読者のコメントで、刑場のあった南千住の素盞雄(スサノオ)神社が話題になりました。素盞雄神社は元々、仏教の牛頭天王(ごずてんのう)と修験道の飛鳥権現を祀ったもので、神仏習合で素盞鳴尊(スサノオノミコト)と同一視されたものです。今回問題とするのは、神紋に使われる祇園守り紋です。
コメントで書いたように、祇園守り紋は、タロットカードの大アルカナ21番めの「世界」と似ているという説があります。しかし、タロットカード自体が聖書の象徴で出来ていることから、世界に描かれる「人、鷲、獅子、牛」は、『ヨハネの黙示録』第4章6-8に登場する生き物にルーツがあると分かります→福音記者の象徴。最も、黙示録の記述もエゼキエル書が初出となっていますが。
祇園守り紋は京都の八坂神社の神紋と言われますが、八坂神社のホームページでは積極的に広報されていません。八坂神社といえば祇園祭ですが、そもそもギオンはシオンを指すと昔から言われています。それも当然で、祇園は分解すると「示・氏・園」で、要するに「氏園=シオンを指し示す」となるのです。シオンに気が付かないほうがおかしい。
祇園守り紋に話を戻すと、タロットカードの世界説では、神紋に人と鷲は確認できるのに、牛と獅子は確認できません。しかし、ここからが隠すという意味のカッバーラの本質なのです。
というのも、先に書いたように素盞鳴尊は牛頭天王で牛。牛が出てきたので残りは獅子ですが、獅子はイエスを排出したユダ族のシンボルなので、真ん中の十字形で十字架=イエス=ユダ族=獅子、となっているのです。これで、人、鷲、牛、獅子の4つがきちんと揃いました。
祇園守り紋の中央に描かれている十字は、誰が見ても巻物ですから、これは旧約聖書と新約聖書が書かれた巻物だと分かります。旧約聖書の中でもモーセ五書と呼ばれる巻物は、特別にトーラーと言われています。これが忍者が使う虎の巻の語源です。僕が古代史で書いているように、イエスは寅年の寅の月の寅の日の生まれなので、真珠湾攻撃が聖戦として位置付けられた時に、奇襲攻撃の暗号がトラ・トラ・トラとされたのです。
このように、祇園守り紋は聖書とイエスの奥義を隠し持っているから、キリシタン大名はこぞって使用したのだと思いますが、若い女を奴隷として外国に売ったお金で武器を買い揃えた、悪徳のキリシタン大名には使って欲しくなかったというのが本音です。
キリシタンとは、特に限定してカソリック信者を指すのですが、日本では意図的に全てのキリスト教徒と誤解するように使われています。日本の神道は、イエスをカッバーラで隠した原始キリスト教なのですが、『万葉集』は唐で景教(ネストリウス派キリスト教)弾圧が起こった時に、日本初の隠れキリスト教の地下組織が考案したものなのです。
学校で習う山上憶良の有名な歌も、キリスト教の精神が盛り込まれているのです。『万葉集』巻5-802番
瓜食めば 子ども思ほゆ 栗食めば まして偲はゆ いづくより 来りしものぞ まなかひに もとなかかりて 安寐し寝さぬ
これは普通に読めば子供を思う親の歌ですが、冒頭のウリはヘブライ語で光。クリはクリステでキリストのこと。しかも栗は西の木だから、日本から見てオリエントを指します。来は「二つ目の十字架」を意味するから再臨のイエス。目交とも書くマナカイは、ヘブライ語のマナ(日本語では真名や真魚と書く)とギリシャ語のΧ(カイ)で真の十字架という意味。
ここまで書けばわかると思うのですが、最後の「やすいしなさぬ」は「安い死なさぬ」で平安=ヘブライ語のエルサレムで死んだという事です。すると、「もとなかかりて」は十字架に架かったイエスの元名という事で、「私はある」を意味するヤハウェ(イエスの元の名)が十字架に架かった、すなわちイエスとヤハウェは同じという奥義だと理解できるのです。
山上憶良の名前も、「山の上で良いことを憶えた」だから、イエスが山で語ったことを伝える山上の垂訓そのものなのです。
1月は悪魔が降臨して大変でしたが、節分で鬼を退治しましょう。くれぐれも、朝鮮式の海苔巻きである、下品な恵方巻きは食べないように。万が一もらったら、きちんと切って普通の海苔巻きとして上品に食べましょう。恵方巻きを強要する者は悪霊が憑いていると思って間違いないです。
