今回は、「伊万里 染付 桃文 小皿(5客組)」の紹介です。
これも、昭和59年に(今から36年前に)、しかも、私のコレクション記録に依りますと、前回紹介した「伊万里 色絵 ナス宝珠文 茶碗」を買った翌日に、同じ場所で(デパートの催事場で行われた「骨董市」で)買っていることが分かります。日参して買っていたわけですね(~_~;)
今では、あちこちの神社の境内などで「骨董市」がしばしば開かれていますので、骨董品を買う機会は多くなっていますね。また、インターネット・オークションも四六時中開かれていますから、それこそ何時でも骨董品を買うことが出来るわけですね。
しかし、当時は、地方都市のデパートの催事場で年に1~2回行われる「骨董市」は、マニアにとっては大変に楽しみの場でした(^-^*)
ところで、この小皿につきましても、既に、かつての拙ホームページの「古伊万里への誘い」の中で紹介済みですので、ここで、再度、その記事を紹介し、この小皿の紹介に代えさせていただきます。
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<古伊万里への誘い>
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*古伊万里ギャラリー90 初期伊万里様式染付桃文小皿 (平成17年9月1日登載)
5客組(表面)
口径:13.9cm~14.3cm
5客組(裏面)
代表の1枚(口径が14.3cmのものの表面)
代表の1枚(口径が14.3cmのものの裏面)
まず、この小皿の様式分類をどうするかについては大いに悩んだところである。
古九谷様式に分類すべきなのかな~とは思ったが、どうもピントこない。ましてや柿右衛門様式ではないし、そうかといって古伊万里様式にも分類しがたい。
結局は、製作年代等を考慮して、一番初期伊万里様式に近いのではないだろうかと考えて初期伊万里様式に分類してみた。
この小皿のように、あまり特徴のないものの分類には苦労させられる。自分だけで楽しんでいる分には、そんなものはどうでもいいことではあるが、このようにホームページなどに登載して第三者にも見えるようにした場合にはそうはいかない。何らかの表示をせざるをえないので悩むのである。
その点、東京国立博物館の分類には感心させられる。
東京国立博物館における分類は、色絵で古九谷的特徴を有するものが古九谷様式であり、色絵で柿右衛門的特徴を有するものが柿右衛門様式である。それ以外は、すべて「伊万里 ○○世紀」と分類している。そこには、「初期伊万里」とか「金襴手」というような用語は出てこないのである。古九谷的特徴、柿右衛門的特徴を有しないものはすべて「伊万里 ○○世紀」なのだ! しかも、染付はすべて「伊万里 ○○世紀」である!!
この分類方法でいけばこの小皿の分類は簡単だ。「伊万里 17世紀」とすればいいからである。
しかし、どうも、伊万里の分類については、「初期伊万里」とか「古九谷様式」とか「柿右衛門様式」という用語が相当程度に定着しており、染付であっても、それらのいずれかに分類しないと気がすまない傾向にある。でも、東京国立博物館のように、それほどの特徴のないものを無理矢理に分類する必要はないのかもしれない。コレクターにとって、今後の課題であろう。
ところで、この小皿には、降り物も多く、また相当に歪んでいる。今なら、不良品としてハネられ、市場には出てこないであろう。
昔は、こんな物でも、チャント商品として通用したのである。しかも、今では、そんな降り物や歪みが見所となって愛されている。時代の違いだろうか?
また、ここまで歪むと、オブジェをさえ感じてしまう。現代的でもある!
こんなことを考えていると、オブジェなんていうものは、昔は自然に歪んで出来てしまったのであろうところのものを狙って、意識的に作り出しているのではないのかな~などとの不遜な考えが頭をよぎるのである。
代表の1枚(口径が14.3cmのものの側面)
(カメラではそれほど歪んでは写らない)
江戸時代前期 口径13.9cm(最小のもの)~14.3cm(最大のもの)
(注記)(令和2年12月13日記)
最近では、私は、極力、様式区分をしていません。
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*古伊万里バカ日誌29 古伊万里との対話(桃文の小皿) (平成17年8月筆)
登場人物
主 人 (田舎の平凡なサラリーマン)
百 恵 (初期伊万里様式染付桃文小皿)
・・・・・プロローグ・・・・・
今スーパーなどに行くと、甘い香を漂わせた桃が果物コーナーに沢山並べられている。その甘い香りに誘われ、また、あのみずみずしい甘味を思い出し、ついつい手を出して買ってしまう方も多いであろう。冷たく冷やし、薄皮をむきながら思いっきりガブリと噛み付く。あの感触が忘れられないという方も多いと思う。
主人も、そうしたうちの一人のようで、先日、桃を買ってきた。しかし、田舎の平凡なサラリーマンゆえ、そんなに裕福でもないので立派な桃は買えず、そこそこのものを買ってきたようである。
さっそく冷蔵庫で冷やし、それにかぶりついていたら桃文の小皿を思い出し、押入から引っ張り出してきた。
驚いたことに、引っ張り出されてきた小皿には、今、主人が食べている桃なんかよりよほど立派な桃が描かれていた。主人は貧乏人ゆえ、豊かな食生活は送れないようであるが、古伊万里に関しては身分不相応に入れ込んでいるようである。
主人:桃を食べていたら急におまえを思い出した。暫くぶりで見たが、美味しそうに描かれているね。今食べている桃より美味しそうだ!
