25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

選挙のばかばかしさ

2014年12月15日 | 社会・経済・政治
  選挙に行った。母親も連れていった。足が悪いので、足もむくみ、靴も履きにくい。
 投票所は土足厳禁で、スリッパに履き替えなければならなたっか。
「どうして土足でもいいようにしないのか」と聞いてみた。すると「保育園が許可しないのですよ」と言う。
「こどもたちがこの床で遊ぶものですから、ということです」
 投票所には12人の役所の人や選挙管理委員会の人たちがいた。投票にくる人はまばらである。12人は要らないだろう。日当はわれわれ市民が税金でだすお金である。5、6人いれば上等だと思う。汚した床とて、終われば、ファブリーズでも使って、雑巾がけすればよいだけのことである。
 こういう習慣は変わらない。いつまでたっても変わらない。もっと効率的に変えていくのが改革というものではないか。

 また選挙前の日、役所の職員がスーパーの前で、「選挙に行ってください」とティッシュペーパーを配っていた。ティッシュペーパーはいくらか知らないけれど、これを全国でやっていたとするなら、相当な金額である。

 つまり、相当な無駄なことをやっているように思う。腹立たしいのは僕だけではない。口々にその奇妙さを口にしている人もいた。こんなことも変えれられないで構造改革などできるはずもないと思う。構造改革とは利権をもつ人々をはねてしまうことであるからだ。公務員とて、その層である。残業代が入る。座って、名簿を照合し、印鑑を押し、投票用紙を2枚渡すだけのことだ。

 1000兆円を越える借金がある国だというのに、無駄を変える意識もない。まして、これから介護、医療負担が増え、年金は下がり、さらに物価高で目減りしていくというのに、老人は怒らない。若い人は選挙にいかない。
 いっそ、選挙で投票したら1000円くれるという風にしたほうがそれが消費に使われてよい、というように思う。極端に言えば、逆の方法もある。選挙に行かなければ罰金を課す、という風に。これらの意見は正当とも思えないが、日本人はどうかしてしまっている。
 テレビ報道で選挙事務所を映すと、椅子に座っているのは老人ばかりである。矛盾している。老人の実質貯金は目減りしていっているのに、ある老人たちはその政策を実行する人に加担している。不思議だ。僕はとても不思議だと思う。

今日、用があって、ある老人と話をした。「なんだ、昨日の選挙は。バカバカしいにも程があるわ」と憤慨していた。こんな老人もいる。
 貨幣の価値が下がることで、国の借金の価値も下がる。国民の貯金が目減りするのと同じ割合で国の借金も目減りする。国にとってはいいだろうが、庶民はたまったものではない。そして国の借金は僕の孫たちに引き継がれていく。生まれたきた子は200万円の借金を背負って生まれてくる。
 これまでお金をバラマキ、無駄をしてきたツケが1000兆円を越えてしまっているのである。当然、破綻の日がくる。破綻がないことは有り得ない。だれにだってすぐにわかることだ。それを遠いことのように思っている。