梅雨期ゆえの鬱陶しい天気の日々がしばらく続いているが,時おり雲間に青空がのぞく昼下がりなどは,この期を逃してなるものかとばかりイソイソとMTBに跨って町中に走り出る。ただし,一応念のためにインターネットのサイト(国土環境(株)http://weather.metocean.co.jp/amedas/amedas03.htm)でレーダー・アメダスを見て降雨予想をチェックすることは怠りない。
この季節,当地の水無川沿いの遊歩道にはアジサイの花が綺麗な列をなして咲きほこっている。霞がかった青や薄桃や紫など,様々な梅雨色に縁どられたアジサイと川の流れとが美しく調和した水と緑の回廊だ。《紫陽花小径》,そんな言葉を末の句として歌でも詠みたくなるような光景である。
二級河川金目川の一次支川である水無川。この町を縦貫し,この町の住民の日々の暮らし,のみならず町全体の経済や産業にまで良くも悪しくも深く関わっている,いわば日常風景のメルクマールともいえるこの川は,丹沢山塊表尾根の主峰たる標高1,491mの塔ノ岳にその源を発し,途中いくつかの枝沢を集めながら大小多くの滝を連ねて約1,000mの落差を一気呵成に流れ下ったのち,山麓に位置する県立秦野戸川公園付近で山峡部を抜けて,そこから秦野盆地を形成する扇状地の中央部を,まるで「一筆書き」の筆跡のようにサラリと通り抜けている。扇状地ゆえ河床材料は透水性が極めて良好で,平時の地表流量はかなり少ない(その分,地下水を豊富に涵養しているが)。その秦野戸川公園の「風の吊り橋」から下流の市街地の中心「まほろば大橋」あたりまで川沿いをずっと下ってゆくサイクリング・コースが出来たらさぞ気持ちがいいことだろうなぁ,などというハカナイ願望を,だいぶ以前に記したことがある。
そういえばつい先日,巷間著名な物欲啓蒙雑誌(通販生活)の最新号において,これまた著名な?お笑い啓蒙芸人(松崎ナンタラ)が,水無川上流部の秦野戸川公園をムダな公共事業の代表例として持ち出してブースカ文句をたれるという類のアホダラ記事を見た。いわく,「これは自然を壊して作った自然公園だ!」,「吊り橋は2,400億円もかけて作られた『神奈川ゆめ国体』関連施設のひとつだ!」,「行政側が巨大な建造物を造って民衆に『ゆめ』を押しつけたって,そんなもので誰が安らげるもんか!」,「吊り橋の下を流れる川はほとんど水が流れていない。何のための吊り橋か!」とかなんとか,トンチンカンな御託の数々を並べて鬼の首でも取ったような気になっていたようだ。アホ記事に対していちいち反証するのもそれこそアホらしいが,ひとつだけ事実を述べておくと,この公園は「自然公園」なんぞではなく,都市公園法に基づく都市公園の一種で,主としてひとつの市町村の区域を越える広域のレクリエーション需要を充足することを目的とする「広域公園」である。そして,建設後約5年を経た現在では,当地並びに近隣地域の多くの人々にとって欠くことのできない休息と保養と遊興の施設として,魅力的で親しみ深い「安らぎ」の場所となっているように思われる(ウチの家族も大のお気に入りの公園だ)。公園ができる前,この付近の土地がどれだけ荒んだ地貌と植生と景観を有する場所であったか,ナンタラ氏はさて御存知か? 粗大ゴミの不法投棄には格好の場所で,かつ,不良少年少女やヤンキー達の屯する悪所であったような都市近郊の半ば見捨てられた山麓地の一部が都市公園として新たにキレイに環境整備されたということで,地域の住民は一体誰に,どのような負い目を感じねばならないのか?
