井出さんと江川さんのお話をお聞きしました

2013-12-09 12:20:01 | 議会活動


特定秘密保護法案の採決に反対の票を投じたみんなの党の井出ようせいさん、そしてジャーナリストの江川紹子さんのお話をお聞きしました。

みんなの党は特定秘密保護法案に賛成でしたから井出さんはきわめて厳しい立場に立たされています。報道によれば法案に反対した同僚議員とともに、みんなの党を割って新しい党を立ち上げるそうです。

会場は上田市内の映画館。立ち見も出るほど会場はいっぱいでした。私は井出さんのお話をお聞きするのは初めてでしたが、ご自分の考えをしっかり持っており、いわゆる議員臭がなく誠実なお人柄が感じられました。選挙のことを考えればあまり波風を立てることは得策ではありません。それでもこれだけは譲れないとおっしゃっていました。

江川さんは「未来から今を見る目が必要」と言い、「あとでなぜあの時に行動しなかったのかと悔やむことのないように」とおっしゃっていました。「市民の支えが必要だ。支えきれなくなった時、マスコミも政治家も倒れていく。市民が政治家を育てることだ」と述べられました。

特定秘密法案が強行採決された直後でもあり、熱気のこもった国政報告会でした。

人権のつどいに参加しました

2013-12-08 06:51:51 | 議会活動




12月7日、人権尊重市民のつどいに参加しました。人権啓発の標語・ポスターの優秀作品の表彰式のあと、歌手の新谷のり子さんの講演とコンサートを聞きしました。

新谷さんといえば私が若いころ「フランシ-ヌの場合」でデビュ-した人気の歌手でした。この歌は1969年、ベトナム戦争に心を痛めて自殺したフランシ-ヌ・ルコントさんを題材にしたもので大ヒットになりました。

新谷さんはこれまで日本各地で、戦争の悲惨さ、差別を受けている人々やハンディキャップを背負っている人々の声をテ-マに、コンサ-ト活動を行い、最近では人権学習の講師として独自の講演コンサ-ト活動をおこなっているそうです。気骨のある人権歌手です。

講演では「いのち」をテーマに被差別のこと、満蒙開拓の人々のことなどお話しいただき、そして素晴らしい歌をご披露いただきました。

秘密保護法案が強行採決されました

2013-12-07 06:18:01 | 議会活動
いま国会では特定秘密保護法案が審議されており、昨夜遅く強行採決されました。この法案には様々な問題点が多くの識者から指摘されています。新聞各社が行ったアンケートでも圧倒的多数の国民が反対ないし慎重審議を求めていました。そんな中、言論の府であるべき国会で国民の声に背を向けて強行採決を行ったことは誠に残念でなりません。

多くの国民が憂慮しているのは「権力は暴走する」ということです。政府自民党は「外交・防衛には秘密がありそれを守るのは当然だ」、「この法案がないとアメリカから情報を提供してもらえない」と主張しています。私も政治において秘密があることは理解できますし、すべて公開すべきとも思いません。しかし法案は一人歩きを始めます。

問題は恣意的に秘密を増やすことができることです。特定秘密に指定されれば国民は何が秘密なのか知ることもできません。特定秘密を漏らした場合最長で懲役10年と罰則が厳しくなり一般の国民も取締りの対象になります。

最終審議の中で政府から第三者機関を設けて運用をチェックするという修正案が示されました。しかしよくよく聞いてみれば内閣の中に置かれるとのこと。これではかたちばかりのチェックになることは目に見えています。

さらに秘密の有効期間が最長で60年となったことも問題です。秘密は未来永劫国民に開示されることはありません。

権力者にとってこれほど使い勝手のいい法律はありません。いったん特定秘密に指定すれば国民に開示する必要はなく、国政調査権も及びません。権力者が「秘密を洩らした」、「そそのかした」と認定した方に対しては懲役10年の厳罰が待っています。国民は委縮しモノを言わなくなります。権力は暴走を始めます。

ですから議論するたびに反対の声は広がって行きました。本来であれば議論する中で理解が深まり、賛同者が増えるはずですがまったく逆でした。衆議院では賛成したみんなの党も参議院では退席し、賛成は与党である自民党と公明党のみでした。いかに問題がある法案であるかを象徴しています。

