新・定年オジサンのつぶやき

残された日々をこの世の矛盾に対して勝手につぶやきます。
孫たちの将来に禍根を残さないよう、よき日本を「取り戻したい」。

後手に回り放しの菅義偉に贈る言葉

2021年03月21日 11時44分59秒 | 菅義偉

昨夜6時からのテレビ番組を見ていたら、突然緊急ニュースのテロップとともに宮城県で最大震度5強の地震が発生した画面に切り替わった。
 
NHKを始め一部の局を除いてすべての番組が中断され、現地からの中継映像となった。
 
2月13日にも福島県で震度6強の地震が発生したばかりなので、もはや2011年3月11日の「余震」とは思えないが、「続震」というべきかもしれない。
 
しかし、なぜか日本のリーダーはこんな災害には興味がないようである。
 
首相、地震の時は散髪でホテルに 官邸入りせず帰宅


 
こんな菅義偉に対して、思想家の内田樹が「後手に回る」人間と評していた。
 
・・・。「一転して」ということが菅政権では頻発している。最初は強気で乗り切るつもりでいたものが、世論の批判が収まらずに、ずるずると押し切られて前言撤回というのは、GoToキャンペーン、懲役・刑事罰を盛り込んだ特措法案、今回の山田氏の人事と連続している。政権基盤が脆弱であるという説明記事を見るが、それは因果関係が逆のような気がする。むしろ菅政権が本質的に「後手に回る」体質なので、政権基盤が削り取られているのではないか。

そして一般論としてこう分析していた。
人間は運がいいときには「先手を取り」、運がわるくなると「後手に回る」というものではない。「後手に回る」人間は必ず後手に回る。それは一つの器質なのである。というのは、まず「問い」があり、次にそれに対して適切な「答え」をするという先後の枠組みでものごとをとらえる
 習慣そのものが「後手に回る」ことだからである。
 私たちは子どもの頃から「後手に回る」訓練をずっとされ続けている。「教師の出した問いに正解する」というスキームそのものが実は「後手に回る」ことを制度的に子どもたちに強いているものだからである。教師の出す問いに正解すれば報酬をがあり、誤答すると処罰されるという形式で状況に処することに慣れ切った子どもたちは、そのようにして「構造的に後手に回る人間」へと自己形成する。それは会社に入った後も変わらない。仕事というのは、すべて上司から「課題」や「タスク」を出された後に、それに適切な「回答」をなすという形式でなされるものだと信じているサラリーマンたちは全員が「後手に回る」人である。

さらに、「統治者に求められるもの」として、こう言っていた。
なぜ日本社会ではこれほど念入りに「後手に回る」訓練を国民に強いるのか? 難しい話ではない。権力者に頤使(いし)されることに心理的抵抗を感じない人材を育成するためである。「問いと答え」というスキームにすっぽり収まって生きていると「問いを出す上位者」と「答えを求められる下位者」の間で非対称的な権力関係が日々再生産されているということに気づかない。記者会見で、記者からの質問に答えず、自分の方から(記者が絶対に答えを知らないようなトリヴィアルな)質問を向けて、記者を追い詰めることを得意としている政治家がいた(いまもいる)。彼らは直感的に「質問するものが先手を取り、正解を考える立場に追いやられた者が後手に回る」ということ、そして、いったん後手に回った者には勝ち目がないことを知っているのである。
 たしかに相手をやり込めるにはうまいやり方だが、そんな姑息な技術に熟達しても一国のリーダーにはなれない。リーダーに求められているのは記者や野党議員を相手にマウントをとってみせることではない。状況の「先手を取る」ことである。
 適切な感染症対策をてきぱきと講じて、感染拡大を未然に防ぎ、権力者に阿諛追従(あゆついしょう)する官僚ではなく、諫言することをいとわない有能な官僚を重用していれば「こんなこと」は起きていなかった。
 「起きなくてもいい問題」は起こさない。それが統治者において「先手を取る」ということである。そのことに気づかない限り、首相は最後まで「後手に回り」続ける他ないだろう

 
余談だが、「記者を追い詰めることを得意としている政治家」として今も生き残っている輩はコイツしかいないかもしれない。
 
 
「アクセルとブレーキ」を同時に踏むとか、消火作業でホースの先からガソリンを放出したと揶揄された「愚策」により感染者を拡大させながら、「新型コロナウイルスに打ち勝った証しとして完全な形で開催する」という安倍晋三の「遺言」を忠実に守り、五輪景気で政権浮上を狙ったはいいが、五輪突入となれば神をも畏れぬ蛮行だが、その“たたり"は既に表れている。
 
土壇場で組織委員会の森会長が女性蔑視発言で辞めたかと思えば、今度は開閉会式の演出責任者の佐々木宏クリエーティブディレクターが容姿侮蔑アイデアがバレて、辞任に追い込まれた。
 
