2つ前の記事、および1つ前の記事の続きです。
呉英進「出張先は北朝鮮」(作品社)は、類書が(ほとんど?)ないにもかかわらず、日本では注目されてこなかったようで残念です。金王朝関係の本は同工異曲ゴマンと刊行され、図書館の開架の棚にもずらっと並んでいるのに・・・。
もしかして、翻訳者(西山秀昭氏)の自費出版? 軽水炉が軽水路になっている箇所がいくつもあるように、全体的に校正が甘い感じだし、宣伝もなされてないようで、私ヌルボも最近やっと知ったところ。もっと多くの人に読んでほしいものです。
韓国ではそれなりに注目されたようで、漫画賞を受賞したり、呉英進さんのインタビューも動画になっています。(→コチラ。)
[D] 北朝鮮の人々のくらし
①精一杯生きている。
▶山は禿山だらけ。金日成の現地指導で造成された鬱蒼とした松林で、カリカリという音が聞こえてきた。それは子どもとおばあさんが松葉をかき集める音だった。(燃料用)▶北の労働者には昼飯は提供されないので弁当を持ってくる。キムチと豆モヤシ、雑穀まじりのご飯、蒸しジャガ、油で揚げた餅のようなもの。木の枝で作った箸。勧められて飲んだ酒がものすごく強い。
▶労働党創建55周年。大勢の人が歩いて楊花へ。手に手に赤い旗と造花を持って。夕方両手にいっぱいの贈り物をさげて帰る人々。55の生活必需品が配られたとか。
▶北のバーではサッポロの缶ビールも売っている。が賞味期限切れ。しかし「缶の中の酒が変わるわけありません」と気にしない。
▶牛の糞を踏んでも、踏んだ感じがしない。べったり粘りつかない。食糧事情が悪いのは牛も同じ。
・・・食料や燃料が乏しい中で、人々は懸命に生きています。
②厳しい生活の中に楽しみも・・・。
▶杉苗を植える緑化事業に動員された北の人たち。男女にわかれ、車座になり手拍子を取りながら歌を歌う。男たちの間では主牌(チュペー)というカードゲームが盛ん。
▶韓国人社員相手に食堂と飲み屋が設けられていて、奉仕員(接待員)とよばれる女性従業員がいる。平壌出身の大卒女性が多い。酒のお返しは絶対に受けないが、歌はなかなかのもの。「人生って何なのかと聞かれたら私は答えるでしょう~♪」
【北朝鮮の奉仕員が歌った歌「생이란 무엇인가(生とは何か)」。きれいな曲です。背景の白頭山・天池も美しい。】
③人々の情はどこも共通。
▶酷寒の日、雪道を4㎞歩いて娘が父の弁当を持ってきて、一緒に食べる光景を呉さんは見て心を動かされる。
▶工事現場を見物に来た人たちの中で、誰かが置いていった包みを開けると、差し入れの食べ物が!
▶亡くなった人は桐製の棺か、リンゴ箱等の板切れをつなぎあわせた棺に収める。男が近づいてきて啜り泣きを始め、棺を自転車の荷台に載せて家を出た・・・。
・・・人間関係はむしろ濃密といっていいようです。
④韓国との違い
▶ムノ(大きいタコ)を持った釣り帰りの人にそのムノこの海で採れたのか訊いたら「このナクチ(小さいタコ)ですか?」。その後食堂でナクチを頼んだらイカ(オジンオ)が出てきた。「みんなナクチなんだな」
▶「ケサニが食べたタマゴ」という民話の本。「ケサニってなんだ?」と訊くと「先生、本当にケサニも知らないんですか? ケサニはケサニですよ」。呉さんがそのリ・ソンピル「게사니가 먹은 구슬알(ケサニが食べた玉子)」(1993.金城青年出版社)という本を買って読むと、「ケサニ(게사니)とはコウィ(거위)つまりガチョウのことだった。
・・・言葉の違いはいっぱいありそう。「게사니」はNAVER辞典には北韓語として出てました。
▶北の人は本貫を知らない。戦後間もなく廃止されたとか。
・・・もちろん、この他いっぱいあるでしょう。
[E]豊かな自然は残っているが、山は禿山
▶自然は豊か。空気はおいしく、海の水と白い砂浜がきれい。潜るとどこを掘っても貝だらけ。しかかし、上記のように山は禿山。燃料用に人々が伐ってゆく。▶国の保護鳥キジはよく見かける。車のフロントガラスに激突することもめずらしくはないようだ。
▶呉さんが初めて北韓に行ったのは1999年が最初。出張を命じられ、蔚山から船で。NLL(北方限界線)にさしかかると、灯の見えない漆黒の世界に。2日後(正確には46時間目)に咸興南道楊花港へ。北の案内船は塗装が剥がれ真っ黒に錆びついていて、真紅のスローガンの色と対照的。空気が気持ちがいいのが印象的で、北の地に降り立つと「まるで「미래소년 코난(未来少年コナン)」の1シーンのようだった」とのこと。
・・・私ヌルボが1991年初めて北朝鮮の地(元山)を見た時の第一印象は、「なんだ、この時間が止まっているような前近代的光景は!」というオドロキでした。
[F]韓国に何年くらい遅れをとっているか?