終盤では自民党の石破幹事長は国民の正当な権利であるデモに対して「テロと同じ」と断じました。国民の声をまったく無視し、それどころかテロと見なすこういう感覚の方がこれから秘密保護法を運用して行くのです。憲法に定められた国民の基本的人権が守られるのかどうか心配です。

思い過ごしだと思われる方もいらっしゃるかもしれません。しかし歴史は繰り返すと言います。私は先日見てきた満蒙開拓記念館のことを思い出します。お国の言う「五族共和・王道楽土」を信じて27万人もの人々が満州に渡って行きました。最後の開拓者は終戦の3か月前だったと言います。その結果塗炭の苦しみを味わうことになりました。

原発もそうでした。国の安全神話を信じたばかりにとんでもない事故が起きました。さらにスピーディーの情報が開示されなかったばかりに避難の途中で多くの住民が被ばくをするはめになりました。同じことが繰り返さないとどうして言えるでしょう。

権力は必ず暴走します。だからこそ法案制定にはより慎重でなければなりません。残念ながら制定されましたが、今後の運用に目を光らせて行きたいと思います。

全員協議会が開かれました

2013-12-06 09:34:08 | 議会活動
12月5日は議会全員協議会が開かれました。全員協議会では行政の施策について市側から議員に対して説明が行われます。議題にのぼったもののうちおもなものについてご紹介します。

1、ごみ減量化施策方針について

市では懸案だった生ごみの堆肥化に本格的に取り組むそうです。今後のスケジュールが示されました。平成25年度に町内調整・建設用地選定を行い、平成26年度には基本構想を取りまとめ、平成27年度に業者選定・建設工事に着工。そして平成29年度に稼働開始とのことです。現在東御市ではごみの分別収集が進められていますが、生ごみ処理が一番の懸案でした。生ごみが堆肥化されればごみの減量化が大きく進むことになります。成功を願っています。

2、電気自動車重電設備の道の駅への設置について

長野県では地球温暖化計画にもとづき電気自動車の受電設備の設置を進めていますが、今回道の駅「雷電くるみの里」に設置することになりました。ここは年間入込客が年間45万人にもおよび、浅間サンラインに面しており利便性も高い施設です。

3、御堂(みどう)地区荒廃農地復旧事業について

祢津の御堂地区はかつて桑畑でしたがいまでは荒廃地になっています。ここを整備しワイン用ぶどう団地を造成、ワインによるまちおこしを行おうという計画が進められています。該当地区での説明会には大勢の市民の方が出席したそうです。今後地権者への説明会が行われるとのこと。いい方向にまとまることを期待しています。

このほか道路認定、指定管理者、東御市第二次総合計画、湯の丸高地トレーニング施設誘致活動などたくさんの案件があり質疑は午後にまで及びました。

お手紙とお花をいただきました

2013-12-06 09:01:42 | 雑感


5日は終日議会でした。その後忘年会があり帰宅は夜遅くになりました。帰ってみると滋野小学校の子供たちからのお手紙と、折り紙で作ったお花が届いていました。

この日、滋野小学校では収穫祭が行われました。同校では授業の中で子供たちの農業体験が行われています。5年生は春から1年かけて稲作りに取り組んでいます。6月の田植え、8月の案山子づくり、10月の稲刈り、11月の脱穀を子供たち自身の手で行っています。私はそのお手伝いとして稲刈りと脱穀に参加してきました。

収穫祭では自分たちで作ったご飯を炊いて、ごちそうをつくり、みんなでお祝いをするのが習わしになっています。そんなところにご招待されました。残念ながら議会があり参加することはできませんでしたが、その思いをお手紙とお花で伝えていただきました。ありがとうございました。思ってもいなかったプレゼントに感激です。大切に保管させていただきます。

12月議会の一般質問が決まりました

2013-12-04 01:17:49 | 議会だより
12月議会の一般質問が決まりましたのでお知らせします。上田ケーブルビジョンやFMとうみでも中継します。ご覧いただければと思います。私は二日目の午後2時半ぐらいからです。