人権後進国として世界に恥をさらし続ける「呪われた五輪」でも、菅義偉はお構いなし。
 
今週の25日から聖火リレーを予定通り始めるための宣言解除としか思えないが、その狙いもやはり「支持率回復」と「政権維持」であろう。

そしてついに「東京五輪の海外観客受け入れを断念、チケットは払い戻し IOCなど5者協議で決定」となり、新型コロナウイルスに打ち負けて完全な形で開催することが不可能になったので、常識的に考えても五輪は中止しかないであろう。

最後に、「週のはじめに考える 自然の略奪から脱して」と題した東京新聞の社説を紹介しておく。
 

卵を多く産むメンドリを繁殖に回したら、産卵率は上がるでしょうか?−。何とはなしに上昇しそうな気がします。
 1990年代に米国パデュー大学のウィリアム・ミューア教授が行った研究です。
 でも予想に反し、後続世代は卵を少ししか産まなくなりました。5世代目になると、檻(おり)の中に9羽いたメンドリのうち6羽は殺されま した。残りの3羽もお互いの羽根をむしり合う凶暴ぶりでした。
 最多の卵を産むメンドリは、他のメンドリを攻撃して地位を保っていました。その攻撃性が世代間でバトンタッチされた結果なのだそうです。
◆「いびつ」が落とし穴
 人為的にいびつなことをすれば、思わぬ落とし穴がある−進化生物学者デイヴィッド・ウィルソン教授の「社会はどう進化するのか」(亜紀書房)の記述から、そう感じました。いびつなことは地球規模で蔓延(まんえん)しています。
 例えば電気自動車に使われるリチウムイオン電池にはリチウムが必要です。南米チリが最大産出国ですが、リチウムを含んだ地下水を大量にくみ上げ、蒸発させることで採取しています。
 でも結果的にフラミンゴの個体数が減少するなど生態系ばかりか、人々の飲み水にも影響を与えているそうです。
 この電池にはコバルトもやはり不可欠ですが、アフリカのコンゴ民主共和国で採掘されます。大規模な採掘で水質汚染など環境破壊を引き起こしているばかりでなく、奴隷労働や児童労働がのさばる結果も招いているそうです。
 つまり環境対策のための電気自動車なのに、電池の原料を得るために環境を破壊するという「いびつ」さです。
 これらの事実は、大阪市立大の斎藤幸平准教授が著した「人新世(ひとしんせい)の『資本論』」(集英社新書)に教えられました。
◆注目を浴びる「資本論」
 同じような「いびつ」な出来事は、探せば地球全体にありそうです。ウィルソン氏の著書は、進化論から社会変化の適応を考察していますが、メンドリのエピソードからは経済を動かす効率性の信奉にふと疑問を抱かせます。
 斎藤氏の著書は、ずばり資本主義システムそのものに疑問を抱かせます。地球は有限なのに、際限なく富を求め続ける資本主義は持続可能なのかと…。
 月刊「文芸春秋」の4月号には「マルクス『資本論』が人類を救う」の見出しがあります。1月にNHKの番組「100分de名著」でも「資本論」が取り上げられました。ともに斎藤氏が語っています。まるで社会現象です。
 実は19世紀の思想家カール・マルクスが残したノートなどから、晩年には地質学や植物学、化学、鉱物学など自然科学を猛勉強していたことが近年、分かってきました。埋もれていたエコロジカルな資本主義批判が今、スポットライトを浴びているのです。
 「資本主義の暴走のせいで、私たちの生活も地球環境も、めちゃくちゃになっている」
 斎藤氏がNHKのテキストに記した言葉です。確かに温室効果ガスによる地球温暖化は、産業活動が引き金です。それに伴う熱波や集中豪雨、巨大台風が先進国をも苦しめています。
 森林破壊は土壌や河川の汚染、山火事まで引き起こします。生物多様性も失われます。不具合が連鎖的に地球上で起きているのです。
 「私的所有と利潤追求のシステムでは、地球環境を持続可能な形で管理することが著しく困難になっているからです」(斎藤氏)
 晩年のマルクスは自然の持続可能性と、人間社会の平等の連関に気づいたのだそうです。富が偏在すれば権力関係が生まれ、それを利用した人間が自然の略奪を行うからだと−。十九世紀からの驚くべき予言に聞こえます。
 環境問題でなくとも、人を豊かにするはずの経済理論が1%の富裕層と99%の庶民に切り分けることを知っています。もはや貧困は多くの人に切実な問題です。
 人間も生物であるなら、進化の過程にあるでしょう。でも、本当に英知を持つ生物ならば、社会進化のあり方も考えられるはずです。どんなシステムなら将来もわれわれに生存を許すのかと…。
◆凶暴なメンドリには
 少なくとも自然を略奪し、地球を食い尽くすような不道徳にはもはや手を染めたくないはずです。自分で自分の首を絞めるようなものですから。同時に途上国にツケを回すようなやり方も人道的でありません。
 環境破壊が進み、地球レベルで食料危機、水不足が進んだとき…。あたかも凶暴なメンドリのように、殺し合う人類へと進化してはたまりませんから。
 
 
示唆に富んだ内容である。
 
是非とも菅義偉にじっくりと読んでもらいたいものである、とオジサンは思う。   
 
 

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