにもかかわらず、獲得票は計2564万票と、09年の2730万票から大幅に減らした。投票率は09年から約10ポイント急落した。
 14年衆院選以降、投票率は今回も含め過去最低水準が続く中、自民党の獲得票は2500万票台半ばから2700万票台半ばで推移している。議席数は17年まで7割台を維持。今回も全体の3分の2近い議席を得て、自民党と同様に議席を減らした立憲民主党など他党の追随を許さなかった。
 小選挙区での自民党は、全有権者の4分の1程度の「固定票」にずっと支えられているのは間違いない。ただ、その票数が議席数に反映するとは言えない。むしろ議席数は投票率が低下すると増え、高まると減る関係にある。
 今回も、投票率が09年のように高水準であれば、自民党には向かい風、野党側には追い風となり、自民党が単独過半数を確保し続ける構図が崩れた可能性もある。

 
しかし残念ながらいくら矛盾に満ちていても自民党に有利な選挙制度は政権交代しないかぎりは変わらない。
 
結果として「政権交代」を目指した野党共闘が破れ、野党第一党の枝野幸男に批判が集まることはい方がない流れであろう。
 
権力にしがみつく立民・枝野幸男の横暴。選挙惨敗&共闘失敗も代表辞任は否定、責任逃ればかりの“でたらめ"に批判殺到
 

ネトウヨの痛烈な批判から、冷静な批判まであるのだが、自民党の大幅な議席数を盛んに宣伝していた、このメディアの失望ぶりも大きかったようである。
 
野党共闘競り負け こんな自民党政権が続く痛恨と絶望<下>
 
■「成長」も「分配」もできない岸田政権が続ける安倍菅政治
 この先、自公政権の経済政策はどうなるのか。もし、自民党が大敗し、単独過半数を下回っていたら、経済政策もドラスチックに変わる可能性があった。しかし、自公の“安定多数"という結果になったことで、従来の政策が継続されるのは間違いない。
 この総選挙は、貧富の格差を拡大させたアベノミクスを転換する絶好の機会だったのに、有権者はチャンスを生かせなかった格好だ。
「岸田首相は“新しい資本主義"“成長と分配による好循環"などとキャッチフレーズを並べ立てていますが、いまだに具体的な経済政策を示していません。確固たる信念や独自の経済政策はないのだと思います。となると、多少、形は変わっても、このままアベノミクスが続くことになるでしょう。最悪なのは“分配"も“成長"も実現しない恐れが強いことです。当初、岸田首相は“まず分配"と訴えていましたが、途中から口にしなくなり、分配のための財源を捻出するのに必要だった“金融資産課税"の強化も撤回してしまった。分配は断念したのでしょう。まして“成長"は絶望的です。アベノミクスはいまだに3本目の矢である“成長戦略"が出てこない。10年経っても見つからないのに、岸田政権から成長戦略が出てくるとは思えません」(経済評論家・斎藤満氏)
 アベノミクスを10年間続けた結果、賃金は上がらず、GDPも拡大せず、日本経済は「低位安定」を続けている。上向いたのは株価と大企業の業績だけだ。
「来年夏には参院選があるので、これから強まるのはバラマキでしょう。バラマキは野党も反対しづらい。ただし、GoToのように富裕層向けのバラマキになるのではないか。維新の会が躍進したことで、岸田政権が新自由主義路線を強めることも考えられます」(斎藤満氏=前出)
■安倍・菅・岸田政権の継続がこの国と国民には痛恨となるだろう
自民党に決定的な打撃を与えられなかった選挙結果は、いずれ国民にツケとなって返ってくるだろう。
 過去3回の総選挙のように、最初から自民大勝が予想されていれば、「こんなものか」という受け止め方もあっただろうが、野党共闘が成立し、多くの選挙区でギリギリまで自民候補を追い詰めただけに、「もう一歩だったのに」と歯ぎしりしている有権者も多いのではないか。
 自民党が261議席という“絶対安定多数"を確保したことで、自民党の傲慢な政治が続くことになってしまった。
 甘利が“落選"したのは、有権者の怒りの表明だろう。一票で意思表示したということだ。他にも問題を起こした大物議員が、有権者からノーを突きつけられている。
 ただし、怒りの矛先は個別議員にとどまり、自民党政治全体には向かわなかった。それがこの選挙の限界だった。
 立正大名誉教授の金子勝氏(憲法)がこう言う。
この10年間、なにがあったのかを思い起こせば、怒りの矛先は個別議員ではなく、自民党全体に向かったはずです。もし、自民党が過半数を割り込む大敗を喫していたら、さすがに自民党も危機感を強め、アベ政治のリセットを迫られたはず。モリカケ桜や1億5000万円問題についてもスルーはできなかったのではないか。野党がそれなりの数を奪っていれば、政治に緊張が生まれ、国会運営にしても、これまでのような横暴なことはできなかったでしょう。でも、“魔の3回生"も続々と国会に戻り、自公で絶対安定多数を確保したことで、自民党は“やっぱり自分たちは支持されている"と反省もしないはずです
 国民の多くが望んでいる「夫婦別姓」や「自然エネルギー拡大」は無視され、「防衛費2倍」「敵基地攻撃」「原発再稼働」が一気に進められるだろう。まんまと安定多数を握った自民党は、この先4年、解散をせずに権力を握り続ける可能性が高い。自民党を勝たせてしまったツケは、あまりに大きい。

