修学旅行以来、実に25年ぶりに訪れた京都。
ずっと行きたかったのになかなか機会が訪れなかったんですよね。
学生時代は京都を楽しむというよりは、友達とワイワイガヤガヤするのが楽しみで、古いお寺や景観を楽しむことができなかったのです。
できれば静かな古都を味わいたかったのですが、さすがに紅葉シーズン。
すごい人出で風情も台無しでちょっと残念。
25年前とは違い、材木屋になったので見るところも変わってきました。
「ああ、こんなところにこんな材料を使っているんだ…」とか。
「ええ、こんな構造にしているんだ…」とか。
「あちゃ、こんな修繕しちゃったよ…」だったり。
木の樹種であったり、木材の種類であったりを適材適所に使われていると、とてもいい気分なのですが、本来木で作られるべき箇所に、一見木材っぽい違う素材で使われているのを見るとがっかりします。
京都と言えどもお寺によっては「あちゃちゃ」なところが結構ありました。
時代が変わっているので新しい素材を新しい使い方で見せるのは大賛成なのですが、そうではなくて以前使っていた素材に似せたり、以前つくられていた構造に似せて形だけ同じにするようなやり方には違和感を覚えます。
それでも京都は魅力的な町でした。
ずっと行きたかったのになかなか機会が訪れなかったんですよね。
学生時代は京都を楽しむというよりは、友達とワイワイガヤガヤするのが楽しみで、古いお寺や景観を楽しむことができなかったのです。
できれば静かな古都を味わいたかったのですが、さすがに紅葉シーズン。
すごい人出で風情も台無しでちょっと残念。
25年前とは違い、材木屋になったので見るところも変わってきました。
「ああ、こんなところにこんな材料を使っているんだ…」とか。
「ええ、こんな構造にしているんだ…」とか。
「あちゃ、こんな修繕しちゃったよ…」だったり。
木の樹種であったり、木材の種類であったりを適材適所に使われていると、とてもいい気分なのですが、本来木で作られるべき箇所に、一見木材っぽい違う素材で使われているのを見るとがっかりします。
京都と言えどもお寺によっては「あちゃちゃ」なところが結構ありました。
時代が変わっているので新しい素材を新しい使い方で見せるのは大賛成なのですが、そうではなくて以前使っていた素材に似せたり、以前つくられていた構造に似せて形だけ同じにするようなやり方には違和感を覚えます。
それでも京都は魅力的な町でした。
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