最近,といってもここ半年くらいのことになるだろうか,ある特定の宗教崇拝者からなる家族(複数)に対して少々イヤ~な感じを抱き続けている。そのターゲット名をJWと記しておこう。我が家のごくごく近所に居住しており,しかもそのうちの一例は互いの子供がほぼ同年齢,そのため嫌でも日々頻繁に顔を会わさずにはいられない。具体的には以下のような軋轢が発生している。
(1) 表向きの日常挨拶などは非常に礼儀正しい(少なくとも親の方は)。正しすぎて少々戸惑うほどであり,特に何ともいえぬ愛想笑いを常に伴っているため,当方としても無下に素っ気なくするわけにもゆかず対応に苦慮する(ギコチナイオ付キ合イ)。
(2) 時折,我が家のすぐ前で親子共々ボール・ゲームなどで遊びながら,アハハケラケラと不自然なまでの大声で快活に笑っているのが聞こえてくる。それはまるで“明るい家族の肖像”を我が家を含めた近隣一帯に誇示してしているかのごときである(実ニ耳障リナ騒音ナワケデ)。
(3) 子供(複数)の方はそれでも近所の一般家庭の方々からは何となく胡散臭がられている様子で,さればこそ一層,遊び相手を求めて積極的に近所を縦横に徘徊する。そのパワーにウチのサワガニ兄弟は圧倒される。特にアキラなど,よく猫なで声で誘われている(ヲイヲイ,幼児ヲ誘惑シナイヨウニ!)。
(4) 親子共々身なりはいつもキチッと決めており,毎日が“よそゆき風”である(特に親の方は)。日常生活における服装の選択基準が当方とは大分かけ離れている。ただし少々難を申せば,冬の厚着と夏の薄着が少々極端であるようにも思えるのだが(バランス感覚ノ欠如,カナ?)。
(5) 週に二,三回,いわゆる“教典研究”の指導者と思われる若いオネーサン(姉妹というらしい)が軽自動車に乗ってJWの家に来る。このオネーサンは基本的な道路交通ルールをわきまえておらず,しばしば隣家の車庫のすぐ前に車を停める。それも数時間。隣家のオバーサンはその度にさぞイヤ~な思いをしているのであろうが,特に表立って注意はしていないようだ。『迷惑駐車置かれてわかる自宅前』(神奈中バスのコピー)。
(6) 清掃当番になったとき,ゴミ収集車が来たあともしばらくはゴミ収集所を掃除しない(1~2日遅れで掃除したりする)。恐らくゴミ掃除などにかかわっていられないノッピキナラナイ用事が,しばしばあるのだろう(地域社会ノコトナド二ノ次ナワケデ)。
(7) 町内の祭礼のとき,各家々を連ねて張られる“注連縄”が,JWの家だけ一旦途切れる。また,隣組内で行われる各種活動にもしばしば欠席,というか積極的参加拒否をする。組長は調整に大変である(来年ハウチガ組長ナワケデ)。
その他,挙げていけば次から次へと出てくるが,何だか重箱の隅をツンツンしているようにも思え我ながらナサケナクなってくるのでこの辺で止めておく。はいはい,わかりました。ワタクシは決して他人様に対して常識や良識を諭そうとか,教育的指導を行おうとか,ましてやある特定の思想的方向に導こうとなどとは断じて思っていない。その逆もまたしかり。そして,これだけは言っておきたい。ウチらに構わないでくれ(親も子も,だよ)。そう,かつてジョルジュ・ブラッサンス Georges Brassensが歌っていたようにね(以下,散漫な抜粋引用ではありますが)。
思想のために死ぬ 思想はすばらしい,ってか?
でも俺は そんなものを持たずに死ぬべきなんだ
だって思想を持ってるやつらは みんな
大勢で 押しつけがましくて
死に向かって叫びながら 俺のうえに倒れかかろうとする
決して急ぎはしないときめて
道草をくいながら こことは違う世界に向かって歩いてゆこう
だって無理して進めば すぐに死にたどりつく
翌日は役たたずの思想のために
すべてを変えるために
大虐殺が何度も何度も必要だとしても
今までの多くの大事件で あれだけ沢山の人が死んだのだから
もうこの地上には天国が出来ているはずじゃないか?
