呉英進「出張先は北朝鮮①&②」(作品社.2004年)を読みました。
異色のマンガ北朝鮮訪問記です。それも短期間の訪問ではなく、548日間滞在した記録。
呉英進(オ・ヨンジン)さんは1970年生まれ。95年に明知大を出て韓国電力に入社しましたが、2000年3月KEDOのプロジェクトで軽水炉建設のため北朝鮮・咸鏡南道琴湖(クモorクムホ)原子力建設本部に派遣され01年8月帰国しました。
2009年の「週刊京郷」の記事によると、彼は大学で建築工学を専攻。一方、漫画サークルで活動を続け、「華麗なるキャッツビー」の作者カン・ドハ等とムック誌「漫画実験ブーム」を作るほど漫画どっぷりの生活でしたが、卒業をひかえて漫画では暮らしていけないと選んだ職場が韓国電力。
そして上記のように北朝鮮軽水炉建設現場で約1年半の間建設監督を任された際、実際の経験をもとに描いた漫画が「북한체류기(北韓滞留記)」全2巻で、この「出張先は北朝鮮①&②」はその翻訳本です。
玄武岩「統一コリア」(光文社新書.2007)に書かれているように、近年北朝鮮に行く韓国人がずいぶん増えているそうで、開城工団で働いている人のブログも見たりしたことがありますが、(a)比較的長い期間、(b)平壌以外の所で、(c)直接北の人たちと接して過ごした体験を、(d)漫画本にした、というのは類書がなく、とても興味深く読みました。
【呉英進さんの赴任先は日本海側の琴湖。2005年に軽水炉建設事業は廃止されたので今はどうなっているか?】
以下、数テーマに分けて、注目した内容を整理して紹介します。
10年ちょっと前のことなので、必ずしも今も同じとはいえないことは念頭におく必要があります。
[A] さまざまな物品や技術のレベルの低さについて
①交通・運輸関係のインフラが整っていない。
▶北京空港から平壌へ行くのだが、高麗航空機はちっぽけなロシア製で、第一印象は「鼻をつくようなすえた臭いと古臭いインテリア」。座席は自由席でシートレバーはない。
エアコンはほとんど役に立たず、シートバッグの網にウチワが入っているが、離陸が遅れている間、暑さに耐えられず一乗客が非常扉を開ける。と、飛行機は整備中だった。(出発の遅れを「平壌の天候不順のため」と説明していたのはウソ。)
▶平壌順安空港から小さな双発機に乗り換えて咸興宣徳空港へ。咸興宣徳空港は軍用で、滑走路にはところどころへこみが・・・。軍用機は第二次大戦時のような年代物。
▶咸興からミニバスで新浦へ。「咸興は北朝鮮随一の工業都市だが、とても古びて見えた」。
未舗装の道を砂ぼこりを立ててミニバスが行く、その真っ暗な道を大勢の人が歩いている。咸興を抜けるとデコボコはさらにひどくなる。途中停車して、運転手は積んでいたガソリンタンクを取り出して燃料補充。客たちは外で立ちション。山道はガードレールなしで、一部は土砂崩れを起こしたまま。危険を知らせるため絶壁の側には石が並べられている。咸興から新浦まで100km余で5時間もかかり、やっと軽水炉事業・韓国人労働者宿舎へ。「金浦から飛行機で1時間なのに」。
▶工事現場付近を走る列車はいつも満員。乗客は身を乗り出すようにして北では見慣れない工事現場に注目していた。石炭車にも身をすくめて乗っている人たちもいたが、その後統制したのか見かけなくなった。列車はディーゼルではなく電気機関車で、停電事故の場合はその場で止まる。停止が長引くと、乗客は降りてきても焚火で体を暖めながらおしゃべりしている。
・・・暗い道を大勢の人が歩いている、という場面は、いろんな本で読みました。交通手段が発達していないので、長い距離を大きな包みを持って歩くというのは、ごくふつうのようです。一方、列車やトラックの荷台は、人を満載しています。
②生活必需品が不足しているようだ。ガラスやビニールのような原料素材も、日用品も。
▶高麗航空機の窓から外を眺めようとしたら、ガラスではなくアクリル製で、傷がたくさんついていて見られない。
▶上記の列車もよく見ると、客車に窓ガラスがない。
▶北の民家に接近することは禁じられているので、車で通過する時一瞥する程度だが、道沿いには造りかけで中断した奇怪な泥煉瓦の家が多い。人の住む気配はするが、戸や窓はガラスではなくビニール。
▶ビニールが高価なのでビニールハウスはない。かわりに縄で編んだ柵の中で苗床を育ててから田植え戦闘へ。所々にトイレも設置する。
・・・1991年に私ヌルボが北朝鮮に行った時に、窓ガラス越しに見る景色が歪んでいることに気づきました。ガラスが波打っているのです。そんなガラスでもまだマシなんでしょうか?
