今回は、「古染付 山水文 ひょうたん形墨置」の紹介です。
これは、昭和57(1982)年に、今から40年前に、地元の地方都市のデパート内の「骨董市」で買ったものです。
今では、「骨董市」というと、神社の境内とか、普通の大きなビル内で行われていますが、当時は、よく、デパート内の催事場で行われていました。
それはともかく、これを見たとき、小さく、可愛らしく、洒落た作りなのですが、では、いったい、これは、何時、何処で作られた物なのだろうかとの疑問がいっぱいでした(~_~;)
疑問点の第1は、まず、裏面に針支えが見られることでした。
裏面
普通、中国の磁土は耐火度が高いので、窯の中での焼成中にヘタったりしませんので、ヘタリ防止のために針支えをしたりしませんから、これは、中国物ではないのかもしれないと思ったところです。針支えの跡の目跡があるということは、伊万里なのではないかと思ったわけですね。
また、よく見ますと、目跡が外側にだけ付いていて、肝心の真ん中辺りには付いていないことに気付きました。ヘタリ防止のための針支えなら、真ん中辺りにこそしなければならないわけですから、、。
そうであれば、これは、伊万里でよく行われるヘタリ防止のための針支えではないということになりますね。
ということで、この針支えは、ヘタリ防止のためにしたのではなく、他の目的のために行ったものであろうと思ったわけです。写真から分かりますように、裏面まで釉薬が掛けられていますし、裏面も綺麗に釉薬の掛かったままの状態で焼成するために、床面から少し浮かそうとして針支えをしたのではないかと思ったわけです。
このことから、針支えがあっても、中国物の可能性が高いと判断したわけです。
疑問点の第2は、では、これは、何時頃作られたものだろうかということです。焼き物の場合は、素地が見えないと時代判定が難しいんですよね。このように、表面にも裏面にも釉薬が掛けられていて素地が見えませんと、とっかかりがないんです(~_~;)
表面
ところが、よく見ますと、この物の周辺の一部に傷の様なものがみえたんです。それは、上の写真の左側の中央部とその上方部分に存在します。その部分を拡大した写真は次のとおりです。
傷(?)部分の拡大
この傷のような部分の拡大写真を良くみますと、何かに当たって付いたような当り傷のようなものではないことに気付きますよね。まさに、虫が喰ったような形ですよね。
つまり、これは、良く言われます「虫喰い」というものですね。
「虫喰い」があるということは、これは、中国・景徳鎮の民窯で明末~清初に作られた「古染付」であろうと判断したわけです。
疑問点の第3は、これは一体、どのような用途のために作られたものなのだろうかということでした。
それについては、裏面に「玩玉」との銘款がありますことから、これは、文人の書斎用品として作られたものであろうと考えたわけです。また、大きさからいって、墨置ではないだろうかと思ったわけです。
以上のことから、私は、当時、これは「古染付 」の「山水文 ひょうたん形墨置」であろうと判断し購入に及んだものですが、皆さんはどのようにお考えですか、、、?
生 産 地 : 中国・景徳鎮の民窯
製作年代: 中国・明末~清初
サ イ ズ : 縦(最大)8.1cm 横(最大)5.7cm 厚さ(突起部を除く)0.5cm
景徳鎮・玩玉ですね。
貴重だ(^^)v
針支えのある物は総釉で玉器を意識した上手品が多いと思います。
染付の使い方も洒落ていて、文房四寶であることは間違いないですね(^.^)
確かに針支えの繊細な感じからは一般の中国陶磁と同等のようには思われません。また厚みも薄く、デザイン的にも洗練された印象がありますね。=官窯の可能性もアリ?みたいな。
今は、もう、毛筆で文字を書くことも少なくなりましたので、文房具を見かけることも少なくなりましたね。
これからも、どんどんと貴重な存在になるのでしょうね。
中国物にも針支えをした物があるんですね。
総釉の物を焼くとき、窯の接地面の部分も綺麗に焼き上げるために、接地面から浮かす必要があるので、針支えをしたのですね。
小さいのに手が混んでいて、それでいて嫌みも無く洒落ていますよね。
やはり、文人の文房具として作られたものと思われますか(^-^*)
僅かに、古染付周辺を少し勉強しましたので、古染付周辺だけが少し分かる程度です(~_~;)
これには虫喰いもありますし、洒落た、砕けた所もありますから、官窯ということはないかもしれませんね。
官窯ですと、もう少し厳しく、破綻のない作りになるかもしれませんね。
もっとも、そうなると、砕けた自由闊達さというような面白みはなくなるかもしれませんね。
造りがとても対寧ですし、土も上質のように見えます
40年も前にこの品に目を止めたドクターさんはさすがです。
思えば私も最初に骨董品を購入したのは地元のデパートの骨董市でした。
左上の青いくぼみは少し垂れたぼく汁を受けるためにあるのかな✨なんて思いました~(ついでにこのくぼみがあればレンゲも置けますね🎶※よく見ている中国歴史ドラマには「皇帝が執務中に書斎で羹を食べるシーン」というのが出て来るんです✨宦官が持ってくるんですけど、しょっちゅう・小腹を満たしているんです。清の皇帝って・・)
小さいスペースに描かれた山水のゆうだいな景色に、いつもひかれます・・✨
この「玩玉」という銘款の物がかなり一般的に出回っているような印象をうけたからです。
そこで、ネットで「景徳鎮 玩玉」と入力して検索してみましたら、沢山出てきたんです(≧◇≦)
清朝期に沢山作られていたんですね。また、清朝期の中期には「玩玉」という窯元もあったような、、、。
この品は、明末~清初に作られたものと思っていたのですがね、、、。
また、「玩玉」は、窯元名とか商品名ではなく、文人が書斎で玉のように愛玩するための物程度の意味で書き入れたものだとばかりに思っていたのですが、、、。
中国物は難しいですね、、、(~_~;)
昔は、骨董市というのは、よく、デパートで開かれていましたよね(^_^)
そして、今よりも品物は豊富で、良いものが並べられていたように思います(^-^*)
ありがとうございます(^_^)
また、私も、「左上の青いくぼみは少し垂れたぼく汁を受けるためにある」のだろうと思いました(^-^*)
中国の皇帝は、このような物で、書斎で羹を食べていたのですか(^_^)
もしも、中国の皇帝が現実にこれで羹を食べたのだとするとロマンがありますね(^-^*)
でも、これはかなり小さいですから、残念ながら、それはなさそうですね(~_~;)