歴程日誌 ー創造的無と統合的経験ー

Process Diary
Creative Nothingness & Integrative Experience

松本馨の信仰と自治会活動 その8

2007-09-01 |  宗教 Religion
当時の松本さんのお考えをもっともよく表している文章として、「小さき声」(1976年9月)を引用しておきたいと思います。それは、松本さんがご自身の自治会活動の目的をはっきりと語っている文章です。

私(松本馨)は自治活動をする上で、いくつかの目標を立てて来ました。唯、漫然と自治活動をするには、犠牲があまりにも大きく、それを払うだけの意義なり、目的がなければなりません。その目標は、一つは斜陽の道を辿っているハンセン病療養所の医療を守るためのセンターを作ることです。このセンターは、日本に於けるハンセン病患者の医療の最後をみることになるでしょう。二つには、ハンセン病患者の文献を収集し後世に残しておくことです。私が自治活動を決意したのは、自治会を閉鎖した時で、1966年のことです。自治会閉鎖の原因は種々ありますが、そのひとつは不良職員追放という不幸な事件が大きな要因となっていました。決意したときから10年になり、自治会を再建してから7年になります。そして私の願ったセンターの基礎となるべき治療棟の落成式が、8月10日に厚生省療養所課長、地方医務局次長、近接の国立療養所所長等を迎えて行われました。私はその席上で、センターはハンセン病医療の最後を見る責任を負っていること、センターの内容作りには多磨研究所と全生園、基礎医学と臨床医学が協力しなければならないこと、そのために両者が統合をも含めた協力を真剣に考えるよう訴えました。ハンセン病文庫の図書館は、9月に着工し、12月には完成することになっています。7年目にして私の願ったことは実現することになりました。それゆえに何時でも自治会を辞めたいと思っていますが、昨年頃より私の使命は、センターとハンセン病図書館だけでは終わっていないことに気がつきました。癩予防法というハンセン病患者の社会復帰を妨害している問題があることに気づいたからです。
私達は全国ハンセン病患者協議会という組織をもっていますが、この協議会は、強制隔離収容によって奪われた人権を回復するための組織です。その根源にあるものが癩予防法であり、そこに規定されている内容は、患者の人間としての権利をことごとく奪っております。その骨子は、患者を終身隔離すること、健康保険の利用を禁止していること、精神病患者とおなじように、ワゼクトミーを規定していること等です。患者運動は、この法律によって奪われているもの、つまり強制隔離収容所の解放、所長の懲戒検束権および監房の廃止、強制労働からの解放、日用品費の確立、収容所の病院化等、全患協が獲得してきた成果は数え切れないほどですが、最後に突き当たるものは、癩予防法でした。癩予防法は、昔も今も変わることなく、患者の諸権利を認めていません。その権利とは、社会人として復帰するための条件を言います。
私は自治活動をするのに二つの目標、日用品費の確立をいれると三つになりますが、今日まで活動を続けてきた訳ですが、これだけでは目標に達しないことに気が付きました。目標に達しないとは、私の考えの根柢にあるものは、ハンセン病の終末であり、その終末的立場から目標を掲げ、運動をしてきたわけですが、その終末的目標とは癩予防法を廃案にする事です。このことが実現しない限り、ハンセン病患者に対する偏見と差別は日本から無くなることはないでしょう。
患者運動の目標が癩予防法の改正にあるとは既に書きましたが、このことが実現しない限り、患者運動の終わるときがないでしょう。たとえ患者がいなくなっても、癩予防法が存在する限り、運動を継続しなければなりません。癩予防法は患者の人権を侵害し、抑圧しているからです。
会員のなかには、現在解放政策がとられ、外出は自由であり、日用品費は確立し、医療面でも或る程度向上し、あまり大きな不満はない。患者の平均年齢は57歳であり、先が見えた今日、現状の変更を望む必要はない、と考えているものが多くいます。つまり癩予防法を存続させるほうが現状を守るためには有利だと判断しているのです。癩は不治の病として、世が忌み嫌っても、現実には癩から解放されており療養するには何等障害となっておらず、苦しみもありません。それ故に今更改正をする必要は無いというのです、名をすてて実をとる、ということなのです。或いは既成事実をつくることによって、らい予防法を死文化していくのだ、とも言っています。
私は、このような考え方には真っ向から反対します。それは自ら人間であることを放棄し、奴隷の地位に甘んじることだからです。高い処遇を受けられ、外出の自由が保障されるならば、癩予防法が存続しても構わない、ということは、私には自ら人間を放棄する事に思われます。癩予防法の廃止によって、私達が貧しく苦しい生活が待っているにしても、それによって死が来るとしても私はらい予防法の廃止を強く望みます。それが今日の癩からの解放でありましょう。しかし、こうした私の考えに賛成するものは、ごく少数であります。このような考えは信仰がないと理解に苦しむからです。
「キリストは自由を得さしめる為に我等を解放したまえり。さらば固く立ちて再び奴隷のくびきに繋がれるな」
とパウロはガラテヤ書のなかで書いています。癩予防法は私達を縛る奴隷のくびきであります。それからの解放が癩からの解放でありましょう。現在日本には9千人の患者が施設にいますが、この人達は癩によって拘束されているのではなく、なぜなら、その80%は菌陰性者であり患者ではないからです。この人達を拘束しているもの、隔離しているもの、自由を奪っているもの、それが癩予防法だからです。