▶税関で箱を開けていたら税関員はペンチに強い関心を示す。呉さんが「よかったらあげますよ」と言うが早いか、ポケットに瞬く間に入れる。彼の顔に笑みがかすかに広がる。その後検査がスムーズになった。検査中もポケットの上から触りながらペンチを確かめ、また笑みを浮かべた・・・。
▶浜辺でこっそり貝を取ってる北の男に、貝を分けてもらおうとバケツを差し出すと、男はバケツを欲しいというので翌日たくさんあげたらすごく喜んだ。
・・・ペンチやバケツのような日用小物も貴重品なのでしょうか。
③品質の悪さ、能率の低さは社会体制と密接に関連している。
▶脚立に乗って天井に石膏ボードを張っていた韓国人班長がネジを落としたので、下にいる労働者に「そこのネジ拾ってよ」と言うと「僕の仕事はボード運びです。ネジは拾えません」。
▶軽水炉現場で働く北の労働者の賃金はすべて党に納めるため、個人に提供されるのは温かい昼飯だけといっていいくらい。ご飯の盛り方がすごい。食べ終えると眠気のため労働者は無気力になる。仕事をせかしても動かない。
▶呉さん「こんな仕事面白くないでしょう」
北の労働者「先生、仕事は面白くてやるんですか」
呉さん「面白いことやってれば幸福でしょう」
北の労働者「ボクたちは幸福ですよ」
▶共同農場のトウモロコシは春先雨が降らずほとんど死にかけに。大量に動員された人たちが水を入れる作業。(呉さん「揚水機1台あればいいのに・・・」。) 一方、庭先の個人所有の畑のトウモロコシは立派に育っている。
・・・つまり、労働者を仕事に駆り立てる動機が欠けている。これで生きていければ、過酷なまでに仕事に追われている資本主義国の生活よりいいかも、という見方は否定できませんが・・・。
▶現場では、北の人間が車にいつも同乗する。交替の運転手でも整備士でもない。彼の任務は「運転手トンムが不健全な南の放送を聞かないかと見張っているんですよ」。
▶北の労働者が仕事を覚えて少し力がつき、韓国の人と親しくなる気配がすると、すぐに配置換え。作業効率に問題をきたした。
▶韓国の力で港へ向かう道をアスファルト舗装したら、動員された北の人びとがその入口にコンクリートで何かを作り始める。10日ほどで塔が姿を現し、さらに何日かかけて「敬愛する将軍様万歳」「偉大な主体思想万歳」の字が刻まれた。韓国人の反応は「こんなことやる暇があったら畑でも耕せばいいのに」。
・・・体制維持のためのムダな仕事が多い。南の人間や文物、考え方等を非常に警戒しています。そのためのムダも厭わない。
▶セメント煉瓦の品質試験で、3個のサンプルに圧力を加えるとどれも崩れて不合格。山積みの煉瓦を「すべて壊せ」と言うと北朝鮮人の班長、「不合格の3個だけ捨てればいいじゃない。もったいないでしょ」。
・・・いい加減な仕事をしても責任を問われないことが多い。また、労働者が工事現場からセメント等をこっそり自宅に持ち去っている、という状況があります。
▶労働党員は90年代で300~400万人。成人の3分の1以上で、党員=支配者層・富裕層ということではないが、作業班長は党員しかなれない。
・・・能力があっても、埋もれてしまう人は多いでしょう。
▶最近、南北交流が活発化し、韓国製の田植え機が初めて北にもたらされた。密植に慣れた北の農民たちはそれを遣おうとしなかったが、秋になって田植え機で間隔を置いて植えた方がかえって収穫が多いのを見て、韓国の農機に信頼を持ったという。
▶韓国から来ているの労働者宿舎完成すると、北の労働者は「湯が出る!」「(水洗トイレを見て)ウンチはどこに流れるのですか?」等々。部屋の暖房にもびっくり。
・・・これらの点が北の指導者層にとっては南北交流における悩みのタネなんでしょう。
【この折り畳み蒸し器はウチにもあるぞ。たしかに通信機材に見えなくもない?】
あれま、「フリーサイズ蒸し器でUSB接続の無線LANアダプタを強化する」なんてブログ記事があったぞ。→コチラ。
あと2回続きます。
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