今年4月に亡くなった在日の歴史学者・李進熙は自伝「海峡」(青丘文化社.2000)で、「私の生涯において、最大の転機は八一年だった」と記しています。
その年、彼は「季刊 三千里」を創刊(1975年)した仲間の金達寿から声をかけられ、歴史学者・姜在彦、三千里社主の徐彩源とともに韓国を訪れます。
「海峡」によると、上記の4人が81年1月に集まった酒の席で「金大中の無期への減刑」が話題となり、さらに前年(1980年)の光州事件で首謀者とされる3人の死刑囚のことに話が移る中で、金達寿が突然「どうだろう、韓国に行って、5人の在日朝鮮人死刑囚の減刑を要求しては・・・」と提案したのがきっかけとなったとのことです。
「海峡」にはあまり詳しくは書かれていませんが、金達寿「故国まで」や金石範「故国行」などを読むと、彼らの韓国訪問が在日人士の間で大きな議論と対立を招いたことがわかります。
ここでいう在日人士とは、韓国の軍事政権とその非民主的な体制を批判するとともに、60年前後から70年頃にかけて朝鮮総聯から抜けた左翼的な作家や学者たちで、国籍も朝鮮籍のままだった人たちです。
そのような、大きく括れば同志ともいうべき人たちの間で議論の焦点となったのは、訪韓が韓国側の、とくに光州事件を弾圧した全斗煥の軍事政権の宣伝に乗じることになってしまうのではないか、ということでした。
とくに金石範の批判は厳しく、結局その後「季刊 三千里」の編集同人から離脱します。
・・・このような在日作家の訪韓や、国籍をめぐる問題も興味深いテーマですが、それはひとまず措いといて(これだけ書いたのに・・・)、今回は上記の5人の死刑囚について、いや、その中の1人について取り上げます。
「海峡」で李進熙は、「陳斗鉉、崔哲教ら五人で、そのなかの陳斗鉉は学生時代からよく知っている間柄だった」と記しています。つまり彼が知っていたのは、陳斗鉉だけだったようです。
さらに、翌1982年3月2日のこととして、「死刑確定者の5人が無期に減刑された。陳斗鉉、崔哲教、姜宇奎、康宗憲、白玉光の5人。その後彼らは釈放され、日本にいる家族のもとへ帰っている」と5人全員の名が記されています。
彼ら5人が、どのような事件で死刑を宣告されたのかは全然説明がありません。金達寿等の本でも同様です。
私ヌルボ、この「海峡」という本を読んだのがこの5月。そしてこの5人の名前を見て、心の中で「あっ」と叫びました。
この康宗憲(강종헌.カン・ジョンホン)と言えば、今話題のあの人物ではないか・・・!
まあ、今話題の、と言ってもごく一部でしょうけど・・・。
つまり、手っ取り早く言えば・・・
①今年(2012年)から在日韓国人にも韓国の総選挙の参政権が認められて、さっそくその在日最初の候補者として、康宗憲氏が統合進歩党から比例代表順位18位にリストアップされ、立候補したのです。(統合進歩党は、民主統合党に次ぐ野党第2党。議会内で最左翼の政党です。)
②4月11日の選挙の結果、統合進歩党は、選挙前を6議席上回る13議席を獲得しましたが、順位18位の康宗憲氏は当選にとどきませんでした。
③ところがその後、比例代表候補党内予備選での代理投票等の不正疑惑が問題化して統合進歩党内は大紛糾。康宗憲氏はもしかして繰り上げ当選もあるか、とも言われました。(そうはならなかったが。)
・・・ということで、関心の高さはどれくらいだったかはよくわかりませんが、在日社会の間では今春の話題となった人物が康宗憲氏で、そんなわけで私ヌルボ、「海峡」で彼の名前に出くわして、「あー、こういうふうに彼らの人生が交錯していたのか」とちょっとした感懐に耽ったのでした。
