Dr.K の日記

日々の出来事を中心に、時々、好きな古伊万里について語ります。

伊万里古九谷様式色絵草花文小皿

2019年09月14日 11時43分48秒 | 古伊万里

 今回は、以前、今では既に閉鎖してしまいました拙ホームページで紹介したことのある「伊万里古九谷様式色絵草花文小皿」を、再度紹介したいと思います。

 

伊万里古九谷様式色絵草花文小皿

 

 口径:13.1cm   高台径:5.3cm      高さ:3.1cm

製作年代:江戸時代前期

 

 

 

 裏面

 

 この小皿は、昭和61年に購入したもので、購入してから10年ほど経ってからの平成9年1月号の「陶説」(第526号)で紹介し、それから更に5年近く経った平成13年11月1日に既に閉鎖している拙ホームページで紹介したものです。

 「陶説(第526号)」の紹介文と、平成13年11月1日の既に閉鎖している拙ホームページの紹介文とは同じものですが、次に、その紹介文をもう一度掲載したいと思います。

 

 


 

<赤い糸で結ばれていた古伊万里>

 この物語は、今から約十年程前の或る骨董市での出来事から始まる。

 広い骨董市の会場に入ってまもなくのことであった。私は、とある古伊万里の小皿に妙に心奪われた。あっさりとして素朴な絵付け、それでいて大きな存在感。その存在感は、小皿でありながら大皿に勝るとも劣らない。大皿をそのまま圧縮したかの如くである。ちょうど、志野のぐい呑みの名品が、志野の茶碗の名品を圧縮したのと同じように。

 私は、小皿(口径13.1cm)をそっと手に取り、その感触を十二分に五感で味わった。「買いたい。」。「でも、まだ会場に入ったばかりではないか。今買ってしまったら、後でもっと気に入った物が見つかった時にどうするのだ。」と別の自分がささやく。自分の中の二人が、古伊万里を巡って、激しい争いをはじめたのである。貧乏コレクターの心の中に巣くう、悲しい定めである。

 しかし、その争いは、すぐに決着がついた。というよりは、すぐに決着をつけずにはおられなかったのかもしれない。私は、その小皿をそっと元に戻し、広い会場の中の次の売場へと足を進めていったのである。「とにかく会場を一巡し、それから、この小皿を買うかどうか決定しよう。」と。

 

「これ高いんじゃないの。もっとサービスしてよ。」
店主 「他の店と比較してよ。どこよりも安くしてるはずだよ。まあ、口開けだから、一割引いとくか。それ以上は原価割れだから無理だね。」
「それじゃ、また、後にしておくよ。」
      

 

 というような会話を続けながら会場をまわっていって30~40分経った時のことである。私は、自分の心臓が飛び出るのではないかと思うほど驚いた。なんと、そこに、先程の小皿が陳列されているではないか。大きさ、形、傷の具合、どれをとっても、先程の小皿に寸分ちがいがないのである。

 

「この小皿、さっき、会場の入り口付近にあったと思うんだけど・・・・・」
店主 「そうですよ。ちょっと前、私が買ってきたんです。良いでしょう。お安くしておきますよ。」

 

 これを聞いた時の私の頭の中は、一瞬まっ白になった。「しまった! さっき買っておくべきだった。」と。と同時に、「誰が、わざわざ高くなんか買うもんか。意地でも買わないぞ。」とささやく別の自分もいた。

 結局、その日は、私は、その小皿を買わなかったし、大きなものを釣り逃したショックも手伝って、何も買わないで終わった。しかし、そのことは、私にとって、大きな教訓となった。それ以来、買える範囲内の気に入った物に出会った時には、その時点で、即座に買うようになったのである。

 それから半年程が経過したであろうか。東京の古美術店巡りをしていた時のことである。またまた、あの釣り逃がした古伊万里の小皿が陳列されているではないか。店主の顔はと見れば、私から横取りしていった(?)、あの憎たらしい顔である。

 

店主 「やあ、しばらく。この小皿、良いでしょう。おたくなら特別勉強しますよ。」
「何が良いもんか。良かったらとっくに売れていたんじゃないの。」
店主 「この小皿は、おたくが買ってくれるのを待っていたんだと思うよ。」
「なに・・・。」

 

 この一言に、私は大きな感銘をうけた。「本当に、私が買ってくれるのを待っていてくれたのかもしれない!」。そう思うと、妙に、この小皿が、いとおしくなってきたのである。そして、この小皿を逃がした時に私に与えてくれた教訓も手伝って、私は、即座にこの小皿を買うことにした。

