火のアートフェスティバル行われる

2012-10-14 10:18:52 | プロフィール
毎年恒例の火のアートフェスティバルが10月14・15日の二日間にわたって開かれました。今年は20回目ということで様々なイベントが組まれました。


お天気も良くオープニングセレモニーは芝生の上で行われました。


登り窯からは真っ赤な炎があがっていました。


20回目ということで特別に上八重原在住の宮入刀匠による刀鍛冶の実演がありました。真っ赤に焼けた鉄を弟子の方が二人が金の槌で鍛えるのですが、その際の澄み切った音がとても印象的でした。


夜に入って小諸高校の皆さんによるブラスバンド演奏などもあり会場は大きな盛り上がりを見せていました。


イベントの目玉であるキャンドルナイトが行われ、小学生が作ったキャンドルが点火されました。昨年は3・11があったので「祈」という文字でしたが、今年は「夢」でした。被災された皆さんが一日も早く夢を持って前に歩みだせることを願っています。

援農部隊大活躍!

2012-10-13 01:19:10 | 趣味・野良仕事
今年は市議会議員の改選期になります。11月4日告示、11日投票で選挙が行われます。本来なら私もその準備の時期ですが、まだまだぶどうの収穫が続いています。そこで私の兄弟、妻の弟夫婦、娘夫婦の援農部隊が大活躍。このところ土日に遠方から来ていただき、お手伝いをお願いしています。とても助かっています。


枝にはまだまだたくさんのぶどうがついています。


弟は毎年手伝いにきているので収穫作業も手慣れたものです。


孫たちもお手伝い(?)にきています。すっかり大きくなって、トンボを取ったりカエルをつかまえたり二人で遊んでいます。とてもかわいいですね。


くるみも収穫期を迎えました。弟が竿で枝をたたいてくるみを落としています。このくるみの木は道路に面しているので風の強い日の朝などくるみの実や枝がアスファルトの路面に、車に引かれて散らばっています。道路の清掃は日課になっています。


おたよりをいただきました

2012-10-11 03:56:39 | 雑感
滋野小学校で下の娘が教わった藤野岳之先生の思い出をこれまでこのブログに書いてきましたが、先日こんな書き込みをいただきました。

はじめまして。私は藤野先生が茨城県つくば市(旧茎崎町)の小学校で臨時教師をされていた26年前に、先生の生徒だった者です。
先生が他の学校へ移られてからも、しばらく連絡を取ったり、会いに行ったりしておりましたが、中学高校と忙しくなるにつれ連絡も途絶え、気が付けば先生と全く連絡が取れない状態になっておりました。
私にとって先生は人生で一番の先生でした。
どうにかして連絡を取りたくて、時々Webや教師の名簿等で先生を捜しておりました。
そしてこちらに辿り着いた次第です。
先生のことを詳しく書いてくださり、本当にありがとうございました。
今はショックと悲しい気持ちでいっぱいですが、私も是非お墓参りをさせていただきたいです。


この方は私の娘の大先輩にあたるのですね。藤野先生は勤務された学校それぞれでとても大切なものを子供たちに植えつけてくれたのですね。いいや、子供たちだけではなく私たち保護者も大切な思い出をいただきました。

26年といえば四半世紀にもなります。そんなにたってからも慕われる先生なんてそうはいません。私は娘と共に藤野先生というお人柄にふれることができたことを喜びとしたいと思います。

半世紀ぶりの再会でした

2012-10-11 03:20:44 | 雑感
9月23日、東部中学校・滋野地区昭和39年度卒業生還暦同窓会を行いました。この春から準備を進め、各地区ごとに幹事を決め、住所を調べてお手紙を差し上げ、開催にこぎつけたものです。卒業生100名中、住所がわかった皆さんが80名。そのうち37名の方が参加されました。とても懐かしく昔話に花が咲きました。最初は誰かわからなかったけれど、話す中で思い出し「○○ちゃん」と子供のころの呼び名で語りかけていました。

この仲間は小学校に入る時は4クラスでした。その後3年生の時分町問題が持ち上がり、滋野村は東部町と小諸市に分断され、その中で芝生田(しぼうだ)、井子(いご)、糠地(ぬか次)の集落が小諸市に分かれることになりました。これに伴い3クラスになりました。

