新・定年オジサンのつぶやき

残された日々をこの世の矛盾に対して勝手につぶやきます。
孫たちの将来に禍根を残さないよう、よき日本を「取り戻したい」。

最低最悪の1954年生まれとは誰?

2019年05月04日 12時31分07秒 | 安倍晋三

オジサンは現役時代、職場がある地域の護憲団体に誘われて初めて5月3日の憲法集会に参加したのが2005年であった。
 
当時は日比谷公会堂で行われ多数の参加者が来ていたが、収容人員に限りがありせいぜい数千人程度であった記憶がある。
 
しばらくは公会堂で行われていたが、改修工事の計画が明らかになり、2015年は横浜みなとみらい臨港パークで3万人を集めて開かれた。
 
その後、毎年参加者は増え続けた。(全て主催者発表)
 
■2016年:50000人
■2017年: 55000人
■2018年:60000人
■2019年:65000人

大阪でも東京でも多くの参加者があった。


憲法改正に反対し気勢を上げる参加者たち=大阪市北区で2019年5月3日午後2時52分、幾島健太郎撮影 


「平和と命と人権を! 5.3憲法集会」に参加した大勢の人たち=東京都江東区で2019年5月3日午後1時14分、長谷川直亮撮影
                       【毎日新聞より】

    

やはり国会における改憲派議員数が衆参両院で3人の2を超えたことによる危機感の表れが、今年の65000人になった。
 
過去13年間は毎年年欠かさず参加していたが、今年は持病の左足首と腰の痛みが悪化し参加を初めて見送ってしまった。      
せめて参加した人のレポートをと探して、ジャーナリストの岩垂弘氏が「ちきゅう座」に投稿した内容を転載する。
 
ただし一部、オジサンが写真や動画を挿入したが、全体の内容には全く影響ないことをあらかじめ断っておく。  
 
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<「改憲を急ぐ安倍政権を打倒しよう」 - 東京の憲法集会にこれまで最高の65、000人 ->
 2019年 5月4日 ちきゅう座
 「改憲を急ぐ安倍政権を打倒しよう」。憲法記念日の5月3日(祝日)、東京・江東区有明の東京臨海広域防災公園で、「平和といのちと人権を!―許すな!安倍改憲発議―5・3憲法集会」が開かれた。護憲関係団体が憲法記念日に統一して開く恒例の集会で、今年で5回目だったが、主催者発表で6万5000人が集まった。前年より5000人多く、これまでで最も参加者数の多い集会となった。2020年に新憲法施行を目指す安倍政権の改憲作業が、市民の間に危機感をもたらし、それがこの日の盛り上がりにつながったようだ。 
      
                 【東京新聞より】 
 
 集会を主催したのは「平和といのちと人権を!5・3憲法集会実行委員会」。実行委を構成するのは、戦争をさせない1000人委員会、憲法9条を壊すな!実行委員会、戦争する国づくりストップ!憲法をまもり・いかす共同センター、九条の会などだ。 集会は午後1時から始まったが、開会前から、りんかい線国際展示場駅、ゆりかもめ有明駅から降りてきたおびただしい人たちが会場につめかけた。海から吹きつける風に、林立する色鮮やかな組合旗や団体旗、のぼりがはためいた。
旗やのぼりから見て、労組、脱原発団体、護憲団体、宗教団体、女性団体などからの参加者と分かった。何も持たず、ゼッケンも着けない、いわゆる一般市民とみられる人たちも多かった。1人でやってきた人も少なくなかった。
 主催者を代表して開会あいさつをした実行委員会の高田健さんは「安倍政権は昨年の臨時国会での改憲発議を図ったが、できなかった。私たちの運動の成果だ。安倍政権は今の通常国会で発議をやろうとしているが、国会会期はあとわずかだから無理だろう。そこで、夏の参院選挙において改憲派で3分の2を獲得し、秋の臨時国会で改憲発議にこぎつけようとしている」と述べ、「参院選挙では、何としても護憲派を3分の1以上にしなくてはならない。そのためにも、32の1人区で野党統一候補を当選させなくては。市民が野党に働きかけ、野党統一候補をなんとしても実現させよう」と呼びかけた。
 メインスピーカーとして登壇した音楽評論家の湯川れい子さんは「音楽のあるところに戦争はない。対立のあるところに戦争がある。だから、大いに音楽を楽しみましょう」「私たちが生きている世界では、人間が人間を殺す。が、動物は同種の動物を殺さない。人間が人間を殺すなんてまことに恥ずかしい行為。で、人間として人間を殺さないと宣言したのが日本国憲法第9条です。9条は日本の宝、世界の宝です。憲法を守るために残りの人生を賭けたい」と話した。
 続いて登壇した「辺野古」県民投票の会代表の元山仁士郎さんは「米軍基地の辺野古移設についての県民投票で沖縄県民の民意は明らかになった。なのに、政府は建設工事を強行している。日本国憲法は民主主義を保障している。でも、沖縄ではその憲法が守られていない。こんなことがあっていいのか。本土の人も、この問題では自分が問われている、と気付いてほしい」
沖縄の米軍・辺野古基地の建設に反対するプラカードも目についた
 「政党からのあいさつ」では、立憲民主、国民民主、共産、社民の4党党首が登壇した。そして、口々に「自民党は改憲項目に4点をあげているが、狙いは9条の改定だ」「安倍首相は、9条に自衛隊を明記してもこれまでと何ら変わることがないと言っているが、これはとんでもないウソ。安倍政権はすでに、憲法上疑義がある集団的自衛権行使の容認を閣議決定し、これを安保関連法という形で法制化したが、自衛隊を9条に明記することで、集団的自衛権行使を憲法上でも認めさせようとしているのだ。そうなれば、自衛隊は堂々と海外に出てゆき、外国の軍隊と共に戦うことになるだろう。まことに危険極まる改定だから、だまされてはいけない」「憲法には、内閣という文字はあるが、厚労省とか国交省とかいった省庁の文字はない。自衛隊が9条に明記されるとなると、自衛隊が省庁の上に立つことになる」などと演説し、改憲阻止のために全力を上げると決意を表明した。
 