百恵:そうですか。それはそれはありがとうございます。
でも、今の桃は品種改良されていますから、昔の私なんかよりよほど美味しいと思います。
主人:それはそうかもしれないな~。しかし、そんなに大きくは変化してはいないんだろう。桃は昔から珍重されているものね。恐らく、美味しかったからじゃないの。
もっとも、桃が古来より珍重されてきているのは、味よりはむしろ吉祥の果実としてだったようだけどね。
百恵:それはどういうことなんですか?
主人:うん。ちょっと調べてみたら、こんなことがわかったんだ。
昔、中国に仙境といわれていた場所が二箇所あったというんだ。東の蓬莱山と西の崑崙山だ。そしてその二つの山には不老不死の薬が秘蔵されていたと古くから言い伝えられてきたらしい。そのうちの崑崙山の主人が西の王母なので西王母と言われていたが、その中国の仙女である西王母のもとにある蟠桃という桃は、三千年に一度開花して実を結び、その実を食べると寿命が延びるという伝説があったらしい。それで、桃は長寿を意味する果実とされてきたということだ。
また、古事記には、伊邪那岐命が死んだ伊邪那美命に会いたいと思って黄泉の国まで追って行き、結果的には黄泉の国から逃げ帰ることになったのだが、その際、黄泉軍に追われて困っていた時に三つの桃の実を見つけ、その桃の実を投げつけて黄泉軍を撃退して無事に黄泉の国から脱出したと書かれているようだね。
それに、このような神聖な力を持つ桃の実から生まれた桃太郎が、諸悪の根源である鬼を退治して春の恵みをもたらすという桃太郎伝説も、そのような流れの一環だろう。
このように、桃は、中国でも日本でも、古来より、生命の果実、長寿の果実という吉祥の果実として扱われてきているようだ。
百恵:そうですか。私には、そんなありがたい意味があったんですか。
主人:そうなんだ。でも、やっぱり、桃は食べてみて美味しくなけりゃね~。どうも、今食べてる桃は、ケチッタせいか、そんなに美味しくないね。値段に比例したそこそこのものだね。長生きするような感じがしないよ。トホホ、、、、、
百恵:そうそう、私はどうして「百恵」という名前なんですか? 桃とは関係ないと思うんですが。
主人:ハハハ。そうだね。それは純粋に私の好みさ!
以前、歌手で女優でもあった山口百恵さんという方がいた。絶頂期の21歳で結婚のために引退し、引退後は芸能活動を全くしていないのに、現在でも根強い人気があるんだ。
その山口百恵さんが引退したのが昭和55年なんだ。私がおまえを手に入れたのが昭和59年だったから、まだ世の中に山口百恵ブームが消えないでいた頃だったね。だから、私がおまえを見つけた時、たわわに実った「桃枝」の「モモエ」と山口百恵の「モモエ」がだぶってしまったんだよ。おまえを手に入れることによって山口百恵さんの面影の一端を手に入れたような錯覚をおこしたわけだ。私もね、時代に敏感なミーハーなもんだからね。ハハハ、、、、、
百恵:あの~、ところで、私を何処で手に入れたんですか。
主人:地方のデパートの催事場だよ。当時はね、よく地方のデパートの催事場で骨董祭みたいなものが開かれていたんだ。最近では開かれなくなったね~。
当時はね、そんな所でも結構良い物が出たんだよ。ただね、売上の1割ぐらいをデパートにとられるとかで、その分が品物の値段に上乗せされていたから、普通のお店よりはちょっぴり高値だったけど、物が良かったから、皆~んな買いに行ったね。
百恵:ずいぶんと骨董の世界も変わったんですね~。
主人:そうさ。「骨董」なんていうと古くさいと思うだろうが、とんでもない誤解だね。今ではネットオークションなんていうのでさかんに行われているんだよ。むしろ、「骨董」は時代の最先端を行ってるんではないだろうか!
確かに、古伊万里17世紀の範疇には入るでしょうが、それだけではもったいないです。
写真で十分に歪みがわかります。それに、なんともいえない柔らかな呉須。
どう考えても古いです。かといって、古九谷や柿右衛門には到底入らない。
大胆に推理をすれば、伊万里焼が初源、初期から変化していく過程で、古九谷様式や柿右衛門様式とは無関係に発展していった染付の流れがあって、この皿はそれに入るのではないでしょうか。強いて名付ければ、初期藍九谷。
私が以前アップした「初期伊万里それとも藍九谷? 漁村風景中皿」に似ていると思います。
底銘は、是武字崩れのように見えます。
百恵チャン、やはりただ者ではありませんね(^.^)
しかしね~、考えてみますと、こんな歪みを愛でるんですものね。骨董好きという人種は変わっていますよね(><)
このような、様式区分がはっきりしないものは損をしますよね。
どうしても、「古九谷様式」とか「柿右衛門様式」のほうは有名で、高く評価されますが、このように、はっきりしないものは見捨てられてしまいますものね(__;)
遅生さんが以前アップした「初期伊万里それとも藍九谷? 漁村風景中皿」というものを、これから、再度、見に伺います。
なるほど、高台内の銘は、是武字崩れかもしれませんね(^_^;
過分なるお褒めにあずかり、百恵チャンも喜んでいることでしょう(^-^*)