6月18日(水)の韓国KBS1ラジオの夜番組「シン・ソンウォンの文化読み(신성원의 문화읽기)」に関連して、「かもめ食堂」関係の記事を直前にupしましたが、実はコチラの記事の前置きとして書いてたのが長くなりすぎて別記事にしたものです。
この番組は、毎週水曜日は「詩がある水曜日(시가 있는 수요일)」というコーナーがあって、文学評論家・慶煕大学校のキム・スイ(金壽伊)教授(女性)がさまざまな詩人の詩を朗読して紹介するというものです。
6月18日(水)は、チェ・スンジャ(崔勝子.최승자)の詩集「쓸쓸해서 머나먼」をとりあげていました。
チェ・スンジャといえば、つい先日の6月14日の記事で申京淑さんの新作「どこかで私を呼ぶ電話のベルが鳴って(어디선가 나를 찾는 전화벨이 울리고)」を紹介した際、その長い題はチェ・スンジャさんの詩句を少し変えてつけた、ということを書いたばかりです。
しかし、それは後で気づいたことで、ラジオを聴いていて私ヌルボが耳をそばだてたのは、キム・スイさんの朗読する詩の韻律。ところどころ聞きとれる詩句と相俟って、引き込まれたんですよ。
その詩のタイトルは「시간이 사각사각」。少し長い詩ですが、全文は次の通りです。ぜひ音読してみてください。
시간이 사각사각 / 최승자
한 아름다운 결정체로서의
시간들이 있었습니다
사각사각 아름다운 설탕의 시간들
사각사각 아름다운 눈[雪]의 시간들
한 불안한 결정체로서의
시간들도 있었습니다
사각사각 바스러지는 시간들
사각사각 무너지는 시간들
사각사각 시간이 지나갑니다
시간의 마술사는 깃발을 휘두르지 않습니다
사회가 휙,
역사가 휙,
문명이 휙,
시간의 마술사가 사각사각 지나갑니다
아하 사실은
(통시성의 하늘 아래서
공시성인 인류의 집단 무의식 속에서
시간이 바스락거리는 소리입니다)
시간이 사각사각
시간이 아삭아삭
시간이 바삭바삭
아하 기실은
사회가 휙,
역사가 휙,
문명이 휙,
시간의 마술사가 사각사각 지나갑니다
「シガニ サガクサガク」(時間がカサッ、カサッ)という繰り返しが印象的です。
後の部分では、
「シガニ サガクサガク/シガニ アサクアサク/シガニ パサクパサク」
(時間がカサッ、カサッ/時間がサクッ、サクッ/時間がパサッ、パサッ)
という3行もあります。
擬音語では、「휙」も繰り返されています。
「サフェガ フィク/ヨクサガ フィク/ムンミョンイ フィク」
(社会がヒュッ/歴史がヒュッ/文明がヒュッ)
キム・スイさんの詩の朗読は、意味がよくわからなくても十分に魅力的です。
「읊다」というのでしょうね。日本語だと読むのではなく、「詠ずる」・「吟ずる」。
日本の詩人でヌルボが好きな室生犀星、堀口大學、三好達治、谷川俊太郎、近代詩人のハシリといってよさそうな蕪村の「北寿老仙を悼む」等々、詩想の違いはあっても、心に残る詩は皆韻律の魅力を共通して持っていると思います。
韓国・朝鮮の近代詩人では(そんなに知っているわけでもないですが)、韓国人の人気№1の詩人金素月の「オンマやヌナや」や「招魂」など、音の流れひとつとっても直接心に響く感じです。
チェ・スンジャさんの詩の韻律は、日本の浪漫派のようにそのリズムに酔っている感じではなくて、逆に冷めた目で世の中を見つめる、知的で、少し虚無的な雰囲気を感じさせます。
(韻律が特徴的で虚無的といえば、中原中也を思い出しますが、彼の場合は少し酔ってるというか、拗ねてるというか・・・)
以下、YES24のサイトにあった彼女の略歴をさらに抜き書きします。
詩人チェ・スンジャは、<激動の80年代>に青春時代を送った人たちにとってひとつの熱い象徴であり、凄絶な憤怒であり、致命的な中毒だった。事物と生、時代と事件を身体の言語に置き換え、解析する彼女のはばかりない意識の根は自己否定と自己嫌悪として表出された。そして詩人としてはまれな大衆的人気を受け、パク・ノヘ、ファン・ジウ、イ・ソンボク等とともに詩の時代80年代が輩出したスター詩人とされた。2001年以降闘病生活を送り、詩作は一時中断していたが、この4月、上記の詩が収録されている詩集「쓸쓸해서 머나먼(物悲しくて、遥かに遠く)」を11年ぶりに刊行した。
・・・この日の番組では、他に「내 詩는 지금 이사 가고 있는 중(私の詩は今引越し中)」という、とても意味シンな詩も紹介していました。
たまたまこのような詩人について知る機会を得て、幸運でした。
(申京淑さんが彼女の詩から小説のタイトルを考えたのも、うなずけるような気がします。)