しかしこういう砲台なんかは、
山の地形を利用して
作られたのかなあ。
それとも山を削ってまでして
作られたのかなあ。
なかなかの工事だったと思います。
そういえば、この島には
もう一つ変わったいわれがある。
それはねえ昔の海賊
「つむじ風剛右衛門」
が財宝をこの島に隠してあるという話だ。
まだこの島から財宝が見つかった
という話はないから、
きっとどこかの山の中に
こっそり眠っているのだろう。
山中にあるこんな洞窟なんかも
しっかり眺めてみる必要があるだろう。
ちなみに、この洞窟はゴミだらけでした。
そうしてしばらく歩いていくと、
道は最初に上陸した
野奈浦桟橋の近くに出ていきます。
当初の予定ではやはりここで
もう帰路につかねばばらないような
時間だったのですが。
この日はどんどん船が出ています。
時間的にはもう少し余裕がありそうなので、
やはり当初の予定通り
虎島へと行くことになったのでした。
和歌山市で20年間市議会議員を
やってた人で、あの「役行者」に
興味をもって各地を旅した人がいます。
その人が2003年に
役行者の足跡に迫る
という本を出し張りました。
その本と図書館で出会い、
借りて読んでみたところ
友ヶ島の虎島に行った時のことが
書かれてありました。
虎島は沖ノ島の陸繋島で
小さな岩場でつながっています。
そこへ行くにあたっては、
大潮の日で潮が大きく引く日にしか
行けないようなことが
書かれてありました。
そこで過去3度この島に行ってる
ジダンに聞いてみると、
「僕がいったときは、いつも全然普通に渡れるよ」
というではありませんか。
ということはたまたまジダンは
大潮の日に行ったのか、
あるいはその本の出た2003年以降に
道が整備されたか、あるいは
ただ単に警告して注意させようのどれかである。
陸繋島だから、
さらに砂が詰まったということも
あるかもしれない。
ここへ渡ってくる船から見たら、
どうにも危なさそうな道であるのだが、
ジダンがそういうので、
まあ一度そこへ行ってみることにしたのだ。
途中は山をいくつか超えていった、
途中にあったのが、
この沖ノ島に東側にある
「神島」の遥拝所だ。
一話で言ったように
もともとこの島に神様が祭られていたのだが、
仁徳天皇がそれじゃお参りが不便だろうと、
加太に神社を立てて
祀るようになったのが「淡島神社」だ。
人形の流しびななんかで有名なお寺で、
この寺が移動させられたのが
3月3日だったため、
今も桃の節句は3月3日だといわれているそうだ。
今の我々の生活と
深く関係しているいわれがあるのだ。
そこでしっかり遥拝し、
さらに進んでいきます。
この辺りまで来ると、
大量に押し寄せる観光客たちも
あまり姿を見ないし
自然環境も変わるのか
植物なんかもあの
「ナルトサワギク」は少なくなり
旧来のツワブキや
アザミが目立っているのだ。
おお~、山椒なんかも生えていたり
蛇もいるんだって。
帰りの時間も考えながら
歩き続けていると、
やっと景色が開けてきました。
そこにあったのが虎島の案内板です。
そこには「潮が引いた時以外は
渡れないのでご注意ください。」
と書かれている。
ということはどんな道なのだというと、
こんな感じで続いていた。
う~ん、微妙だなあ。
石はさほど濡れていない
といっても湿ってるしなあ。
岩の間にこんな生き物もいるしなあ。
でもまあ、ここは陰謀との戦いである。
もし湿って帰れなくなっても
周りが浅いし何とかなるだろう。
陰謀には打ち勝つのだ、
とか言いながら
こんな岩の上なんかを
結局わたることにした。
お、こんなところに砲台から
打ち込まれた砲弾が・・・
と思ったら、フグの骨でした。
へ~、フグってこんな骨に
なってるんやあとか言いながら、
こんな狭いところを
わたっていく我々でした。
続く