12月12日(木)9時から
平林千秋議員、阿部貴代枝議員、三縄雅枝議員、
柳沢旨賢議員、佐藤千枝議員、 依田政雄議員

12月13日(金)9時から
櫻井寿彦議員、長越修一議員、横山好範議員、
蓮見喜昭議員、若林幹雄議員、窪田俊介議員


満蒙開拓平和記念館に行ってきました

2013-12-01 04:31:53 | 雑感


11月30日、今年の春オープンされた長野県下伊那郡阿智村の満蒙開拓平和記念館に行ってきました。中国東北部にかつて13年間だけ存在した幻の国「満州国」へ日本から約27万人の農業移民が渡って行きました。そのうち長野県からは全国一の3万3744人(全体の12.5%)が参加。そして飯田下伊那からは8389人(長野県の25%)が送り出されました。これが満蒙開拓です。

「20町歩の地主になれる」と言われ、夢を抱いて大陸に渡ったはずでしたが、1945年8月9日、突然のソ連侵攻で満州は戦場と化し、開拓団の人たちは広野を逃げ惑います。すでに男たちは戦争に召集され残っているのは女子ども、年寄だけ。馬賊に襲われ多くの開拓民が殺されました。行き場を失って集団自決したり、逃避行の中で命を落とす者も数知れず。終戦後も祖国に帰ることができず、難民収容所では飢えと寒さで大勢亡くなりました。

日中双方に多くの犠牲を出した「満蒙開拓」とはいったい何だったのか。記念館はこの歴史を風化させることなく後世に伝えるために、多くの人々の善意と協力でつくられたものです。パンフレットには「戦争に導かれていく道筋を学び、人々の体験に耳を傾け、平和な社会とは何かを皆さんと一緒に考えていきたい」と結ばれていました。

記念館に展示されている数々の証言を読んだり、ビデオで見てきました。お一人おひとりの言葉に胸がつまされました。語られる事実の重みに言葉がでませんでした。国策に沿って満州に渡り開拓に励み、最後は国からも見放され塗炭の苦しみを負わされたのです。

開拓団を守ってくれるはずの関東軍(満州駐屯軍)の主力はすでに南方戦線に送られ、ソ連軍の侵攻をはばむ力は残されていませんでした。それどころか開拓団にも知らせないで、防衛線を満州から朝鮮国境にまで後退させました。開拓団は日本軍からも見放されたのです。それが開拓団に多大な犠牲を生むことになりました。

帰りに満蒙開拓に家族7人で参加し、九死に一生を得てひとり祖国に帰り、その後中国残留婦人・孤児の引揚げにすべてを捧げた中島多鶴さんの半生を綴った「沈まぬ夕陽―満蒙開拓の今を生きる中島多鶴」(中繁彦著・信濃毎日新聞社刊)を買い求め読みました。あらためて満蒙開拓の実態を知らされました。

以前から行ってみたいと思っていた記念館でしたが、とても多くのことを教えられました。今度は家族で訪れてみたいと思いました。

住民の会、舞台が丘訴訟控訴せず

2013-12-01 03:22:29 | 雑感


舞台が丘整備住民訴訟とは、現在市が行っている舞台が丘整備事業(市庁舎周辺の公共施設整備事業)のうち、県立東御清祥高校の一部を取り壊し道路を建設する計画が地方自治法違反だとして市民が訴えていたものです。市民側は「市民の税金を県立高校建設資金に支出することは地方財政法で禁じている」と主張してきました。

この裁判の判決が11月15日にあり、原告住民側の請求が棄却され、控訴するかどうか市民の会の動向が注目されていました。新聞報道によると市民の会は控訴はせず、「今後は市民目線での市政をチェックし、市議会に行政チェック機能を果たしてもらうことを求めるなど『住民本位、住民参加、住民合意によるまちづくり』の実現に向け、会の名称も新たにし活動していく」としています。

市民の会の代表によると「判決には全員が不満を感じている。ただ裁判で争うことより、市と協働のまちづくりの中で、市民の願いと一致する市政を進めてもらうための活動にエネルギーを使おうという判断に至った」とのことです。

私はこれまで活動を続けてこられた市民の会の皆さんに敬意を表します。ご苦労様でした。これからはまちづくりの中でお力を発揮していただきたいと思います。

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