高倉健に続いて菅原文太が逝去した。先週、今週号の各雑誌は「健さん特集」ばかりである。いろいろな関係人からのエピソード、写真などが組まれている。それにしても健さんは「他人に気配りする人」だった。マルシア・ガルケスの言うように、「与えられるよりも与えることが好きだった」のだろう。知り合いにプレゼントするだけでなく、年忌に必ず線香を送るとか、他人の飲み代のツケをこっそり払うとか、挙げればきりがないほどの美談が並ぶ。徹底的に神経質で、自分の個人的な見せ方にこだわった俳優だった。政治的発言もなく、社会的発言もなかった。
一方菅原文太は生涯俳優に馴染めなかった。そして最後にには引退を表明した。引退表明の前から農業人となり、同時期から社会的発言をし始めた。戦争は絶対しないこと、原発にも反対し、無駄な税金使途にも敏感に反応し、反骨していた。
今日は菅原文太の感想を書きたい。NHKの大河ドラマ「獅子の時代」はよかった。菅原文太こと銑次は生涯弱者の味方であった。格好もなにもなかった。そこはスタイルや写り方を重視する高倉健とは違っていた。「獅子の時代」は僕にとっては傑作の大河ドラマであった。最終回に、突然に銑次は消えた。それから、ずいぶんしばらくあと、十年は経っていたと思う。銑次が「わたしのグランパ」で出てきた。刑務所からでてくる菅原文太であった。僕には銑次に思えた。孫の石原ひとみと一緒にバーにいくシーンがあった。銑次はジャズの歌を歌ったのだった。それは高倉健が「ブラックレイン」で歌ったジャズなどとな問題にならなかった。菅原文太のほうが断然センスよく良かったのである。
人の生き方は違うものである。菅原文太は「獅子の時代」以降、俳優業を避けてきたように思える。高倉健はいつまでもするという気持ちがあった。
どちらでもいいのだが、どちらも生き切ったという感じがする。勝新太郎のような自分勝ってで、放漫な生き方ではない。自分にいつも問いかけながら、自分の人生を歩んでいく、という生き方である。
平成26年。偉大な二人の俳優が死んだ。日本は大きな転換点である。転換するまでにまだ何年もかかる。80代はその歴史の転換を見ることはできないのかもしれない。
一方菅原文太は生涯俳優に馴染めなかった。そして最後にには引退を表明した。引退表明の前から農業人となり、同時期から社会的発言をし始めた。戦争は絶対しないこと、原発にも反対し、無駄な税金使途にも敏感に反応し、反骨していた。
今日は菅原文太の感想を書きたい。NHKの大河ドラマ「獅子の時代」はよかった。菅原文太こと銑次は生涯弱者の味方であった。格好もなにもなかった。そこはスタイルや写り方を重視する高倉健とは違っていた。「獅子の時代」は僕にとっては傑作の大河ドラマであった。最終回に、突然に銑次は消えた。それから、ずいぶんしばらくあと、十年は経っていたと思う。銑次が「わたしのグランパ」で出てきた。刑務所からでてくる菅原文太であった。僕には銑次に思えた。孫の石原ひとみと一緒にバーにいくシーンがあった。銑次はジャズの歌を歌ったのだった。それは高倉健が「ブラックレイン」で歌ったジャズなどとな問題にならなかった。菅原文太のほうが断然センスよく良かったのである。
人の生き方は違うものである。菅原文太は「獅子の時代」以降、俳優業を避けてきたように思える。高倉健はいつまでもするという気持ちがあった。
どちらでもいいのだが、どちらも生き切ったという感じがする。勝新太郎のような自分勝ってで、放漫な生き方ではない。自分にいつも問いかけながら、自分の人生を歩んでいく、という生き方である。
平成26年。偉大な二人の俳優が死んだ。日本は大きな転換点である。転換するまでにまだ何年もかかる。80代はその歴史の転換を見ることはできないのかもしれない。