○現地の韓国人社員の間で議論。北の現実は・・・
▶A(40代か?)「ここの現実をみると韓国の70年代末とよく似ているよ」
B(30代後半?)「70年代末なら韓国の方がずっとよかった。車も多かったし建物も・・・」
C(30代前半)「平壌は地下鉄もあるしアパートも多いし」
D(50歳以上?)「いや! 平壌は例外だ。あそこは特別だよ!」
E(50歳以上?)「ここの人たちの服装は60年代の半ばくらいだよ」
D「沖の帆船を観ていると韓国の50年代後半くらいにしかならんよ!」
A「50年代はあんまりでしょう。電話もあるしカラーテレビもあるし」
C「ここの田畑を見るとよく整理されているし70年代初めくらいにはなるでしょうよ」
D「昔はそうかも知れんけど、今はそれから10年後退しているよ! 山に木がないのを見なよ。全部燃料として伐ったんだ。オレたちの子供時代と同じだ! 君はまだ若いから知らんだろうが・・・」
C「エーイ、本当に!」
A「何怒ってんだ」
C(テポドンの切手を見せて)「自力で人工衛星を発射しているのに、ここがなんで50年代なんだ!」
・・・なかなか興味深い会話です。
【呉英進さんが1年半すごした琴湖の軽水炉建設地。2005年建設事業は打ち切られた。】
しかし、これだけの費用(韓国&日本の)と労力を費やして推進されていたKEDOの軽水炉建設事業とは、一体なんだったのでしょうか?
呉英進「出張先は北朝鮮」(作品社)は、類書が(ほとんど?)ないにもかかわらず、日本では注目されてこなかったようで残念です。金王朝関係の本は同工異曲ゴマンと刊行され、図書館の開架の棚にもずらっと並んでいるのに・・・。
もしかして、翻訳者(西山秀昭氏)の自費出版? 軽水炉が軽水路になっている箇所がいくつもあるように、全体的に校正が甘い感じだし、宣伝もなされてないようで、私ヌルボも最近やっと知ったところ。もっと多くの人に読んでほしいものです。
韓国ではそれなりに注目されたようで、漫画賞を受賞したり、呉英進さんのインタビューも動画になっています。(→コチラ。)
[D] 北朝鮮の人々のくらし
①精一杯生きている。
▶山は禿山だらけ。金日成の現地指導で造成された鬱蒼とした松林で、カリカリという音が聞こえてきた。それは子どもとおばあさんが松葉をかき集める音だった。(燃料用)▶北の労働者には昼飯は提供されないので弁当を持ってくる。キムチと豆モヤシ、雑穀まじりのご飯、蒸しジャガ、油で揚げた餅のようなもの。木の枝で作った箸。勧められて飲んだ酒がものすごく強い。
▶労働党創建55周年。大勢の人が歩いて楊花へ。手に手に赤い旗と造花を持って。夕方両手にいっぱいの贈り物をさげて帰る人々。55の生活必需品が配られたとか。
▶北のバーではサッポロの缶ビールも売っている。が賞味期限切れ。しかし「缶の中の酒が変わるわけありません」と気にしない。
▶牛の糞を踏んでも、踏んだ感じがしない。べったり粘りつかない。食糧事情が悪いのは牛も同じ。
・・・食料や燃料が乏しい中で、人々は懸命に生きています。
②厳しい生活の中に楽しみも・・・。
▶杉苗を植える緑化事業に動員された北の人たち。男女にわかれ、車座になり手拍子を取りながら歌を歌う。男たちの間では主牌(チュペー)というカードゲームが盛ん。
▶韓国人社員相手に食堂と飲み屋が設けられていて、奉仕員(接待員)とよばれる女性従業員がいる。平壌出身の大卒女性が多い。酒のお返しは絶対に受けないが、歌はなかなかのもの。「人生って何なのかと聞かれたら私は答えるでしょう~♪」
【北朝鮮の奉仕員が歌った歌「생이란 무엇인가(生とは何か)」。きれいな曲です。背景の白頭山・天池も美しい。】
③人々の情はどこも共通。
▶酷寒の日、雪道を4㎞歩いて娘が父の弁当を持ってきて、一緒に食べる光景を呉さんは見て心を動かされる。
▶工事現場を見物に来た人たちの中で、誰かが置いていった包みを開けると、差し入れの食べ物が!
