遠い東京でどうにかオリンピック開会式が開催され、まさかあれが?という聖火台に聖火が灯された。
外的、内的障害がわんさかで、関係者一同の労力、ストレスは想像できないよ。そのうえ無観客!?一円たりとも収入がないことなの?出るばっかりで。
私のチケット購入は外れた。人間万事塞翁が馬。
オリンピック手を上げられるの一番はアスリートのため。二番目はそれを見て元気づけられる国民のため。三番目は国力を世界に誇示するため?と思う。それに首尾よく収入が伴えばいうことなし。今も手を上げられる都市(国)は余裕のある国だけだ。
前回のオリンピックは小学低学年だった。母が「オリンピックは一生に一度来るか来ないかくらいのもんだからね」 喜んでた。それが今?なんで年端もいかない私は喜ぶべきかどうか。不服だった。いくつかの競技に記憶はあるけど、不服に思った記憶のほうが強いかな。
57年たった今日、関係者一同にはお気の毒なことばかりのオリンピック開催。それでもテレビ桟敷で観覧できることはたいへんありがたいと思う。
これもまた語り継ぐ歴史の1ページになるんよね。