7月6日の記事の続きです。一応。
6月20日の店村→清州遠回り汽車の旅。堤川駅で約20分乗り換えの時間待ちの間に、ちょっと駅前に出てみました。
やっぱり閑散とした駅前広場で目に触れたのが下の写真の石像。
【どう見てもユーモラスな顔。(左) 往年の人気漫画コボンイ(&妹のコシリ)を連想しました。(右) 】
像の台座には「박달이와 금봉이(パクタリとクムボンイ)」とあるだけで、ソモソモどういう2人なのかわからず。往年の人気漫画「コボンイとコシリ(꺼벙이와 꺼실이)」のようなギョロ目なので、これも漫画のキャラクターなのかなと、とりあえず写真だけ撮っておきました。
ところが帰ってからちょっと調べてみたら、韓国のナツメロ歌謡「울고넘는 박달재(泣いて越える朴達嶺)」のモチーフとなった伝説の男女ではないですか。
私ヌルボも周美(주현미.チュ・ヒョンミ)等の歌で知ってました。(参考過去記事は→コチラ。)
しかし、歌は知っていても、その背景等は知りませんでした。
およそ次のようなお話なのだそうです。
科挙のために漢陽に向かっていたパクタルという青年が(現・堤川市の)平洞里で一晩泊まった時、その家の娘クムボンと出会って恋に落ちるのです。二人は再会を誓い、パクタルは再び漢陽へ・・・。しかし月日が経ってもパクタルからは何の便りもなく、クムボンは恋わずらいのため死んでいまいます。パクタルは彼女への募る想いで勉強に身が入らず科挙に落ちてしまい、平洞里に戻ってきたものの時すでに遅く、クムボンの死を知った彼は崖から身を投げてしまいます。
・・・うーむ、物語としては単純だなー。恋わずらいで死ぬ女性は昔はいたのかなー。
※クムボンの漢字表記は金鳳のようでもあるが、今鳳とか錦鳳もあって不明。
地図で物語の舞台の朴達嶺(박달재)の位置を確認したところ、堤川駅からはずーっと離れた山奥です。
【①が朴達峠。聞慶セジェ峠同様、山また山といった所です。】
今朴達嶺[峠](海抜453m)はちょっとした観光ポイントになっているようで、(もっとマトモな?)2人の像や、この歌謡曲の歌詞碑などがあります。
※朴達재の「재」は聞慶セジェ(새재)の재と同じで、嶺or峠。アリラン峠の峠はコゲ(고개)ですが、どう違うのかなと思ったら→コチラには次のように書かれていました。
朝鮮半島の背骨を形成する山脈「白頭大幹」の山脈上のくびれた峠は령(嶺.リョン)と呼ばれています。そして中級山岳などの峠で재(ジェ)と呼ばれることが多いようです。そして고개(コゲ)は里山などの低山などで呼ばれる峠の呼び名と思われます。
この歌の歌詞とその訳(ヌルボ試訳)は次の通りです。
천둥산 박달재를 울고 넘는 우리 님아
天燈山朴達嶺を 泣いて越えるあなた
물항라 저고리가 궂은 비에 젖는구려
柄のチョゴリが いとわしい雨に濡れています
왕거미 집을 짓는 고개마다 구비마다 ※구비の現在の表記は굽이です。
蜘蛛の巣が張る 峠ごと谷ごと
울었소 소리쳤소 이 가슴이 터지도록
泣きました 叫びました 胸が張り裂けるほど
부엉이 우는 산골 나를 두고 가는 님아
フクロウが鳴く山里 私をおいて行くあなた
돌아올 기약이나 성황님께 빌고 가소
帰るという約束も 神様に祈って行きます
도토리묵을 싸서 허리춤에 달아주며
どんぐりムクを包んで 腰紐に下げてあげて
한사코 우는구나 박달재의 금봉이야
必死の思いで泣いているのか 朴達峠の金鳳よ
박달재 하늘고개 울고 넘는 눈물고개
朴達嶺は天の峠 泣いて越える涙の峠
돌뿌리 걷어차며 돌아서는 이별길아
石の根を蹴って背を向ける 別れの道よ
도라지 꽃이 피는 고개마다 구비마다
キキョウの花咲く 峠ごと谷ごと
금봉아 불러보면 산울림만 외롭구나
金鳳よ 呼んではみても 山びこばかり ものさびし
この歌は実に多くの歌手が歌っています。日本では大川栄策が「涙のパクダル峠」のタイトルで。
オリジナルは朴載弘(박재홍.パク・ジェホン.1924~89)が1950年レコード録音。
その原盤の音声は→コチラで聞くことができます。彼が世を去る前年(1988年)の動画は→コチラ。
YouTubeにupされているこの歌の中で、現地の映像を背景に、歌詞テロップ付きの次の動画を載せます。歌手は1985年33の若さで病死したキム・ジョンホです。