 
そして野党共闘に積極的に応援していた御仁は選挙結果を冷静に分析しながら、「総選挙結果を受けて抜本的な改革が必要であるのは立憲民主党」であり、「大企業御用組合の利害代表者」である連合と手を切るべきだという。
 
自民大勝立憲惨敗維新躍進総選挙
 
今回の選挙結果を生んだ要因は次の三点。
第一は自民党岸田文雄氏が立憲枝野幸男氏よりも主権者から高く評価されたこと。
第二は立憲民主党の優柔不断な姿勢が主権者の不信を生んだこと。
第三は政権刷新への期待が高まらず投票率が十分に上昇しなかったこと。
枝野幸男氏は「岸田首相を選ぶか枝野首相を選ぶかの選挙」との主張を示したが、多くの主権者が枝野首相ではなく岸田首相を選択した。
自民党党首が菅義偉氏のまま総選挙に突入していたら自民党獲得議席は大幅減少したと考えられる。
岸田文雄氏は金融所得課税強化の公約を撤回するなど、政策路線にブレが見られたが、人間性の印象で菅義偉氏をはるかに上回る。
枝野幸男氏と岸田文雄氏のどちらの好感度が高いかは明白。
枝野幸男氏は自身の人間力、好感度が著しく低いことを認識する必要がある。
立憲民主党は一部選挙区で自民党大物議員を落選させる快挙を示した。
その快挙を生み出した原動力は「野党共闘」にあった。
反自公の主権者の意思を束ねることにより、自民党長老を敗退に追い込むことが可能になった。
ところが、立憲民主党の枝野幸男氏は野党共闘に対して優柔不断姿勢を変えなかった。
枝野氏は「共闘の対象は国民民主党と連合であって共産、社民、れいわと共闘しない」と述べ続けた。
多くの選挙区で共産党などの協力を得て票を獲得する一方で、野党共闘を否定する言動を繰り返し、野党共闘に賛同する主権者、野党共闘に反対する主権者の双方から不信を招いた。
選挙演説も大声でがなり立てるだけで熟議を尽くして主権者に寄り添うスタンスが希薄だった。
総選挙結果を受けて抜本的な改革が必要であるのは立憲民主党。
立憲民主党が野党共闘を否定し、大企業御用組合の利害を代表する路線を鮮明にするなら国民民主党と合流すればよいだろう。
立憲民主党が大企業御用組合の利害代表者ではなく、一般労働者の利害を代表する勢力として存続するなら、明確に野党共闘路線を提示するべきだ。

 
さまざまな人がそれぞれの立場から総選挙の結果を発信していたが、選挙自体が「党利党略」に成り下がっており、「選挙があまり大切にされていないから、と感じる」直木賞作家の中島京子は、朝日新聞にこんな寄稿をしていた。  
 