▶亡くなった人は桐製の棺か、リンゴ箱等の板切れをつなぎあわせた棺に収める。男が近づいてきて啜り泣きを始め、棺を自転車の荷台に載せて家を出た・・・。
・・・人間関係はむしろ濃密といっていいようです。
④韓国との違い
▶ムノ(大きいタコ)を持った釣り帰りの人にそのムノこの海で採れたのか訊いたら「このナクチ(小さいタコ)ですか?」。その後食堂でナクチを頼んだらイカ(オジンオ)が出てきた。「みんなナクチなんだな」
▶「ケサニが食べたタマゴ」という民話の本。「ケサニってなんだ?」と訊くと「先生、本当にケサニも知らないんですか? ケサニはケサニですよ」。呉さんがそのリ・ソンピル「게사니가 먹은 구슬알(ケサニが食べた玉子)」(1993.金城青年出版社)という本を買って読むと、「ケサニ(게사니)とはコウィ(거위)つまりガチョウのことだった。
・・・言葉の違いはいっぱいありそう。「게사니」はNAVER辞典には北韓語として出てました。
▶北の人は本貫を知らない。戦後間もなく廃止されたとか。
・・・もちろん、この他いっぱいあるでしょう。
[E]豊かな自然は残っているが、山は禿山
▶自然は豊か。空気はおいしく、海の水と白い砂浜がきれい。潜るとどこを掘っても貝だらけ。しかかし、上記のように山は禿山。燃料用に人々が伐ってゆく。▶国の保護鳥キジはよく見かける。車のフロントガラスに激突することもめずらしくはないようだ。
▶呉さんが初めて北韓に行ったのは1999年が最初。出張を命じられ、蔚山から船で。NLL(北方限界線)にさしかかると、灯の見えない漆黒の世界に。2日後(正確には46時間目)に咸興南道楊花港へ。北の案内船は塗装が剥がれ真っ黒に錆びついていて、真紅のスローガンの色と対照的。空気が気持ちがいいのが印象的で、北の地に降り立つと「まるで「미래소년 코난(未来少年コナン)」の1シーンのようだった」とのこと。
・・・私ヌルボが1991年初めて北朝鮮の地(元山)を見た時の第一印象は、「なんだ、この時間が止まっているような前近代的光景は!」というオドロキでした。
[F]韓国に何年くらい遅れをとっているか?
○現地の韓国人社員の間で議論。北の現実は・・・
▶A(40代か?)「ここの現実をみると韓国の70年代末とよく似ているよ」
B(30代後半?)「70年代末なら韓国の方がずっとよかった。車も多かったし建物も・・・」
C(30代前半)「平壌は地下鉄もあるしアパートも多いし」
D(50歳以上?)「いや! 平壌は例外だ。あそこは特別だよ!」
E(50歳以上?)「ここの人たちの服装は60年代の半ばくらいだよ」
D「沖の帆船を観ていると韓国の50年代後半くらいにしかならんよ!」
A「50年代はあんまりでしょう。電話もあるしカラーテレビもあるし」
C「ここの田畑を見るとよく整理されているし70年代初めくらいにはなるでしょうよ」
D「昔はそうかも知れんけど、今はそれから10年後退しているよ! 山に木がないのを見なよ。全部燃料として伐ったんだ。オレたちの子供時代と同じだ! 君はまだ若いから知らんだろうが・・・」
C「エーイ、本当に!」
A「何怒ってんだ」
C(テポドンの切手を見せて)「自力で人工衛星を発射しているのに、ここがなんで50年代なんだ!」
・・・なかなか興味深い会話です。
【呉英進さんが1年半すごした琴湖の軽水炉建設地。2005年建設事業は打ち切られた。】
しかし、これだけの費用(韓国&日本の)と労力を費やして推進されていたKEDOの軽水炉建設事業とは、一体なんだったのでしょうか?