長い引用ですが、松本さんご自身に語って頂きました。ここではっきりと言われているように、松本さんにとって患者運動の原点はらい予防法の廃止です。ご承知のように1976年の時点では、全患協のなかではこれは少数意見でした。らい予防法を存続させたうえで療養所の処遇の改善を図るということが患者運動の実態であったわけですが、松本さんはあくまでも運動の原点が予防法の廃止にあったことを強調されています。私たちは予防法が廃止され、国賠法訴訟の判決が出た後で、療養所の将来構想を現在問題にしているわけですが、松本さんの場合は、その順序がまったく逆であったと言うこともいえます。
つまり、強制隔離による損失補償として、当時の劣悪な医療環境、生活環境を改善するための運動が最初になされました。松本さんは、損失補償を要求することの正当性を明確に主張された。つぎに療養所の将来、とくに医療危機に備えて医療センターを作り、それと同時に、日本だけでなく世界のハンセン病者のために我々は何をすべきかを考えて、世界医療センターというアイデアをしめされた。そして、療養所の将来構想を示された後で、もろもろの問題の根源にあるらい予防法を廃止すべきであるという主張を、最後になされたのです。
ところで、「将来構想」という言葉自体は、松本さんご自身は使われていないということに注意する必要があります。とくに「構想」という言葉には、何か、官僚的な響きがありますので。厚生省とか所長連盟とか、そういうところからは「構想」という言葉がお役所言葉として出てくるのは当然と思いますが、終末に直面している療養者自身から「構想」という言葉が自然に出てくるとは思われません。むしろ、療養所を管理する立場、あるいは療養所ではたらく職員の立場から、「将来構想」なるものが先行的に提示され、それに対して療養者自身が自分たちの問題としてどのようなかたちで応答するかという文脈で、後を追いかける形で論議されることが多いように思います。
これに対して、松本さんの場合は、来たるべき療養所の終末に備えて、自分たちは何をなすべきか、という視点から常に語ります。松本さんが、療養所の将来について語ることは、療養所の過去について語ることと切り離されていません。過去の療養所の人権を奪われた世代に対して自分たちはどんな責任を負っているか、それをきちんとふまえた上で、将来の世代に対して、自分たちは何を残すことができるか、と言う文脈で、来るべき療養所の終末にそなえて「共同の闘いをおこなう」(「小さき聲」創刊の辞)ことが松本さんの基本的な考え方なのです。したがって、松本さんは、自治会長をつとめられたときに書いた評論「創立七十周年に寄せて」のなかで、ハンセン病図書館を残すこと、患者自身の立場から全生園の歴史を書き残すこと、東村山の市民のために全生園を緑の森として残すこと、提案され、それを実行されたわけです。松本さんの「将来構想」としての「世界医療センター」も、療養所の終末に直面して、自分たちのことだけではなく、将来の世代に向けて自分たちは何を遺すことができるか、という視点のあることに留意して読むべきであると私は思いました。
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