はじめに
「ホワイトヘッドの平和論」を語る前に、私は、嘗てケンブリッジ大学でホワイトヘッドに数学を学び、特別研究員(Fellow)の資格を得た後で、ホワイトヘッドと共に数理哲学の記念碑的な大著「数学原理(Principia Mathematica)」を著したバートランド・ラッセルの平和論、とくに、その基本的な思想を表明した「ラッセル・アインシュタイン宣言」の中で、決議文の前に置かれた次の文の引用から議論を始めたい。[1]
我々の前には、幸福、知識、知恵の絶えざる進歩の道があって、我々の選択を待っている。我々が諍いを忘れられないからといって、その代わりに、死を選択すべきなのであろうか? 我々は、人間として人間に向かって訴える― 諸君の人間性を想起し、他のことを忘れよ。もしそれが可能ならば、新しき楽園(a new Paradise)への道が開かれる。もし不可能ならば、諸君のまえには全面的な死の危険(the risk of universal death)がある。
1955年7月9日に湯川秀樹博士をふくむ多数のノーベル賞受賞科学者とともに書かれたこの決議文は、戦後の東西冷戦の時代、アメリカとソ連の全面的核戦争が人類の絶滅を招きかねないという歴史上嘗て存在しなかった新たなる事態をふまえて書かれたものである。 この宣言を受けて1957 年、米ソをはじめ世界から科学者 22名がカナダの漁村パグウォッシュに集まり、核兵器の危険性、放射線の危害、科学者の社会的責任について真剣な討議を行おこなった。爾来、「対立を超えた対話と科学的根拠を政策決定者に提供する」という科学者の社会的責任に立脚した活動が継続され、最近では、2015年に、第61回目のパグウォッシュ会議が長崎で開催され、原子力発電所の存否と核兵器との関連を問わねばならぬ現代の歴史的状況を踏まえた上で「長崎宣言」が出されたことが記憶に新しい。
さて、ラッセル・アインシュタイン宣言のなかの、「人間として人間に向かって、諸君の人間性を想起せよ」と訴える、上記の宣言文を、65年後の現在において振り返ってみたときに、再考しなければならない問題が多々あると思う。
ひとつは、東西冷戦の終結が世界大戦と核戦争の危機の終焉を意味しなかったという歴史的現実である。現在では、超大国であるアメリカとロシアないし中国が核戦争をするという危険は以前よりも薄れたかも知れないが、それにかわって、北朝鮮やイスラム国のような全体主義的国家ないし疑似国家が核戦争ないし核によるテロ攻撃を始める危険性が現実味を帯びている。従って「長崎を最後の被爆地に」という長崎宣言の標語は決して色褪せてはいない。
さらに、プルトニウムの軍事利用のために作られた原子炉の商業的転用であったという歴史的経緯から見ても、原子力発電を「核の平和利用(atom for peace)」と位置づけることは大きな問題を孕む。子々孫々に至るまで、未来の世代に危険な放射性廃棄物の處理を押しつけるという問題が解決されない以上、核兵器のみならず原子炉を廃絶することこそ、反核運動の目的となるべきだという認識は、日本では福島の原子力災害以前では少数派であったが、そのような考え方もまた近年では真剣に取り上げられるようになった。
これらの問題群については、既に多くの論者が様々な議論を展開しているので、私は、ここではそのような議論に深入りするつもりはない。そのかわりに、そのような政治的ないし技術的な問題の背後にある「人間の問題」をあらためて取り上げたいのである。つまり、「諸君の人間性を想起せよ」と「人間として人間に向かって呼びかける」場合に、そこで前提されている、「人間」ないし「人間性」とは何を意味するかという問題である。その場合、「人間」を「人間を越えるもの(超越者)および人間以前のもの(自然)」との関わりから切り離して、「人間」にむかって、その「人間性」に訴えるのではなく、むしろ超越者(神あるいは仏)と自然とのダイナミックな聯関において、個々の人間が生きてきている具体的な歴史的生の文脈において捉えることが肝要であろう。