もし金達寿が彼らの減刑請願を発案していなかったら、康宗憲氏等5人はその後処刑されていたかも・・・。(もっとも、請願に関係なく、彼らはどっちみち減刑されるだろう、との観測もあったようですが・・・。ここらへんはよくわかりません。)
康宗憲氏の今回の立候補については、3月の共同通信の記事(→コチラ)で「4月の韓国総選挙で、在日韓国人2世の早稲田大客員教授、康宗憲さん(60)=京都市在住=が、左派系の統合進歩党の比例代表候補として出馬することが19日までの同党代議員投票の結果確実になった」と報じています。
また「在日に対する本国の無関心を改めさせる」と語っているとのことなので、この記事を読んだ日本人読者は「在日韓国人の人たちはこぞって彼を支援するのだろう」と思ったのではないでしょうか? そして民団も組織的に応援するのかな、とも。
ところがところが・・・。
韓国ではその後、上記③の統合進歩党内の不正選挙に関連して、党内主流派=<従北勢力>すなわち親北朝鮮どころか北朝鮮に従属しているとの批判・非難が、主に保守言論を中心に高まり、また国会内でもこの言葉がセヌリ党による野党攻撃のために用いられることとなりました。
※この<従北>という言葉については、7月6日の林秀卿(イム・スギョン)についての記事でもふれました。
そのような中で、民団の機関紙「民団新聞」は、5月23日付で「「金日成主義者」が国会に!?…韓統連系の康宗憲統合進歩党比例代表候補」という記事を掲載し、「康氏は・・・民団などがセヌリ党に集票すべく広範囲な不正選挙を組織した、とのデマを記者会見で公然と流した」等々、彼を非難しました。
また民団系の「統一日報」も、5月9日の記事「転向していないスパイ康宗憲を国会議員候補に公認した統合進歩党!」で康宗憲氏の過去の行跡、とくに北朝鮮との関係を詳細に記し、厳しく非難しています。
一方康氏の側も、彼が顧問となっているNPO法人三千里鐵道の理事長・都相太氏が、上述のような民団新聞報道に対して5月28日公開質問状を発しました。(→コチラ参照。) (「民団新聞」の回答はなかったようです。)
このように、韓国内の左右対立の構図が、康宗憲氏をめぐって日本でも繰り広げられているんだなあ、というのが傍観者的感想なんですが、その後の「統一日報」の記事(→コチラや、→コチラ)によると、彼は「死刑台から教壇へ 私が体験した韓国現代史」(角川学芸出版.2010)という自叙伝を出しているんですね。
政治的・思想的判断はひとまずおいといて、なんかおもしろそうではないですか・・・、って死刑宣告まで受けた人の体験記を「おもしろそう」と言うのも不謹慎な感じではありますが・・・。
ヌルボ行きつけの横浜市立中央図書館にはなかったものの、旭区の図書館にはあったので、さっそく借りてイッキ読みしました。
【かつては確定死刑囚、今は大学教員とは、たしかにドラマチックな人生です。】
・・・が、それからもう1ヵ月かー、うーむ。
たしかに興味深い内容でした。
ただ、やはり彼をどう評価し、どのように記事に書くか、というのが<従北>でも保守派でもない(と自分では思っている)ヌルボとしてはむずかしくて、ここに至った次第。
タイトルも苦心の末「康宗憲氏の数奇で幸福な人生」と・・・。よくわかんないでしょ。
続きはその自叙伝の中身について。(いつになるかな?)
