ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

ドジ旅日記南海孤島の陰謀4

2016年12月05日 20時55分05秒 | ウォーキング

そんな複雑な過去や
防衛上の目的から、
友ヶ島は地図上にも
記載されなかったと
いうこともあったそうだ。

当時にはドジ旅も無理だったわけですな。

島の持つ巨大なエネルギーの残像が
この島内には数多く取り残されている
といっても過言ではないのである。

はい。
では、この第2砲台跡を眺めてみよう。



ジダンに誘導されて
少し高い位置にのぼって行きますと、
この砲台が見渡せます。



たくさんの木に囲まれて、
レンガを積み上げた建物がいかめしいですな。



で、この砲台も含めたこの景色が、
実は今の友ヶ島観光大流行の
原因になっているのだ。



それが、宮崎駿のアニメ映画
「天空の城ラピュタ」の景色に
よく似ているということから
火がついたのだ。



まあ、ここへきて崩壊の呪文を
唱える若い奴はもう何人もいたでしょうな。

雲のように浮かぶラピュタで
動きまわるパズーとシータ。
いつもの宮崎作品より
使った色の数は多かったそうで、
そんな映像もきれいだったが、
この映画でdoironが
最も好きだったのは音楽だったな。

作った久石譲関連の
コンサートまで行ったくらいだからね。

え~、ちなみに我が家は
「場末の城アホカイナ」ですがねえ。

それにしても「南海孤島の友ヶ島」
いやあ、様々な面から
人々をとりこにする島ですなあ。

しかしここの砲台は
近づいてみると崩落が激しいようで、
中には入ることはできなかったな。



見晴らしのいい場所で、
多くの自然にさらされ朽ちていったのでしょう。

山で自然にさらされつつ
頭髪を朽ちさせて行く誰かのように・・・。



では次の場所へと回っていきましょう。

次はこの島西端にある
「友ヶ島灯台」です。



前回も書きましたが、
諸外国との交渉の中で建てた灯台で、
洋式灯台としては日本では
8台目の灯台となる。

明治5年というから古い。

で、今も現役で働いているそうだから、
それはなかなかすごい。



その灯台の横には第一砲台がある。



この砲台のあったところが
ちょうど以前灯台のあったところだ。



明治23年に砲台を作るがために
灯台は少し場所をかえられたそうだ。

砲台1番、灯台2番の扱いである。

ここには戦いに備えた人間の
欲望や陰謀がかつて働いたのだろうて。

それらの施設から
まだ少し西に下りてゆき、



海辺への坂の手前にある広場が
「日本標準時子午線」である。



東経135度00分00秒が
そこを通っている。

行ってみれば日本標準時の
最南端の陸地である。

以前は丹後の方の最北端にもいったから、



な、なんとこれでdoironは
標準時子午線を征服である。

日本はdoironを中心に
時間が進んでいくことになるのだあ。

などと馬鹿なことを言ってるうちに
置いて行かれそうになるので
急ぎましょう。



この辺りは孝助松海岸です。



親孝行の船員が
この木につかっまて助かったという場所
た、多分この木かな



次は旧海軍聴音所跡です。
山道を歩きつつ
不意に右に現れる山道を
登っていきます。



こんな山道をぐいぐい上っていきますと
現れるのが、この施設です。





潜水艦などの侵入を察知するために
作られた施設だそうです。



もともとこの島が砲台や灯台などで
騒がれはしていましたが、
ここが聴音所後だと分かったのは、
まだ今から15年くらい前の
新しいことです。

かつては何もかもが
秘密にされていた
軍事施設だったからでしょうか。

それともそれとわかるような
人間を拒絶し続けた
島の陰謀だったのでしょうか。

以後、いろいろと調べてみると、
ここから海の中にマイクを3つほど突っ込み、



その音を聞いていたそうです。

まあ、一度も潜水艦が来た
とういう事実はなかったのですが、
普通の船なんかもあったでしょうから
気を遣う仕事だったでしょうねえ。

ここは鉄筋二階建ての、
かなり老朽化した施設でしたな。



続く