今日では穏健なイスラム諸国は、西ヨーロッパ主導の人権概念を基本的に受け入れるようになったとはいえ、イスラム教の原理主義者からすれば、神から独立に、理性の限界内で「人間が固有の権利を持つ」ことを人間が演繹することを決して受け容れないであろう。西洋の人権思想の歴史においても、たとえば、仏蘭西革命を経験したドイツ理想主義の哲学者フィヒテは、啓示宗教を理性の名において批判し、個人の基本的な人権を、超越者の権威に依存せずに、カント的な実践理性の内的な根本原理から演繹したが、そのように普遍的道徳を宗教の上に置く理性の立場は当時、無神論として告発されたという歴史的事実がある。つまり、外的な権威への服従を説く制度化された宗教と実践的理性のあいだには、避けがたい緊張関係があり、既成の宗教の批判を抜きにして、単に「人間性」に訴えるだけでは不十分だということである。「人間性」とは、歴史的な状況に根ざした個々の活きた人間存在のうちに実現されねばならず、「人類」という如き抽象的存在にとどまるかぎり、その議論は地に着いたものにはならないのである。
ホワイトヘッドの宗教論の現代的意義
数理哲学、科学哲学に関しては共同研究者であったラッセルとホワイトヘッドは、宗教については、一見すると正反対の立場であったように見える。ラッセルはキリスト教の批判者として著名であり、理性を越える如何なる外的権威も認めない「自由人の崇敬(Free Man’s Worship)」を説いた哲学者である。これに対して、ホワイトヘッドの米国に於ける継承者は基本的にリベラルなキリスト教の神学者達が多く、彼らはホワイトヘッドの後期形而上学に立脚した「プロセス神学」という米国独自の神学運動を起こしたことで知られている。
ホワイトヘッドは、みずからを二〇世紀に於けるプラトン主義の復興者であると位置づけており、「科学的唯物論」と機械論的な世界像の批判者でもあり、同時に、藝術と宗教と科学の調和をめざす新たなるコスモロジーの創設をめざしていた。年代的にはホワイトヘッドはラッセルよりも前の世代に属し、イギリスの講壇哲学がドイツ理想主義の形而上学的思弁の影響下にあった時代に属しており、彼自身、英国の精神文化を受け継ぎつつもそれを普遍化したニューマン枢機卿の影響を若い頃に受けていた。このように、後期のホワイトヘッド哲学を見る限り、ラッセルとはいかにも対照的であるが、ラッセルと同じくホワイトヘッドの哲学には、宗教のドグマと宗教的狂信の批判が含まれていることを指摘したい。
しかしながら、ホワイトヘッドにはラッセルにまだ残存している科学的理性への楽天的な信頼はない。それゆえに、ホワイトヘッドは、ラッセル流の「自由人の崇敬」の立場からの宗教批判を踏まえた上で、ラッセルがいまだに囚われていた科学的な合理性への信頼をも批判する立場を内包するが故に、むしろラッセルの後に読まれるべき哲学者なのである。
「人間にとって最も大切なものは宗教である」とは、カトリック教会の昔の「公教要理」の冒頭の言葉であった。ここで云う「宗教」を普通名詞であると解するならば、それは人間の究極的な関心の所在を表現している。この命題の後で、「真実の宗教はキリスト教である」とか「真実の宗教はイスラム教である」という主張が続くならば、それはそれぞれの宗教の神学上のドグマ(独断)となるであろう。しかし、歴史的に与えられた宗教が文明に与えた役割を反省する場合、独断的にみずからの属する宗教を「真実の宗教」と主張する前に、他宗教のみならず自宗教も含めて、「宗教」の哲学的批判が先行しなければなるまい。ホワイトヘッドは、とくに普遍的な倫理・道徳との関係を論じる次のような言葉から、彼の『宗教とその形成』における宗教批判を始めている。
宗教は決して必然的に善ではない、それは非常な悪であり得る。悪の事実は世界の仕組みとからみあうと、それは事物の本性の中になお堕落をうむ力が残っていることを示している。諸君が契約を結んだ神は、諸君の宗教的経験において、破壊の神であるかもしれない。すなわち、すなわち、通り過ぎた後に、より大きな実在の喪失を残す神であるかもしれない。宗教を考える場合、我々はそれが必然的に善であるという観念にとりつかれてはならない。これは危険な幻想である。注意すべき点は宗教の超越的重要性であり、この重要性の事実は歴史に訴えることによって十分に明らかである。[2]
90年前に書かれたこの文章に、ホワイトヘッド研究者は、存在するものの彼方にある「善のイデア」の立場から同時代の反道徳的な宗教を批判したプラトンの現代的反響を見いだすであろうが、「諸君が契約を結んだ神は、諸君の宗教的経験において、破壊の神であるかもしれない」という一節は、宗教的狂信とテロリズムとの結びつきを指摘したものとして、現代的なリアリティをも感じさせる。それは、ヨーロッパで教育を受けながら世俗化した近代世界に空虚さを覚えてイスラム原理主義に帰依し、テロリズムに走った若い世代のイスラム教徒や、オウム真理教に荷担した日本の若き科学者達の特殊な事例を我々に想起させるが、それだけでなく、いかなる宗教にも潜在的に内在する原理主義のもつ破壊性を自覚すべきことを指摘したものである。ただし、ここで注意すべきことは、このような宗教批判は、宗教の持つ「超越的重要性」を決して否定するものではないということである。宗教を無視するもの、単にそれを否定するものは、自らが、科学技術の成果の物神崇拝や、異民族排斥によって国家の結束を図るナショナリズムという疑似宗教に絡め取られる危険を免れないであろう。
それでは、破壊と戦争をもたらす宗教ではなく、創造と平和をもたらす宗教としてホワイトヘッドはどのようなものを考えていたのか。『宗教とその形成』ではそれを次のように語っている。
宗教とは、孤独性(solitariness)である。諸君が孤独でなければ、諸君は決して宗教的ではない。集団的熱狂、信仰復興運動、宗教団体、教会、儀式、聖書、行動の成典は宗教の外飾物であり、その移行的な形式である。それらのものは有益であるか、あるいは有害である。それらは権威を以て定められることもあろうし、あるいは単なる一時的な便法であるかもしれない。しかし宗教の目的はこれら一切を超えている。…
信仰と合理化が十分に確立されて後、初めて孤独性が宗教的重要性の中心を為すものとして認められるのである。文明化された人間の想像力に絶えず浮かんでくる偉大な宗教的諸概念は孤独性の情景である。岩に縛られたプロメテウス、砂漠で黙想するマホメット、仏陀の瞑想、十字架上の孤独の人がそれである。神によってさえ、見捨てられたと感じたことこそ宗教的精神の深さに属する。[3]
一読すると上記のような宗教観は、孤独性(単独者)を強調する点で、キルケゴールのような実存主義的なキリスト教を連想させるであろう。しかしながら、孤独性と人間の連帯性ないし社会性という相対立するものの間の動的な聯関を考える点で、ホワイトヘッドは単なる実存主義者ではない。人間の孤独性を深い意味での理性と結びつけ、最も個的なるものと最も普遍的なものとの逆対応的な動的統合を考えるところに彼の哲学の主題があるのである。ホワイトヘッドを実存主義の文脈で捉えた批評家のひとりにコリン・ウィルソンがいる。彼が1957年に出版した「宗教とアウトサイダー」の最終章でホワイトヘッドに言及し、次のように指摘しているのは、卓見であろう。
いくら英国人が形而上学に無関心であるとは言え、驚くべきことにホワイトヘッドが彼独自の実存主義を創造したと言う事実に気づいた人は一人も居ない。しかも彼の実存主義は、ヨーロッパ大陸の如何なる思想家のそれよりも充実したものなのである。『科学と近代世界』は二〇世紀の『非学問的後書き』にほかならず、おまけにそれは読むに値するという利点を有している。[4]
『科学と近代世界』は『宗教とその形成』とほぼ同時期に執筆された姉妹編とも云うべき著作であり、前者が科学批判を後者が宗教批判を扱っている。コリン・ウィルソンは前者をキルケゴールの「非学問的後書き(unscientific postscript)」にそれをなぞらえているが、ホワイトヘッドの場合、それはあくまでも否定ではなく批判であって、我々が「科学」や「宗教」として考えているところのものを、具体的な生活世界の現場に立ち戻ることによって、そこから批判的に考察し、科学を科学のドグマから、宗教を宗教のドグマから解き放つことを目的として書かれた二つの書物なのである。
我々は、科学の発達が人類の幸福を保証するという楽天的な進歩史観のリアリティが失われた時代を生きている。知識と技術は加速度的に進歩したが、知恵(wisdom)においてもそうであるというわけにはいかない。「宗教が必然的に善である」と考えてはならないのと同じように、我々は、「科学の進歩が必然的に善である」と考えてはならないであろう。すくなくとも科学の進歩によって、地上に「新しき楽園(a new Paradise)」が構築されるなどと云う楽天的な考え方そのものを批判しなければならない時代を我々は今生きているのである。 人類の存続そのものの危機は、核戦争だけによってもたらされるものではなく、現在では地球の環境危機という新たなる問題が登場している。この問題は、「自然と人間との共生」の問題、すなわち「エコロジー文明」の創出という新しい研究課題を哲学に与えるものとなったが、この問題にいち早く対応したのが、米国でホワイトヘッドの影響を受けたプロセス神学者達であった。
