平御幸(Miyuki.Taira)の鳥瞰図

古代史において夥しい新事実を公開する平御幸(Miyuki.Taira)が、独自の視点を日常に向けたものを書いています。

乳と蜜の流れる地~二律背反のバランス

2014-08-26 18:43:51 | 古代史と聖書
 読者のコメントから「乳と蜜の流れる地」とは何かという問題を出しましたが、この簡単そうな問には深い知恵が隠されているのです。ただの豊穣や豊かな土地の比喩ではありません。

 コメント欄でヒントを出しましたが、ここで言う蜜とは蜂蜜のことで、果汁や穀物などから作られる糖蜜ではありません。従って、大前提として、蜜蜂が飽きるほどの量の花が咲かなくてはならないのです。また、自然採取ではなくて養蜂が行われていたことを意味します。

 旧約聖書における、出エジプト後のカナン定住時代と呼ばれるイスラエルは、本当に蜂を飼って養蜂で蜜を得ていたのか?これには、輸血拒否で有名な、アメリカの新興宗教ものみの塔のサイトが、ヘブライ大学の発掘結果を紹介しています。僕はこの教会の教義は否定していますが、学術的引用は別の話です。

 一方、乳の方は、牛や羊や山羊やラクダの乳で間違いないのですが、これらの飼育には莫大な量の植物が必要となります。特に、山羊は硬い樹皮や樹根まで食べるし、ラクダは刺(とげ)のある植物まで食べるので、自然破壊の元凶となります→こちら。山羊が悪魔扱いされる背景には、このような植物を食い尽くす性質から忌み嫌われたのだと思います。

 このように、蜜蜂にとっての家畜たちは、大切な花を食べる害獣でしかありません。しかし、羊飼いと呼ばれたイスラエルにとって、家畜が食べる植物は絶対に欠かせないもの。ここに、二つの利害が反する二律背反が生じるのです。

 二律背反とは哲学用語のアンチノミーで、概念は古代ギリシャの時代からあり、カントが体系化した「矛盾する二つの命題」として知られています。しかし、哲学的概念は時代と共に陳腐となり、音楽的な意味での二律(二つの旋律・音程)で考えたほうが分かりやすいと僕は思います。和音と不協和音で当てはめれば、蜜蜂と家畜は不協和音の関係となる。一方が植物を専有すると一方が困る。

 従って、乳と蜜の流れる地には、家畜が食べても食い尽くすことの出来ない植物の量と、蜜蜂が四季を通じて活動できる恵まれた気候が必要となるのです。ただの豊穣では説明の付かない、奇跡的にバランスの取れた気候と土地が必要なのです。

 家畜による砂漠化は現代でも続いていて、中国から西のアジアでは当たり前の出来事。日本が乾燥に強い植物の植え方を教えても、植えたそばから遊牧民が家畜を連れてきて食べさせる。また、料理や暖房に植物を伐採するので、こちらからの砂漠化も深刻。家畜の糞を燃やして燃料とするのはマシな方なのです。

 日本の常識だと、家畜の糞は堆肥として土壌に還元する。堆肥で肥沃になった土から米や野菜や木が育まれ、それらが花を咲かせて蜜蜂を養う。二律背反ではなくて、循環式に豊かさが増す仕組みとなっているのです。旧約聖書の時代、すでに一部に循環式の農業や養蜂があったからこそ、乳と蜜の流れる地という、二律背反から脱却した言葉が使われたのです。

 レジ袋を使わないオバサンが、もたもたしてレジで長時間後ろの人を待たせるのは迷惑。偽善で自分のことしか考えない人には、乳と蜜の流れるという深遠な言葉の本質は理解できないのです。僕が、「他の読者に普遍的なことはコメントで」と何度も嫌になるほど書いているのに、その意味を考えたこともないノー天気では困ります。

 コメントで書いたことが他の読者の糧となる。自分のことしか考えない人には、以下の言葉(僕が小学生の時からやっている)を何万回でも復唱して欲しいですね。どうせ3日も経つと忘れる鳥頭だと思いますが。トイレのドアの内側に貼っておけば忘れないかもw

勉強は他人のためにする(成績の悪い子に答えではなく、易しい←解き方を教える)

他人のために答える

それが自分に徳となって返ってくる


    エフライム工房 平御幸
コメント (17)
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