好きなことにぞっこん

花に癒され、永井龍雲の歌声に癒されています

比喩は決して誇張じゃない

2015-06-25 17:54:37 | 日記

 比喩は遠くて大きめ方が面白いですね。古来から使用されている赤ちゃんの手を、〈紅葉のような手〉とか絶望したときにの〈目の前が真っ白になる〉とか(これは事実かもしれない。本当に目の前が真っ白になったことがありますから)、最近の〈心が折れる〉とか、言い得て妙な言い回しも、数多くあります。

 だから比喩は大袈裟じゃなくて、ドンピシャなんです。

 またまた過去ネタですが、時の過ぎる早さを、〈瞬く間に〉と、サーキット場ではなく年単位での時の経過に使います。この言葉、最近はしょっちゅう使っているような気がします。だってもう1年の半分過ぎるのですよぉ。

 光陰矢の如し、も昔の長生きした方の言葉です。これは長生きしたから言える言葉ですね。そう考えてみると、私もそこそこ長く生きさせてもらってるのかなと思います。

 一番そう感じる時は、同世代の身近な人、あるいは著名人の訃報に接した時です。わたしと同じ年だったのよ、あの人・・・しばらくは絶句です。

 反対に立って言えば、幸せなことです、今もほどほど元気に生きているんだもん。生きてりゃなんだってできるんです、笑ったり、美味しいものを食べたり、好きと思う事が出来るのですから。

 感謝感謝の毎日です。

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時は今も昔も同じく流れていますが

2015-06-22 12:45:05 | 日記

 子供の頃の1日1週間1ヶ月と同じ時間とは考えられないくらいの速さで、時が過ぎていきます。

 聞くところによると、何事もなかった、何もしなかった時の方が時間の経過が早く感じてしまうそうです。ただ漫然と家にいる方が、時間の経過が早く感じると言うのです。

 えっ?何もしない方が時間が長く感じるのじゃないの?と普通、思いますが、言われてみれば、予定が山積みで、あれもこれもしないといけない、まだできていない、と時間に追われるとか、5時になるまで何回も時計を見るとか、1か月前、2か月前にやり終えた仕事を思い出し、ああ、そんなことがあったなあ、なんて振り返ると、次々起こった事が以前にやり終えた仕事にかぶさって、遠い出来事のように感じるのは、そんな説が正答かもしれないと納得しています。

 過去の出来事をつい最近の事のように感じるのは単に記憶力の問題ではないらしいのです。思い出すことが少ないから、すぐ記憶から引き出せると言う事ですね(^_^;)

 

 それとはまた少し意味合いが違いますが、記憶力、集中力はだんだん衰えてくるものですね。如実に感じたことがあります。子供の頃、トランプの神経衰弱を楽しんでいましたが、何故、このゲームが神経衰弱と言う名称なのかまったく理解できませんでした。

 時は流れて、子供と神経衰弱をするようになって、初めてこのゲームが疲れることに気づきました。子供は嬉々としてカードをひっくり返していました。私もかつてはあんな風だったんだ・・

 

  

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日常が戻ってきました

2015-06-16 15:12:39 | 音楽

 フルートの合奏の定期演奏会が無難に終わりました。個人的には無難でしたが、個々人に置いては悲喜交々だったかもしれません。

 今なお演奏技術を成長したい老若男女が、さまざまなプレシャーを受けながら、年に一度の舞台のために練習した結果が顕れる日でした。

 無難が良い事なのか疑問が残るところですが、大失敗をするよりは良いに決まっています。小失敗は有って当たり前、たまに大失敗もあると言うレベルの私達です。

 いろいろ経験しましたよ、笑えない失敗を。それを考えると今回の一、二か所、気にる間違いをしたものの、多勢の中、DVDに記録は残るものの、誰が間違ったか分からんやん!と言う仲間の言葉に勇気付けられ、あはっ、そうよね~

 これくらいの気持ちで開き直らないとやってけません。失敗を機に闘志メラメラの人もいますが、大失敗で離れる人もいます。もちろん何らかの理由で離れていく人もあり、入れ替わりが結構激しいものです。

 私は結構長い付き合になりましたが、今回は全体合奏とグループ10余人の合奏だったので、かなり精神的には楽でした。毎回、これくらいだったら、もっと楽しめるのですが。

 何ごとも基礎があって上達するものです。基礎を繰り返し、日々楽しみながら、もっと上手くなりたい、と思う事にしよう。

 

 

 

 

 

 

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今さら

2015-06-10 12:30:21 | 日記

 今さらですが、個性ってどうしてこんなに違うのでしょう。他人と自分を識別するためにでしょうか。

 兄弟、親子でも思いっきり違っています。気の遠くなるような遺伝子の組み合わせの、たまたまの一つが、一個人を形成しているから、一人として同じ人はいないのでしょう。双子、三つ子のように同じ遺伝子を持つ者でさえ、後天的な環境因子でかなりの違いを生じているのは、いく例も目にしています。

 多様性は生物が生き延びるために選択してきた進化系の結果でしょうが、一個人に目を向ければ、どうしてこんな私に生んだのよ!と子供の頃、親に文句を言った人も少なくないと思います。

 もちろん私もその例です。子供にも言われました。父親似、母親似でも大きく変わってきます。複雑~なミックス型、隔世遺伝型もあります。

 

 音楽好きな私の遺伝子は、母の遺伝子だと思います。私の子も音楽好きには違いありませんが、感性が違っています。能力も違っています。ただこれを能力と言っていいのか悪いのか問題があると思いますが、子には絶対音感があり、私には有りません。反対に私には人の声を聴き分けたり、いろんな音色を聞き分けることができますが、子供はそれが苦手と言います。

 子は音程の違いやハーモニーの違いは即座に答えられるのに、綺麗な音ね、とか誰々さんのナレーションねと言うと、不思議そうな顔をします。

 こちらの方が余程不思議です。音程は分からなくても、音色は分かるでしょう誰だって。でもその誰だってじゃない事があるということが、今さらながら感じています。

 ファッションセンスもそう、現代アートもそう、味覚もそう、笑いのツボもそう、ありとあらゆること事の感性が、一人ひとり違っているから面白いと言えるかもしれませんね。 

 

 

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夢ではなかった

2015-06-03 17:35:46 | 永井龍雲

 夕刊配達と郵便配達のバイクのエンジン音を聞き分けています。ダンボの耳のように、または御主人の帰りを待つわんちゃんのように、アッ、今来てる!何か投函した!と急いでポストを確認に行く日々を、最近過ごしています。

 大抵はDMですが、たまーに思いもよらない朗報があったりして、喜びに包まれることもあります。反対も・・

 遠回しになりました、来ました、『らんぷ』のラッキー景品がが。

 オリジナル切手と商品券です。当選は半信半疑だったので、送られてくるまで喜びは抑えておこうと思っていて、ちょっと諦め気味だった今、勘違いじゃなかったのだと喜びをヒシと感じています。

 決して大きな事ではないけれど、大好きな永井龍雲さんのFCで、抽選にしても選ばれた幸運で、私の寿命は少し伸びたかな。

 前日にライブ情報が葉書で来ていて、そこには16日間もの日程が書かれていました。4連日もあり、あの渾身の歌声で4日も続けて歌うなんて、咽喉、大丈夫かなあ、と心配になります。

 どこまでも追いかけていく熱心なファンではなく、まだ、近畿圏内の日程は少ないけれど、気持ちは追いかけていますよ。ライブのある日は、今夜は歌ってるんだなあ、って考えています。

 家族に許されるなら、もう少し行動範囲を広げたいと思っている泡沫ファンの一人です。

 

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