秋学期(十月四日開講、連続八回)の上智大学公開講座のテーマは「キリスト教と日本人の心」とする予定です。春学期の公開講座「仏教と日本人の心」のほうは昨日終了しましたが、春秋両学期とも受講を希望される方もいらっしゃるので、春学期の最終日の講義は「法然上人絵伝」の人物像をテーマとしました。私は、井上洋治神父の「法然ーイエスの面影をしのばせる人」に共鳴するところが多いので、日本人の心に深く記憶されている法然上人の伝記、教説と説法、門弟達の行伝、階級差別を乗り越えて感化を受けた民衆の物語りのなかに、イエスと「使徒のはたらき」、病を癒やされた民衆の純一な信仰など、新約聖書の様々な物語の面影を求めてみました。
「絵伝」の第一巻に、父に遺恨を持つ者の夜襲を受け、重傷を負い、死の床で法然(幼名勢至丸)に遺した言葉が記されています。「敵を決して恨んではいけない、敵討ちをして遺恨に遺恨を重ねる世界に救いはない、それよりも仏門に入って此の世から解脱して父の菩提を弔ってほしい」という父の遺訓ー隣人も仇敵も、善人も悪人も差別せずに、その一人一人を愛する精神ーに従い、様々な...法難に遭遇しても自分を迫害した者を少しも恨まなかった法然のなかに、井上神父は、福音書の伝えるイエスの面影を見ています。
「絵伝」には、当時の保守派の仏教徒たちの念仏停止の訴状に対する法然の弁明と門弟達への誡めも収録されています。「他宗派の誹謗中傷をせず、宗派的論争を避けるべき事、信心は一人一人の人間を大切にすることであり、「群集」は闘諍の因縁となる」という現代にも通ずる法然の遺訓が収録されています。 選択本願念仏の「選択」とは、ただひと筋の道に専念することですが、それは理論ではなく実践の問題であり、各人の自由な選択の事柄だというー宗教的な「選択」と他宗派への「寛容」を同事に主張するー考え方が、晩年の法然によって明確に述べられています。
「絵伝」には、様々な階層の人にあてた法然の書簡と説法も収録されていますが、讃岐国に流罪が決まった法然が、弟子達の別れに際して、「自分に身に降りかかったことを少しも不幸とは思っておらず、自分に危害を加えようとした者こそ、むしろ哀れむべきだ」とのべるあたり、獄中のソクラテスが弟子達に語った言葉を想起させました。京都ではなく田舎の人々に念仏の教えを説くことこそ平素からの念願であったから、自分にとって流罪は恩恵のようなものだと語る法然の言葉どおり、「絵伝」は、船旅で四国に向かう途上、漁師の夫妻と「室の遊女」の求めに応じて法然の行った説法を記録しています。鈴木大拙は、『日本的霊性』のなかで、法然と遊女との出会は、「日本霊性史の上に記録すべき一事である」と述べていました。女人成仏は、法然の教えの根幹にあり、法然は式子内親王(正如房)や北条政子にも説法の消息を書いていますが、「絵伝」は、そのような天皇の息女や武家の頭領という身分の高い「女人」だけではなく、最も差別されていた女人ー遊女ーが、法然の親身な説法によって、一向専心に念仏することを教えられ「臨終正念」を得て、浄土に往生したことを伝えています。
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