 その後、憎たらしく思った店主とも懇意となり、その店主から、いろいろと良い物を買うことができるようにもなった。きっと、この古伊万里の小皿と私とは、赤い糸で結ばれていたのだろう。いつまでも大事にしていこう。

 

 

 


 

 

  また、この小皿については、既に閉鎖している拙ホームページの平成13年11月1日の記事には、上に紹介した文章以外に、次のような文章も載せていましたので、それも紹介します。

 

 


 

<伊万里古九谷様式色絵草花文小皿>

 これは昭和61年に入手したものである。入手に至るいきさつについては、「古伊万里随想4」(*上で紹介した文章のこと)に記したとおりであるが、当時は、古九谷は、正に、古・九谷、すなわち、九谷焼の古いものということで、石川県産ということになっていた。

 これを見た瞬間、「あっ! 初期伊万里だ。」と思ったものである。生掛けで、高台は3分の1で・・・・・と、みんな、条件が揃っている。生地は初期伊万里なのだ。しかし、しかしである。表面の絵の調子は、どう見ても古九谷だ。

 これはどう解釈したらいいのだろう。石川県の九谷産と見るべきなのか、佐賀県の伊万里産(有田産)と見るべきなのか。こんな疑問を感じたりしたので、入手に手間取ったのかもしれない。

 でも、やっぱり、伊万里産にちがいないと確信して入手したのである。今では、立派に、古九谷様式の古伊万里として通るであろう。

 小皿ながら、初期伊万里大皿に負けないような雄渾さを十二分に有している。

江戸時代前期   口径:13.1cm

 

 


 

  今、思うと、昭和61年頃は、このような物は、当時普通に言われていた「古伊万里」には属さないし、「古九谷」にも属さず、「柿右衛門」にも属しませんでした。かと言って「初期伊万里」にも属さなかったんですね。

 「初期伊万里」といえば、一般的には染付ですから、それに色が付いているなどということはあり得ないということになるわけです。

 そういうことで、これは、「初期伊万里」の後絵ものなのか、或いは、最近作られた初期伊万里の偽物ではないかと疑われ、皆さん、なかなか手を出さなかったので、売れずに残っていたんですね。それに、訳が分からない割には高価でしたから、、、。

 これなんかも、どのように区分し、どのように表示すべきなのか、迷うところですね。

 古伊万里も、様式区分など止め、東京国立博物館の表示のように、「伊万里 色絵草花文小皿(17世紀前半)」とでもすればスッキリするのかもしれません。


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18 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (ころすけ)
2019-09-14 12:12:47
骨董市で先を越された業者さんが東京の古美術商だったのですね。結局、その業者さんから「古九谷」の小皿を入手。やはり、プライス的には割高になったのでしょうね。
骨董市等では予算に限りがありますから悩ましいですね。でも、ベテランとなったdr.kさんの場合は「手ぶら」で帰る勇気があるので見習いたいところです。
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古九谷伊万里 (遅生)
2019-09-14 13:04:27
すごいですね。
Dr.Kさんは、古九谷伊万里説の提唱者の一人だったんですね。しかも、実践に裏打ちされている。
陶説の寄稿文も格調が高い名文ですね。伊万里にかける意気込みと、古九谷・・伊万里を結んだ興奮があふれています。
ことじさんもそうですが、ホームページに並んでいた(過去形)伊万里、どんどんブログで紹介していただくと、私のように遅れてきた人間にとっては、大変ありがたいです。
この小皿、雲気紋と草岩で世界を表しているのでしょう。さらにそれを、外周の蔓花紋がぐるっと囲んでいて、その後の日本の陶磁器の絵付けを考えるうえで、とても興味深い品だと思います。
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ころすけさんへ (Dr.K)
2019-09-14 15:07:31
この小皿は、東京・平和島の骨董市にあったんです。
そして、私の先を越して買っていった業者さんも、東京・平和島に出店していたんです。
そんな関係で、東京で再度巡り合ったわけですね。

業者から業者に渡りましたから、値段は高くなりました(><)
はっきりとは覚えてはいませんが、多分、2万円くらい高くなっていたと思います。
一瞬にして2万円も高くなっていては、即座には買う気になりませんよね。
ほとぼりが冷めて、やっと買う気になったわけです(-_-;)
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遅生さんへ (Dr.K)
2019-09-14 15:51:35
私は、「古九谷伊万里説の提唱者の一人」というほどの者ではありません(^^;
田舎の、熱心な古伊万里好きに過ぎません。
「古九谷伊万里説」の熱烈な信奉者というところでしょうか(^-^;