おっと,つまらない寄り道をしてしまった。余所者の無責任な遠吠えなど我ら現住民にとってはどうでもよいことである。いつも言うことだが,まず自分ちの前のドブサライから始めなさい!ってもんだ。
そんなわけで(何がソンナワケだか),平日の昼間,紫陽花小径の傍らの川沿いを自転車に乗って鼻歌うたいながら滑るようにゆっくりと下っていく小柄な老人がいたら,それはワタシです。
ラムール セパラメー ラボワール
サ クールレリュー コミュヌシャンソーン
アンルーガー ダンシーニュ エ ロンセコニュー
ダンザンフリッソン ダーコルデオーン
パルフォワー トレーナンタン ボエーム
モンクール バーガボーン
ジュム スビャンタンデル ドゥセゼル サンファソーン
ドゥサヴィー クレール コミュヌシャンソーン
マルセル・ムルージ Marcel Mouloudjiの呑気歌でありますが,その思いは甘くホロ苦く,気恥ずかしくて邦訳することすら憚られる。けれど,カタカナで唄ってしまえばそれは単に音と旋律の精妙な組み合わせがもたらす心地よいミュージック,素直な感情表現の一形式に過ぎないのであって,別に意味内容を探る必要もあるまい。そう考えれば,身も心も開放的なツーリングの相伴としてムルージの歌は実にふさわしい。
そうだ。川沿いを走りながら,ふと思い出した情景がある。その昔,確か学芸大付属の松沢光雄先生だったと思うが,雑誌の連載記事のなかで,五反田駅近くの目黒川沿いの道を《夕焼け歩道》とひとり勝手に命名していた。夕暮れ時,会社や工場勤めの人々が,多分はソニー本社方面から東急池上線の五反田駅へと家路を急ぐであろうその遊歩道の傍らには,焼き鳥屋,オデン屋などの屋台が点々と軒を連ねていたのかも知れない。そして,コンクリート三面張りの味気ない掘割を流れる暗く濁った目黒川も,黄昏せまるその時刻ばかりは夕焼け空やネオンや雑居ビルの窓明かりなどを反映して,つかのま美しいキラメキを放つ魅力的な流れを呈していたのだろう。高度経済成長期のまっただなか,1960年代末の人々の暮らしに充分活気があった時代,都会の場末における懐かしくも生き生きとした情景が思い出される。想像するに,実に身も心も開放的なウォーキングだったのではあるまいか。本当は,そんな風景のBGMとしてこそムルージの歌はふさわしいのだろうけれどネ。ま,同じ川沿いの誼として,そこはひとつ。
この季節,当地の水無川沿いの遊歩道にはアジサイの花が綺麗な列をなして咲きほこっている。霞がかった青や薄桃や紫など,様々な梅雨色に縁どられたアジサイと川の流れとが美しく調和した水と緑の回廊だ。《紫陽花小径》,そんな言葉を末の句として歌でも詠みたくなるような光景である。
二級河川金目川の一次支川である水無川。この町を縦貫し,この町の住民の日々の暮らし,のみならず町全体の経済や産業にまで良くも悪しくも深く関わっている,いわば日常風景のメルクマールともいえるこの川は,丹沢山塊表尾根の主峰たる標高1,491mの塔ノ岳にその源を発し,途中いくつかの枝沢を集めながら大小多くの滝を連ねて約1,000mの落差を一気呵成に流れ下ったのち,山麓に位置する県立秦野戸川公園付近で山峡部を抜けて,そこから秦野盆地を形成する扇状地の中央部を,まるで「一筆書き」の筆跡のようにサラリと通り抜けている。扇状地ゆえ河床材料は透水性が極めて良好で,平時の地表流量はかなり少ない(その分,地下水を豊富に涵養しているが)。その秦野戸川公園の「風の吊り橋」から下流の市街地の中心「まほろば大橋」あたりまで川沿いをずっと下ってゆくサイクリング・コースが出来たらさぞ気持ちがいいことだろうなぁ,などというハカナイ願望を,だいぶ以前に記したことがある。