時代を感じさせる歌ではありますが、哀調漂う佳曲です。
韓国サイトの記事の中で、この歌の誕生秘話(?)を詳細に記した記事が見つかりました。→「泣いて越える朴達嶺 上編」と「同 下編」です。
その記事で、韓国人がこの歌を好きな理由としているのが"柄のチョゴリ""フクロウの鳴く山里""城隍様(土地の守り神)""どんぐりムク""鬼蜘蛛の巣"のような土俗的な香りをぷんぷんと漂う作詞家半夜月による歌詞の魅力。
・・・ふむふむ。
この歌は1948年秋、南大門楽劇団の地方巡回公演中に誕生した。今はトンネルもでき、車でスイスイ行ける道があるが、当時はデコボコした未舗装の道路で、故障する車が多く、彼ら楽劇団を乗せたバスもパンクし立ち往生。運転手と助手が修理している間、仲間とバスから降りた半夜月は、偶然その近くで抱き合ってすすり泣く若いカップルの別れシーンを見る。夫の腰にどんぐりムクを包んであげて嗚咽する若い女性の姿を見てインスピレーションを感じ、朴達嶺で別れた後宿泊施設に一人残り、この切ない歌詞を書いた。
・・・ふむふむ。
このように大衆歌謡の歌詞が伝説を作ったのは、「泣いて越える朴逹嶺」が初めてだ。
・・・えーっっ、ぬわんだって!?
作詞の半夜月は、生前「この曲の歌詞を作った時、パクタルやクムボンの物語は知るはずもなかった。クムボンという女性の名前は李光洙の小説「その女の一生」の女主人公の名前がとてもかわいいので歌詞に書いた」"と歌にまつわる物語は事実ではないことを証言した。
・・・アララ、伝説に基づいて歌が作られたんじゃなくて、この歌から伝説ができたのかー!
てなわけで、1950年朝鮮戦争勃発の1ヵ月前にレコード発売してヒット。1968年には同じタイトルで映画化されました。
2005年KBSテレビの番組「歌謡舞台」が放送20周年を迎えた際に「放送で最も多く歌われた歌」を調査集計したところ、この歌が1位だったそうです。
そして今も韓国国民の愛唱歌の1つとして歌い継がれています。
いやー、それにしても、そういうことだったのかー・・・。
6月20日の店村→清州遠回り汽車の旅。堤川駅で約20分乗り換えの時間待ちの間に、ちょっと駅前に出てみました。
やっぱり閑散とした駅前広場で目に触れたのが下の写真の石像。
【どう見てもユーモラスな顔。(左) 往年の人気漫画コボンイ(&妹のコシリ)を連想しました。(右) 】
像の台座には「박달이와 금봉이(パクタリとクムボンイ)」とあるだけで、ソモソモどういう2人なのかわからず。往年の人気漫画「コボンイとコシリ(꺼벙이와 꺼실이)」のようなギョロ目なので、これも漫画のキャラクターなのかなと、とりあえず写真だけ撮っておきました。
ところが帰ってからちょっと調べてみたら、韓国のナツメロ歌謡「울고넘는 박달재(泣いて越える朴達嶺)」のモチーフとなった伝説の男女ではないですか。
私ヌルボも周美(주현미.チュ・ヒョンミ)等の歌で知ってました。(参考過去記事は→コチラ。)
しかし、歌は知っていても、その背景等は知りませんでした。
およそ次のようなお話なのだそうです。
科挙のために漢陽に向かっていたパクタルという青年が(現・堤川市の)平洞里で一晩泊まった時、その家の娘クムボンと出会って恋に落ちるのです。二人は再会を誓い、パクタルは再び漢陽へ・・・。しかし月日が経ってもパクタルからは何の便りもなく、クムボンは恋わずらいのため死んでいまいます。パクタルは彼女への募る想いで勉強に身が入らず科挙に落ちてしまい、平洞里に戻ってきたものの時すでに遅く、クムボンの死を知った彼は崖から身を投げてしまいます。
・・・うーむ、物語としては単純だなー。恋わずらいで死ぬ女性は昔はいたのかなー。
※クムボンの漢字表記は金鳳のようでもあるが、今鳳とか錦鳳もあって不明。
地図で物語の舞台の朴達嶺(박달재)の位置を確認したところ、堤川駅からはずーっと離れた山奥です。
【①が朴達峠。聞慶セジェ峠同様、山また山といった所です。】
今朴達嶺[峠](海抜453m)はちょっとした観光ポイントになっているようで、(もっとマトモな?)2人の像や、この歌謡曲の歌詞碑などがあります。
※朴達재の「재」は聞慶セジェ(새재)の재と同じで、嶺or峠。アリラン峠の峠はコゲ(고개)ですが、どう違うのかなと思ったら→コチラには次のように書かれていました。