            【立憲民主党・枝野幸男代表】 
 

      【安倍改憲許さず憲法いきる政治を・共産党志位和夫委員長】
 
 登壇者の1人が「この集会のキャッチコピーは『いま、変えるべきは、憲法でしょうか?』ですね。これをこう変えたらどうでしょう、『いま、代えるべきは安倍さんですね』と」と叫ぶと、会場から拍手がわき起こった。

 そういえば、この日は、集会会場にこれまでになく「安倍政権退陣」「安倍内閣打倒」の文字や言葉がはんらんしていたように思われた。
 集会後、参加者は2コースに分かれてデモ行進した。
 
 
             【これは豊洲コース】 

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5月3日には、護憲派だけではなく改憲派も都内で集会を毎年開いているが、護憲派の集会規模には程遠い。
 
それでも産経新聞は積極的に、「首相ビデオメッセージ全文『2020年に新憲法の気持ちに変わりない』」と改憲オタクの安倍晋三を前面に押し出していた。
 
さらに、「改憲派発言・護憲派発言」では、改憲派として櫻井よしこと自民党の下村博文の発言を掲載していたが、同様に護憲派の声も掲載していた。
 
共産・志位氏『安倍首相に憲法を語る資格などない』
 
立民・枝野氏『日本の立憲民主主義は大変な危機にある』
 
社民・又市党首『偽装、ねつ造、安倍晋三』」 
 
護憲派集会で湯川れい子氏『9条に自衛隊書き込むインチキ許すな』」   
 
しかし、1か月ほど前に「復興より議員大事」と発言して更迭された桜田義孝五輪相を彷彿させるかのように、あろうことか憲法集会で「国民・玉木氏『憲法より地位協定の改定が先だ』」と、発言し、さらに「『令和』って言うな」国民・玉木代表に聴衆が発言」と醜態を演じてしまった国民民主党の存在が目障りになってしまった。  
 
同産経新聞では、元NHKプロデューサーで武蔵大教授の永田浩三氏がマイクを握り、安倍晋三首相と同じ1954年生まれであることを明かした上で、「大事な憲法をいじるのはやめておとなしく身を引きなさい」などと強調した演説を掲載していた。 
 
