今日で終戦後70年、
今年は特にテレビでもいろいろ中国での体験談を語られる番組が多く
主人が思い出話をする事が多くなりました。
昨日も宝田明さんが、徹子の部屋でそのすさまじい体験談を話させていて
終戦当時は12歳だと言われていました。
主人は中国の奉天で4歳(後11日で5歳)で終戦を迎え、5歳で引上げ船に乗って両親と一緒に帰ってこられました。
主人の亡父が関税の仕事をしていたそうです。
今の琉守より少し大きいぐらいなので、宝田さんの様に詳細に覚えていないようですが
鉄道のすぐ近くに住んでいたことや、寒かったこと、近くに日本人が買い物をする市場があったこと
そして、終戦後
奉天はロシアに近く、女の人は男の格好をしたりしていたそうです。
記憶に残っているのは、恐いソ連兵が入ってくるのでお母さんや女の人が丸坊主にして男の格好をしていた。
ただ主人は、幼かったからかソ連兵の戦車隊の人に抱き上げられチューをされたそうです。
岡本という酒屋さんに家の大事なものを隠したりしたことは覚えているようです。
逃げている途中、中国の人が銃をもって他の家族を脅しているのを見たそうです。
食事は、乾パンを作ってそれを食べていたそうです。
でも、他の皆さんの体験談を聞くたびに
よく本当によく無事に帰ってこられたなあって、今は感謝しています。
この戦後70年という節目に、中国の瀋陽市(その頃は奉天)の剣道愛好家からの話で
中国、東北地区の剣道愛好家の水準を高めるためと日中の民間の文化交流の為
招かれて講習会と、第一回東北剣道オープン戦の審判長をするために
幼いころ育った地、満州国奉天(瀋陽市)に剣道の先生方たち5名で行くことになりました。
この度のお話をもって来て下さったて、一緒に同行される
帝塚山学院大学の下定先生が、主人の記憶をもとにその場所を探して下さっています。
まさかこんな機会を頂けるとは思ってもいませんでしたが
戦後70年という機会にこのようなお話を頂ける事になって、もし見つけることが出来なくても、感謝しています。
今の瀋陽市は、国家歴史文化名城に指定されている観光都市で東北地方最大の都市(810万人)らしいのです。
でも、満州国時代の欧風を通り入れた建築物も市街地各所に現存しているそうなので
主人は生まれた地を見に行けると楽しみにしています。
私は、子や孫の為にも、二度と戦争をしない国でいて欲しいと切に願います。