けれど黄金時代は 永遠にやってこない
神々はいつも渇いていて 決して満足しない
そして死だ いつも死が繰り返されるんだ
思想のために死のう,だって?
結構だ けど,ゆっくりとだぜ
結構だ けど,ゆっくりとだぜ
(1) 表向きの日常挨拶などは非常に礼儀正しい(少なくとも親の方は)。正しすぎて少々戸惑うほどであり,特に何ともいえぬ愛想笑いを常に伴っているため,当方としても無下に素っ気なくするわけにもゆかず対応に苦慮する(ギコチナイオ付キ合イ)。
(2) 時折,我が家のすぐ前で親子共々ボール・ゲームなどで遊びながら,アハハケラケラと不自然なまでの大声で快活に笑っているのが聞こえてくる。それはまるで“明るい家族の肖像”を我が家を含めた近隣一帯に誇示してしているかのごときである(実ニ耳障リナ騒音ナワケデ)。
(3) 子供(複数)の方はそれでも近所の一般家庭の方々からは何となく胡散臭がられている様子で,さればこそ一層,遊び相手を求めて積極的に近所を縦横に徘徊する。そのパワーにウチのサワガニ兄弟は圧倒される。特にアキラなど,よく猫なで声で誘われている(ヲイヲイ,幼児ヲ誘惑シナイヨウニ!)。
(4) 親子共々身なりはいつもキチッと決めており,毎日が“よそゆき風”である(特に親の方は)。日常生活における服装の選択基準が当方とは大分かけ離れている。ただし少々難を申せば,冬の厚着と夏の薄着が少々極端であるようにも思えるのだが(バランス感覚ノ欠如,カナ?)。
(5) 週に二,三回,いわゆる“教典研究”の指導者と思われる若いオネーサン(姉妹というらしい)が軽自動車に乗ってJWの家に来る。このオネーサンは基本的な道路交通ルールをわきまえておらず,しばしば隣家の車庫のすぐ前に車を停める。それも数時間。隣家のオバーサンはその度にさぞイヤ~な思いをしているのであろうが,特に表立って注意はしていないようだ。『迷惑駐車置かれてわかる自宅前』(神奈中バスのコピー)。
(6) 清掃当番になったとき,ゴミ収集車が来たあともしばらくはゴミ収集所を掃除しない(1~2日遅れで掃除したりする)。恐らくゴミ掃除などにかかわっていられないノッピキナラナイ用事が,しばしばあるのだろう(地域社会ノコトナド二ノ次ナワケデ)。
(7) 町内の祭礼のとき,各家々を連ねて張られる“注連縄”が,JWの家だけ一旦途切れる。また,隣組内で行われる各種活動にもしばしば欠席,というか積極的参加拒否をする。組長は調整に大変である(来年ハウチガ組長ナワケデ)。
その他,挙げていけば次から次へと出てくるが,何だか重箱の隅をツンツンしているようにも思え我ながらナサケナクなってくるのでこの辺で止めておく。はいはい,わかりました。ワタクシは決して他人様に対して常識や良識を諭そうとか,教育的指導を行おうとか,ましてやある特定の思想的方向に導こうとなどとは断じて思っていない。その逆もまたしかり。そして,これだけは言っておきたい。ウチらに構わないでくれ(親も子も,だよ)。そう,かつてジョルジュ・ブラッサンス Georges Brassensが歌っていたようにね(以下,散漫な抜粋引用ではありますが)。
思想のために死ぬ 思想はすばらしい,ってか?
でも俺は そんなものを持たずに死ぬべきなんだ
だって思想を持ってるやつらは みんな
大勢で 押しつけがましくて
死に向かって叫びながら 俺のうえに倒れかかろうとする
決して急ぎはしないときめて
道草をくいながら こことは違う世界に向かって歩いてゆこう
だって無理して進めば すぐに死にたどりつく
翌日は役たたずの思想のために
すべてを変えるために
大虐殺が何度も何度も必要だとしても
今までの多くの大事件で あれだけ沢山の人が死んだのだから
もうこの地上には天国が出来ているはずじゃないか?
けれど黄金時代は 永遠にやってこない
神々はいつも渇いていて 決して満足しない
そして死だ いつも死が繰り返されるんだ
思想のために死のう,だって?
結構だ けど,ゆっくりとだぜ
結構だ けど,ゆっくりとだぜ