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<元NHK・永田浩三氏「安倍君、憲法をいじるのはやめろ」>
 2019.5.3 18:3 産経新聞
 「皆さん、こんにちは。32年間、NHKでプロデューサー、ディレクターをしていました。今は大学の教員として若者とともにドキュメンタリーを作ったりしています。今日は、総理の仕事をしている安倍晋三君について話したいと思います。知らない人は、あの嘘つきといえば思い出されるかもしれません」
 「私と安倍君は同じ1954年生まれです。同じ学年には(共産党委員長の)志位和夫君、(元文部科学事務次官の)前川喜平君、ドイツの首相、メルケルさんがいます。安倍君は福島原発事故の後、すぐに原発をやめると決めたメルケルさんとは相性が良くないみたいですし、加計学園の獣医学部を作るのが、いかに無理筋だったかを証拠立てて語る前川君が苦手なようです。あと志位和夫君も苦手みたいです」
 「私たち1954年生まれは、皆、戦後民主主義教育の申し子です。日本国憲法の3つの柱、『国民主権』『基本的人権の尊重』『平和主義』がどれほど大事なのか、小学校や中学校でしっかり学んだんです。先生たちも熱心でした」
 「小学校4年生のとき、東京五輪がありました。オリンピックは参加することにこそ意義がある。日の丸が上がるかどうかは関係ない。優れた競技やすごい記録に拍手を送るんだ。アベベ、チャフラフスカ、ショランダー…。柔道(無差別級)で神永(昭夫)が(オランダの)ヘーシンクに負けたときも、ショックはなくて、ヘーシンクに私は拍手を送りました」
 「『日本を、取り戻す。』『がんばれ! ニッポン!』。その旗を振る安倍君、少し了見が狭すぎませんか」
 「大学を卒業し、安倍君はサラリーマンを経て、政治家になり、私はNHKのディレクターになりました。ある時、思いがけない接点ができました。2001年のことです。私は、日本軍の慰安婦として被害に遭った女性たちを扱ったNHKの番組の編集長でした。一方、その時、安倍君は内閣官房副長官。君は放送の直前にNHK幹部たちにちょっかいを出し、番組が劇的に変わってしまいました。永田町でどんなやりとりがあったのか。その後、朝日新聞の取材で輪郭が明らかになっています」 「私は抵抗しましたが、敗れました。体験したことを世の中に語ることができず、孤立し、長い間、沈黙を続けました。悔しく、また恥ずかしいことです。あのとき君はそれなりの権力者でした。放送前に番組を変えさせるなんて、憲法21条の言論の自由、検閲の禁止を犯すことになり、そのことが世の中にさらされれば、君は今のような総理大臣になっていなかったことでしょう」
 「今、官邸記者会見で、東京新聞の望月衣塑子記者が菅(義偉)官房長官からさまざまな圧力を受け、質問が十分にできない中、それでも、われわれの知る権利の代行者であろうと必死で頑張っています。私には人ごととは思えません。でも、私と大きく違うのは、望月さん自身が勇気を出してSNSや集会で状況を発信し、市民とともに事態を共有することで、ジャーナリストを含めた連帯の輪が広がっていることです。市民とジャーナリストの連帯、メディアを市民の手に取り戻す。希望の光がわずかに見える思いです」
 「安倍君の話に戻ります。君が以前アメリカを訪問したとき、キャロルキングの『You’ve Got a Friend』という曲が好きだと言いましたね。『どんなに苦しいときでも友達でいようよ』。僕も大好きですし、その感覚はわかります。でも、残念だけど、君とトランプ米大統領は友達なんかじゃない。欠陥だらけの高額な兵器を買わされるカモにされているだけです。君には戦争の中で傷ついた人、声を上げられない弱い人を思いやる気持ちが欠けています。君の『You’ve Got a Friend』は友達にえこひいきをし、国の仕組みを私物化することです。それは友情ではない!」
 「友情とはもっと気高く素晴らしいものです。君は実力以上に大事にされました。これ以上、何を望むことがあるでしょうか。同い年、同じ学年として忠告します。『これ以上、日本社会を壊すことはやめなさい! これ以上、沖縄をいじめるのはやめなさい! 大事な憲法をいじるのはやめておとなしく身を引きなさい!」
 「歴史から学ぶことが嫌いで、不得意の安倍君、戦争の道を断じて進んではなりません。30年前にベルリンの壁が壊れたとき、私は東欧各地の取材をしていました。そのとき、人々が何より大事だと考えたのは、言論の自由と連帯、そして多様性です。憲法21条に明記された言論・表現の自由、一方、放送法第1条には『放送は健全な民主主義に資すること』とあります。健全な民主主義というのは少数者の意見を大事にし、多様性を認め、不埒な政府の横暴にあらがい、連帯することです」
 「今日は5月3日、32年前、朝日新聞阪神支局で小尻知博記者が銃弾に倒れました。言論の自由が脅かされる社会なんてあってはなりません。ここにお集まりの皆さんが思っておられるのは多分、こうだと思います。リセットすべきなのは、元号ではなく、今の政権なのだと」
 「『All governments  lie』 今の政権は嘘をつく、今の政権は嘘をついているのです。嘘にまみれた安倍政権こそ終わりにすべきです。心あるジャーナリストとの連帯で、安倍政権を今年中に終わりにさせましょう。ありがとうございました」
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1954年生まれの安倍晋三と志位和夫は、1960年安保の時には対照的な立場にあったことは良く知られている。
 
志位和夫のプロフィール」には本人がこう述懐している。  
 
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父の肩車にのって安保闘争
 私の初めての「政治体験」の記憶をたどると、幼稚園児だった時、1959年から60年にかけての日米安保条約改定反対の大きなたたかいがおこるなか、千葉市でおこなわれた安保反対のデモ行進に「参加」したことでしょうか。「参加」したといっても小さな私が大勢のなかを歩くのは危ないと考えたのか、父の肩車の上でした。当時の安保闘争の緊迫した熱気ある情景がはっきり思い起こされます。おそらく、5歳から6歳のころのことだと思います。
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その頃安倍晋三は首相官邸で、国会周辺を取囲むデモ隊の騒ぎの最中に、祖父のA級戦犯の岸信介の膝の上で無邪気に「アンポハンタイ」と叫んでいたという。
 
          
 
同じ1954年生まれでも、永田浩三が引き合いに出した人たちの中では最低の人間であったということであろう、とオジサンは思う。  
 
    


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