衆院選[『誰でも持っている生きる権利』問うべきだった 中島京子さん
 
憲政史上異例の短期決戦と言われた2021年衆議院議員選挙が投開票を終えた。
 有権者として外せない注文がある。投票時間を繰り上げないでいただきたい。約1万7千か所の投票所で、経費節減などを理由に時間が短縮されたと読売新聞オンラインで報道されていたが、投票の意思があるのに時刻に間に合わなかった人はいないのだろうか。そういう人が一人でもいる可能性のために、投票所は開いておかなければならない。選挙管理委員会の仕事はむしろ、最後の時刻まで有権者に投票を促すことではないだろうか。
 今回の選挙で、自公政権は絶対安定多数を維持したが、巷間(こうかん)言われているように、現在の選挙制度と、50%ほどの低い投票率の下では、絶対得票率が20%程度でも選挙区の議席を獲得できる。
 自公政権のコロナ対策などは、けっして支持されていたとは思えないのに、あたかもそれを承認するような結果が出たのは、やはり投票率の低さと無関係ではないだろう。
 どうして多くの人が選挙に行かないかというと、選挙があまり大切にされていないから、と感じるのは私だけだろうか。投票時間の繰り上げの件もそうだし、よくテレビの報道番組が拾う街の声などを聞いても、「投票など行っても行かなくてもいいもの」と、多くの人が思っているのを感じる。それは取材される街の人も、取材するメディアの側も、双方に感じられる軽さだ。
 とくにテレビ報道は、この短い期間の選挙戦よりも、自民党員しか選挙権のない「自民党総裁選」を伝えることに熱心だったし、なによりも「眞子さま」報道の過熱ぶりは他を圧倒していた。視聴率や販売部数が取れるから、というような理由で、そのような報道になっていたのなら、立ち止まって考えるべきだろう。
有権者に投票を促すのは、選挙管理委員会だけの仕事ではない。情報伝達をし、関心を持たせるのがメディアの仕事ではないだろうか。
 今回の選挙で問うべきだったのは、「人が生まれてきた以上誰でも持っている、生きる権利」だったと思っている。2021年は異常な年だった。世界中を新型コロナウイルスが席捲(せっけん)し、人々が苦しむ中、オリンピック・パラリンピックが開催された。
選挙戦の中、オリパラの総括を問うことはほとんどなく、たった2ケ月、3ケ月前のことなのに、みな忘れたように静かだった。一日に2万人もの新規感染者を出す中で強行されたことを問わないのは理解できない。巨額の費用も問題にされた。コロナ禍の中で、職を失い、家を失った人がおおぜいいた。入院できず、たらいまわしにされて亡くなった方もあった。
救える命が救われない恐怖に、多くの人が震えた。まさに、基本的人権の生存権が脅かされる事態が表出した。3月には、スリランカ人女性が入管施設で医療につないでもらえずに亡くなった。この国では、外国人には人権がないのかと、愕然(がくぜん)とした。
 この選挙は、長く続く自公政権への評価を行うものでもあったはずだ。行政文書の破棄や改ざん、黒塗りによる開示拒否など、民主主義がないがしろにされるのを見てきた。
なにより、政権与党は臨時国会の召集を求められても応じなかったのだ。選挙だけではない、この国では、政治そのものが大切にされていないと感じる。仕事をしない政治家に政権をあずけるのかを問う選挙だった。結果を見て、暗澹(あんたん)たる気持ちになっている。
 ともかく、人権の軽視、民主主義の破壊は止めなくてはならない。わたしが微(かす)かな希望と感じたのは、選挙戦の間、多くの非政府組織、非営利団体が、その社会活動に関連する政策に関してのアンケートを、政党や候補者に送って回答を得、投票の参考のために公表していたこと、ネットメディアが独自の番組を制作して有権者に情報を届けていたことだ。草の根の市民の活動が議席獲得につながったいくつかの選挙戦にも、これからの政治を考えるヒントがありそうだ。
 悲観している余裕はない。私たちは、自分たちの基本的な権利をもっと大切にしなければならないし、そのための努力を、今日、この日から始めなければならないと思う。
     ◇
なかじま・きょうこ 1964年生まれ。『小さいおうち』で直木賞。『かたづの!』で柴田錬三郎賞など。『夢見る帝国図書館』で紫式部文学賞。最新刊に『やさしい猫』。

 
「仕事をしない政治家に政権をあずけるのかを問う選挙」という観点から見れば自民党の長老や現職幹事長、そして派閥の領袖である政治屋連中が厳しい審判を受けたという事実は見逃せない、とオジサンは思う。 

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