ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

ドジ旅日記南海孤島の陰謀2

2016年12月03日 20時49分40秒 | ウォーキング

もともとジダンの計画では、
9時の高速船で島に渡り、
13時30分の便で帰らないと
そのあとの便では
遅くなってしまいますので、
5時間くらいのコースを
4時間半くらいで回るような
おじさんの陰謀を組んでいました。



ではそんな計画に合わせていきましょう・・・
と思っていたら、



ついたフェリー乗り場は大渋滞。



ネットで流されていた
割引券を印刷して持ってきていた
セイゾー君が切符を買ってくれたのですが、



今日はなんとフェリーが
次々動く大ふるまい状態ですから、
帰りの乗船時間は
そんなに深刻に考える必要は
なさそうだったのです。



まあ、行ってみればこの
南海孤島の陰謀と
思う存分戦って来い
ということなのでしょう。

さあ、それでは友ヶ島から
帰ってきたフェリーに乗り込み、



いよいよ我々は長年の
望み通りにこの島へと
向かっていくのでした。

そうそう念のため言っておきますが、
友ヶ島と我々は言ってるものの、
じつは友ヶ島という名前の
島はないのです。

地ノ島、神島、沖ノ島、虎島4つから成る
群島を合わせて友ヶ島というわけですね。

う~ん、せっかくですから
四天王の名前だったら
もっと面白かったかもねえ。

我々が乗った加太漁業組合が
作る友ヶ島汽船フェリーが
到着する島は

「沖ノ島」です。

ほぼ満員の状態で
フェリーは進んでいきます。

屋内の座席もあるのですが、
外があまりはっきり見えませんので、



外に立つことにしました。

うう~海の風は冷たいぞ。



それでも、フェリーは
南海上を気持ちよく進んでいきます。



右に見えるのが地ノ島で、
左が上陸する沖ノ島で、
真ん中がその沖ノ島とつながる
陸繋島の虎島です。

波も優しく一見とても
平和そうに島々は我々を
迎えるのでした。

それにしても地ノ島の地形というか
地層は複雑そうですねえ。



でもあんな地層を見るだけで、
この島がどうしてできたのか
きっとわかるのでしょう。

そして左には虎島が見えてきました。

今日は沖ノ島に上陸した後、
沖ノ島島内をめぐり、
最後にこの島に不安定な岩場を
渡りやってくる予定です。

その島の岸壁に刻まれてある

「五所の額」

がもうすぐ見えてきますね。
おお~あれです。



江戸時代の蘭学者「李梅渓」という人が
刻んだ文字群です。

どんな感じに書かれてあるかというと、
ネットで見るとこんな感じ。



大きさはというと
こんな感じだそうです。



書かれてあるのは、

「禁殺生穢悪・友島五所・
観念窟・序品窟・閼伽井・深蛇池・剣池」
という文字列。

まあ行ってみればこの島を荒らすなよ、
みたいなことが書かれてあるわけです。

もうこれだけでもこの島が
いかに強い陰謀を持っているかが
よくわかりますよねえ。

でもねえ、考えてみたら
それだけじゃないんです。

よく考えたらこの島、
実に様々ないわれが
深―く練りこまれてあるのです。

例えば、この島のうち
沖ノ島の外にある「神島」には
神話において日本を創造した
と伝えられる少彦名命
(すくなひこなのみこと)と
大己貴命(おほなむじのみこと)の
祠が祀られたとされており、
それを祈るために
対岸の岸に社を設けたのが、
加太の淡島神社の始まりとなっている。



したがって全国に1000以上ある
淡島さんの、そもそもの根源が
この友ヶ島に練りこまれている
ということだ。

おお~なんという神々しい背景を
持っている島なのだろうか。

さらにまたこの後現れる、
修験道の開祖といわれる

「役行者」



が一番、二番の行場を開いているのも、
この島であった。

今の観光シーズンの姿からは
想像できないような
さまざまないわれを孕んだこの島。
島内各地での厳しい戦いに
さらに気持ちを改めて、
友ヶ島唯一の船着き場に
ついに我々は上陸したのである。



便所はどこだ~と叫びつつ、続く。