そういえばつい先日,巷間著名な物欲啓蒙雑誌(通販生活)の最新号において,これまた著名な?お笑い啓蒙芸人(松崎ナンタラ)が,水無川上流部の秦野戸川公園をムダな公共事業の代表例として持ち出してブースカ文句をたれるという類のアホダラ記事を見た。いわく,「これは自然を壊して作った自然公園だ!」,「吊り橋は2,400億円もかけて作られた『神奈川ゆめ国体』関連施設のひとつだ!」,「行政側が巨大な建造物を造って民衆に『ゆめ』を押しつけたって,そんなもので誰が安らげるもんか!」,「吊り橋の下を流れる川はほとんど水が流れていない。何のための吊り橋か!」とかなんとか,トンチンカンな御託の数々を並べて鬼の首でも取ったような気になっていたようだ。アホ記事に対していちいち反証するのもそれこそアホらしいが,ひとつだけ事実を述べておくと,この公園は「自然公園」なんぞではなく,都市公園法に基づく都市公園の一種で,主としてひとつの市町村の区域を越える広域のレクリエーション需要を充足することを目的とする「広域公園」である。そして,建設後約5年を経た現在では,当地並びに近隣地域の多くの人々にとって欠くことのできない休息と保養と遊興の施設として,魅力的で親しみ深い「安らぎ」の場所となっているように思われる(ウチの家族も大のお気に入りの公園だ)。公園ができる前,この付近の土地がどれだけ荒んだ地貌と植生と景観を有する場所であったか,ナンタラ氏はさて御存知か? 粗大ゴミの不法投棄には格好の場所で,かつ,不良少年少女やヤンキー達の屯する悪所であったような都市近郊の半ば見捨てられた山麓地の一部が都市公園として新たにキレイに環境整備されたということで,地域の住民は一体誰に,どのような負い目を感じねばならないのか?
おっと,つまらない寄り道をしてしまった。余所者の無責任な遠吠えなど我ら現住民にとってはどうでもよいことである。いつも言うことだが,まず自分ちの前のドブサライから始めなさい!ってもんだ。
そんなわけで(何がソンナワケだか),平日の昼間,紫陽花小径の傍らの川沿いを自転車に乗って鼻歌うたいながら滑るようにゆっくりと下っていく小柄な老人がいたら,それはワタシです。
ラムール セパラメー ラボワール
サ クールレリュー コミュヌシャンソーン
アンルーガー ダンシーニュ エ ロンセコニュー
ダンザンフリッソン ダーコルデオーン
パルフォワー トレーナンタン ボエーム
モンクール バーガボーン
ジュム スビャンタンデル ドゥセゼル サンファソーン
ドゥサヴィー クレール コミュヌシャンソーン
マルセル・ムルージ Marcel Mouloudjiの呑気歌でありますが,その思いは甘くホロ苦く,気恥ずかしくて邦訳することすら憚られる。けれど,カタカナで唄ってしまえばそれは単に音と旋律の精妙な組み合わせがもたらす心地よいミュージック,素直な感情表現の一形式に過ぎないのであって,別に意味内容を探る必要もあるまい。そう考えれば,身も心も開放的なツーリングの相伴としてムルージの歌は実にふさわしい。
そうだ。川沿いを走りながら,ふと思い出した情景がある。その昔,確か学芸大付属の松沢光雄先生だったと思うが,雑誌の連載記事のなかで,五反田駅近くの目黒川沿いの道を《夕焼け歩道》とひとり勝手に命名していた。夕暮れ時,会社や工場勤めの人々が,多分はソニー本社方面から東急池上線の五反田駅へと家路を急ぐであろうその遊歩道の傍らには,焼き鳥屋,オデン屋などの屋台が点々と軒を連ねていたのかも知れない。そして,コンクリート三面張りの味気ない掘割を流れる暗く濁った目黒川も,黄昏せまるその時刻ばかりは夕焼け空やネオンや雑居ビルの窓明かりなどを反映して,つかのま美しいキラメキを放つ魅力的な流れを呈していたのだろう。高度経済成長期のまっただなか,1960年代末の人々の暮らしに充分活気があった時代,都会の場末における懐かしくも生き生きとした情景が思い出される。想像するに,実に身も心も開放的なウォーキングだったのではあるまいか。本当は,そんな風景のBGMとしてこそムルージの歌はふさわしいのだろうけれどネ。ま,同じ川沿いの誼として,そこはひとつ。