[2016年2月1日の追記] 続きを書かないまま3年半も経ってしまいました。その後康宗憲氏の「北朝鮮スパイ」容疑については再審で無罪が確定しました。最近では、その「<冤罪事件>審理の裁判官らが今も要職にある」ことが進歩系の新聞「ハンギョレ」で報道されました。(→「産経新聞」の記事。) 彼が死刑に処せられなかったことについては私ヌルボも率直によかったと思っています。ただずっと気になっているのは、上記の彼の著書にはその冤罪事件の具体的内容、つまり北朝鮮に行ったことがあるのかないのかに関してなんら記述がないことです。あるいは朝鮮総聯との関係も具体的に記されていません。この点は徐勝・徐俊植両氏についても同様です。私ヌルボは全然嫌韓派ではなく人権尊重を旨としている者ですが、康宗憲氏や徐3兄弟諸氏は講演等では北朝鮮のことは語ることがあるのか疑問に思っています。
その年、彼は「季刊 三千里」を創刊(1975年)した仲間の金達寿から声をかけられ、歴史学者・姜在彦、三千里社主の徐彩源とともに韓国を訪れます。
「海峡」によると、上記の4人が81年1月に集まった酒の席で「金大中の無期への減刑」が話題となり、さらに前年(1980年)の光州事件で首謀者とされる3人の死刑囚のことに話が移る中で、金達寿が突然「どうだろう、韓国に行って、5人の在日朝鮮人死刑囚の減刑を要求しては・・・」と提案したのがきっかけとなったとのことです。
「海峡」にはあまり詳しくは書かれていませんが、金達寿「故国まで」や金石範「故国行」などを読むと、彼らの韓国訪問が在日人士の間で大きな議論と対立を招いたことがわかります。
ここでいう在日人士とは、韓国の軍事政権とその非民主的な体制を批判するとともに、60年前後から70年頃にかけて朝鮮総聯から抜けた左翼的な作家や学者たちで、国籍も朝鮮籍のままだった人たちです。
そのような、大きく括れば同志ともいうべき人たちの間で議論の焦点となったのは、訪韓が韓国側の、とくに光州事件を弾圧した全斗煥の軍事政権の宣伝に乗じることになってしまうのではないか、ということでした。
とくに金石範の批判は厳しく、結局その後「季刊 三千里」の編集同人から離脱します。
・・・このような在日作家の訪韓や、国籍をめぐる問題も興味深いテーマですが、それはひとまず措いといて(これだけ書いたのに・・・)、今回は上記の5人の死刑囚について、いや、その中の1人について取り上げます。
「海峡」で李進熙は、「陳斗鉉、崔哲教ら五人で、そのなかの陳斗鉉は学生時代からよく知っている間柄だった」と記しています。つまり彼が知っていたのは、陳斗鉉だけだったようです。
さらに、翌1982年3月2日のこととして、「死刑確定者の5人が無期に減刑された。陳斗鉉、崔哲教、姜宇奎、康宗憲、白玉光の5人。その後彼らは釈放され、日本にいる家族のもとへ帰っている」と5人全員の名が記されています。
彼ら5人が、どのような事件で死刑を宣告されたのかは全然説明がありません。金達寿等の本でも同様です。
私ヌルボ、この「海峡」という本を読んだのがこの5月。そしてこの5人の名前を見て、心の中で「あっ」と叫びました。
この康宗憲(강종헌.カン・ジョンホン)と言えば、今話題のあの人物ではないか・・・!
まあ、今話題の、と言ってもごく一部でしょうけど・・・。
つまり、手っ取り早く言えば・・・
①今年(2012年)から在日韓国人にも韓国の総選挙の参政権が認められて、さっそくその在日最初の候補者として、康宗憲氏が統合進歩党から比例代表順位18位にリストアップされ、立候補したのです。(統合進歩党は、民主統合党に次ぐ野党第2党。議会内で最左翼の政党です。)
②4月11日の選挙の結果、統合進歩党は、選挙前を6議席上回る13議席を獲得しましたが、順位18位の康宗憲氏は当選にとどきませんでした。
③ところがその後、比例代表候補党内予備選での代理投票等の不正疑惑が問題化して統合進歩党内は大紛糾。康宗憲氏はもしかして繰り上げ当選もあるか、とも言われました。(そうはならなかったが。)
・・・ということで、関心の高さはどれくらいだったかはよくわかりませんが、在日社会の間では今春の話題となった人物が康宗憲氏で、そんなわけで私ヌルボ、「海峡」で彼の名前に出くわして、「あー、こういうふうに彼らの人生が交錯していたのか」とちょっとした感懐に耽ったのでした。