>陶説の寄稿文も格調が高い名文ですね。
身に余るお褒めにあずかり、舞い上がりそうです(^O^)


当時、古伊万里と言えば、「型物伊万里」とか「献上手伊万里」くらいしか「古伊万里」とは認められていませんでした。
「柿右衛門」や「古九谷」は古伊万里ではありませんでした。
肥前磁器の優れた物のほとんどは古伊万里ではなかったんですよね。
しかし、古伊万里が好きになり、熱心に勉強もし、コレクションも続けていくと、どうも、そうではないように思われてきたんです。
当時、既に、「柿右衛門」については、故栗田館長さんが「柿右衛門」というものはない、それらは全て「古伊万里」だと強調していましたので、「柿右衛門」も「古伊万里」に属するんだろうなと思い始めていました。
そのうち、「古九谷伊万里説」が唱えられるようになり、それについて勉強し、コレクションをするようになって、だんだんと、それが真実であるように思えるようになってきたわけです。
確かに、その点では、実践に裏打ちされた「古九谷伊万里説」の信奉者なのかもしれません。

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Dr.kさんへ (酒田の人)
2019-09-15 07:42:43
ワタシが伊万里に興味を持ち始めた20年ちょっと前には、こういった品は「色絵古九谷」として図録や書籍に載っていましたから
ずっと前からそうのように認知されていたのだと思っていましたが
昭和の終りの頃は現在のような明快な分類がされていなかったことに驚きます。

高台が小さく、とろみのある釉薬感は間違いなく初期の印象を残しており
今なら「古九谷様式の萌芽を感じさせる品」とか表現される素晴らしい品だと思います。
購入時のエピソードもとても勉強になります。
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モノとの出逢い (つや姫日記)
2019-09-15 15:47:14
こんにちは

陶器のことはきれい 欲しい 使いたい。。。くらいしか分かりませんが
物との出逢いには深く納得致しました。

「貴方に買われるのを待っていたのですよ」
なんて言われたらたまりませんよね。

私は洋服屋さんの店長さんに良く言われます。(笑)衣類の場合は半額くらいになっていますから良いのですが。。。
陶器は買い時を間違えると上がっているのですね。
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酒田の人さんへ (Dr.K)
2019-09-15 19:55:03
そうですね。古伊万里の研究は急速に進みましたね。
私がコレクションを始めた頃は、激動の始まりのような感じでした。
本を読んでいても、何が何だか分からなくなり、随分と、無い頭を使い、思索し、自分なりに整理しながらコレクションを続けました。
古九谷など、本当に幻の存在で、是非、1点くらいは欲しいと思ったものです。勿論、古伊万里としてではなく、磁器を集めている者としては、参考に欲しいと思ったものです。
それが、古九谷が古伊万里に移籍し、値段も安くなりましたし、難解だった古九谷の判定も易しくなりました。
今昔の感がありますね。
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つや姫日記さんへ (Dr.K)
2019-09-15 20:10:10
ホント、
「貴方に買われるのを待っていたのですよ」なんて言われたらたまりませんよね。

実際に物が言うはずもないんですが、そのように聞こえるんですよね。つや姫日記さんが洋服屋さんの店長さんから言われるのと同じです(笑)。

衣類の場合でも、安くなっていた物が売れてしまい、でも、どうしてもその衣類を欲しければ取り寄せてもらうことになるでしょうけれど、その場合は、高くなりますよね。
それと同じです。
ただ、骨董品の場合は、同程度の物の存在が極めて低くなりますから、同じような物がどうしても欲しいとなると極めて高くなります。
衣類の場合でも、気に入った物は、ためらわずに、即座に決断して購入してください(^-^;
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江戸前期。 (不あがり)
2019-09-16 07:12:06
Dr.K様へ
この当時、この品物に先ず目が行く所がDr.K様が流石です。その先を行ったのが。この業者さんだった訳ですね。でも手入って良かったですね。これだけの品物を今見つける事は皆無であると私は考えます。良かったです。有難うございます。
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不あがりさんへ (Dr.K)
2019-09-16 08:13:47
当時、この小皿の良さを分かる人は少なかったです。
流石、その業者さんは、東京で、古伊万里を中心に扱っていたくらいですから、明るかったわけですね。
同業者同士だったわけですが、大きな骨董市会場から、同業者が陳列していたものの中から、すかさず、間髪を入れず、抜いていったんですね。
確かに、私も、今では、滅多に出て来ない品物かと思います。
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