朝鮮半島の背骨を形成する山脈「白頭大幹」の山脈上のくびれた峠は령(嶺.リョン)と呼ばれています。そして中級山岳などの峠で재(ジェ)と呼ばれることが多いようです。そして고개(コゲ)は里山などの低山などで呼ばれる峠の呼び名と思われます。
この歌の歌詞とその訳(ヌルボ試訳)は次の通りです。
천둥산 박달재를 울고 넘는 우리 님아
天燈山朴達嶺を 泣いて越えるあなた
물항라 저고리가 궂은 비에 젖는구려
柄のチョゴリが いとわしい雨に濡れています
왕거미 집을 짓는 고개마다 구비마다 ※구비の現在の表記は굽이です。
蜘蛛の巣が張る 峠ごと谷ごと
울었소 소리쳤소 이 가슴이 터지도록
泣きました 叫びました 胸が張り裂けるほど
부엉이 우는 산골 나를 두고 가는 님아
フクロウが鳴く山里 私をおいて行くあなた
돌아올 기약이나 성황님께 빌고 가소
帰るという約束も 神様に祈って行きます
도토리묵을 싸서 허리춤에 달아주며
どんぐりムクを包んで 腰紐に下げてあげて
한사코 우는구나 박달재의 금봉이야
必死の思いで泣いているのか 朴達峠の金鳳よ
박달재 하늘고개 울고 넘는 눈물고개
朴達嶺は天の峠 泣いて越える涙の峠
돌뿌리 걷어차며 돌아서는 이별길아
石の根を蹴って背を向ける 別れの道よ
도라지 꽃이 피는 고개마다 구비마다
キキョウの花咲く 峠ごと谷ごと
금봉아 불러보면 산울림만 외롭구나
金鳳よ 呼んではみても 山びこばかり ものさびし
この歌は実に多くの歌手が歌っています。日本では大川栄策が「涙のパクダル峠」のタイトルで。
オリジナルは朴載弘(박재홍.パク・ジェホン.1924~89)が1950年レコード録音。
その原盤の音声は→コチラで聞くことができます。彼が世を去る前年(1988年)の動画は→コチラ。
YouTubeにupされているこの歌の中で、現地の映像を背景に、歌詞テロップ付きの次の動画を載せます。歌手は1985年33の若さで病死したキム・ジョンホです。
時代を感じさせる歌ではありますが、哀調漂う佳曲です。
韓国サイトの記事の中で、この歌の誕生秘話(?)を詳細に記した記事が見つかりました。→「泣いて越える朴達嶺 上編」と「同 下編」です。
その記事で、韓国人がこの歌を好きな理由としているのが"柄のチョゴリ""フクロウの鳴く山里""城隍様(土地の守り神)""どんぐりムク""鬼蜘蛛の巣"のような土俗的な香りをぷんぷんと漂う作詞家半夜月による歌詞の魅力。
・・・ふむふむ。
この歌は1948年秋、南大門楽劇団の地方巡回公演中に誕生した。今はトンネルもでき、車でスイスイ行ける道があるが、当時はデコボコした未舗装の道路で、故障する車が多く、彼ら楽劇団を乗せたバスもパンクし立ち往生。運転手と助手が修理している間、仲間とバスから降りた半夜月は、偶然その近くで抱き合ってすすり泣く若いカップルの別れシーンを見る。夫の腰にどんぐりムクを包んであげて嗚咽する若い女性の姿を見てインスピレーションを感じ、朴達嶺で別れた後宿泊施設に一人残り、この切ない歌詞を書いた。
・・・ふむふむ。
このように大衆歌謡の歌詞が伝説を作ったのは、「泣いて越える朴逹嶺」が初めてだ。
・・・えーっっ、ぬわんだって!?
作詞の半夜月は、生前「この曲の歌詞を作った時、パクタルやクムボンの物語は知るはずもなかった。クムボンという女性の名前は李光洙の小説「その女の一生」の女主人公の名前がとてもかわいいので歌詞に書いた」"と歌にまつわる物語は事実ではないことを証言した。
・・・アララ、伝説に基づいて歌が作られたんじゃなくて、この歌から伝説ができたのかー!
てなわけで、1950年朝鮮戦争勃発の1ヵ月前にレコード発売してヒット。1968年には同じタイトルで映画化されました。
2005年KBSテレビの番組「歌謡舞台」が放送20周年を迎えた際に「放送で最も多く歌われた歌」を調査集計したところ、この歌が1位だったそうです。
そして今も韓国国民の愛唱歌の1つとして歌い継がれています。
いやー、それにしても、そういうことだったのかー・・・。
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