歴程日誌 ー創造的無と統合的経験ー

Process Diary
Creative Nothingness & Integrative Experience

松本馨の信仰と自治会活動 その5

2007-09-07 |  宗教 Religion
関根正雄のいう「無信仰」の徹底的な自覺ということ、自己が信仰であると思っていたものを捨て去ったときに、始めてキリストの信仰が与えられ、「魂に十字架を刻印された」ということ-それが、松本さん自身の如実なる体験として繰り返し語っていることです。
そして、このようなキリスト教の原点が確立された後、松本さんは、自己の問題だけでなく、療友のための活動に邁進するようになります。強制隔離に対する補償要求、生活と医療の改善を求める自治会活動に精魂を傾けるようになります。それは、松本さんにとって、「世俗に於ける福音」の実践でもありました。松本さんは、既成のキリスト教の枠組みを超えて、共産党系の活動家を含む全患協のメンバー達とも連帯して、独自の視点から自治会の再建を呼びかけたのです。
松本さんは何故、自治会再建を呼びかけたのでしょうか。それを示すものとして、
「多磨」誌への寄稿のなかに、「自由を奪うもの(1967年4月)」という評論があります。これは、隔離医療から解放医療へとむかう混乱期のなかで自治会が解散された頃に書かれたものですが、キリスト教的な主題である「自由」の問題を、入所者の生活と直結した政治上の問題としての「自由」に重ねて論じたものといってよいでしょう。
 この論文の冒頭で、松本さんは、バビロンの捕囚から解放されたユダヤ人の心情を吐露した旧約聖書の次の言葉を引用しています。
「あなたがたの神は言われる。「慰めよ、わが民を慰めよ、ねんごろにエルサレムに語り、これに呼ばわれ、その服役の期は終り、そのとがはすでにゆるされ、そのもろもろの罪のために二倍の刑罰を主の手から受けた」
松本さんにとって、囚われ人に解放を告げるこの聖句が、そのまま、敗戦直後の日本へのメッセージとなります。米国も又、広島と長崎への原爆投下という大量殺戮を犯した戦争犯罪の責任は決して免れるものではありませんが、米国の日本に果たした歴史的役割は、嘗て、キュロス王がユダヤ民族に果たした役割と類比的であって、結果的には、迫害され抑圧されたものに解放の福音をあたえることととなった、と松本さんは言います。
治らい薬がもたらされ、選挙権と人権を保障する憲法が制定されたことによって、療養所に隔離されたものに自由への希望が生まれた。しかしながら、閉鎖的な隔離医療から、解放医療への転換にともなう混乱状況の中で、療養者の「自由」を妨げているものが厳然としてある。それは何であるのか、というのが松本さんの問です。
 そして、このエッセイには、隔離政策を推進した光田健輔への松本さんの批判が述べられています。医師としての光田の業績と献身を松本さんは決して否定するわけではありません。しかしながら、解放医療の思想に反対して光田の復権を叫ぶ一部の声に対して、松本さんは次のように明言しています。
「彼のあやまちを指摘することは監房で首を縊って死んだものや、監督の下でうらみをのんで世を去っていった先輩に対して、残っている私たちの義務でもある。自由の行き過ぎと、光田の隔離政策を礼讃する反動的な人たちの動きに対して、私たちは警戒し、自由を守らねばならない」
このエッセイの中に、シュワイツアーの名前が出てくるのは、おそらく、当時、光田を「シュワイツアー以上の偉人」として顕彰した内田守のことを念頭においているのでしょう。
 また、閉鎖された嘗ての自治会のあり方に対しても松本さんは手厳しい批判の言葉を述べている。自治会活動が、かならずしも療養者の爲を思って為されたわけではなかったということを率直に認めて、その原因を徹底して明らかにした上で、見せかけの開放感に浸ることなく、療養者の真の自由がどのようにして得られるかを問いつつ、
青空は一時的なもので、台風の目の中なのである。こうした中で、われわれは、自由を奪うものは誰か、自己に問い続け、その答えを求めなければならない。
という言葉でこのエッセイは締めくくられています。
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