平御幸(Miyuki.Taira)の鳥瞰図

古代史において夥しい新事実を公開する平御幸(Miyuki.Taira)が、独自の視点を日常に向けたものを書いています。

芸大の不正入試

2012-06-25 23:19:18 | Weblog
 ピエタのデッサンをしていると、芸大に入った年の不正入試事件がフラッシュバックして、怒りの成分が多くなって困ります。

 1973年の日本画の試験は最初から荒れていました。一次試験が例年の石膏像ではなく、何とススキやイガグリが置かれた静物だったのです。こんなもの誰も描いたことはありません。しかも、二次試験の着彩は、例年の花ではなくて鳩でした。

 この年に限ってなぜ、試験方法が変えられたのでしょうか。卒業の時に、この年の担当だったH教授は目の前でこう言いました。石膏デッサンは無意味だと。僕は、石膏デッサンに対するあまりの無知に怒り、睨みつけて嫌味をたっぷり言ってやりました。デッサンも分からないエセ教授に、デッサンのことは言われたくありません。

 この教授に対する嫌悪感は、同じく才能のない平山郁夫に対する嫌悪感とは違う独特のものがありました。その理由が分かったのは、民主党政権になって日曜美術館の解説が朝鮮人の姜尚中になったからです。H教授と全く同じ顔(狐顔)をしているではありませんか。何と、H教授も隠れ朝鮮人だったのでしょうか。これで謎は全て解けますけど。

 というのも、この年の試験で合格した連中は、それはもう酷い者ばかりで、武蔵野美大や多摩美大はおろか、女子美も入れないような、見た目からの素人が片手以上もいたのです。また、僕がいた新美だけではなく、他の研究所もトップクラスは軒並み落ちていたのです。二軍級から三軍レベルが合格して、前評判の高かった者は僕と数人を除いて不合格。今でも、この年を下回るレベルはないでしょう。

 入学式の後のアトリエで、一人で腕を組んで目をつぶっていた男はぷっつりと来なくなりました。あまりの場違いぶりに耐えられなくなったのです。しかし、残る低レベル連中は、ずうずうしくも居座りましたね。当然のような顔をして。そりゃ当然でしょう。だって、在日朝鮮人枠で入ったのでしょうから。試験も、彼らの低レベルでも誤魔化しの利くモチーフが選ばれ、また主犯を迷彩で隠すカモフラージュ要員も何人もいたと思います。

 当時の芸大日本画の派閥は、院展の平山郁夫が中国派。同じ院展でも吉田善彦教授が正統日本画。訳の分からない創画会の工藤派と、同じ創画会の朝鮮派閥のH派となっていたのでしょうか。この中で最も弱いのがH派で、自分の立場を強くする子飼いを試験で選んでいたのでしょうね。

 吉田善彦教授は、僕が卒業制作になかなか顔を見せないので、初めて描きはじめたら廊下をパタパタ(スリッパ)と走ってきてこう言いました。精一杯の笑顔で、「あなたが居ないと締まりませんね」と。そして、卒業後に奈良の古美術研究施設にいらっしゃった時に訪問したら、喜んで僕の手を引っ張り、先生好物のマロングラッセを僕の手にてんこ盛りに持って「さあ、お食べなさい」と何度も言いました。かつてのクラスメイトも目撃しています。

 僕はこれらの厚遇に感謝しつつも、吉田先生が僕に何を期待していたのかは悟れませんでした。今に思えば、吉田先生は、芸大が汚鮮されている危機感から、僕に正統な日本画を描いて欲しかったのかもしれません。その後、同級生のグループ展で、少し遠くからですが吉田先生ご夫妻に頭を下げて挨拶できて良かったと思います。

 その怪しいH閥で入った男ですが、朝鮮人の多い東京の北に住み、朝鮮人の好む格闘技部に入り、朝鮮人のようにエラを広げて大学院でもイラストを描いていました。線を引いて色で塗るだけの仕事は、芸術的な絵画ではなくイラストなのです。僕はイラストだと嫌味を言ってやりましたが、当時に在日のことを知っていたら喧嘩になっていたでしょう。一度やりかけましたけど。

 予備校の新美の時から疑問だったのですが、やたらに在日の生徒が多く、おそらくは民潭や総連が文部省と取引をして、在日枠を確保したのだと思います。それで構成員に号令がかかり、子弟の美大志向が強まったのだと思います。武蔵野美大出身の島田荘司も在日臭いですし。しかし、僕の真似ばかりして、そこそこうまくなった男は何年も合格しませんでしたから、少年院に入ったとかの犯罪履歴や、その他の北か南かなどの不合格基準があったのだと思います。

 ということで、怒りと闘いながら描き進めているピエタ。まだ七割ですが、途中経過を公開します。芸大の石膏室でミケランジェロのモーセ像を描いて以来の石膏デッサン。最初は木炭削りの犠牲にするためにいい加減に描きはじめたものですが、途中から本気モードになって、ファンデーションが終わったあと、最終的な形の決定の作業です。細部を掘り起こす前段階のトーンの調整を、僕はファンデーションと呼んでいます。


できるだけ遠くから見てください。離れれば離れるほど空間と立体感が分かります。

 僕のデッサンの特徴は、木炭は落雁の質感になることで、これは家がお菓子屋だったことから、木枠から外したばかりの落雁が好ましい色となっているからです。だから、僕のデッサンはどこか甘い香りがするのです。

 また、もうひとつの特徴は、霧の中から現れるように形が決まって行く事で、石膏と空間の両方を同一視してトーンを乗せていることから生じる現象です。イラストには空間がない。このデッサンは空間が最優先される技法です。だから、初心者は絶対に真似しないでください。背景を描かないで形が取れるようになるまで、この技法は封印されるべきものです。

 ファンデーションから形を修正しながら仕上げるには、木炭の細くて硬いものをピンピンに尖らせ、擦筆とパンや練りゴムなどで細部描写をします。そうするとバランスが崩れるので、また大きなトーンを見直し、再び細部描写を続けます。しかし、眉や額からベールにかけてなど、隔たっているものを一つの形としてトーンを乗せている部分が多数あり、トーンを大きく見る勉強になるので、参考作品として掲載しました。細部描写なら鉛筆のほうが何倍も楽です。

 顔の表情などは、頬のラインや、眉からまぶたに出来る陰影の線一本でガラリと変わります。右目は悲哀系に振って右下がりのラインを強調して描いています。左目から頬と周囲のほとんどは描いていないので、右目とともに最終的にどうなるかわかりません。首からベールにかけてと、手前のコスチュームも手付かずなので、空間を壊さないように描いて行きます。

 このデッサンは、百人の人が見ると、表情が百通りに感じられると思います。耳なし芳一のように、成仏できない無数の霊が絵を通して天に昇るからです。イーゼルはヤコブの梯子であり、天への階段なのです。だからこそ、痩せるほどのエネルギーも必要となるのです。だからと言って恐れることはありません。霊を閉じ込めているわけではなく、逆に解放しているからです。僕はこうやって徳を積むのです。

 なお、モデルと資金があれば、人間のモデルのほうが良いのは当たり前です。石膏でこれだけ描いて行けるということは、人間なら人間らしく描けるということです。レオナルドはモデルと楽団を雇う資金に不足しませんでしたからね。

     エフライム工房 平御幸
コメント (8)
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