文明の転換期における平和の重要性
すでに四半世紀前になるが、1987年にアメリカのバークリーで開催された、仏教とキリスト教の対話を主題とする国際会議のテーマは、「地球の癒し(Global healing)」であった。 この国際会議を主導した米国のプロセス神学者のジョン・カブは、クレアモント大学あるホワイトヘッド研究のメッカともいうべきProcess Centerの創設者でもあるが、彼はホワイトヘッドのコスモロジーが地球の環境危機を考察する上で極めて重要であるという認識を早くから持っていた。彼はこの国際会議の基調演説で次のように述べた。
宗教的な観点から死について語る場合、従来は、ほとんど個人的な次元にとどまっていて、私という個人の死、あるいは、死後の世界はどのようなものであるかという観点から、この問題が扱われた。今日では、我々は、地球全体に死が広がりつつあるという状況に直面している。このことは、もはや、様々な宗教的伝統に属する人間にとって、避けられない問題となっている。[5]
地球全体に「死」が拡がりつつあるということは、あくまでも人間的な比喩、もしくは、神話的象徴によって語られていることであって、科学的事実の客観的な記述ではない言う意見があるかもしれない。普通に我々が理解している自然科学には「病」とか、「死」という語は登場しない。もし、自然科学の最も基底的な言語に、生死(生成と消滅)、価値、目的というような範疇が存在しないならば、自然科学的な事実を根拠として、「病める」地球の「癒し」について語ることはできないであろう。健康であったり、病気であったりするのは、あくまでも人間についていえるのであって、他の生物種や無生物について言うのは無理であるとも思われよう。 しかしながら、「健康」や「病」を人間にのみあてはまる特殊な述語と考え、自然そのものを人間の外部に対象化された単なる物質の運動に還元するような自然観そのものが、現在の生態学的危機と密接に結びついているとしたらどうであろうか。 宗教が人間の個人的な内面的生の問題のみに関わり、科学が自然を外部から操作可能な物質の機械論的システムに還元するとき、自然と人間の関わりを問う「環境問題」を、「科学的にかつ宗教的に」語るという道はほとんど閉ざされていたと言ってよい。ホワイトヘッドの自然哲学のコスモロジーはまさにそのような近代に固有の機械論的自然観と、科学から切り離された実存的宗教観の断絶を克服するために亭主すされたものであった。すなわち、人間の生死を、ひろく生きとし生けるもの生命のつながりにおいて捉え、自然を外部から操作し、意識を持つ人間の自己中心的な価値に奉仕させる道具的存在と見做す考え方そのものを批判することが『科学と近代世界』の根本的テーマの一つであった。
単なる科学的な理性は、手段知としていかに優れていても、無知の自覚において成りたつ本来の哲学的智の基準からすれば、人間と自然との間の分離不可能な依存関係について、また自己と他者との社会的依存関係に対しても、甚だしき無智と共存しうるのである。
ホワイトヘッドの哲学は、自然を支配する道具として理性を見る立場が批判されるだけでなく、「存在するために他者を必要としない」実体の哲学的概念が迷妄として斥けられている。これは、これまでの西欧のプラトン主義やアリストテレス主義にはなかった哲学の新しい考え方であり、仏教の縁起説に通じる徹底した実体否定論を説いている。このような実体否定論に基づいて、ホワイトヘッドは、自然の外部から神の如き立場で干渉する人間の科学的理性の「暴力」を斥けるだけでなく、一神教の中にあってこれまで無批判的に受容されてきた神概念、すなわち世界に全く依存しないが、世界のほうは全面的に依存する絶対的な実体としての神の概念、万有を外部から専制君主のように支配する神の概念を、一神教に特有の偶像崇拝として批判し、またその偶像崇拝に基づく暴力の是認を、平和を脅かす宗教的イデオロギーとして斥けるのである。
