平御幸(Miyuki.Taira)の鳥瞰図

古代史において夥しい新事実を公開する平御幸(Miyuki.Taira)が、独自の視点を日常に向けたものを書いています。

マリアが見ていたもの~ピエタの正解

2012-06-24 00:04:09 | 古代史と聖書
 今回の問題は、純粋に観察力が試されるものでした。ミケランジェロはなぜ、このように刻んだのか?石膏像でそのように感じられるポイントは一カ所だけです。それは、マリアの頭の後方のベールです。

 このベールは、マリアの顔を除いて見ると、向かって右側を向いていることが分かります。マリアから見て、左斜め方向を向いているのです。従って、マリアは今の姿勢の前に、左斜めを見ていたことが分かります。ここから、マリアはベールを脱皮のように置き去りにするほど、強く速く、顔をイエスに向けたことが分かるのです。

 マリアの向かって右の顔は怒りが消えていません。それを表すのが、ベールの(向かって)右半分の険しい屹立なのです。まるで、人を拒む冬山の氷の崖のように屹立したベール。実際に描いてみると、極めて異質な感じが否めず、絵画的な処理に困ります。予備校生程度の実力だと、完全に浮き上がるかもしれません。

 では、マリアは左斜めに何を見ていたのか?それは回答者が現れたように、左に象徴されるサタンに属す側。イエスを磔刑にした為政者やサンヘドリンと呼ばれた祭司たちです。もっとも、実際の場面では既に居なかったでしょうけど、ミケランジェロはベール一枚でマリアの敵を暗示したのです。

 マリアには誤解が多いですが、イエスの激しい気性から考えて、その血はマリア譲りだと考えられます。小柄で強気で目がパッチリしていたマリアは、年の離れた夫のヨセフがカワエーと萌えるタイプだったと思います。そんなマリアが、怒りの矛先を納めて、預言されていたイエスの死を受け入れたのです。それが、向かって左側の魂が抜けたような顔なのです。

 このように、ミケランジェロは脱げ落ちそうなベール一枚で、マリアが直前に見ていたものとマリアの動きを表現したのです。モーツァルトが、交響曲第35番の第一楽章で「火の出るように」と演奏の指示を出しているのと同様に、芸術にはパッションが不可欠です。優雅さとか、慈悲深さだとか、美しさだとか、そのような建前のようなマリア像は、ミケランジェロの好みではないのです。ミケランジェロは火の玉の情熱を持つリアリストで、綺麗事の妄想家ではなかったという事です。


     エフライム工房 平御幸
コメント (13)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする