横浜・紅葉坂の音楽堂で見たレオ・フェレは...

2000年08月16日 | 歌っているのは?
 一昨日に記したレオ・フェレ Leo Ferreについて蛇足めいたことを少々。今から13年前の1987年4月14日,横浜・紅葉坂の県立音楽堂でフェレの来日コンサートを見た。それは我が横浜・関内「セピアの時代」末期のことである。

 まだ肌寒い春の宵,紅葉坂の古びた小さなホールにはそれでも500人ほどの“物好きな”観客が集まっただろうか(何とか興業として成立したのか知らん)。舞台の袖からゆっくり現れたフェレは一見して白髪のヨレヨレ・ジーサンの風体,中央にピアノをしつらえただけの簡素なステージの上で,聴衆に笑顔で媚びることもなく,挨拶もそこそこに,ただただ淡々とレパートリーを次々に弾き語りでこなしていった。その張りのある声はとても70過ぎの老人のものとは思われず,歌い振りも何というか「霊が憑依したイタコ」みたいに堂々としたものであった。その数年前に横浜・山下公園前の県民ホールで見たジルベール・ベコーのサービス精神に満ちあふれた緩急自在,喜怒哀楽に富んだドラマチックなステージとは全く対照的で,正直なところ素直な感動をもたらす舞台とは決して言えなかった。しかし,そこで私が見出したのは,ある屹然とした精神のライフ・ヒストリーの一断面,その孤高なる存在証明であった。まこと,世の中にはいろんな歌い手がいるものだ,

 当日のプログラム代わりとなるものであろうか,詩人の窪田般彌の訳になるフェレの詞歌集が書かれた冊子が会場で販売されていた。今,手元に残っているその冊子のページをパラパラめくると,当時のさまざまな社会情勢,自らの置かれていた境遇などを背景に,そのコンサートの情景がしみじみと蘇ってくる。一節だけ引用しよう(窪田さんの訳ではなく,愚訳ですけど)。


  時とともに すべては去ってゆく
  情熱を忘れ 声を忘れる
  早く帰りなさい,風邪を引くんじゃないよ,と
  あなたにそっと囁いた  
  貧しい人々の言葉を忘れる

  時とともに すべては去ってゆく
  そして人は疲れきった馬のように蒼ざめ
  行きずりのベッドのなかで震える
  多分は一人ぽっちで老いさらばえ
  失われた歳月に裏切られたと思う

  そう ほんとうに
  時とともに....


 歳月人を待たず。フェレが77才で死んだのはそれから約6年の後のことで,期しくもその日はバスチーユ解放の革命記念日であった。実に見事な生涯といっていいと思う。なお私自身についていえば,そのコンサートの数ヵ月後,将来の見通しなど全く何もないまま約10年勤めた小さな会社を退職した。それから13年.....  ク・ル・タン・パス・ヴィット!
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« レオ・フェレ 彼も一人の修... | トップ | 信ずるべきもの,あるいは「... »
最新の画像もっと見る

歌っているのは?」カテゴリの最新記事