もし金達寿が彼らの減刑請願を発案していなかったら、康宗憲氏等5人はその後処刑されていたかも・・・。(もっとも、請願に関係なく、彼らはどっちみち減刑されるだろう、との観測もあったようですが・・・。ここらへんはよくわかりません。)
康宗憲氏の今回の立候補については、3月の共同通信の記事(→コチラ)で「4月の韓国総選挙で、在日韓国人2世の早稲田大客員教授、康宗憲さん(60)=京都市在住=が、左派系の統合進歩党の比例代表候補として出馬することが19日までの同党代議員投票の結果確実になった」と報じています。
また「在日に対する本国の無関心を改めさせる」と語っているとのことなので、この記事を読んだ日本人読者は「在日韓国人の人たちはこぞって彼を支援するのだろう」と思ったのではないでしょうか? そして民団も組織的に応援するのかな、とも。
ところがところが・・・。
韓国ではその後、上記③の統合進歩党内の不正選挙に関連して、党内主流派=<従北勢力>すなわち親北朝鮮どころか北朝鮮に従属しているとの批判・非難が、主に保守言論を中心に高まり、また国会内でもこの言葉がセヌリ党による野党攻撃のために用いられることとなりました。
※この<従北>という言葉については、7月6日の林秀卿(イム・スギョン)についての記事でもふれました。
そのような中で、民団の機関紙「民団新聞」は、5月23日付で「「金日成主義者」が国会に!?…韓統連系の康宗憲統合進歩党比例代表候補」という記事を掲載し、「康氏は・・・民団などがセヌリ党に集票すべく広範囲な不正選挙を組織した、とのデマを記者会見で公然と流した」等々、彼を非難しました。
また民団系の「統一日報」も、5月9日の記事「転向していないスパイ康宗憲を国会議員候補に公認した統合進歩党!」で康宗憲氏の過去の行跡、とくに北朝鮮との関係を詳細に記し、厳しく非難しています。
一方康氏の側も、彼が顧問となっているNPO法人三千里鐵道の理事長・都相太氏が、上述のような民団新聞報道に対して5月28日公開質問状を発しました。(→コチラ参照。) (「民団新聞」の回答はなかったようです。)
このように、韓国内の左右対立の構図が、康宗憲氏をめぐって日本でも繰り広げられているんだなあ、というのが傍観者的感想なんですが、その後の「統一日報」の記事(→コチラや、→コチラ)によると、彼は「死刑台から教壇へ 私が体験した韓国現代史」(角川学芸出版.2010)という自叙伝を出しているんですね。
政治的・思想的判断はひとまずおいといて、なんかおもしろそうではないですか・・・、って死刑宣告まで受けた人の体験記を「おもしろそう」と言うのも不謹慎な感じではありますが・・・。
ヌルボ行きつけの横浜市立中央図書館にはなかったものの、旭区の図書館にはあったので、さっそく借りてイッキ読みしました。
【かつては確定死刑囚、今は大学教員とは、たしかにドラマチックな人生です。】
・・・が、それからもう1ヵ月かー、うーむ。
たしかに興味深い内容でした。
ただ、やはり彼をどう評価し、どのように記事に書くか、というのが<従北>でも保守派でもない(と自分では思っている)ヌルボとしてはむずかしくて、ここに至った次第。
タイトルも苦心の末「康宗憲氏の数奇で幸福な人生」と・・・。よくわかんないでしょ。
続きはその自叙伝の中身について。(いつになるかな?)
[2016年2月1日の追記] 続きを書かないまま3年半も経ってしまいました。その後康宗憲氏の「北朝鮮スパイ」容疑については再審で無罪が確定しました。最近では、その「<冤罪事件>審理の裁判官らが今も要職にある」ことが進歩系の新聞「ハンギョレ」で報道されました。(→「産経新聞」の記事。) 彼が死刑に処せられなかったことについては私ヌルボも率直によかったと思っています。ただずっと気になっているのは、上記の彼の著書にはその冤罪事件の具体的内容、つまり北朝鮮に行ったことがあるのかないのかに関してなんら記述がないことです。あるいは朝鮮総聯との関係も具体的に記されていません。この点は徐勝・徐俊植両氏についても同様です。私ヌルボは全然嫌韓派ではなく人権尊重を旨としている者ですが、康宗憲氏や徐3兄弟諸氏は講演等では北朝鮮のことは語ることがあるのか疑問に思っています。