ジルベール・ベコー Gilbert Becaudが死んだ。74才だったそうだ。新聞はもとより,インターネットのWWWのあちこちでもいろんな人が哀悼の意を表している。その思い入れの程度は人によりさまざまであるが,確かに多くの人々を惹きつけ魅惑した最良の歌い手の一人だったのだと思う。かくいう私自身も,ずっとずっと昔にフランス語の勉強をはじめた頃,当時よく聞いていたNHKラジオの音楽番組で気に入ったシャンソンをカセット・テープに録音し,それらの歌をディクテーションのテキスト代わりに利用したりしていたのだが,その中にベコーの曲もいくつか混じっていた。例えば《10才くらいの少女》というスローテンポのセンチメンタルな歌などはお気に入りのひとつだった。スペインのとあるレストランで,季節は一月,私は一人で夕飯を食べていた,旅行者として... で始まるその歌詞は,恥かしながら30年近くを経た今でもすべて諳んじている。いってみれば,ベコーは私の幼年時代の先生でもあったのだ。
死亡記事を読んだその夜,奇妙な夢をみた。ある川のほとりで,《そして今はEt maintenant》を唄ってくれ,と誰かに請われている夢だった。それは薄汚い初老の男で,もしかするとアルベール・ラングロワだったような気もする。彼に答えるように私は歌った。人前で臆面もなく歌うことなぞまず御免被りたい性分の私が,見ず知らずの他人に請われるがままに歌ったのだ。それも最初から最後までフルコーラスで。さすがに大声は張りあげなかったけれども,それなりに思い入れタップリと。
目覚めたのち,何やら悲しい気分で満たされた。つかのま自我を見失ったような,プランクトニックな感覚に身を引かれるような思いであった。いい人がこうしてまたひとり去ってゆく。
死亡記事を読んだその夜,奇妙な夢をみた。ある川のほとりで,《そして今はEt maintenant》を唄ってくれ,と誰かに請われている夢だった。それは薄汚い初老の男で,もしかするとアルベール・ラングロワだったような気もする。彼に答えるように私は歌った。人前で臆面もなく歌うことなぞまず御免被りたい性分の私が,見ず知らずの他人に請われるがままに歌ったのだ。それも最初から最後までフルコーラスで。さすがに大声は張りあげなかったけれども,それなりに思い入れタップリと。
目覚めたのち,何やら悲しい気分で満たされた。つかのま自我を見失ったような,プランクトニックな感覚に身を引かれるような思いであった。いい人がこうしてまたひとり去ってゆく。