さて次は54番延命寺に
向かっていきましょう。
ここも南光坊と同じ今治市内です。
で、市内をくるっと回っていきますと、
前方の高台に城の天守閣が見えてきました。
それがこれ。
先達さんから
「え~皆さんの左に見えている
お城はなんていう城でしょうか」
とクイズが出ました。
「え~今治城かなあ」とみんなが言ってます。
まあ、この辺りは最近
よく来ている場所なんですが、
観光地はほとんどめぐっていません。
なのでこういう城も行ったことがないし、
まったく知らないんですね。
で、先達さんから上がった回答が、
「実はあの城は個人のものなんです。
周りにいろいろとある櫓は
なんとマンションで、
家主が天守閣に住んでいるそうです。」
うヒャー、すごい家ですねえ。
マンションの名前は
「城山ハイツ」というそうです。
ただ見学は家なので
中には入れないそうで、
外から見るだけにしてくださいとのこと。
ネットでいろいろ調べていたら、
今の家主は40歳。
その祖父が建てたものらしいです。
この城の中の石垣には
鬼か幽霊の手形がある
と言われています。
ふーん、なんかお寺より
神秘的かもしれませんな。
とか言ってるうちに、
お寺につきました。
駐車場にバスを止め、
のどかな景色の中、
猫に見守られながらお参りに向かいます。
この寺は、行基が不動明王を
本尊として開いたことが
きっかけとなり、
嵯峨天皇の勅願によって
空海が再興したお寺だと言われています。
不動明王が本尊なので、
お参りをするときに言う本尊御真言が
「のうまく さんまんだ ばざらだん
せんだ まかろしゃだ そわたや
うんたらた かんまん」と長いのだ。
でもしっかりとお参りしましたよ。
この寺には「長寿の心得」があります。
ところで、この寺には
そんな本尊の他に
「近見太郎、近見次郎、近見三郎」
という名の三つの鐘の
物語があります。
まず最初の太郎は
海の中に沈んだといわれています。
で、参道横の山の上に
今もある鐘が「近見次郎」です。
実はこの鐘は太平洋戦争の時に
金属供出で、差し出されることに
なっていました。
しかし、では旅立とうといった日に、
この金は姿を消してしまったのです。
どうやら住民がこっそり
持ち帰っていたようです。
そのことを知らなかった住職が、
終戦後鐘を突くようにしようと
そろえたのが「近見三郎」で
拝殿のそばにありました。
それがこれ。
熊野古道を歩くと、
たくさんのお寺が金を供出していました。
この鐘楼は鐘が釣るしてあるから
こそバランス的によく、
風にも強いとされています。
だから鐘が亡くなったために
バランスを保つために
石をつるしてある鐘楼もありましたねえ。
また大きな鐘を作っておきながら、
戦争のために一度も付くことなく
銃弾か飛行機か武器になって
消えていったという
巨大な鐘も四天王寺にありましたねえ。
ここまで四国遍路をまわった中で
そんな話はあまり聞かなかったのですが、
四国ってあまりそういう供出って
なかったのかなあ。
で、ここの絵ですが、
どこにしようか悩みました。
鐘楼もいいかなあ。
池に移るお寺もいいかなあと悩みましたが、
ここはこの山門を
書いてみることにしました。
この山門も特徴があって、
これは今治城にあったものを
ここに移してきたものだそうで、
作ったのがあの三重県の上野城を作った
藤堂高虎なんだそうです。
絵に描きますと、
ここはバックの山の木々が
多かったですねえ。
しかも今の季節らしく
葉っぱが黄色になっていたり
している木もありました。
ほんとはねえ、真っ赤な紅葉を
書いてみたかったのですが、
ここでは見つからなかったです。
さあ、では次に行きましょう。
続く