ホワイトヘッドは、『過程と実在』の「神と世界」の関係を論ずる章で次のように伝統的な「万軍の主」の神概念を批判している。
「不動の動者」としての神の観念は、すくなくとも西欧思想に関するかぎりアリストテレスに由来する。「勝義にリアルな実体」としての神の観念は、キリスト教神学好みの説である。此等二つの神の観念が結合して、根源的で、勝義にリアルな超越的な創造主-その命令一下、世界が成立し、それが課した意志に世界が服従する超越的な創造主の説になるのであるが、これは、キリスト教とイスラム教の歴史に悲劇を注入してきた誤謬である。西欧世界がキリスト教を受け容れたときにローマ皇帝が勝利を収めたのであるし、西欧の神学の受け取ったテキストは、ローマ皇帝の法律家達によって編集された。ユスティニアヌス法典とユスティニアヌス神学とは、人間精神の一つの運動を表現している二巻である。ガリラヤの謙譲についての簡潔なヴィジョンは、諸時代を貫いて、不確かに明滅した。キリスト教の公式化においては、救世主に対して誤解を抱いたということを、唯ユダヤ人だけのものとみなす些末な形をとった。しかし、神をエジプト、ペルシャ、そしてローマの皇帝のイメージにかたどって作るという、より深刻な偶像が保持された。教会は、もっぱら皇帝に属しているいろいろな属性を付与したのである。[6]
ここでユダヤ人が救世主に対して誤った観念を抱いたというのは、失われた王国をダビデの子孫として復興する王としてのメシアというユダヤ人中心の考え方であり、民族の壁を越えて異邦人をも救済するという普遍的な救済の教えではなかったことを指している。しかし、ホワイトヘッドは、誤解したのはユダヤ人のみならず、初期のキリスト教の神学者達もまた、神を皇帝のイメージにかたどるという、より深刻な偶像崇拝に陥っていたというのである。
嘗ての西欧文明がキリスト教を非キリスト教国に宣教する場合でも、歴史はその布教活動が帝国主義的な政治的支配と分かちがたく結びついていたことを示している。この点がホワイトヘッドのいう一神教のなかでまだ克服されていない深刻な偶像崇拝のポイントであろう。ホワイトヘッドがキリスト教において重視するのは、「統治する皇帝でも、呵責のない道徳家でも、不動の動者でもなく」、「世界の内で、ゆるやかに、そして静謐の内に働く」「ガリラヤの謙遜(humility)」、すなわち福音書に記されているキリストのケノーシス(自己譲与の愛のはたらき)である。
先に名前を挙げたプロセス神学者のジョン・カブは、ホワイトヘッドの哲学が、キリスト教だけでなく仏教にも深い関わりを持っていることを理解し、米国宗教学会で仏教とキリスト教との宗教間対話を積極的に推進した人でもあった。ホワイトヘッドは、大乗仏教については知識を持たず、当時英訳された倶舎論に示されていたような小乗仏教的を論じただけにとどまったが、彼自身が『過程と実在』で展開した宗教哲学が、小乗仏教の二世界説的形而上学を克服した大乗仏教の根本思想と通底するものであることは、日本のホワイトヘッド研究者もまた詳細に指摘している。[7]
ホワイトヘッドが積極的な意味での平和を語っているのは、『観念の冒険』の文明論においてである。ここで云う平和(Peace) は「平安」とも訳しうるが、単に個人の心の内面的な世界だけにとどまるものではない。平和は、宗教論の文脈では外的なものに優先する個の内面に関わるが、内的なものは常に外化され他者によって受容され、継承されるという意味で、内なる世界と外なる世界は互いに動的に転換するという働きがあるからである。言い換えるならば個人の魂に平安のないところに、政治的・外的な意味での平和も到来することはないのであり、地の平和のないところに、魂の平安もあり得ないのである。
まず、ホワイトヘッドは、文明を「まこと(Truth)」「美しさ(Beauty)」「冒険(Adventure)「藝術(Art)」の四つの徳性がいかに実現されているかによって特徴付ける。美を重視するのは、ホワイトヘッドに特徴的であって、広義の美的判断がそれ自身において価値あるものを我々に伝える点で、また最も具体的な生に直接に関わるという意味で、倫理学の形式的な当為判断よりも実質的な重要性を持つというホワイトヘッドの考え方が現れている。しかし、此等の特質をひとつひとつ彼自身の哲学の立場から論じた後で、ホワイトヘッドは次のように「平和」の重要性を説くのである。
