49番は「浄土寺」といいます。
う~ん、なかなか厳かな
いい名前ですねえ。
ここは空也上人が平安時代に
3年間滞在し修行をしたというお寺です。
近くには、空也谷という名前の
修行谷もあるそうです。
え~っと、空也上人て人は知っていますか。
あまり知りませんよねえ。
doironもこの人が実在していたころには
生きていなかったので知りません。
平安時代の話です。
でも実はこの人の像が
まあまあ有名なのです。
国の文化財にもなっているこの人の像は
とっても特徴的で、
首から下に鐘をぶら下げて、
右手にそれをたたくこん棒を持ち、
左手には鹿の角のついた杖を持ち
わらじで立っています。
そして何よりもの特徴は、
この空也の口から
針金にくっついた6体の阿弥陀さんが
はみ出すように出てきているのです。
ネットに出てたのがこういう画像です。
6体の阿弥陀さんは「南無阿弥陀仏」の
6文字を表すそうで、
そのお経を説くことを
熱心に唱えていたそうです。
吐いたお経が仏の姿になっている
という像ですね。
重要文化財となっているその空也の像は、
京都の六波羅蜜寺、京都の月輪寺、
近江八幡の荘厳寺、
とここの浄土寺の4体があります。
特にこの浄土寺の像は一番有名な
六波羅蜜寺の像と酷似しており
本堂の左手の方に安置されています。
ところがねえ、バカでしたねえ。
事前に調べてここの本堂に
それがあることは調べていたのにねえ。
その時は、うかつにも
それを見忘れてしまいました。
バスに乗ったときにハッと気づいたけど
後の祭りでしたね。
自分の車とかで移動してたら、
絶対再度もどったのになあ。
団体行動ですからしかたないですね。
京都の六波羅蜜寺は
西国三十三カ所のお寺のひとつなので、
今度ここに行くときは
ぜひともお会いしておきたいものである。
この空也は各地で井戸や池、道路や橋を作り、
「市聖(いちのひじり)」ともいわれて
念仏講を始めています。
50番の繁多寺の一遍は
この空也を支持して活動しておりました。
そのとき、彼はちなみに
「捨聖(すてひじり)」と
呼ばれていたそうです。
とまあ、そんな風にこのお寺で
修業をしたという空也さんに
思いを馳せてしまいました。
もちろんここでもしっかり
お参りいたしましょう。
本殿前でお経をあげてお参りし、
横に移動して大師堂に向かっていくと、
そのお堂の間には弘法大師の
石像が立っています。
まあ、四国のお寺をまわっていますと
たいていのお寺にこの人の石像がありますな。
そしてどこのお寺もそうなんですが、
この人の石像の顔はとても丸い。
これはきっとそんな顔していたことが、
どこかの文書に出ているのでしょうねえ。
実は、doironが住んでいる町にも、
俗に「太子堂」と言われるお寺があります。
doironは町会の会計をしているから
よく知っているのですが、
毎年保険に入って大事にされています。
というのもこのお寺、昔は
祭りの夜にいったん燃えたのです。
あの時は焦りましたね。
だんじりを一方通行逆光で
村まで引っ張っていった
という記憶があります。
で、屋根まで落ちる大火事だったのですが、
居並ぶ仏像たちは一体も燃えずに
残っていたという事件がありました。
みんなお大師さんのお力や
というてはりましたね。
そのお寺の「お大師さん」もまた
丸い顔をしています。
あったかいお姿で、
我が村の人たちに愛されているようです。
そのあと大師堂の前でも
しっかりとお経をあげておきました。
結局この寺の絵は、
寺内にある仏足跡の絵にしておきました。
はい、では次の48番「西林寺」の方へと
向かっていきましょう。
続く