わんちゃんや猫ちゃんだって悲しそうな鳴き声や表情をすることがありますが、言葉と文字を持つ人間は、自分の内心を吐露する手段があります。
しかし悲しみが大きすぎて言葉にできない、あるいはしたくないときがあります。長い長い時間を経て、やっとあの時の気持ちや体験を口にすることができるようになるのです。
戦争体験、震災の後の苦難、学生時代や社会人でのイジメ、親族の虐待など、その時は声を出して言うこともできない感受性の高い心の人間が、過去の体験として、ホントはね、あの時はね、と語り始めるのです。
それでもなお、それもできずに葬ってしまう人もごまんとおられるでしょうが、せっかく持てる手段の言葉や文字に顕してみませんか。
言ったからって、何も得られない、空しさが増すばかりと思う気持ちはよく分かります。共感できます。私自身、この場で本当の気持ちを表現できたらと思いつつ、演技をしていると感じています。
しかし上滑りでも、かろうじて本心の何分の一かを織り交ぜて、文字に記録するだけでも少しは気が晴れています。
一生解決しないであろう問題を抱えている人も、少しは自分を慰めるためにも、ひっそりと語ってみてはいかがですか。