エフライム工房 平御幸
コメントで書いたように、祇園守り紋は、タロットカードの大アルカナ21番めの「世界」と似ているという説があります。しかし、タロットカード自体が聖書の象徴で出来ていることから、世界に描かれる「人、鷲、獅子、牛」は、『ヨハネの黙示録』第4章6-8に登場する生き物にルーツがあると分かります→福音記者の象徴。最も、黙示録の記述もエゼキエル書が初出となっていますが。
祇園守り紋は京都の八坂神社の神紋と言われますが、八坂神社のホームページでは積極的に広報されていません。八坂神社といえば祇園祭ですが、そもそもギオンはシオンを指すと昔から言われています。それも当然で、祇園は分解すると「示・氏・園」で、要するに「氏園=シオンを指し示す」となるのです。シオンに気が付かないほうがおかしい。
祇園守り紋に話を戻すと、タロットカードの世界説では、神紋に人と鷲は確認できるのに、牛と獅子は確認できません。しかし、ここからが隠すという意味のカッバーラの本質なのです。
というのも、先に書いたように素盞鳴尊は牛頭天王で牛。牛が出てきたので残りは獅子ですが、獅子はイエスを排出したユダ族のシンボルなので、真ん中の十字形で十字架=イエス=ユダ族=獅子、となっているのです。これで、人、鷲、牛、獅子の4つがきちんと揃いました。
祇園守り紋の中央に描かれている十字は、誰が見ても巻物ですから、これは旧約聖書と新約聖書が書かれた巻物だと分かります。旧約聖書の中でもモーセ五書と呼ばれる巻物は、特別にトーラーと言われています。これが忍者が使う虎の巻の語源です。僕が古代史で書いているように、イエスは寅年の寅の月の寅の日の生まれなので、真珠湾攻撃が聖戦として位置付けられた時に、奇襲攻撃の暗号がトラ・トラ・トラとされたのです。
このように、祇園守り紋は聖書とイエスの奥義を隠し持っているから、キリシタン大名はこぞって使用したのだと思いますが、若い女を奴隷として外国に売ったお金で武器を買い揃えた、悪徳のキリシタン大名には使って欲しくなかったというのが本音です。
キリシタンとは、特に限定してカソリック信者を指すのですが、日本では意図的に全てのキリスト教徒と誤解するように使われています。日本の神道は、イエスをカッバーラで隠した原始キリスト教なのですが、『万葉集』は唐で景教(ネストリウス派キリスト教)弾圧が起こった時に、日本初の隠れキリスト教の地下組織が考案したものなのです。
学校で習う山上憶良の有名な歌も、キリスト教の精神が盛り込まれているのです。『万葉集』巻5-802番
瓜食めば 子ども思ほゆ 栗食めば まして偲はゆ いづくより 来りしものぞ まなかひに もとなかかりて 安寐し寝さぬ
これは普通に読めば子供を思う親の歌ですが、冒頭のウリはヘブライ語で光。クリはクリステでキリストのこと。しかも栗は西の木だから、日本から見てオリエントを指します。来は「二つ目の十字架」を意味するから再臨のイエス。目交とも書くマナカイは、ヘブライ語のマナ(日本語では真名や真魚と書く)とギリシャ語のΧ(カイ)で真の十字架という意味。
ここまで書けばわかると思うのですが、最後の「やすいしなさぬ」は「安い死なさぬ」で平安=ヘブライ語のエルサレムで死んだという事です。すると、「もとなかかりて」は十字架に架かったイエスの元名という事で、「私はある」を意味するヤハウェ(イエスの元の名)が十字架に架かった、すなわちイエスとヤハウェは同じという奥義だと理解できるのです。
山上憶良の名前も、「山の上で良いことを憶えた」だから、イエスが山で語ったことを伝える山上の垂訓そのものなのです。
1月は悪魔が降臨して大変でしたが、節分で鬼を退治しましょう。くれぐれも、朝鮮式の海苔巻きである、下品な恵方巻きは食べないように。万が一もらったら、きちんと切って普通の海苔巻きとして上品に食べましょう。恵方巻きを強要する者は悪霊が憑いていると思って間違いないです。
エフライム工房 平御幸