中学1年に滋野の中学は東部中学校に統合されることになり隣接する滋野小学校に間借り、中学2年の春統合中学に移転しました。中学3年の時には滋野(しげの)・祢津(ねつ)・和(かのう)・田中(たなか)の4地区が一緒になり13クラスのマンモス校ができました。こうして私たちは昭和の大合併の中で同級生との別れを経験してきました。

半世紀ぶりに再開したおさななじみは昔の面影が残っており、自然に名前も思い出していました。来年もまた集まろうということで散会しました。遠くからおいでいただいた皆さん、幹事の皆さんご苦労様でした。またの再開を期して。


ありし日の東部中学校・滋野部校。高い石垣の上に建つなかなか威風堂々とした校舎でした。4つの中学校の合併に伴い解体され、新しい統合中学校の管理棟となりました。


当日集まった37名の同窓生の皆さんです。

はじめての受賞でした

2012-10-11 03:05:51 | 趣味・野良仕事



9月に行われた巨峰の王国まつりの品評会で出品した種無し巨峰が県知事賞を受賞しました。とても思いがけないことで名誉なことでした。これまで丹精してきた妻にとって何よりの励みになったことだろうと思います。

私が現役中、妻は両親とともに巨峰づくりに従事してきました。銀行というところは転勤が多いところです。私も何度かの転勤を経験し40代半ばに自宅に戻りました。妻は巨峰づくりの農協の女性グループ「サングレープ」に誘われ、仲間とともにぶどうづくりに情熱を傾けてきました。いまでは巨峰と種無し巨峰、ピオーネ、長野パープルなどを栽培しています。

小さく生んで大きく育てる?

2012-10-06 00:35:19 | 議会活動
私が市議会議員になってから早いもので4年になります。いま考えてみると、区長経験もない一介のサラリーマンが立候補するなどということはほとんど考えられないことです。何の知名度もなく行政経験もない、まして政治についてとんとうとい私が市議会議員に立候補する事自体、まわりの知人達にとっては青天の霹靂だったのではないでしょうか。「何を血迷ったか」と思われたのではないでしょうか。もちろん家族も大反対でした。

立候補した理由は引退される議員さんに熱心に勧められたこともありましたが、やはりいまの市政をなんとかしたいという思いでした。当時しなの鉄道に跨線橋をかけ田中駅南口建設問題がありました。当初予算3億円が倍になり、さらに8億円になるということを聞いたときは信じられませんでした。こんな野放図なやり方でいいのかと思ったものです。最終的には南口へのトイレや自転車置き場を削減したため工事費は8億円を切りましたが、それでもそんな無計画ともいえるようなやり方で予算が立てられ、それを議会がなんらチェックできないということに腹立たしい思いがしたものです。

振り返ってみて、舞台が丘事業についても当初25億円が35億円になり、さらに道路も造ることで51億円にまで膨れ上がっていることは、南口の時とあまり変わっていないように見えます。民間であれば事業計画をきちんと立てることは常識です。これからの経済動向を探り、マーケット調査を行い、何度も何度もシュミレーションを重ね、その上で決断します。もし経営判断を誤れば会社自体がやって行けなくなります。

ところが行政は大違い。最初は小さくはじめて、途中で増額に次ぐ増額を重ね、最終的には当初予算を大幅に上回る事業が目白押しです。これを業界用語では「小さく生んで大きく育てる」などと言っているようです。議会においても最後の形が見えていないため、事業が始まってしまえば途中で増額になっても「始まってしまっているし、まあしょうがないか」となってしまいます。「小さく生んで大きく育てる」ことは議会対策上も有効なのです。一度賛成した事業を後になって反対することは「あの時賛成したじゃないか」と言われなかなか難しいのです。

しかし市民の立場に立てばとんでもないことです。すべて市民の税金です。最初に手のうちをすべてさらけ出してもらわなければ、その事業が適切なものかどうか正しい判断できません。最初は里山登山だったはずが、最後には切り立った岸壁を登っていたということになりかねません。

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