我々が探し求めているのは、他の四つの徳性を総括し、それらの徳性に実際しばしばつきまとってきたやむことのない自我主義を文明の観念から排除するような、<調和の調和>の観念である。「非人格性」は死語でありすぎるし、「優しさ」は、狭すぎる。私は破壊的な騒々しさを鎮静し、文明を完成させる<調和の調和>に対して、<平和>という用を選ぶ。こうして社会が文明化されていると呼ぶことができるのは、そのメンバーが五つの徳性―<まこと><美しさ><冒険><藝術><平和>に関与する場合である。
ここで云われている文明は、近代科学の成立以後に意味されているような機械文明ではない。それは精神的な文明であり、構成員が関与する徳性である。<冒険adventure>は、未来の方から到来して過去を刷新する力を表わしており、進取の気性をもつ自由人としての個人の気概を表現するものである。しかし、真理を探究する科学も、美を探求する藝術も、冒険を重んじる起業家の気概も、それだけでは文明を構成しはしない。それらの徳性、古い哲学の用語を使うならば、知的卓越性や倫理的卓越性を統合する宗教的卓越性の根本を表現するものが、ホワイトヘッドにあっては「調和の調和( Harmony of Harmonies)」としての「平和」なのである。ここでいう「平和」は消極的な概念ではなく、「魂の生命と躍動の花冠である積極的な感情(positive feeling)」である。それは「未来に対する希望」ではなく、「現在の細々したものへの興味」でもない。言葉で表現することは難しいが、「人格性の超越を伴う、相対的な価値の逆転」であり、「目的の制御を越えた賜物として到来するもの」である。この<平和>は抑止の除去であって、抑止の導入ではない。
転換期に於ける文明を特徴付ける徳性としてのこのような「平和」の概念は、諸宗教で伝統的に語られてきた「平和の概念」でもある。即ち、創造の御業を完成し休息された神に倣う「安息日の平和(シャローム)」、キリスト教のミサで唱えられる「主の平和」、そして、生死の苦しみに満ちた世界から逃避して来世に希望を託す消極的な涅槃ではなく、衆生の苦の世界をみずから積極的に引き受けて、生死の世界との往還のダイナミズムにおいて捉えられた大乗仏教的な涅槃(無住處涅槃)など、様々な宗教的叡智の伝統につながる「平和」である。このような宗教的伝統のなかで育まれた叡智の伝統を尊重しつつ、なお既成の宗教や疑似宗教的イデオロギーのなかに認められるさまざまな偶像崇拝的要素を除去し、そのような集団的エゴイスムを乗り越える「平和」を、文明論の転換という文脈で論じたものがホワイトヘッドの平和論である。
[1] ラッセル・アインシュタイン宣言の英語原文は、日本パグウォッシュ会議のHP
http://www.pugwashjapan.jp/ 参照 ただし、日本語訳は私自身のものである。
[2] Alfred North Whitehead, Religion in the Making, 1926, Newyork: Fordham UP, 1996, p.7 ホワイトヘッド著作集7巻『宗教とその形成』(齋藤繁雄訳)松籟社7頁
[3] 前掲書 p.9 邦訳8頁
[4]Colin Wilson, Religion and the Rebel, Littlehampton Book Service, 1957
『宗教とアウトサイダー』、中村保男訳、河出文庫、1992,下巻271頁、
[5] この国際会議については、拙著『ホワイトヘッド』講談社、1998、183頁以下を参照
[6] A.N.Whitehead, Process and Reality, 1929, Corrected Edition. New York:Free Press, 1978,p.342 ホワイトヘッド著作集第11巻『過程と実在』下、山本誠作訳、松籟社、610頁
[7] 武田龍精、「大乗仏教とホワイトヘッド哲学―特に中観と瑜伽行唯識に関して」、「プロセス思想」創刊号、1985,5-18頁は、ホワイトヘッド哲学でいう創造性を大乗仏教の動的な「空」の理解に結びつけている。